最新下級審裁判例

名古屋地裁判決平成20年09月16日

【事案】

 原告の夫であった被災者K(昭和39年▲月▲日生)は,平成3年7月1日,Tトラック運送株式会社N営業所(以下「会社」という。)に入社し,以後,後記交通事故により死亡する平成10年▲月▲日まで,同社従業員として,大型貨物自動車の運転に従事してきた。
 被災者Kは,平成10年▲月▲日午前1時ころ,会社の業務としてトレーラーに荷物を積載して,静岡県清水市から石川県松任市に向かい,国道21号線を走行中,岐阜県大垣市d町e丁目f付近において,軽自動車(以下「事故車」という。)が横転している現場に遭遇し,同車から脱出した者から事故車内に閉じ込められている同乗者の救助を求められた。このため,被災者Kは事故車の前方にトレーラーを停めて,後続車の男性と協力して事故車内に閉じ込められていた2名の女性を救出したが(以下,これを「本件救出行為」という。),その後,上記男性と事故車を起こそうとしていた際(以下,これを「本件復元行為」という。なお,これと本件救出行為とを合わせて「本件救出行為等」ということがある。),後方から走行してきたY運転の普通乗用車が事故車に衝突し,被災者Kは前方に押し出された事故車とトレーラーの間に挟まれて負傷し,岐阜県大垣市の大垣市民病院に搬送されたものの,同日午前2時35分,頭蓋骨骨折により死亡した(以下「本件事故」という。)。
 被災者Kの遺族であり,かつ,被災者Kの葬祭を行った原告は,平成10年9月11日,本件事故は労働災害に当たるとして,半田労働基準監督署長に対し,労働者災害補償保険法に基づき,遺族補償年金給付及び葬祭料の給付を請求した。
 半田労働基準監督署長は,上記請求に対し,平成10年10月16日付けで遺族補償年金給付及び葬祭料の給付を支給しない本件処分をし,同月23日,原告に通知した。
 本件処分に係る不支給決定通知書には,不支給理由として,「業務上の傷病とは認められない。」という記載がある。
 原告は,この処分を不服として,平成10年11月18日,愛知労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが,同審査官は,平成11年3月29日付けで原告の審査請求を棄却するとの決定をし,同月30日,原告に通知した。
 原告は,さらに,上記決定を不服とし,平成11年5月17日付けで労働保険審査会に対し,再審査請求をしたが,労働保険審査会は平成19年3年28日付けで再審査請求を棄却するとの裁決をし,裁決書は,同年4月1日,原告に送付された。
 原告は,平成19年9月28日,名古屋地方裁判所に対し,本件訴えを提起した。
 なお,労働者災害補償保険法上,業務災害に関する保険給付は,労働基準法75条から77条まで,79条及び80条に規定する災害補償の事由が生じた場合に行うものとされており(労働者災害補償保険法12条の8),労働基準法79条及び80条は,遺族補償及び葬祭料に関する災害補償事由として,「労働者が業務上死亡した場合」と定めている。

【判旨】

 労働者の死亡が業務上の災害によるものと認められるためには,災害が労働者の業務遂行中に(業務遂行性),業務に起因して発生した(業務起因性)ことが必要であると解される。
 そこで,まず,業務遂行性について判断するに,確かに,事故車の横転は被災者Kの運送業務及び同人運転車両の運行に由来するものではなく,また,これを見過ごして通過することも不可能ではなかったことが認められ,本件救助行為等は,一見,被災者Kの運送業務からは逸脱した行為に映る。また,原告の同僚であるHも「走行車線を走行しておれば行き過ぎたかもしれない。」などと供述している。
 しかしながら,事故車の横転は,被災者Kが会社の業務としてトレーラーを運転していた道中に見掛けたものであり,同人の運行コースが外れていた様子もなく,まさに業務の最中に遭遇したものということができる。
 そして,被災者Kが目の当たりにした光景は,深夜,軽自動車が第2車線を塞ぐようにして横転している状況であり,しかも,女性から横転車両内に閉じ込められている同乗者の救出を求められたというのであるから,これを放置していては,人の生命に関わりかねない,一刻を争う重大な事故である可能性を疑うべき状況にあったといえ,このような事態に至って,少々時間をかけても業務に支障のない被災者Kが,本件救助行為等に着手したのも無理からぬものがある。かえって,救助を無碍に断り,通り過ぎれば,本人としても良心の呵責を覚え,社会的にも道徳的非難を浴びかねないところである。
 また,運送事業者の運行管理者の講習用テキストにおいても,事故があった場合に他の運転者に協力を呼びかけ,運転者同士が相互協力し合うことを想定した記述が認められ,交通事故において救助等を求められた場合に,可能な限り協力することは自動車運転者として奨励される行為であったということができ,本件救助行為等は,自動車運転を行う労働者として,通常予想される範疇の行動と言い得るものである。
 そして,会社としても,上記のような状況下で,これを放置して運送業務を継続することが望ましいと認識したとは到底考え難い。現に,本件事故後に,会社において行われた事故対策の検討においても,被災者Kの車両の停止位置が問題とされたことはあったが,本件救助行為等を行うこと自体が問題視された様子はなく,また,会社のN営業所長も,本件事故後,被災者Kの死亡について労災認定がなされることを希望し,さらに,会社として,被災者Kの社葬を遺族に打診していたというのであるから,会社が被災者Kの執った行動を支持していたことは明白である。
 以上の諸点に照らせば,事故車の同乗者から救助を要請されて行った本件救出行為等は,長距離の自動車運転業務に従事する労働者が,業務を行う上で当然なすことが予想される行為であり,本件事故は業務遂行中の災害と認めるのが相当である。
 なお,・・・本件復旧行為はその数分後,引き続いて同一場所で行われた行為であるうえ,当時の現場の状況は,事故車が第2車線を塞ぎ,未だ後続車が衝突してきて第2の惨事が起こる危険も十分にある状況にあったのであるから(現にY運転車両が衝突していることが認められる。),事故車同乗者の救助行為を引き受けた自動車運転者としては,本件救出行為に引き続き,現場の安全確保の措置として,咄嗟に本件復旧行為を行うことも,当然,予想される行動である。
 したがって,本件救出行為のみならず,本件復旧行為も本件救出行為に継続した行為として,業務遂行中の行動と評価し得るものであり,結局,本件事故は業務遂行中の災害と認めるのが相当である。
 次いで,業務起因性について判断するに,被災者Kの業務は長距離の自動車運転であり,仕事柄,業務中に交通事故に遭遇することも想定されるところであり,かつ,事故の処理中に,後続車の追突事故に巻き込まれる可能性も予想されるものであるから(運送事業者の運行管理者の講習用テキストにおいても,事故処理中に他の車が突っ込んでくる可能性があることを前提とした記述がある。),このような事故に遭遇する危険性は,自動車運転を内容とする業務に内在するものといえる。したがって,運送業務途中の事故処理中に後続車のY運転車両が追突してきたという本件事故も,被災者Kの業務に内在する危険性が現実化したものということができ,被災者Kの業務と相当因果関係があると認めるのが相当である。
 以上によれば,本件事故による被災者Kの死亡は業務上の災害と認められる。
 よって,本件事故による被災者Kの死亡を業務上の災害と認めなかった本件処分は違法といわざるをえず,原告の請求は理由がある。

 

京都地裁判決平成20年09月18日

【事案】

 被告が設置管理する高等学校の隣地で居住している原告らが,同高校で使用しているエアコンの室外機から発せられる騒音が受忍限度を超えているとして,これらの室外機のうち原告方に近い19台の撤去を求めると共に,過去及び将来の騒音被害に対する慰謝料の支払を求めた事案。

【判旨】

 人は,その居住場所において,静謐な環境の下,平穏な生活を営む人格的利益を有しており,この利益は排他的な性質を有するというべきであるから,他の者がその居住場所に到達させた騒音によって上記人格的利益を違法に侵害された場合には,他の者に対し,その侵害行為の差止めを求めることができるというべきである。
 もっとも,人が社会の中で生活を営む以上,他の者が発する騒音に晒されることは避けられないのであるから,その騒音の侵入が違法というためには,被害の性質,程度,加害行為の公益性の有無,態様,回避可能性等を総合的に判断し,社会生活上,一般に受忍すべき限度を超えているといえることが必要である。

 騒音が受忍限度を超えているか否かを検討するに当たって大きな考慮要素になるのは,その騒音が公法上の基準を超えているか否かである。
 公法上の基準としては,騒音規制法による規制基準と環境基本法による環境基準がある。騒音規制法は,工場及び事業場における事業活動並びに建設工事に伴って発生する相当範囲にわたる騒音について必要な規制を行うこと等により,生活環境を保全し,国民の健康の保護に資することを目的とする(同法1条)もので,指定区域内に特定工場等を設置している者は,規制基準の遵守を義務づけられており(同法5条),市町村長は,特定工場等において発生する騒音が規制基準に適合しないことによりその特定工場等の周辺の生活環境が損なわれると認めるときは,騒音の防止の方法等に関する計画の変更を勧告,命令することができ(同法9条,12条1項,2項),命令に違反した者に対しては罰則を課すこととされている(同法29条)。他方,環境基本法は,環境の保全について,基本理念を定め,並びに国,地方公共団体,事業者及び国民の責務を明らかにするとともに,環境の保全に関する施策の基本となる事項を定めることにより,環境の保全に関する施策を総合的かつ計画的に推進し,もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するとともに人類の福祉に貢献することを目的とするものであって(同法1条),環境基準は,人の健康を保護し,及び生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準として定められている(同法16条1項)。
 そうすると,環境基準が,いわば政策目標であるのに対し,規制基準は,特定工場等の設置者に遵守を義務づけて周囲の居住者の生活環境の保全を図ろうとするものである。そして,被告は、特定工場等である被告高校の設置者として、規制基準の遵守を義務づけられているのであるから、本件騒音が規制基準を超えている場合は,特段の事情がない限り,受忍限度を超えているものと認めるのが相当である。

 将来の給付を求める訴えは,あらかじめその請求をする必要がある場合に限り,提起することができる(民訴法135条)。そして,継続的不法行為に基づき将来発生すべき損害賠償請求権については,その基礎となるべき事実関係・法律関係がすでに存在し,その継続が予測され,請求権の成否・内容につき債務者に有利な影響を生ずる事実の変動としては,あらかじめ明確に予測しうる事由に限られ,しかも請求異議の訴えによってその主張をしなければならないとの負担を債務者に課しても不当とはいえないときにのみ将来の給付の訴えを提起できると解するべきである(昭和56年12月16日最高裁判所大法廷判決・民集35巻10号1369頁参照)。
 本件についてこれをみるに,今後,被告において原告ら宅敷地に騒音を到達させる行為が違法性を帯びるか否か,及びこれによって原告らが受ける損害の有無,程度は,今後の第1校舎のエアコンの運転台数,運転時間及び設定温度等の運転状況,被告によってハード面での騒音防止対策がなされれば,その対策内容等によって左右されるから,損害賠償請求権発生の基礎となるべき事実関係・法律関係の継続が予測されるとしても,請求権の成否・内容につき債務者に有利な影響を生ずる事実の変動があらかじめ明確に予測しうる事由に限られるとはいえず,このような損害賠償請求権の成立要件の具備については,請求者においてその立証の責任を負担するべきものと解せられる。
 そうすると,原告らの損害賠償請求のうち,将来の損害の賠償を求める部分については,権利保護の要件を欠き,不適法というべきである。

 

さいたま地裁判決平成20年09月19日

【事案】

 原告らの子である亡C(平成9年4月27日生まれの当時小学校2年生。以下「C」という)は,平成17。年4月5日,被告が設置・管理する埼玉県越谷市a b 丁目c 番地所在のd 公園(愛称:e 池公園)(以下「本件公園」という。)内の噴水施設(以下「本件噴水施設」という。)で遊んでいる際に本件噴水施設内において転落して死亡した(以下「本件事故」という。)。
 本件は,本件事故について被告の本件噴水施設の設置又は管理に瑕疵があるとして,国家賠償法2条1項に基づき,Cの相続人である原告らが被告に対し,損害賠償及びこれに対する不法行為の日である平成17年4月5日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

【判旨】

 営造物の瑕疵とは,通常有すべき安全性を欠いていることをいい,設置又は管理の瑕疵の有無については,当該営造物の構造,用法,場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきである(最三小判昭和53年7月4日)。そこで,本件噴水施設が遊具に当たるか検討しつつ,設置又は管理の瑕疵の有無を検討する。
 確かに,E証言や本件公園開設当初からのオブジェに登ることを禁止する看板によれば,本件噴水施設は,水辺空間への水の供給施設であるとともに,本件公園のシンボルとしての役割を有していたものであり,ここに登って遊ぶことを予定していたものではなかったと認められる。そして,その後も被告の職員が本件噴水施設に登っている子供を見かけると,改めて本件噴水施設に登らないよう注意する看板を設置していることから,事実上本件噴水施設に子供が登って遊ぶという利用方法を承認したわけではないと認められる。したがって,本件噴水施設は遊具には当たらない。
 しかし,本件各オブジェは上に乗ることが出来る形状であり,実際に登っている子供もいること,本件各オブジェの配置上約80センチメートルのオブジェC,約1メートル40センチのオブジェDが隣接しており,オブジェDから76センチメートルほどの距離に約1メートル70センチメートルのオブジェG,オブジェDから56センチメートルほどの距離に約1メートル90センチメートルのオブジェFがあり,小さな子であってもオブジェCやオブジェDを経由してオブジェFやオブジェGに登ることが出来る構造となっていること,徒渉池側から本件噴水施設への立ち入りを物理的に制限するものは存在しないこと,その他の側からも立ち入りは容易であること,本件噴水施設は本件公園の中央に存在すること,本件各オブジェへ登ることを禁じる看板はあるものの本件噴水施設からは離れた場所にあり,必ずしも子供の目にとまるわけではないこと,本件各オブジェに登らないよう注意する職員が常駐しているわけではないことなどの事実を総合すると,本件噴水施設の設置当初から,子供が本件噴水施設の本件各オブジェに登り,そこから飛び降りるなどして遊ぶことは十分予見される状況であったというのが相当である。
 上記のとおり本件噴水施設に子供が登って遊ぶことが予見できたことに加え,本件各オブジェの中には約1メートル70センチメートルや約1メートル90センチメートル,約3メートル80センチメートル等の高さのものがあること,本件噴水施設の地面はコンクリートであること,6月から9月までは水が張られているものの徒渉池の足場に満たない程度の深さであること,実際に水が張られている状態でも平成16年7月20日には転落した男児が頭部を打撲していること,本件事故も起きていること,被告自身本件噴水施設に登ることが危険であるとして看板を設置していることなどの事実を総合すると,本件噴水施設について,設置した当初から子供が本件各オブジェに登り,そこから飛び降り,又は転落し,死傷する危険性があったといえるから,その設置には瑕疵があるというのが相当である。
 また,本件噴水施設の供用開始後,本件各オブジェに登っている子供がいることを被告の職員が認識したり,本件噴水施設で事故が起きたことを被告の職員が認識したりしていて,本件噴水施設で事故が起きることは一層予見しうる状態であったが,本件噴水施設の役割からすれば子供が接近できる状態としておかなければならない理由は見当たらないにもかかわらず,予算の関係か,本件噴水施設への物理的な接近防止措置を講じるなどせず,新たな看板の設置という対策にとどまっていたのであるから,本件噴水施設の管理にも瑕疵があるというのが相当である。
 よって,本件噴水施設には設置及び管理に瑕疵があるというべきであるから,被告は国家賠償法2条1項に基づき,原告らに対し損害の賠償責任を負う。

 本件事故当時,Cは7歳と11か月ほどの小学2年生であり,事理弁識能力を備えていると認められるところ,本件噴水施設の構造からすれば,本件各オブジェから落下すれば死傷の危険があることは当然予見できたといえること,本件事故前,原告Bからオブジェは危険だから遊ばないよう注意を受けていること,それにもかかわらずオブジェGから飛び降りていること,その際周囲を見渡し接触の危険がないか等注意をしていないと窺われることなどからすれば,C自身の過失は大きいといわざるを得ない。
 また,原告BはCの母親であり,本件事故当時付き添っていたのであるから,原告Bの過失も被害者側の過失として考慮するのが相当である。そうすると,原告Bには,Cに対し本件噴水施設の危険性を注意したものの,Cの行動を制止するには不十分な程度であったことや,10分に満たない時間であっても,Cから目を離したことなどの過失があるというべきである。
 これらの被害者側の過失を考慮しつつ,既述のとおり本件噴水施設が本来的には遊具ではないものの遊具に近い利用がされており,被告が物理的にその利用状況を制限してこなかったことや,本件公園の利用に保護者の付添が要求されていないことなども考慮すると,5割の過失相殺をするのが相当である。

 

大阪地裁判決平成20年09月19日

【事案】

 被告人は,昭和61年4月本件被害者である父A(以下「父親」という。)と母Bの次男として出生し,幼少期には父親にも可愛がられながら,兄姉とともに大阪市(以下略)の当時の自宅(以下,単に「自宅」というときは,この住居を指す。)において育ち,やがて地元の小学校に入学した。
 ところで,被告人は,幼少期より軽度精神遅滞であったため,本来は学習面や生活面においてこれに応じた適切な教育等を必要とする状態であったにもかかわらず,家族や学校関係者にその負因が気付かれないままこのような適切な措置がとられることなく学童期を送ることとなったことから,学校では友人もできず勉強もついて行けなくなり,被告人自身も必要以上にこのことを重荷に感じ,小学4年(平成8年)時に約1か月間不登校になって以来,しばしば学校を休むようになった。
 それでも,被告人は,中学進学とともに野球部に入って練習に励んでいたが,中学1年(平成11年)の夏ころ,些細なことから父親と喧嘩になった際にその腹いせに風呂場のドアを叩いてしまい,割れたガラスで右手に大怪我をしてしばらく野球部の練習を休むことを余儀なくされたため,その後練習にもついて行けず同部を退部してしまったことから,被告人は,この一件について,父親のせいで野球をやめなければならなくなったなどと考えるようになり,折から,父親が,仕事がうまくいかなくなったり会社を転々とするようになって,次第に家族に当たり散らすようになり,ときには暴言を吐いたり暴力を振るったりまでするようになっていたため,このことも相まって,父親に対して強い嫌悪の感情を抱くようになっていった。
 その後,被告人は,前記のような負因とこれに対する周囲の無理解のため,学校環境にも一層適応困難となって,中学2年(平成12年)の春ころからは全く学校へ行かなくなり,自宅の一番奥にある3畳和室(以下「被告人居室」又は「自室」という。)に引きこもった生活を送るようになった。そして,中学卒業後一旦は定時制高校に入学したものの,これもすぐに行かなくなって,以前と同様の引きこもり生活に戻り,やがて自室出入口をバリケード状に家具類で囲んで外からの出入りを困難にするとともに,自室ガラス戸にもカーテンで目張りをするなどして,家族からも孤立した引きこもり生活を送るようになった。
 このような被告人に対し,仕事がうまくいっていなかった父親は,余計に苛立ちを募らせるようになり,たびたび,被告人居室の外から「いつまでも部屋の中でじっとしとくな。」「お前なんか子供違う。」「もう早く出て行け。死んでしまえ。」などと怒鳴りながら部屋のガラス戸を叩いたりし,これに怒った被告人が「はげ。」などと言い返したりして部屋から出てきた際には,被告人に対し殴ったり蹴ったりする暴行を加えるようになった。しかし,被告人が暴力でやり返すことはなく,母や姉が父親を止めに入ったりしていたが,平成16年ころには,被告人との口論に激高した父親が電源の入った電動ドリルや包丁を持ち出して被告人の方に向かい,母や姉が危うくそれを止めたりしたこともあったことから,被告人は,父親に対し更に憎しみの気持ちを募らせるとともに,父親は興奮すると何をするか分からないとして強く恐れ,同人が自宅にいるときには決して自室から出ないようになった。
 平成18年1月,父親は,下咽頭癌の手術により,以後呼吸や発声は喉元に空けた気管切開口を通じて行うことを余儀なくされるようになり,同年2月に退院してからは仕事もほどほどにして自宅で療養することが多くなったが,そのような生活の中でも,父親は,たびたび被告人に対し「出て行け。」などと言ったり,それと同様の内容を書いた紙片をガラス戸の隙間などから被告人居室に差し入れたりしたほか,ときには被告人に暴行を加えようとして母親が止めに入ったこともあった。
 そして,これら父親の言動に恐怖と憎しみを覚えた被告人は,本件犯行の約1か月前である同年9月上旬ころ,父親が暴行を加えてきた場合に備えて,自室にあった折畳み式テーブルからスチール製の脚部(長さ約30cm,重量約210g)を3本取り外し,それらを部屋の中に保管しておくようになった。
 かくして,本件当日である同年10月5日,母と姉が仕事に出掛けた後の午前10時30分ころ,突如,父親が,自室にいた被告人に対し,「話しようや。」などと言いながら,同室のガラス戸をがんがん叩くとともに,被告人が父親の侵入を防ぐため部屋の中からガラス戸を手で押さえるや,今度は同室南側の風呂場前廊下に回り込み,そこから同室南側入口に置かれていたスチール棚をぐらぐらと揺らし始め,その棚に載せていたテーブル等が床に落下する事態となった。これを見た被告人は,かねてより父親の言動に恐怖と憎しみを抱いていたことから,父親が今まさにスチール棚を倒しそこから自室に入ってきて自分を殺そうとしているなどと短絡的に誤って思い込んでしまい,自分の身を守る気持ちに以前からの憎しみの感情も合わさって,とっさに父親を殺害することを決意し,用意してあった前記テーブルの脚のうちの1本を手に取って自室から押し出ると,風呂場前付近に立っていた父親の頭部めがけてそれを振り下ろして殴り付け,驚いて逃れようとする同人の後頭部をめがけて更に同テーブル脚で多数回にわたり殴り付け,その結果,同人に顔面挫滅創,鼻骨骨折,後頭部挫創等の傷害を負わせるに至った(但し,以上の行為については,誤想防衛に当たり犯罪は成立しない。)。
 被告人は,同日午前10時35分ころ,父親(当時56歳)が上記の激しい暴行を受けたことにより這々の体で自宅風呂場隣にある和式トイレ内に逃げ込み,便器左側の壁にもたれるようにして仰向けに倒れ込んだことから,その様子を見て,父親がもはやその場で自己に暴行を加えてくる可能性がなくなったことを認識しながら,この際とどめを刺しておこうと改めて父親殺害を決意し,台所から文化包丁(刃体の長さ16.7cm。)を手に取ってトイレに舞い戻るや,倒れ込んだまま動かない状態の父親に対し,文化包丁でその左側頭部付近めがけて2回突き刺したが,頭部刺創の傷害を負わせたにとどまり,父親を殺害するには至らなかった。
 なお,被告人は,前記のとおり軽度精神遅滞により是非弁識能力や行動統御能力がもともと相当程度制限されていたことに加え,前記のような引きこもり生活の中で特に行動統御能力がさらに減弱した結果,上記犯行当時,心神耗弱の状態にあった。

【判旨】

 被告人は,原因不明の軽度精神遅滞の精神障害を有しており,その人格的な特性として元々欲求不満耐性や衝動制御能力が低かったが,家族など周囲の者にそのような病気を理解されず健常者として扱われたために失敗と失望を繰り返し,社会に適応できなくなって引きこもりの生活を送るようになる中で,その欲求不満耐性や衝動制御能力はさらに低くなった。そして,父親からたびたび暴言や暴力が加えられる生活の中で,被告人は父親に対する攻撃性や反感を募らせたが,父親に対する恐れがそれを上回って大きいために,その攻撃性は抑えられていた。
 しかし,被告人は,軽度精神遅滞による低い問題解決能力のため,父親からの暴言や暴力から身を守る術を見出せずにいたところ,本件当日,父親の言動に対し,軽度精神遅滞の影響やこれまで暴行を受けてきた経験から,父親に殺されると思い,自己の身を守る気持ちと父親に対する憎しみの感情の混在した状態で,被告人は父親に対し殺害行為に出るに至った。
 そして,このとき,被告人は,是非弁識能力や行動制御能力が相当程度減退した状態,中でも特に後者が著しく減退した状態にあったといえ,これらを総合すれば,被告人は心神耗弱状態に陥っていたと評価できる。
 以上を踏まえ,弁護人主張の誤想防衛の成否について判断する。まず,防衛行為の前提となる正当防衛状況の存否から検討するに,本件においては,その客観的状況と主観的状況との間に齟齬が認められるので,順次その内容を検討することとする。
 本件直前の父親の一連の行動(被告人の部屋のガラス戸を叩き,さらにスチール棚を大きく揺らすなどしたこと)がこれまでの暴行時の父親の行動傾向と類似はしているものの,他方で,父親がこれまで被告人の部屋に入り込んで同人に暴行を加えたことは一度もなかったことや,本件に際して被告人は父親に対して同人を激高させるような言動は特にしておらず,父親も被告人に対して「話しようや。」などと従前の暴言の類と比べても穏やかに話し掛けていることに照らすと,当時父親には,無理やり被告人の部屋に入り込んで同人に暴行を加えるつもりまではなかったと認めるのが相当である。したがって,客観的に見る限り,父親からの被告人に対する急迫不正の侵害はなかったものといわざるを得ない。
 しかし,客観的には正当防衛状況が認められなくても,被告人が主観的に正当防衛状況が存在するものと誤信し,さらにその他の正当防衛の要件も満たせば,誤想防衛行為として,もはや故意責任は問えないというべきである。
 この点,・・・被告人は,当時自己の生命に対する父親からの侵害が切迫していると誤信していたものと認定するのが相当であって,その誤信に基づいてテーブルの脚を持ち出しているのであるから,テーブルの脚で殴打した際,被告人に父親の暴行から自己の身を守る目的,すなわち防衛の意思があったこともまた明らかである。
  ・・・さらに,本件において,被告人は,父親に対抗するために予めテーブルの脚を外しておくなど,父親からの暴行を予期しているかのような行動をとっているし,また,被告人はかねてから父親に憎しみの感情を抱いていたことに加え,本件に際しては機先を制して攻撃を開始し,その後も一貫して一方的に激しい暴行を加え続けているのであるから,本件前から被告人は父親に対し積極的に攻撃を加える意図を有していたかのようにも見える。したがって,これらの点から侵害の急迫性が否定されることはないかについても検討を加えておく必要がある。
 そこでまず,侵害の予期の点から検討すると,被告人とても,これまでの経験を通じて,自室の外に出ると父親から暴行を加えられるかもしれない,場合によっては父親が自室にまで入り込んでくるかもしれないということについては,漠然とにせよ事前に予期できていたものと思われる。そこで,このような場合に,被告人に予想される侵害を回避すべき義務があったか否かが問題となるが(なお,この点については,橋爪隆・正当防衛論の基礎〔平成19年〕305頁以下,佐伯仁志「正当防衛と退避義務」小林充先生・佐藤文哉先生古稀祝賀刑事裁判論集上巻〔平成18年〕88頁以下等参照), 一般的に自宅や居室に留まっている場合に侵害回避義務を課することには慎重であらねばならないところ,(ア) 本件においても,被告人は,自室の入口を塞いで出入りを困難にしていたことや本件以前に被害者に自室に入り込まれ暴行を加えられたことがなかったことから,自室を安全の確保された場所であると考えていたこと,(イ) 被告人は,父親が自宅で過ごしているときには,父親から声を掛けられても,安全圏である自室を出ないようにして同人との接触を避けているし,また,日頃から母親にも自分に話し掛けないよう父親に言ってほしい旨頼んだりもして,何とか父親との接触を避けようとしていたこと,(ウ) それでも自室の外で父親と遭遇し暴行を加えられたときでも,被告人は,父親に抵抗しないことによってその暴行がエスカレートするのを防いだりしていたこと,(エ) 前記のとおり,被告人は,軽度精神遅滞を患い,周囲からそれを十分理解されなかったために引きこもり生活に入って何年にもわたり社会との接触を完全に断ってきて,問題解決能力もかなり劣っていたため,外部者に対して自己の現在の状態を適切に説明して具体的な救済を求めることは著しく困難であったと解されること,(オ) そして,被告人自身は,前記のとおりいつか父親が自室にまで入り込んできて暴行を加えてくるかもしれないことくらいは漠然とにせよ予期できていたとしても,それ以上にそれが将来のいつなされるかについては全く予期できない状況にあったこと,以上のような諸事情が認められるのであって,これらの事情に鑑みれば,被告人は,従前から父親からの暴行を回避するために自分なりに手を尽くしていたものと認めることができ,それ以上に,被告人に対し,引きこもり場所である自室から退去したり警察等の外部機関に救済を求めたりするなどの具体的な結果回避措置を採ることを要求するのは,やはり酷であるといわざるを得ないように思われる。したがって,侵害回避義務の存否という観点からしても,前記の程度の侵害の予期しか認められない本件の下において,その予期の存在ゆえに侵害の急迫性を否定することは相当ではないと解される。
 次に,被告人が「父親からの侵害の機会を利用し積極的に父親に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだ」か否かについて検討しても,確かに,被告人は,犯行以前から,被害者に対し使用することを想定してテーブル脚を外し準備していたものの,これまで何度も父親から暴行を受けてきた中でも被告人が暴力で反撃したことはないことや,テーブル脚を外して準備した後も,自宅で父親と二人で過ごす時間は長く,父親を攻撃しようと思えばその機会はあったのに,被告人がそれを全くしなかったことなども考慮すれば,上記の被告人の準備は,あくまで被害者の攻撃に対し防御するためのものであったと認めるのが相当であって,本件以前から侵害の機会を利用して父親に対し積極的な加害に及ぶ意図まで有していたといえるかについては,かなり疑わしいというべきである。そして,仮にそのような積極的加害意思が認められるとしても,前記のような侵害回避義務を肯定することができない本件事実関係の下においては,その意思の存在ゆえに侵害の急迫性を否定することには,なお疑問が残るといわざるを得ない。
 次に,上記のとおりテーブル脚での殴打行為の時点で存在した主観的な正当防衛状況が,文化包丁での刺突行為の時点においてもなお持続していたかが問題となるが,被告人の公判供述によれば,父親は,被告人からテーブルの脚で頭部を多数回殴打されてトイレ内において被告人の目の前で倒れ込み,その後は少しの間テーブル脚をつかみ返したくらいで,それ以上に攻撃的な言動に出ることもなく,その後はほとんど動きもしなかったというのであるから,この時点では,父親からの侵害が切迫していると被告人に誤信させるような外部的情況は既に失われていたというべきであり,しかも,被告人自身そのような父親の様子を間近で観察していたのであるから,被告人の状況認識能力を考慮に入れても,この段階でもなお,被告人が正当防衛状況を誤信していたと見る余地はないといわざるを得ない。
 そうすると,文化包丁による刺突行為については,主観的な正当防衛状況が認められず,誤想防衛が成立する余地はないというべきである。
 そこで最後に,主観的な正当防衛状況に対して被告人がテーブル脚で父親の頭部等を多数回殴りつけたことが,防衛行為としての相当性の範囲内であると認められるかについて検討する。
 被告人の認識によれば,父親は今にも自分を殺すために自分の部屋に踏み込んできそうな状況であったというのであるから,そのような被害法益の種類や侵害の急迫性の緩急等に照らせば,被告人としては自己の生命を守るために相当広範な防衛行為をなし得るものと解されるのであって,前述のとおり当時被告人の行動統御能力が著しく制限されていたことも併せ考慮しても,テーブル脚で父親の頭部等を多数回殴打した行為(なお,上記のとおり,弁護人はその時点での殺意を争うが,先端部が一部鋭利である金属製のテーブル脚を凶器にして,身体の枢要部である頭部を力任せに何回も殴り付けたという犯行態様を見れば,被告人がその時点で既に父親に対して確定的殺意を有していたことは明らかである。)が,なお防衛行為として相当な範囲を超えるものとまではいえないと認められる。
 よって,被告人の本件各行為のうち,テーブル脚で父親を殴打した点については誤想防衛に当たり,犯罪が成立しないが,文化包丁で父親を2回刺突した点については,犯罪の成立を阻却する事情は認められない。
 最後に,被告人が包丁で父親の頭を突き刺した行為と父親が死亡した結果との間に因果関係を認めることができるか否かについて検討する。
 父親の司法解剖を担当したC医師は,父親の死因は窒息死であるとし,本件で父親が窒息に至った機序としては,@ 被告人が気管切開口を手指で塞いだ可能性,A 血液がべっとりと付着した衣服が張り付いて気管切開口を塞いだ可能性,B 父親の首がうなだれて気管切開口が塞がった可能性の三つの可能性が考えられる旨証言しており,このうち,@の可能性については証拠上認定できないために否定されるが,父親の衣服への血液の付着状況や発見時における父親の衣服の装着状態に照らせば,ABの可能性については,いずれも否定することができず,本件全証拠によっても,これらABのいずれが本件窒息死の原因であったとも決することはできない。
 そこで,上記刺突行為と父親の死亡結果との間の因果関係の有無について検討すると,C証言によれば,少なくとも刺突行為当時父親がまだ死亡していなかったことは認められるものの,被告人が刺突行為に及ぶ前に,テーブル脚での殴打行為のみによって既にAのように血液が付着した衣服が張り付いたり,あるいは,Bのとおり父親の首がうなだれたりすることによって気管切開口が塞がっていた可能性,言い換えれば,父親が窒息死するに至る因果経過に刺突行為が全く寄与しなかった可能性(なお,前記C医師は,上記刺突行為のみで被害者が死亡することはあり得ないと証言している。)を証拠上否定することができないのであって,結局,上記刺突行為と父親の死亡結果との間に因果関係を認めることはできない。
 したがって,被告人は,父親の死亡結果については帰責されず,2回の刺突行為により父親の生命に具体的危険を生ぜしめたことについて殺人未遂の責任を負うにとどまる。
 よって,以上により,当裁判所は,本件各行為のうちテーブル脚で父親の頭部等を多数回殴打した点については誤想防衛が成立し,被告人は文化包丁で父親の側頭部を2回刺突した点についてのみ刑事責任を負う一方,同刺突行為との因果関係が立証されていない父親の死亡結果については責任を問えないため,結局殺人未遂罪のみが成立し,さらに犯行当時被告人は心神耗弱の状態にあったと認定した次第である。

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