平成20年度新司法試験論文
考査委員採点雑感&ヒアリング検討(憲法2)

平成20年度の採点実感及びヒアリングのうち、前回に続いて憲法について検討する(試験問題出題趣旨)。

論証は覚えるべきか

予備校答案と関連する問題として、論証を覚えるべきか、ということがある。
この点について、考査委員は以下のように述べる。

(採点実感より引用)

 憲法学という視点からは,基礎的理解が不十分で,設問の具体的事情を離れて表現の自由に関する論証を記憶に従って並べただけの答案が多く,事案の内容に即した個別的・具体的検討の不十分さや応用力という点で課題を残すものであった。また,いわゆる論点主義の解答に陥っている答案が多く見られた。それらは,残念ながら,憲法の基礎理論を生きた知識として身に付けていない,また,法的思考力ないし論証力が十分に定着していない,と評価せざるを得ないものであった。

(引用終わり)

これは、覚えた論証しか書いていない答案に対する批判である。
「論点主義」という言葉がその象徴だろう。
ただ、これは論証を覚えていること自体を悪いと言っているのではない。

悪いのは、以下のような場合である。
まず、「基礎的理解が不十分」とあるように、その論証が間違っている場合。
論証を正確に記憶できなかった場合である。
これはいいはずがない。
また、どの論証を吐き出すべきかを誤っている場合。
関係のない論証を書いている場合である。
本来書くべき事項を書いていないのだから、これもダメである。
上記の原因は、論証を覚えたことにあるのではない。
むしろ、覚え方が不十分だった。
または、覚えた論証の使い方を誤った、というべきである。

もっとも、正確に論証を書いたとしてもそれだけでは不十分だ。
考査委員は、この点を特に指摘している。
その問題特有の個別的具体的検討がなされていない点である。
この点は、論証を覚えたからできるようになる。
または、覚えたからできなくなる。
直接的にはそのような性質のものではない。
ただ、以下のようなことがいえる。

論証を覚えておけば、当該部分の答案化が容易になる。
構成段階では「二重の基準論」のように論点名だけ書いておけばよい。
論証を覚えていなければ、答案化の際に考えながら書かなければならない。
または、構成段階で一々理由付けや論述の手順などを書いておかなければならなくなる。
これは限られた試験時間を大いにロスする。
論証を覚えれば、節約した時間で個別的具体的検討ができる。
これは、論証を覚えることによる大きな利点である。

反面、論証を覚えることで、個別的具体的検討を妨げる要素もある。
これには二つある。
一つは、市販の論証が、多くの場合長すぎること。
論証が長すぎれば、それを書く紙幅は余計に多くなる。
その結果、個別的具体的検討を書く紙幅が失われる。
もう一つは、受験生が論証を一字一句覚えようとしてしまうことである。
一字一句覚えれば、答案化の際にも一字一句吐き出すことしかできない。
その結果、個別的具体的検討に即したアレンジが効かなくなる。
また、一字一句覚えるのは大変だ。
そのため、普段の勉強時間を余計に暗記に費やすことになる。
その結果、個別的具体的検討の訓練のための時間を失う。
そして、上記二つのことが合わさって、より重大な問題を引き起こす。
長い論証を一字一句覚える労力は、大変なものがある。
また、長い論証を適宜省略せず一字一句吐き出していては、紙幅が無くなって当然だ。
個別具体的検討のためにアレンジすることも、より難しくなる。

考査委員が指摘している答案には、上記の欠点に陥ったものが少なくないだろう。
しかし、このような欠点を補う方法はある。
論証は短いものを用いること。
一字一句覚えない。
理由と結論(規範)のポイント、キーワードだけを覚えること。
てにをは等本質的でない部分は覚えず、適宜補充できるようにすることである。
これらの方法によって、欠点は克服できる。
よって、結論としては、論証は覚えるべきである。
ただし、前述した欠点には注意しなければならない。
論証のどの部分を覚えるべきかという点は、演習をすることでわかる。
最初のうちは最小限度(キーワード等のみ)だけ覚える。
そして、演習の過程で足りないと感じたところを補充していく方法でよいだろう。

そして、指摘しておくべきは、現状では論証を正確に貼れただけで実力者になっていることである。
また、基本的論証がデタラメだが、個別的具体的検討の方ができているから好評価、ということはあり得ない。
なぜなら、個別的具体的検討は、基本的知識理解を前提とするからである。
従って、まずは基本的論証を確実にできるようにする。
次に、個別的具体的検討もできるようにする。
この学習の順序は押さえておく必要がある。

あてはめについて

考査委員は、あてはめについても、暗記批判と取れる指摘をしている。

(採点実感より引用)

 内容にかかわる問題として指摘せざるを得ないのが,「当てはめ」についてである。本来,「当てはめ」とは,具体的事例に合わせて抽象的な法理論を柔軟に具体化する作業を指す。しかし,答案で「当てはめ」として書かれていることを見ると,暗記している抽象的理論を絶対視していて,具体的事例にそのまま「当てはめ」れば自動的に解答が出てくるかのように誤解しているのではないかと思われる。その結果,具体的事例の個性が暗記してきた抽象的理論に収まらないときは,それ以上の思考を巡らせることなく,具体的事例の個性の方を切り捨ててしまうことになる。
 新司法試験で測りたいと思っている重要な要素である個別的・具体的思考力は,そのような極めて形式的な「当てはめ」とは矛盾対立するものである。必要なのは,事案の内容に即した個別的・具体的な検討である。基礎的理解の確立と具体的な問題への対応の必要性について,受験生が再認識するよう求めたい。

(引用終わり)

(ヒアリングより引用)

 答案を見ていると,例えば,「当てはめ」という言葉がよく出てくるが,この言葉が本来の意味とは違った形で使われていることが多いように思われる。暗記している抽象的理論の方を絶対視してしまい,事案を形式的にそのまま当てはめれば,自動的に答えが出るというようなイメージで「当てはめ」という言葉が使われているきらいがある。仮に,判断枠組みが定立できたとしても,個別具体的な事案の内容に即した検討をしなければ答えが出ないはずであり,そこをどれだけ考えてくれるか,ということを期待しているが,その期待にこたえる答案が数多くあるわけではない。

(引用終わり)

「暗記している抽象的理論」「暗記してきた抽象的理論」というフレーズが目に付く。
しかし、これは抽象的理論を覚えてはいけない、忘れろ、という趣旨ではない。
現に、審査基準について、内容を正確に書けと言っている。
(審査基準についての詳細は、別稿で述べる。)

(採点実感より引用)

 審査基準の内容を正確に理解することが,必要不可欠である。中間審査基準における目的審査で「正当な目的」とするのは誤りである。中間審査基準では,「重要な目的」であることが求められる。

(引用終わり)

「正当」と「重要」を間違えたら許さないということである。
採点実感では「理解」とされている。
しかし、正確に答案に書けるということは、覚えているということである。
従って、抽象的理論は、覚えていなければならない。
考査委員が問題にしているのは、むしろ、あてはめが形式的・自動的であること。
具体的事例の個性を切り捨てていることである。
この点は、規範の修正ができていないという点と、あてはめの仕方が悪いという両面を含む。
前者については、厳密にはあてはめの問題ではない。
規範定立の問題である。
規範定立の修正については、審査基準に関する部分で述べる。
ここでは、主に後者について述べる。

指摘されているあてはめとは、規範に都合のいい一部分しか挙げていないものだろう。
典型例としては、LRAの基準を掲げて、より制限的でない手段を一つだけ挙げて違憲とする答案である。
理屈としては正しいが、これでは、具体的事実をほとんど使わない。
また、ただ規範を繰り返しているだけのものもある。
例えば、以下のようなものである。

 ・・・から、本問のような内容規制立法については、明白かつ現在の危険が認めれる場合に限り合憲となる。
 そして、本問の事実からは、明白かつ現在の危険は認められない。よって、本問の法律は違憲である。

これでは、あてはめとは呼べない。
あてはめを行うにあたっては、問題文にある具体的事実を挙げて行う必要がある。
新司法試験においては、その事実の多くは、資料の方に挙がっている。
従って、これを活用しないと、不十分なあてはめになる。
また、具体的事実を挙げた後には、規範との関係で当該事実を評価する必要がある。

(採点実感より引用)

 与えられた資料を精読せず,具体的な事案に即したきめ細かい対応がなされていない。例えば,資料で示された本問に特有の具体的な事情について全く触れていない答案が目立った。解答する上で,資料の活用は必須である。
 資料の活用とは,資料に書かれていることを「書き写す」ことではない。ただ漫然と「書き写す」だけの答案は,不適切であり,不十分である。資料のどこの部分をどのように評価したのか,あるいは評価しなかったのか,きちんと説明されていなければならない。

(引用終わり)

「書き写す」だけの答案とは、評価を欠いている答案である。
「評価」というと、ややわかりにくいかもしれない。
要は、どうしてその事実が規範にあてはまる(あてはまらない)のか。
その理由を付するということである。
付すべき理由は、最終的には現場で考えるしかない。
ただ、事前に判例や裁判例等を読みこなしていれば、それを真似できる。
判例・裁判例については、規範部分の学習に重点が置かれがちである。
しかし、貴重なあてはめの参考例でもある。

なお、書き写すこと自体が悪いというわけではない。
書き写す「だけ」の答案が悪いと言っているに過ぎない。
従って、問題文から忠実に事実を引用すること自体は、悪いことではない。
むしろ、勝手な要約をしてしまうと、事実と評価を混同していると捉えられるおそれもある。
また、要約をしようとするあまり、かえって考える時間が必要になって時間不足になることもある。
従って、できるだけ問題文からそのまま事実を引用する方が無難である。
その意味において、「書き写す」ことも必要だ、ということになる。

あてはめが不十分になってしまう最大の原因は、暗記ではない。
時間不足、紙幅不足である。
あてはめは、論文試験の答案の中で、最も時間、紙幅を喰う部分である。
論証と違って事前準備が効かないから、現場で考えて書かざるを得ない。
また、特に新試験は長文問題であるため、問題文を引用するだけでも多大な時間・紙幅を要する。
これは、実際に答案を書いてみないと実感できない。
事前の演習が不足していると、本試験で答案を書いている最中に気付くことになる。
予定していた事実を全部書こうとすると、時間・紙幅が足りない、という事態になる。
そうなると、本当は書きたかった事実を省略せざるを得なくなる。
最悪、規範のオウム返しに過ぎないようなものになってしまう。

このような事態を避けるには、演習を行うよりない。
その際は、答案構成だけでなく、制限時間内に答案化する作業も必要となる。
予備校の答練を受けるのが最も手っ取り早いが、資金的にたくさん受けるのは難しいかもしれない。
その場合、自分で時間を測って問題集を解き、答案化するという訓練をすることになる。
ただ、市販の問題集は、新司法試験ほどの長文問題は少ない。
最初のうちは、旧試験くらいの長さのものでも構わない。
しかし、直前期には、新試験と同じ長さの問題で訓練するようにしたい。

ただ、少し注意すべきは、あてはめ重視ということが言われ過ぎている点だ。
確かに、新司法試験になって問題が長文化した。
これに伴って、あてはめの比重が増加したことは間違いない。
しかし、本来あてはめは、応用に属する。
従って、基本的な論証等はできる、というレベルになってから訓練するべきものだ。
そして現状は、基本的な論証等ができていれば、あてはめが不十分でも受かっている。

(ヒアリングより引用)

司法試験委員 与えられた事実を自分の見解に都合の良いようにだけ取り上げるとか,あるいは自分の見解と合致するような事実だけを取り上げて,それ以外の事実には言及せず,切り捨ててしまうというような答案でも合格ラインに達しており,また,直近の先輩受験生がそのような答案でも合格したとなると,法科大学院の学生の勉強方法がそのような方向に流れてしまうのは避けられないという懸念も考えられるがどうか。

考査委員 その点は,初年度から申し上げてきた危惧である。受験雑誌などで,実は「優秀答案」とも「模範答案」とも言えない答案が,「優秀答案」・「模範答案」として流布し,後輩がそれを覚えるという形になってしまうことに,大きな問題を感じている。

(引用終わり)

逆に、基本的論証は全然できていないのに、あてはめだけできて合格する、ということはない。
あてはめの前提たる規範が間違っていれば、適切なあてはめになるはずがない。
あてはめの訓練は、長文の問題を答案化する等、時間と労力がかかる。
その割りには、現場思考のウェイトが高いため、訓練の成果がストレートに出にくい。
基本的な論証は、汎用性が高いし、覚えればそのまま使える。
そのため、費やした時間と労力の成果がストレートに出やすい。
従って、あてはめの訓練は、基本的な論証が全然できていない段階においては、後回しにすべきだ。
まず、基本的な論証を固める。
それが第一である。
個々の論証を覚えることは、実は科目全体の体系的理解を助ける。
個々の論証の記憶が、他の事項の理解を助けるからである。
記憶は、脳内で瞬時に参照可能な、貴重な資料である。
初学者のうちは、考える材料がない。
その材料は、記憶によって得られる。

なお、上記ヒアリングにある通り、上位再現答案にも問題はある。
従って、再現答案をそのまま真似するという使い方はすべきでない。
むしろ、複数の上位答案に共通している部分は何か、という視点でみるべきである。
その部分は、絶対に落とせない部分ということになる。
逆に、そこが出来ていれば、他は不十分でも何とかなるということでもある。
それが、答案のどの要素なのか、来年以降も共通しそうな傾向は何か。
そういったことを知ることが、再現答案分析の実益である。
従って、上位答案を一つ見るだけでは、ほとんど参考にならない。

そして、上位答案を覚えることが無意味であることは自明である。
なぜなら、来年は違う問題が出るからである。
そんな勉強をする者は、まずいない。
その意味で、上記考査委員の危惧には的外れなところがある。
むしろ危惧すべきは、合格ラインを下げざるを得ない制度設計の方である。
合格ラインが下がれば、基本を勉強した段階で受かってしまう。
そうなると、応用をマスターする段階に進む余地がなくなる。
試験委員は、おかしな勉強方法になることを危惧する。
しかし、方法の問題というより、習熟段階の問題だろう。
これを是正するには、合格ラインを上げること。
すなわち、基本論証だけでは受からない試験にすればいい。
それは、受験生に応用段階まで習得する機会を与えることになる。
しかし、合格者増の方針が、それを許さない。

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