平成20年度新司法試験論文
考査委員採点雑感&ヒアリング検討(憲法3)

平成20年度の採点実感及びヒアリングのうち、前回に続いて憲法について検討する(試験問題出題趣旨)。

論点の取捨選択

憲法においては、敢えて論点を捨てる。
これが、旧司法試験時代から必要な戦略だった。
平成20年度は、出題の趣旨においてそのことが明示された点が特徴だった。

(出題趣旨より引用)

 本問では,多くの問題が存在する。求められていることは,上記の問題点をすべて挙げることではない。試験時間の制約の中で,重要度を自分で判断して重要であると思う(その判断の妥当性は問われるが。)複数の問題について,説得力のある主張を展開することが求められている。

(引用終わり)

このことは、ヒアリングでも再度強調されている。

(ヒアリングより引用)

 今回の憲法の問題について書かれたものをいろいろ拝見したが,中には,論点が多すぎるという指摘もあった。しかし,理論的に考えられる論点全部を拾わないと答案の評価が低くなるものとは,毛頭考えていない。自分の視点に基づいて,幾つかの重要なものを取り上げて,自分なりに論じてあればよいのであって,あらゆる論点全部について均等に少しずつ触れてほしいなどとは全く考えていない。論点を考えられる限りたくさん挙げれば良い評価になると思っているのか,重要でないものも含めて思い付く限りのあらゆる論点を挙げて,その結果,どれもこれも希薄に書いてしまっている答案も相当な数あった。もっとも,幾つかの些末な問題点を挙げるだけで,重要な問題点を指摘していないものもあった。この事案で何を議論の中心に持っていくかの判断も,実務家として重要なセンスの一つであると思う。

(引用終わり)

ヒアリングでは、「自分の視点に基づいて」と言っている。
しかし、出題趣旨は、「その判断の妥当性は問われるが」とする。
また、ヒアリングも、「幾つかの些末な問題点を挙げるだけで,重要な問題点を指摘していないもの」は駄目だというニュアンスである。
従って、考査委員の目から見て重要な論点を拾ってくることが求めらる。
受験生が自分勝手に論点を取捨選択することは許されない。

そこで、どのようにして論点を選別すべきか、ということになる。
基本的には、以下の二つの視点でふるいに掛けるのが良い。

まず、論点自体の客観的重要性である。
どの基本書にも書いてある論点か。
百選等に掲載されている判例のある論点か。
そういった観点から、重要性の低い論点は拾わない。
自分しか知らない論点は、気付くと書きたいと思うものである。
たまたま自分が読んだ論文にだけ載っていた問題意識などである。
しかし、そういうものはぐっと我慢して書かない。
そういう勇気が必要だ。
特に、今まで見たことも聞いたこともないが、試験問題を見て急に思いついた論点。
こういうものは、書いてはいけない。

もっとも、上記の視点だけでは、十分に絞り込むことはできない。
本問でも、探せばたくさんの重要論点が見つかるだろう。
そこで次に、問題文の登場人物が、何をしたがっているか、を見る。
事例問題では多くの場合、名前のついた登場人物が登場する。
そのような登場人物がやろうとしていること。
それが、当該問題のメインの問題意識であることが多い。
本問では、そのような登場人物は、Aだけである。
従って、Aが何をしたがっているかを見る。
Aはウェブサイトによる情報発信をしたがっている。
よって、Aの表現の自由が最も重要な論点になってくる、と判断できる。

ただ、上記の視点からは、ウェブサイト閲覧者の知る権利、という論点は出てきにくい。
例えば、別の登場人物BがAのウェブサイトを閲覧しようとしたが、フィルタされて見れなかった。
そういう事実が挙がっていれば、閲覧者の知る権利もメイン論点だ、と判断できる。
しかし、本問ではそのような登場人物がいない。
そのため、閲覧者の知る権利を大きく論じるべきか、判断が難しかった。
仮にこれをしっかり論じるのであれば、主張適格の問題まで生じてくる。
だが、そこまで書くと、仮に不要だった場合、手痛い余事記載となる。
結果論として、考査委員は知る権利と主張適格を求めていた。
しかし実際には、この点を論述した受験生は少数だった。

(採点実感より引用)

 違憲主張をする場合,まず誰の人権が侵害されるのかを明らかにする必要があり,主張者本人の人権侵害を主張するものでなく,A以外の知る権利など,第三者の人権侵害を取り上げるのならば,なぜ第三者の人権侵害を主張できるのかを検討しなければならない。
 本問では,第三者の権利主張の可否は一つの重要な論点である。しかし,これに触れていない答案の方が多かった。
 「Aの表現の自由」の制約の違憲性が,実際には,Aの発信情報を受ける者の知る自由の制約であるという意識が明確化されないままに混同して記述しており,そこでは第三者の人権侵害を主張する際の問題点が欠落している答案が多かった。

(引用終わり)

出題趣旨が出た後においては、知る権利と主張適格くらい書くべきだった、と思いがちだ。
しかし、現場で問題文を見た場合、同じくらい問題になりそうなものがある。
例えば、適合ソフトを削除しなければならない大人の負担や、製造業者及び販売業者の適合ソフト搭載義務、適合ソフトの削除に対応する確認手続等を行う負担等である。
これらは書かずに、知る権利は書く。
その区別を、どのように行うべきだったのか。
また、今後似たような問題が出た場合、常に第三者の権利を書くべきなのか。
そのポイントは、やはり登場人物Aの行動・意思にあったと思われる。
上記採点実感に、以下の部分がある。
「「Aの表現の自由」の制約の違憲性が,実際には,Aの発信情報を受ける者の知る自由の制約である」
この点に、考査委員が本問でA以外の登場人物を出さなかった意図が読み取れる。
そして、改めて問題文を読んでみると、確かに以下のようなヒントがあった。

(問題文から引用、下線は筆者)

 Aは,平和問題と死刑存廃問題に関係する情報を無料で配信するサイト(以下「本件サイト」という。)を運営していた。本件サイトには,戦場における死傷者の無残な画像,拷問を受ける人々の画像,公開処刑の画像等,見る人に不快感を与える可能性のある画像も掲載されていた。フィルタリング・ソフト法施行後,本件サイトに含まれるウェブページの大半が有害情報を含む有害ウェブページとして,かつ本件サイト全体が有害ウェブサイトとして指定された。このため,適合ソフトを搭載したインターネット接続電子機器では,本件サイト内のすべてのウェブページが閲覧できなくなった。
 Aは,大人ばかりでなく子どもも真実を知った上で問題を考える必要があるという信念のもとで本件サイトを運営していた。しかも,Aは,見る人に不快感を与える可能性のある画像が表示される前に,「次のウェブページには,不快感を与えるかもしれない画像が掲載されています。」という注意を促す文章を掲げていた。遮断される以前に本件サイトに寄せられていた意見のほとんどは,画像を見てショックを受けたが,平和や死刑の問題を真剣に考えるようになったというものであった。Aは,子どもが全く見ることができず,18歳以上の者も所定の手続を踏まなければ見ることができないことへの対抗策として,適合ソフトが搭載されていても本件サイトを閲覧できるようにするプログラムを開発した上,本件サイトとは別の自分のサイトに同プログラムをアップロードし,無償でダウンロードできるようにした。
 このため,Aは,フィルタリング・ソフト法第17条及び第16条第1項第2号が定める,適合ソフトの使用目的に沿うべき動作をさせないプログラムを提供する罪に当たるものとして起訴された。

(引用終わり)

文言を慎重に選んで作られている。
Aが自分の意見を公表したい、というニュアンスの言葉は使われていない。
むしろ、他人に知って欲しい、というニュアンスの言葉を用いている。
Aは、自分の意見が言えれば満足、ということではない。
子どもも含め、知ってもらうことによって満足が得られるわけである。
従って、本問のAが何をしたいか、という視点で見た場合、第三者に知って欲しいということ。
このことに気付くことは可能だった。
第三者に知って欲しいと思っていたのに第三者が見れない状態になった。
だから、第三者が知ることができるような行為をした。
そしたら起訴された。
すなわち、Aを主体としつつ、第三者の知る権利が問題となっている。
上記文脈からは、確かに第三者の知る権利の援用が重要だと気付くヒントはあった。
少なくとも、適合ソフト削除にかかる大人の負担や、製造業者及び販売業者の負う義務。
これらよりも、はるかに本筋に近いことは読み取れる。
そうすると、Aの表現の自由≒第三者の知る権利、主張適格。
これがメイン論点だ、と読み取ることは可能だったということになる。
仮に本問が、以下のような文章だったなら、知る権利と主張適格は不要となったかもしれない。

 Aは,平和問題と死刑存廃問題に関係する情報を無料で配信するサイト(以下「本件サイト」という。)を運営していた。本件サイトには,戦場における死傷者の無残な画像,拷問を受ける人々の画像,公開処刑の画像等,見る人に不快感を与える可能性のある画像も掲載されていた。フィルタリング・ソフト法施行後,本件サイトに含まれるウェブページの大半が有害情報を含む有害ウェブページとして,かつ本件サイト全体が有害ウェブサイトとして指定された。このため,適合ソフトを搭載したインターネット接続電子機器では,本件サイト内のすべてのウェブページが閲覧できなくなった。
 Aは,平和を実現しなければならず、また、死刑を存置することは許されないという信念のもとで本件サイトを運営していた。しかも,Aは,見る人に不快感を与える可能性のある画像が表示される前に,「次のウェブページには,不快感を与えるかもしれない画像が掲載されています。」という注意を促す文章を掲げていた。遮断される以前に本件サイトに寄せられていた意見のほとんどは,画像を見てショックを受けたが,平和や死刑の問題を真剣に考えるようになったというものであった。Aは,閲覧禁止により自らの意見表明の機会を侵害されたことへの対抗策として,適合ソフトが搭載されていても本件サイトを閲覧できるようにするプログラムを開発した上,本件サイトとは別の自分のサイトに同プログラムをアップロードし,無償でダウンロードできるようにした。
 このため,Aは,フィルタリング・ソフト法第17条及び第16条第1項第2号が定める,適合ソフトの使用目的に沿うべき動作をさせないプログラムを提供する罪に当たるものとして起訴された。

本問では、問題文が特に第三者の知る権利を書いて欲しいと要求していた。
その意味で、本問は特殊だった。
従って、今後も常に第三者の権利と主張適格を書くべきだ、とはいえない。
本問を受けて、予備校答練等でやたらに第三者の権利を援用させる問題が出るかもしれない。
その場合は、要注意である。
やたらに第三者の権利を援用することは、通常は余事記載になる。
そのことを忘れてはいけない。

本問の特殊性は、表現の自由と知る権利が表裏の関係にあることから生じる。
すなわち、表現者は、知る権利が十分に保障されることで表現の自由を享受できる。
他方、受領者は、表現の自由が十分に保障されることで知る権利を享受できる。
従って、互いの権利の援用は自己の権利主張と表裏一体である。
このような関係にあるものとしては、他に教育を受ける権利と教育の自由、選挙権と被選挙権がある。
教師に教育の自由が認められるのは、生徒が偏った教育を受けないようにするためである。
従って、生徒にとって、教師の教育の自由の援用は、自己の教育を受ける権利の主張と表裏一体である。
また、被選挙権が認められるのは、有権者に適切な選択肢を与えるためである。
従って、有権者にとって、自分が投票したいと思う立候補希望者の被選挙権の援用は、自己の選挙権の主張と表裏一体である。
本問で閲覧者の知る権利の主張適格を認める場合には、上記のような権利の性質を強調することになるだろう。
また、上記の関係から、受領制限は表現行為そのものへの制約だと考えることもできる。
これは主張適格を認めるのと、実質的に言っていることは同じである。
ただ、形式上主張適格の論点を回避することになる。

検閲は余事記載か

本問では、多くの人が検閲を書いた。
しかし、ヒアリングでは、検閲は余事記載というニュアンスの発言がある。

(ヒアリングより引用)

 検閲に当たるかどうかということ(既存の概念の下では検閲に当たるということにはならないのであるが)をとにかく最初に主張するという答案が多く見られ,この点は,首をひねらざるを得ない部分であった。今回の事例について,表現の自由を規制するからといって,いわば条件反射的に「検閲」だという主張を提起するとすれば誤りであり,問題文をよく読み,「検閲」に関する判例,そして主要な学説を思い起こし,冷静に考えてみる必要がある。

 検閲については,既存の概念には当てはまらず,本人もそれが分かっているから,最後には,検閲に当たらないと書いている。それだけというか,そういうものを幾ら並べても,事案の解決という視点から見ると,何のために問題提起して筆を進めているのかということになるし,答案の焦点がぼやけるばかりである。

(引用終わり)

もっとも、検閲を書けば全て余事記載ということではない。
本問の特殊性を捉えて検閲概念を再考察していれば、評価されたようだ。

(ヒアリングより引用)

 きちんと出題の趣旨,意図や出題者側が想定しているような問題点を的確にとらえ,資料も的確に分析して,筋道を通して考えているという答案もあった(例えば,先に述べた「検閲」に関してであるが,少数であるが,現在の判例学説の検閲概念には当たらないとした上で,今回の事例を分析し,新たな検閲概念を模索する必要がある,と論述を進めるものもあった。)。

(引用終わり)

考査委員の指摘も、もっともではある。
ただ、本問の場合、検閲を全く触れないというのは、勇気がいる。
直感的に見て、網羅的に表現内容を規制している感じがするからだ。
また、ネットにおける有害情報規制と検閲という問題意識は、一般的なものだ。

internet.watch08/04/09配信記事より引用)

MIAUが青少年ネット規制法案を批判、「情報の検閲」など懸念表明

 インターネット先進ユーザーの会(MIAU)は9日、自民党および民主党において、青少年がインターネット上の有害情報にアクセスできないようにする法案を検討していることに対して、「情報の検閲にあたるのではないか」などと批判した。運用の実効性にも問題があるとして、法案に懸念を示した。

(引用終わり)

社民党WEB「有害情報サイトの規制に当たっての考え方(08/06/02)」より引用)

 民間の「指定機関」と政府の関わりが多くなれば、サイトの有害性を判断する民間の第三者機関は政府の出先機関化する恐れがあるが、国が関与するのは、事前検閲にもなりかねず、「表現の自由」の観点から問題である。また、国が関与する団体が情報選別の仕組みに権限を持ちうる限りは、国による実質的な情報統制にほかならない。

(引用終わり)

従って、検閲には触れておきたいと考えるのが自然である。
他方、考査委員の言う新しい検閲概念の模索。
これは、現場で思いつくのは困難である。
また、書くとすると、それなりに紙幅を使うことになる。
おそらくメインではないであろう検閲について、全面展開はマズいという判断が自然だ。
他のメイン論点に紙幅を割くべきである。
結果、税関検査事件判例を挙げて簡単に否定する、という選択をすることになる。
本問については、これはこれでやむを得ないことだったと思う。
この点は、司法試験委員も似たような感想を持ったようだ。

(ヒアリングより引用、下線は筆者)

司法試験委員 今回,検閲の問題を論ずることの当否については,出題の工夫によって,そういう問題を取り上げる必要はないと気付かせることができたのではないか。例えば,「弁論要旨を書きなさい。」という問題ならば,検閲のような実際に主張しないことは書かないということになったのではないか。

考査委員 旧司法試験の場合だと,長くはない行数の問題文で,「ここに含まれる憲法上の問題について論じなさい」という形式なので,それこそ想定されるものをすべて書くという方策が採られている。これが,「悪しき論点主義」にもつながる。新司法試験は,先ほども申し上げたように,実務における訴訟という形で問題提起をするということが前提であるので,およそ考えられること,机上で予想されるようなことを全部書けということはそもそもないと思って問題を作っている。何が重要で決定的な問題であるのかを発見する能力のかん養も,新司法試験では問うている。どのような憲法上の主張をするのかという問いかけが,もし誤解を与えたのなら,そのような誤解を生じさせない問いかけにしていきたい

司法試験委員 もちろん,それは問題の出し方のテクニカルな問題だけではないと思う。

司法試験委員 出題の趣旨はできるだけ問題文自体で明らかになるようにした上で,本来の土俵の中で勝負させる工夫が必要であると思う。

(引用終わり)

従って、今後はもう少し論点を限定するような出題になるかもしれない。
仮に、設問部分の問いかけが変更された場合、上記趣旨による可能性を頭の片隅に置いておくべきである。
例えば、試験委員の言うように、「弁論要旨を書きなさい」などという設問になれば、おそらく受験生の多くは逆に混乱するだろう。
しかし、むしろそれは論点限定のヒントであるということ。
それがわかっていれば、冷静に対処できる。

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