平成20年度新司法試験論文
考査委員採点雑感&ヒアリング検討(憲法8)

平成20年度の採点実感及びヒアリングのうち、前回に続いて憲法について検討する(試験問題出題趣旨)。

違憲審査基準の内容

考査委員は、審査基準が間違っていると指摘している。

(採点実感から引用)

 審査基準の内容を正確に理解することが,必要不可欠である。中間審査基準における目的審査で「正当な目的」とするのは誤りである。中間審査基準では,「重要な目的」であることが求められる。合理性の基準で求められる「正当な目的」の意味・内容を正確に理解してほしい。

(引用終わり)

中間審査基準とは、いわゆる厳格な合理性の基準のことである。
確かに、この基準において、目的は「重要」であることとされている。
これは、米国の中間審査基準(intermediate scrutinyまたはmiddle-tier scrutiny)に由来する。
確かに、米国の中間審査基準では、"important governmental interest"(「重要な政府利益」)が必要とされている。
そして、中間審査基準を採用したとされる薬事法違憲判決も、これに依っている。

(最大判昭和50・4・30、薬事法違憲判決より引用、下線は筆者)

 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。

(引用終わり)

そのことからすれば、目的を「重要」ではなく「正当」にすれば間違いだ、というのも分からなくはない。
考査委員からすると、単なる合理性の基準より厳格なはずなのに、「正当」で足りるとは何事だ。
審査基準の理解がなっていない、ということなのだろう。
しかし、中間審査基準として用いられているのは、それだけではない。
目的の正当性を問題にするものや、必要性・合理性を問題とするものもある。

●正当性を問題にするもの

最大判平17・1・26、管理職認容事件判例、滝井繁男反対意見より引用、下線は筆者)

 日本国籍を有しないというだけで管理職選考の受験の機会を与えず,一切の管理職への昇任のみちを閉ざすというのは,人事の適正な運用を図るというその目的の正当性は是認し得るにしろ,それを達成する手段としては実質的関連性を欠き,合理的な理由に基づくものとはいえないと考えるのである。

(引用終わり)

 

名古屋地判平15・12・26、原告らの主張より引用、下線は筆者)

 憲法14条違反については,合理的な区別であるか否かが問題となり,その区別(差別)をする目的の正当性及び目的に照らした手段の実質的関連性が検討されなければならない。

(引用終わり)

 

●合理性を問題とするもの

最大決平7・7・5、中島敏次郎、大野正男、高橋久子、尾崎行信、遠藤光男反対意見より引用、下線は筆者)

 本件は同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一とすることの合憲性が問われている事案であって、精神的自由に直接かかわる事項ではないが、本件規定で問題となる差別の合理性の判断は、基本的には、非嫡出子が婚姻家族に属するか否かという属性を重視すべきか、あるいは被相続人の子供としては平等であるという個人としての立場を重視すべきかにかかっているといえる。したがって、その判断は、財産的利益に関する事案におけるような単なる合理性の存否によってなされるべきではなく立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきである。

(引用終わり)

 

●必要性と合理性を問題とするもの

名古屋地判平21・2・19、原告の主張より引用、下線は筆者)

 営業の自由も,他の人権と同様「公共の福祉」による制限を免れることはできず,具体的には,現実の社会生活における公共の安全・秩序の見地からする消極的な内在的制約(消極目的規制),福祉国家的理念の実現という憲法の目標からする積極的な政策的制約(積極目的規制)に服し得る。このうち消極目的規制については,積極目的規制の審査基準である明白性の原則よりも厳しい厳格な合理性の基準によるべきであり,まず立法目的の必要性と合理性を審査し,次いで規制手段が立法目的との関連でより制限的でないものかどうかを検討すべきである。

(引用終わり)

 

神戸地判平9・4・28、被告の主張より引用、下線は筆者)

 規制立法は、積極目的と消極目的のものに区別、類型化して捉える。そして、積極目的の規制立法に対する違憲審査基準としては、「明白性の原則」(当該法的措置が著しく不合理であることの明白である場合に限ってこれを違憲とする)を用いる。他方、消極目的の規制立法に対する違憲審査基準としては、「厳格な合理性の基準」(規制の必要性、合理性及び同じ目的を達しうるより制限的でない他の規制手段の有無を立証事実によって合理的に裏付けられなければ違憲とされる)を採用する。

(引用終わり)

上記のものを全て不正確、または誤っているということもできる。
しかし、実際にそのような用例があることも事実だ。
また、理論的にも、「重要」でなければならない必然的な理由は存在しない。
単に、米国判例ではそうなっている、というだけである。
この点は、理論的には13条における一般的自由説と人格的利益説の対立と同様の構造にある。
法により保護される利益が重要でないという理由だけで切ってしまうのか。
一応正当視できる利益であれば、対立利益との衡量の段階(手段審査)でその重要性を考慮すればよいと考えるのか。
この点は、いずれの立場も成り立ちうると思われる。
そういうことからすると、採点実感が「誤り」と断定していることには、違和感を感じる。
とはいえ、考査委員がこのように言っている以上、従わざるを得ない。

なお、手段審査において、「実質的関連性」か、「必要最小限」か、という問題がある。
上記の通り、実際には両方が使われている。
米国判例における中間審査では、重要な利益と"substantially related"していることを要求するものが多い。
これは「実質的関連性」に相当する。
もっとも、重要な利益との関連を問題にしている場合でも、"narrowly tailored"(「無駄なく仕立てられた」)を要求する場合もある。
これは通常、厳格審査(strict scrutiny)の手段審査において要求されるものである。
この場合は、厳格審査に準じて必要最小限性の要求、LRAの基準が妥当することになる。
また、表現の内容中立規制の場合においては、さらに代替的な表現の機会を要求することもある。
結論的には、どちらでもよいし、その他の要件を加えてもよい。
それは、事案に応じて判断する、ということになる。
そして、そのことは、次に述べる基準の修正の問題とも関わってくる。

審査基準の修正

上記の基準の内容の部分は、非常に注目されがちだ。
それは、直接に覚えるべき対象だからである。
確かに、最初から誤っているとされる内容を覚えるということは、避けるべきだ。
しかし、「正当」か「重要」か、という点は、やや形式的な部分である。
実際には、注目されているほどは評価に結びついていないだろう。
現に、この点はヒアリングでは全く触れられていない。
より評価に影響したと思われるのは、むしろ、審査基準の修正の点である。
この点は、ヒアリングでも繰り返し強調されている。

(採点実感から引用)

 本問は,表現の自由の制約に関する一般的な審査基準を修正する必要があるのかどうかを問うものである。一般的審査基準を明らかにすることなくアプリオリに修正が必要であるとしていきなり修正基準を記述したり,修正の必要性に触れずに一般的審査基準を既に修正基準の内容で記述しているものが相当数見られた。しかし,本件の事案分析を踏まえてもなお,厳格審査の基準であるのか,それとも審査基準が緩和されるのか等について,論ずる必要がある。
 審査基準論を展開するが,なぜその審査基準を採用するのか,また,本件の事案に適用した場合にどうなるのか,について丁寧に論ずる必要がある。
 「厳格な審査が求められる」と一般的な言い回しをしながら,直ちに「厳格審査の基準」あるいは「中間審査の基準」と書くことには,問題がある。合理性の基準よりも審査の厳格度が高められるものには,「厳格審査の基準」と「中間審査の基準」とがあるので,なぜ,どちらの基準を選択するのかについて,説明が必要である。

(引用終わり)

 

(ヒアリングより引用)

 基準,あるいは規範というものを,余りにも硬直的にとらえているということがある。事案がある規範に合わないような場合に,それでもその規範を形式的に当てはめていいのかどうか,修正がきくか,修正をするとしてどういう修正が妥当かを考えなくてはならないはずである。今年の出題でいえば,「残虐性」という要素がある点で普通の言論とは異なるのではないかとか,子供などをどう守るかなどという要素を盛り込んで,表現の自由を制約する場合の原則的な規範について,修正がきくかというのを問うているのに,自分の覚えている規範と合っていないときに,事実の方を切り捨てたり,無視してしまっている。これでは,事案に対応する能力という面では難があると言わざるを得ない。

 問題のある答案における具体的な問題点ということであるが,目に付いたのは,表現の自由の制約基準について,いきなり緩和した基準を持ち出す点である。原則がどうで,どのように緩和するのか,あるいは緩和できるのか,という説明がない。また,何か問題があると気付きながら,どう緩和していいか分からない人は,事実にあまり触れずにそのまま逃げる,といった印象である。

(引用終わり)

規範の修正ができていない。
または、修正した規範をいきなり書いている。
これは、それだけでかなり評価を落としたはずである。
こういった答案を書いている人も、修正の必要性には気付いていることが多い。
ただ、どうやってそれを書いていいか、その表現の仕方がわからない。
結果として、修正しないで書いてしまったり、修正後の規範をいきなり書くことになる。

規範の修正を問う問題は、旧試験時代に繰り返し出題された。
そのため、予備校の論文講座の類では、規範の修正はテクニックの一つとして教えられている。
原則論→修正の必要性と許容性→修正した規範の手順である。
今日では、予備校的な書き方はまどろっこしいと忌避される傾向がある。
しかし、規範の修正は、予備校的なまどろっこしさを忠実に守るべき場面である。

本問の場合は、表現の自由・知る権利→厳格な審査基準が原則論である。
子どもの保護は、修正の必要性に相当する。
有害情報の要保護性の低さや、大人は閲覧可能なこと等が、許容性となる。
そして、修正した規範を示す。
修正規範は、必ずしも既存の規範でなくてもよいだろう。
事案に応じて、条件を緩和したり、追加することも考えられる。
もっとも、その場合は、その理由は付す必要がある。

三者形式の場合においては、弁護人と検察官の主張部分では修正しないものを示す方が書きやすいだろう。
先に修正まで論じてしまうと、自説の部分で書くことがなくなってしまう。

原則から修正までのプロセスは、順を追って多段階的に論述すべきである。
これは構成段階で工夫をしておかないと、実際の答案ではまとめて書いてしまいがちだ。
その場合、読み手からは、いきなり修正基準が導かれているように見える。
また、問題文の事実のうち、どれが規範の修正に用いる事実で、どれがあてはめに使う事実なのか。
このあたりも、事前の構成をしっかりやっておかないと、答案を書いていて混乱する原因になる。
近時の旧司法試験の第1問は、ほとんどが基準の修正を問う問題だ。
事前に構成の訓練をするにはいい素材である。
今後も繰り返し問われることが予想される部分なので、しっかり対策をしておきたい。

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