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最高裁判所第二小法廷判決平成21年10月16日

【事案】

1.本件訴訟の経過等

(1) 検察官は,平成17年12月21日,被告人を強制わいせつ致死,殺人,死体遺棄の罪で起訴したが,強制わいせつ致死,殺人(以下,これらを「本件犯行」という。)の犯行場所(以下「本件犯行場所」ともいう。)については,起訴状記載の公訴事実において,「A荘201号室の被告人方」としていた。なお,検察官作成の平成18年3月10日付け証明予定事実記載書面の「第3 犯行状況等」には,「被告人は,(中略)被害児童をA荘201号室の被告人方に連れ込み,殺害するとともに,わいせつ行為等をした」旨の記載に続いて「上記一連の過程において,同室内にあった毛布(以下「本件毛布」ともいう。)に同児の毛髪が付着した」との記載がされていたが,これを立証する証拠として被告人の供述調書は挙げられていなかった。

(2) 検察官は,平成18年3月10日,被告人の警察官調書1通(乙3),検察官調書10通(乙1,2,4ないし11)の証拠調べを請求したが,乙7ないし11の立証趣旨は,「弁解状況等」であった。弁護人は,第5回公判前整理手続期日(平成18年4月14日)において,これらにつき不同意の意見を述べた。第7回公判前整理手続期日において,争点及び証拠の整理の結果が確認され,検察官は,犯行場所に関し,被告人方室内に被害児童を連れ込んだことは,被告人方室内から領置された毛髪のDNA型が被害児童のそれと同じものであること,被告人方室内にあった毛布に人血が付着していることにより推認できると主張した。第1審裁判所は,被告人の供述調書については,採否留保のまま,公判を開いた。

(3) 被告人は,第1回公判期日の罪状認否において,本件犯行場所に関し,A荘の被告人方室内ではない旨を述べ,顕出された公判前整理手続結果においては,主要な争点の1つとして,本件犯行場所が「被告人方室内」か「A荘1階の階段付近」かが挙げられた。

(4) 検察官は,第1回公判期日の冒頭陳述において,被告人は,A荘前路上を通りかかった被害児童に声を掛けるなどして,同児を被告人方室内に連れ込み,本件犯行に及んだ旨主張するとともに,被告人方室内にあった本件毛布に,被害児童の毛髪や,同児のDNA型と被告人のDNA型とが混在した血液が付着したと主張した。弁護人は,同公判期日の冒頭陳述において,事件現場は,A荘2階の被告人方室内ではなく,A荘北側敷地内,階段下付近であると主張した上で,本件一連の行為が,室内ではなく屋外で行われたことは,被告人が当時正常な精神状態ではなかったことを根拠付けるものである旨主張した。なお,同公判期日で取り調べられた証拠によれば,被告人方4.5畳居間の押入れ天袋内から押収された本件毛布には毛髪が付着していたところ,その毛根のDNA型検査結果により,上記毛髪は,被害児童に由来するものとして矛盾がないこと,本件毛布には人血が付着しており,そのDNA型検査結果により,その人血には同児のDNA型と被告人のDNA型とが混在したものとして矛盾がないことが認められる。

(5) 検察官は,第4回公判期日における被告人質問の際,「被告人の平成17年12月18日付け検察官調書には,『本件犯行当日,被告人は,本件毛布を被告人方から外へは出しておらず,部屋の中に置いていた』旨の供述が記載されているが,取調べ検察官に対し,そう話したのではないか」との趣旨の質問をした。これに対する被告人の答えは,「はっきりとそういうことを言ったことはない」というものであった。また,被告人は,第3回,第4回公判期日の被告人質問において,「本件犯行当日の午後0時半ころ,本件毛布を洗濯しようと考え,A荘1階に置いてある洗濯機の所まで本件毛布を持って行ったものの,その洗濯機が小さかったので,無理に本件毛布を洗うと洗濯機が壊れるかもしれないと思い,本件毛布を折り畳んだ状態で,その洗濯機の左側に置いた。被害児童が死亡した後,本件毛布を広げ,同児を抱き上げてその上に置き,本件毛布で同児を覆った。同児の死体を遺棄した後,本件毛布を自室で干した」と供述した。

(6) 第4回公判期日において,弁護人は,被告人の供述調書の任意性を争う旨の意見を述べ,検察官は,主に殺意の存在及び被告人の責任能力を立証するため,被告人の供述調書を取り調べる必要がある旨の意見を述べたところ,第1審裁判所は,任意性を立証してまで取り調べる必要性はないとして,平成17年12月18日付け検察官調書2通(乙8,11。以下「本件検察官調書」ともいう。)を含めて被告人の供述調書の証拠調べ請求を却下した。検察官は,被告人の供述調書が,本件犯行を立証する上で必要不可欠なものであるなどの理由を述べて異議を申し立てたものの,第1審裁判所は,これを棄却した。

(7) 検察官は,第5回公判期日において,本件犯行場所につき,「A荘201号室の被告人方において」から「A荘及びその付近において」へと訴因変更を請求し,第1審裁判所は,これを許可した。

(8) 第6回公判期日において,論告及び弁論が行われた。検察官は,論告において,本件犯行場所に関し,毛布のような大型の寝具が,戸外に持ち出され,通常触れることのない人物の毛髪等を付着させて室内に戻ってくるということは,よほどの事情がない限りはないというべきであって,被告人方室内にあった本件毛布に同児の毛髪等が付着していた事実は,本件殺害行為及びわいせつ行為が被告人方室内で敢行されたことを限りなく指し示す事実とみなければならないと述べるとともに,本件犯行の態様,犯行の時間帯,通行人の存在,A荘階段付近の見通し状況などを指摘して,本件犯行が行われたのは,被告人方室内であったと認めるのが相当である旨主張した。そして,被告人に対して,死刑を求刑した。これに対し,弁護人は,本件犯行場所に関して,事件現場がA荘201号室被告人方室内であることについて合理的疑いを超える証明がされたとは到底いえないとし,本件事件現場はA荘201号室被告人方室内ではなく,A荘前の屋外であり,かような場所で本件事件が起きたことは,動機,殺意,わいせつ目的,被告人の責任能力を判断する上で,非常に重要な事実である旨を主張した。

(9) 第1審裁判所は,第7回公判期日において,被告人に対し無期懲役を宣告し,罪となるべき事実において,本件犯行場所を,変更後の訴因のとおり,「A荘及びその付近」であると認定し,争点に対する判断2(4)イ(ア)において,「被告人が本件殺害行為及び本件わいせつ行為を屋外で行った疑いは払拭できない」と,同2(4)ウ(ア)において,本件犯行は「B方前石段からA荘階段下を含めた敷地内あるいは当時の被告人方室内を含むA荘及びその付近を超えない範囲の場所で行われたものと認めることができるものの,更にそのうちのいずれかを確定することはできないから,その犯行場所については,A荘及びその付近の限度で認定できるにとどまる」と判示した。

(10) これに対し,検察官は,量刑不当を理由に,被告人は,訴訟手続の法令違反,事実誤認,法令適用の誤り,量刑不当を理由にそれぞれ控訴を申し立てた。

(11) 原審裁判所は,第2回公判期日において,検察官に対し,本件犯行場所に関して,検察官の主張は,第1審判決が認定した「A荘及びその付近において,被害児童に対し第1審判示のとおりの強制わいせつに及び,同児を頚部圧迫による窒息により死亡させて殺害した」という漠然とした犯行場所及び犯行態様等を前提としているのか,それとも,本件検察官調書を含む被告人の検察官調書3通(原審検18ないし20)の証拠調べ請求の理由として検察官が主張している内容からすると,犯行場所や犯行態様等について,第1審判決が認定した事実よりも,もっと具体化された事実が認定できるということを前提としているとも解されるがどうか,と釈明を求めた。

(12) 検察官は,第3回公判期日において,要旨,以下のとおり釈明した。

「(ア) 検察官主張の犯行場所は,論告にあるとおり,『被告人方』である。検察官が,犯行場所について訴因変更を請求したのは,犯行場所が『被告人方』であることを間接的に証明する証拠でもある被告人の検察官調書の証拠調べ請求が却下され,その裁判所の訴訟指揮などから,裁判所の心証が『実行の着手や実行行為が被告人方外である可能性もあるので,確定できない』としているのではないかと考え,『被告人方』と認定されない場合をおもんぱかって,念のために犯行場所を『A荘及びその付近において』と拡張したのであり,変更後の訴因においても犯行場所に『被告人方』が含まれることから予備的とはしなかったものである。第1審判決は,変更後の訴因のとおり,『A荘及びその付近において』としているが,これは,犯行場所が『被告人方』であることを否定したものではないことから,事実誤認とはいえず,事実誤認の主張はしなかったものである。したがって,検察官の主張は,漠然とした犯行場所を前提としているものではない。

(イ)  しかし,本件は,被告人が被害児童を殺害してわいせつな行為をしようと企て,同児に襲いかかり,わいせつな行為をして殺害したものであり,犯行場所が『被告人方』と認定されようと,それを含む『A荘及びその付近』であると認定されようと,その犯行の動機,態様,手口及び犯情が極めて悪質であることから,量刑に及ぼす情状に何らの軽重はない。」

(13) 原審裁判所は,第4回公判期日において,検察官主張の量刑不当の主張との関連性及び必要性に乏しいと判断して,検察官請求の原審検18ないし20の事実取調べ請求を却下した。

(14) 原審裁判所は,第5回公判期日に検察官及び弁護人の各弁論を経て弁論を終結し,第6回公判期日において判決を宣告したが,その内容は,第1審判決を破棄し,本件を広島地方裁判所に差し戻すというものであった。

3.原判決の理由の概略は,次のとおりである。
 すなわち,「被告人方から押収した本件毛布に被害児童の毛髪及び人血が付着していたと認められることや,被告人質問の際,検察官が,被告人の検察官調書に,本件犯行当日,被告人が本件毛布を被告人方から外へは出しておらず,部屋の中へ置いていた旨の供述が記載されている旨発言していたことにかんがみると,本件犯行の場所を確定するために,本件検察官調書を取り調べる必要性は高く,そのことは,第1審裁判所も認識し得たというべきである。しかるに,検察官の立証趣旨の立て方が,本件検察官調書の内容を全く反映していないものであったという事情があるにせよ,第1審裁判所が,『任意性を立証してまで取り調べる必要性はない』という理由で,弁護人に対し,任意性を争う具体的事由について釈明を求めず,検察官に対し,任意性について立証を行う機会すら与えることなく,本件検察官調書を含む被告人供述調書全部の証拠調べ請求を却下したことは,証拠の必要性についての判断を誤り,合理的な理由なくして不当に証拠調べ請求を却下したといわざるを得ない。この点において第1審は審理を尽くしておらず,訴訟手続に法令の違反があるというべきである。本件が強制わいせつ致死,殺人という重大な事件であること,犯行場所は,いわゆる訴因を構成する重要な要素であること,刑事裁判は,事案の真相を明らかにし,刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現すべき使命を負っていること,本件検察官調書を取り調べれば,本件犯行場所について真相が解明される可能性が多分にあり,そうすれば,被告人が否認しているとはいえ,本件犯行の態様等が相当程度明らかになると思料される。第1審裁判所は,本件検察官調書を取り調べなかったことにより,本件犯行場所について事実を誤認したのではないかと考えざるを得ず,そうすると,上記訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるといわざるを得ない。そして,審級の利益も考えて,第1審において,同調書が証拠能力を有するか否か,その証拠調べ請求を却下すべきか否かについての審理を遂げるとともに,その結果に基づいて更に審理を尽くす必要がある。」というものである。

【判旨】

 原判決は,刑訴法294条,379条,刑訴規則208条の解釈適用を誤ったものであって,刑訴法411条1号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。

1.刑事裁判においては,関係者,取り分け被告人の権利保護を全うしつつ,事案の真相を解明することが求められるが,平成16年に刑訴法の一部改正が行われ,刑事裁判の充実・迅速化を図るべく,公判前整理手続等(刑訴法316条の2ないし32),連日的開廷の原則(同法281条の6)が法定され,刑訴規則にも,証拠の厳選(刑訴規則189条の2)が定められて,合理的期間内に充実した審理を終えることもこれまで以上に強く求められている。したがって,審理の在り方としては,合理的な期間内に充実した審理を行って事案の真相を解明することができるよう,具体的な事件ごとに,争点,その解決に必要な事実の認定,そのための証拠の採否を考える必要がある。そして,その際には,重複する証拠その他必要性の乏しい証拠の取調べを避けるべきことは当然であるが,当事者主義(当事者追行主義)を前提とする以上,当事者が争点とし,あるいは主張,立証しようとする内容を踏まえて,事案の真相の解明に必要な立証が的確になされるようにする必要がある。

2(1) これを本件における「犯行場所」の認定,そのために原審裁判所が取調べの必要があるとした本件検察官調書,その採否を決するために必要な任意性立証の機会の付与等についてみると,確かに,第1審では犯行場所が被告人方室内か否かが主要な争点の1つとなっていたのであり,このことは,訴因が変更されても実質的に変わるものではない。そうすると,第1審裁判所においては,この点について検察官に対し適宜釈明を求め,更に立証を促すこと,特に,本件検察官調書には,被告人質問における検察官の発問からすると,本件毛布が被告人方室内から持ち出されていない旨の記載があることがうかがえることからすれば,当事者に釈明を求め,検察官に任意性立証の機会を付与するなど,その取調べに必要な措置を採ることも,選択肢としてはあり得たところではある。

(2) しかしながら,本件検察官調書は,検察官の証明予定事実記載書面において,犯行場所を立証する証拠として挙げられておらず,その立証趣旨も「弁解状況等」であって本件犯行場所の認定にかかわることを掲げるものではなく,第1審第4回公判期日においても,検察官は,本件検察官調書を含む被告人の供述調書が,主に殺意の存在及び被告人の責任能力を立証するため,取調べの必要がある旨の意見を述べたにとどまるものであった。前記1で述べたところにかんがみても,このように検察官が立証趣旨としていない事項について,検察官の被告人質問における発問内容にまで着目して検察官調書の内容やその証明力を推測して,先に述べたような釈明をしたり任意性立証の機会を付与したりするなどの措置を採るべき義務が第1審裁判所にあるとまでいうことはできない。そして,証拠の採否は,事実審裁判所の合理的裁量に属する事柄であるところ,本件訴訟の経過に照らせば,被告人の供述調書以外の犯罪事実に関する証拠を取り調べ,被告人質問を実施して一定の心証を形成していた第1審裁判所が,本件検察官調書の上記立証趣旨や検察官の意見を考慮し,任意性に関する証拠調べを行ってまで,本件検察官調書を取り調べることを考慮する必要はないと判断し,その取調べ請求を却下したとしても,直ちにこのような第1審の訴訟手続に違法があったということはできない。

(3) さらに,原審の手続についてみると,検察官は,量刑不当のみを控訴理由とし,事実誤認を理由には控訴申立てをしておらず,原審における求釈明に対しても,「本件犯行場所が『被告人方室内』と認定されようと,それを含む『A荘及びその付近』であると認定されようと,その犯行の動機,態様,手口及び犯情が極めて悪質であることから,量刑に及ぼす情状に何らの軽重はない」旨釈明し,原審において,検察官はもはやその点を解明する必要があるとはしていないものと解される。

3.以上の訴訟経過からすれば,本件検察官調書の取調べに関し,第1審裁判所に釈明義務を認め,検察官に対し,任意性立証の機会を与えなかったことが審理不尽であるとして第1審判決を破棄し,本件を第1審裁判所に差し戻した原判決は,第1次的に第1審裁判所の合理的裁量にゆだねられた証拠の採否について,当事者からの主張もないのに,前記審理不尽の違法を認めた点において,刑訴法294条,379条,刑訴規則208条の解釈適用を誤った違法があり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

 

最高裁判所第二小法廷判決平成21年10月16日

【事案】

1.アメリカ合衆国(以下「米国」という。)ジョージア州港湾局(以下「州港湾局」という。)の我が国における事務所の職員として被上告人に雇用されていた上告人が,被上告人のした解雇が無効であると主張して,被上告人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認及び解雇後の賃金の支払を求める事案。

2.事実関係の概要

(1) 州港湾局は,ジョージア州法により設立された被上告人の一部局であり,被上告人所有の施設を運営し,被上告人,米国及び姉妹州の内外取引を育成,促進することなどを目的としている。

(2) 州港湾局は,かねてから州港湾局極東代表部として東京都内に事務所(以下「極東代表部」という。)を設けており,被上告人は,平成7年6月,我が国に住所がある上告人を極東代表部の現地職員として給与(基本給)月額62万4205円で期間を定めずに雇用した(以下,この雇用関係を「本件雇用関係」という。)。その採用手続は,当時極東代表部の代表者であったAと上告人との間ですべて口頭で行われた。
 極東代表部の主要な業務は,船舶会社や海運,港湾,流通関係業者等に対して被上告人の港湾施設を宣伝し,その利用の促進を図ることであり,その職員はAと上告人の2名であった。上告人の労務提供地は我が国内に限定されていた。上告人は極東代表部に勤務することにより州港湾局の企業年金の受給資格を得ることが可能であり,また,極東代表部には我が国の厚生年金保険,健康保険,雇用保険及び労働者災害補償保険が適用され,上告人もそれらの保険料を負担していた。

(3) 被上告人は,平成11年12月,上告人に対し,@ 緊縮財政により極東代表部を同12年6月30日に閉鎖する,A これは上告人の正職員としての雇用が同日をもって終了することを意味するが,企業年金の期間要件を満たすために上告人が希望するのであれば,同年9月15日まで正職員として在籍することを許す,B その後は期間1年間の契約職員として勤務を継続するよう求めると通告した。
 上告人は,これに対し,平成12年9月16日以降の正職員としての雇用継続を申し出たが,拒絶された。
 Aは,上記の通告があったころ,期間1年間の契約職員となって極東代表部の顧問として働き始め,極東代表部に勤務する正職員は上告人のみとなった。
 被上告人は,平成12年6月30日付けで極東代表部を閉鎖し,同年7月1日,Bとの間で州港湾局の通商代表業務を委託する契約を締結した。Bは,州港湾局日本代表部の名称で業務を開始した。

(4) 被上告人は,平成12年9月12日,Bを通じて,上告人に対し,上告人を同月15日付けで解雇する旨記載した書面を交付した(以下,この書面の交付による解雇の意思表示を「本件解雇」という。)。

3.原審は,次のとおり判断して,上告人の請求を一部認容した第1審判決を取り消して,本件訴えを却下した。

(1) 本件雇用関係は,私人間の雇用関係と特段異なるとは認められない私法的ないし業務管理的な性質のものである。しかし,外国国家は,その私法的ないし業務管理的な行為であっても,我が国による民事裁判権の行使が当該外国国家の主権を侵害するおそれがあるなど特段の事情があれば,我が国の民事裁判権から免除されると解される。被上告人は,米国の州であるが,その独立性や権能において国家に比肩し得る地位を有しているから,民事裁判権免除の享有主体となり得る。

(2) 国及びその財産の裁判権からの免除に関する国際連合条約(まだ発効していないが,我が国は署名している。以下「免除条約」という。)のうち雇用契約について定めた11条の規定に関する議論をみると,個人と外国国家との雇用契約から生ずる訴訟については一般的には裁判権免除の対象とならないが,被用者の「採用,雇用の更新,復職」が訴訟の主題となる場合は,国家の主権的権能にかかわるものとして裁判権免除の対象となるとの立場がほぼ一貫して採用され,同条2(c)にその旨が明記されたことが認められ,上記の見解が国際慣習としてほぼ定着しているか,少なくとも国際連合加盟国の間で共通の認識になっていると解するのが相当である。被解雇者が雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認し,使用者に対し解雇後の賃金の支払を命ずるという我が国の法制下での解雇に対する救済も,上記の復職に当たると解するほかない。
 加えて,本件解雇は,州港湾局の我が国における事務所の閉鎖に伴う解雇であり,その効力を判断するためには解雇の正当事由の有無が主要な審理の対象となる。この審理においては,上記事務所を閉鎖する必要性,更には被上告人が採用する外国における産業振興等の事業政策やその財政状況等を明らかにしなければならないが,これらは外国国家の主権的権能にかかわることであり,上告人の請求を認容することは,我が国の裁判所が外国国家の主権的権能にかかわる裁量権に介入することにほかならず,その主権を侵害するおそれがある。
 以上によれば,上告人が被上告人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあるか否かを訴訟の主題としている本件においては,我が国の裁判所の訴訟判断によって主権的権能を不当に干渉されないという被上告人の利益の保護が優先されるべきであるから,上記(1)にいう特段の事情が認められ,被上告人は我が国の民事裁判権からの免除を主張し得る。

【判旨】

1.原審の上記3(2)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 外国国家は,その主権的行為については,我が国の民事裁判権から免除され得るところ,被上告人は,連邦国家である米国の州であって,主権的な権能を行使する権限を有するということができるから,外国国家と同様に,その主権的行為については我が国の民事裁判権から免除され得る。しかし,その私法的ないし業務管理的な行為については,我が国による民事裁判権の行使がその主権的な権能を侵害するおそれがあるなど特段の事情がない限り,我が国の民事裁判権から免除されないと解するのが相当である(最高裁平成15年(受)第1231号同18年7月21日第二小法廷判決・民集60巻6号2542頁参照)。

(2) 上告人は,極東代表部の代表者との間で口頭でのやり取りのみに基づき現地職員として被上告人に雇用されたものであり,勤務を継続することにより州港湾局の企業年金の受給資格を得ることが可能であるのみでなく,極東代表部には我が国の厚生年金保険,健康保険,雇用保険及び労働者災害補償保険が適用されていたというのであるから,本件雇用関係は,被上告人の公権力的な公務員法制の対象ではなく,私法的な契約関係に当たると認めるのが相当である。極東代表部の業務内容も,我が国において被上告人の港湾施設を宣伝し,その利用の促進を図ることであって,被上告人による主権的な権能の行使と関係するものとはいえない。以上の事情を総合的に考慮すると,本件雇用関係は,私人間の雇用契約と異なる性質を持つものということはできず,私法的ないし業務管理的なものというべきである。
 そして,本件解雇は,極東代表部を財政上の理由により閉鎖することに伴い,上記のような雇用契約上の地位にあった上告人を解雇するというものであり,私人間の雇用契約における経済的な理由による解雇と異なるところはなく,私法的ないし業務管理的な行為に当たるものというほかはない。

(3) 原審は,免除条約のうち雇用契約に関する11条の規定についての議論の過程では,個人と外国国家との雇用契約から生ずる訴訟については一般的には裁判権免除の対象とならないが,被用者の「採用,雇用の更新,復職」が訴訟の主題となる場合は,裁判権免除の対象となるとの立場がほぼ一貫して採用されてきており,国際慣習としてほぼ定着しているか,少なくとも国際連合加盟各国で共通の認識となっているものと解するのが相当であるとした上,上告人が雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認及び解雇後の賃金の支払を求める本件請求も,同条2(c)の「復職」を主題とする訴訟に当たると解するほかはないと判示する。しかしながら,免除条約が平成16年12月に国際連合総会において採択されるまでに各国代表者の間で行われた議論においては,労働者が使用者である外国国家に対して金銭的救済を求めた場合に,外国国家は原則として裁判権から免除されないことが共通の認識となっていたところである(当裁判所に顕著な事実であり,その後成立した外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律9条1項,2項3号,4号もこのことを前提としている。)。原審の指摘する免除条約11条2(c)は,雇用関係を開始する場合に関する規定であり,そこにいう「裁判手続の対象となる事項が個人の復職に係るものである」とは,文字どおり個人をその職務に復帰させることに関するものであって,現実の就労を法的に強制するものではない上告人の本件請求をこれに当たるものとみることはできない。解雇が無効であることを理由に,雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認及び解雇後の賃金の支払を求める本件請求は,同条2(d)にいう「裁判手続の対象となる事項が個人の解雇又は雇用契約の終了に係るもの」に当たると解すべきであり,この場合は,「雇用主である国の元首,政府の長」等が,「当該裁判手続が当該国の安全保障上の利益を害し得るものであると認める場合」に限り裁判権の免除が認められているところである。
 さらに,原審は,本件解雇の「正当事由」の有無について判断するため州港湾局の事務所閉鎖の必要性や被上告人の事業政策,財政状況等について審理することは主権の侵害に当たると判示するが,免除条約においては,上記のとおり,解雇の場合は,政府の長等によって安全保障上の利益を害するおそれがあるものとされた場合に限って免除の対象とされるなど,裁判権免除を認めるに当たり厳格な要件が求められていることに徴しても,原審の指摘するような事情が主権を侵害する事由に当たるものとは認められない。

(4) 前記のとおり,本件解雇は私法的ないし業務管理的な行為に当たるところ,原審が指摘するところは,我が国が民事裁判権を行使することが被上告人による主権的な権能の行使を侵害するおそれがある特段の事情とはいえないから,被上告人が我が国の民事裁判権から免除されるとした原審の前記判断は,外国国家に対する民事裁判権免除に関する判断を誤った違法なものといわざるを得ない。

2.以上のとおり,本件訴えを却下した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,被上告人が我が国の民事裁判権から免除される特段の事情があるとは認め難いが,他にこれを認めるに足りる事情があるかどうかについて更に審理し,また,上記の特段の事情が認められない場合には,本案について審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。

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