平成22年度新司法試験論文式
刑事系第1問の感想と参考答案

問題は、こちら

本問は、演習量の差がものをいう問題である。
明らかに、紙幅・時間の余裕がない問題だからである。
答案構成や、答案化の際の論述のコンパクト化の技術。
それが、刑法自体の理解よりも、成績に影響する問題だったといえる。

本問では、甲乙丙、3者の罪責を論じなければならない。
仮に3者に均等の文量を割くとする。
そうすると、それぞれ2ページ強。
1ページは、23行である。
従って、行数にすると、これは46行強ということになる。
答案構成段階で、この程度しか書けないことを考慮する必要がある。

例えば、甲について、以下のような答案構成をしたとする。

第1.甲の罪責

1.実行行為性

(1)作為と不作為の区別

(2)不真正不作為犯の論証

(3)あてはめ

ア.作為義務

イ.容易性可能性

ウ.構成要件的同価値性

(3)結論

2.因果関係

(1)条件関係

(2)相当因果関係

ア.折衷的相当因果関係説

イ.あてはめ

(3)結論

3.故意

(1)認容説

(2)あてはめ

4.結論

上記は、項目だけで19項目ある。
仮に見出しで1行使ってしまうとすると、本文を1行書くだけで各項目は2行使う。
19項目だと、38行。
同様に、本文が2行だと19×3=57行になる。
これは、もう46行をオーバーしている。
この程度しか、書けないということである。

従って、見出しで1行使うという余裕はない。
せいぜい、冒頭の「甲の罪責」くらいである。
また、各項目の記述も、極端にコンパクトにしないと収まらない。
論証はもちろん、あてはめもコンパクトにしなければダメだ。
忠実に問題文を写していては、あっという間にオーバーする。

また、上記はかなりシンプルな構成である。
他にも、例えば不作為部分と作為(嘘をついた)部分とを分ける。
または、認容のある部分とそうでない部分で分ける(殺人と保護責任者遺棄)。
そういった構成も考えられる。
しかし、そういう構成は、因果関係等で説明を要する部分が増える。
特に後者の構成は、遺棄の論点を抱えることになる。
不作為殺人の保障人的地位と保護責任の違い、遺棄と不保護の違い等である。
乙を入室させないことを、乙とVとの場所的離隔を生じさせる遺棄とみるか。
単に甲の不保護とみるか。
そういった問題もある。
この辺りを、コンパクトに表現するのは難しい。
文量的には、上記に示した構成の2倍か、1.5倍くらいになる。
とてもではないが、書き切れない。
多くの受験生が、不作為殺人は書くだろう。
そういう予測を立てて、不作為殺人に絞った構成にすべきである。

逆に、圧縮する構成も検討すべきである。
例えば、乙丙を共同正犯で構成し、まとめて論述する。
これで、かなり論述を圧縮できる。
そうしておいて、甲に4ページくらい使うのであれば、何とかなる
事前に、そういった見通しを立てた上で、構成をする必要がある。
現場では、時間的・精神的余裕がない。
ここまでしっかりやるには、かなりの演習量を要する。

他方、事後的に本問を検討する場合には、様々な構成を考えてみるのが良い。
ある構成を採ることが、他の論点にどのような影響を与えるのか。
複雑な構成を採ると、実際に書く際にどのような厄介な問題が生じるのか。
この辺りを、自分で検討しておくと、その経験が、現場でのとっさの判断に役に立つ。

内容的には、過失の当てはめが正面から問われた点が特徴である。
過失の構造論や、過失の有無を正面から問う問題。
論文において、そのような問題は、旧試験時代を含めても一度も出題されたことがない。
論文では司法試験史上初の出題、ということになる。

もっとも、決してマイナー分野ということではない。
むしろ、どの基本書でも触れられるメジャーな分野である。
答練等でも、それなりに出題はされている。
従って、過失を問われたから全然書けなかった、ということもなかったのではないか。
ただ、前述のように、コンパクトに書く必要がある。
構造論を丁寧に論述する余裕はない。
また、新過失論からは、厳密には、客観的予見可能性、客観的予見義務違反、客観的結果回避可能性、客観的結果回避義務違反、主観的予見可能性、主観的予見義務違反、主観的結果回避可能性、主観的結果回避義務違反を検討することになるはずである。
しかし、そんな検討の仕方では、全く紙幅が足りない。
うまくまとめた論述をする必要がある。
他方、旧過失論からは、予見可能性に主軸を置くことになる。
ただ、書き方を誤ると、回避義務違反の検討を落としたと思われるおそれもある。
自分が旧過失論に立つということは、きちんと明示しておくべきだろう。

それから、乙と丙の業務の内容の差異に、留意すべきである。
乙は、薬の取違えを防止すべき直接の注意義務を負っている(事例4第1段落)。
他方で、処方の適切性については、直接の注意義務を負っていない。
丙は、処方の適切性を確認する直接の注意義務を負っている(事例3第2段落)。
他方で、薬の取違えを防止すべき直接の注意義務は負っていない。
看護師は実際に投与する立場である反面、薬の専門知識がない。
他方、薬剤師は、薬の専門知識がある反面、直接投与する立場にない。
上記注意義務の内容の差異は、これを反映している。
そして、Vの死は、処方の不適切から生じたわけではない。
Bの処方は、E薬を投与せよというもので、それ自体適切だからである。
問題は、処方と異なるD薬が投与された点にある。
その意味では、丙がBの処方の適切性の確認を怠ったことは、結果に影響しない。
ここを、どう考えるか。
一つは、薬剤師とはいえ、処方と違う薬を渡してよいということはない。
看護師に渡す前に、少しは確認する義務があったといえるはずである。
もう一つは、Bの処方をきちんと確認していれば、D薬を投与するとマズいと意識できる。
そうすれば、アンプルを出すときにもう少し気をつけたはずである。
その意味で、処方の確認の懈怠は、結果に影響しているとみることができる。
いずれにせよ、丙の過失認定には上記のような考慮が必要となる。

また、過失は、通常因果関係より後に検討するのが体系上適切である。
旧過失論なら責任段階となるし、新過失論でも、客観的構成要件を主観的構成要件の検討に先行させるからである。
従って、因果関係を否定する場合には、もはや過失の検討は要しないはずである。
過失の未遂は、不可罰だからである。
しかし、本問では、明らかに過失の当てはめが問われている。
にもかかわらず、因果関係がないから過失を検討するまでもない。
そうやってしまうと、論理的に正しくても、配点上は論点落ちとされる可能性が高い。
よって、乙丙の因果関係を否定する場合には、過失を先に検討しておくべきである。
なお、乙丙にそれぞれ単独過失犯を認める場合、いわゆる過失の競合となる。
これは、同一結果につき、複数の単独過失犯が成立する場合を、単に現象としてそう呼ぶに過ぎない。
学説上論点とされる「過失の競合」とは異なる。
論点としての「過失の競合」とは、同一行為者の過失が連鎖する場合である。
例えば、前方不注視でぶつかりそうになり、慌ててブレーキを踏むつもりがアクセルを踏み込んだ。
そういう事例で、生じる問題である。
従って、本問で過失併存説と過失段階説の対立を書いてはいけない。

過失の共同正犯については、大まかに二つのアプローチがある。
新過失論からのアプローチと、因果的共犯論からのアプローチである。
前者からは、乙の過失の介在があっても丙に帰責できるという実益の観点から、共通の注意義務違反があるかを検討することになる。
後者からは、正犯たる寄与を行っているのは誰かという観点から、丙の因果性が結果に及ぶかを検討することになる。
従って、前者の立場からは、丙の因果関係(行為後の事情)に先行させて論じることになる。
後者の立場からは、結果的に(現象として)共同正犯になる、という感じになる。
乙は正犯として結果に寄与し、丙も乙を介して正犯として結果に寄与した。
だから、共同正犯だ、ということになる。
丙に共同正犯を認めないと処罰できない、という実益は、正面には出てこない。

甲については、前述のように不作為犯がメインとなる。
不真正不作為犯の要件をどう立てるか。
それが、一つのポイントである。
この点に関しては、受験生の間で、ある噂が広まっている。
作為義務(保障人的地位)と同価値性要件を、並列的に要件とするのは誤りだ、というものである。
論文でこんな要件を書けば、積極ミスで減点、そうでなくても極めて印象が悪いという。
予備校の論証でそのようなものが多いために、これは予備校批判と結びついている。
しかし、この噂は正しくない。

不作為犯処罰の難点として、不作為自体に因果性の設定がない、という点がある。
これを、先行行為による因果性で解決する見解がある。
この見解を前提にすると、先行行為による保障人的地位があれば、作為と同視できる。
従って、重ねて同価値性を要求するのはおかしい、ということになる。

また、不作為は因果性の設定はないが、作為と同価値の場合には処罰できるという考え方がある。
そして、作為と同価値の不作為とは、保障人の不作為であるとする。
その上で、保障人的地位には、被害者との特別の関係に加えて、排他的支配等が必要だ、とする。
この見解は、そもそも同価値な場合の要件として保障人的地位を要求する。
だとすれば、同価値の要件として、さらに同価値性を要求するのは同義反復であって、ありえない。

上記のような見解に立つ教官の講義の期末試験において、保障人的地位に加えて同価値性要件を要する、などと書けば、講義を聴いていないものとして逆鱗に触れるだろう。
おそらく、噂の発生源はこの辺りにある。

しかし、上記は特定の見解に立つからそうなるだけである。
不作為を処罰できるのは、作為が命令されているからだと考える。
そのような命令を受ける者が、作為義務者(保障人)である。
例えば、母親は、子を養育すべき義務を負う。
しかし、母親が養育を怠ることが、全て作為の殺人と同じであるとはいえない。
そこで、不作為が作為の実行行為と同様の現実的危険性を有する場合に限定すべきである。
これが、作為との構成要件的同価値性である。
このような理解からは、作為義務(保障人的地位)と同価値性要件は、並列的である。
このような考え方は、十分成り立ちうる。

実際、不真正不作為犯を規定するドイツ刑法13条1項は、そのような要件の立て方をしている。

(ドイツ刑法13条)

13 Begehen durch Unterlassen

(1) Wer es unterläßt, einen Erfolg abzuwenden, der zum Tatbestand eines Strafgesetzes gehört, ist nach diesem Gesetz nur dann strafbar, wenn er rechtlich dafür einzustehen hat, daß der Erfolg nicht eintritt, und wenn das Unterlassen der Verwirklichung des gesetzlichen Tatbestandes durch ein Tun entspricht.

(2) 略

 

(筆者訳)

13条 怠ること(不作為)による犯罪

1項 構成要件的結果の実現を避けることを怠った者は、その者が結果回避に法的責任(保証)を有する場合であって、それを怠ったことが作為による構成要件の実現と同価値であるときに限り、この法の下において可罰的である。

2項 略

このような誤った情報がまことしやかに流布することが、この世界の恐ろしいところである。
この種の噂については、根拠があるかを自分で確かめる。
根拠がなさそうなら、気にしない。
そういうことも大事である。

予備校で作為義務と同価値性を並列する論証が推奨されることには、理由がある。
様々な問題文に対応して、柔軟な当てはめができるからである。
先行行為説や支配説に立つと、先行行為があるか、支配があるか、という硬直的なものになりやすい。
両者とも認めにくいが、不作為を肯定したい、という場面は多い。
本問も、その場合である。
本問で、Vの因果性を設定する先行行為は、乙丙の過失行為である。
従って、甲に帰責できる先行行為は存在しない。
また、病室におけるVと甲の関係。
これは、母子家庭における乳児と母親の関係や、ひき逃げ犯が車に被害者を乗せた場合とは異なる。
乙らA病院関係者が異変に気付けば、甲に入室を防ぐ術はない。
甲の嘘も、乙が「いや念のために」と入室したら、それまでだった。
そのような状況をもって、排他的支配あり、というのは困難である。
これに対し、同価値性要件であれば、どうとでも当てはめることが可能である。
現在の司法試験は、精緻な理論を展開するような場面はほとんどない。
そのため、理論的曖昧さは残っても、当てはめしやすい要件立てが推奨されることになる。

不作為犯については、因果関係の問題がある。
この点については、最決平元・12・15がある。
これは、多くの人が知っているはずである。
しかし、判旨のうち、なぜか「十中八九」という部分を規範として覚えている人が多い。
この部分は、認定の理由付けに近いものである。
覚えるべきは、「結果回避が合理的な疑いを超える程度に確実」だったかどうかである。
この合理的疑いを超える程度、というのは、「疑わしきは被告人の利益に」の原則(利益原則、刑訴336条)に基づく。
「高度の蓋然性」という意味に置き換えてもよい(最判昭48・12・13)。
これも厳密には、訴訟法的要素である。
従って、実体法上は単に「作為があれば結果が発生しなかった(助かった)」と認められるかということに尽きる。
この点は、正確に理解しておきたい。

(最決平元・12・15より引用、下線は筆者)

 保護者遺棄致死の点につき職権により検討する。原判決の認定によれば、被害者の女性が被告人らによって注射された覚せい剤により錯乱状態に陥った午前零時半ころの時点において、直ちに被告人が救急医療を要請していれば、同女が年若く(当時一三年)、生命力が旺盛で、特段の疾病がなかったことなどから、十中八九同女の救命が可能であったというのである。そうすると、同女の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められるから、被告人がこのような措置をとることなく漫然同女をホテル客室に放置した行為と午前二時一五分ころから午前四時ころまでの間に同女が同室で覚せい剤による急性心不全のため死亡した結果との間には、刑法上の因果関係があると認めるのが相当である。

(引用終わり)

 

(最判昭48・12・13より引用、下線は筆者)

 裁判上の事実認定は、自然科学の世界におけるそれとは異なり、相対的な歴史的真実を探究する作業なのであるから、刑事裁判において「犯罪の証明がある」ということは「高度の蓋然性」が認められる場合をいうものと解される。しかし、「蓋然性」は、反対事実の存在の可能性を否定するものではないのであるから、思考上の単なる蓋然性に安住するならば、思わぬ誤判におちいる危険のあることに戒心しなければならない。したがつて、右にいう「高度の蓋然性」とは、反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの「犯罪の証明は十分」であるという確信的な判断に基づくものでなければならない。

(引用終わり)

本問では、2時20分までであれば、「救命されたものと認められる」とある。
これは、問題文上そのように認定された、という意味である。
そうである以上、この部分は、合理的疑い云々を問題にする必要がない。
他方、2時20分から2時50分までについては、「救命されたかどうかは明らかでなく」とある。
すなわち、合理的疑いが残るということである。
そうである以上、上記判例からは、因果関係を肯定できない。
そういう当てはめになる。
従って、例えば、「救命されたものと認められる以上、十中八九救命されたといえる」。
または、「救命されたか明らかでないが、それが十中八九と認められれば因果関係がある」
などという当てはめは、誤りである。

それから、投薬と死の因果関係について、甲の行為介在の問題がある。
いわゆる、行為後の事情の問題である。
ここは、現在学説の対立が激しいところである。
しかし、受験上は折衷説から淡々と論じれば足りる。
ただ、あてはめにはコツがある。
それなりに演習を重ねていないと、難しいだろう。
本問では、主として二つのアプローチがあり得ると思う。
一つは、甲の不作為を予見不能としつつ、甲と乙による適切な救命も仮定しないという考え方である。
そうすると、投薬自体に高度の死の危険性があって、それが現実化したと認められるから結果発生は相当となる。
もう一つは、甲の不作為は予見不能としつつ、甲の不作為に代わる適切な行為を社会通念に基づき想定する考え方である。
そうすると、甲又は乙による救命によってVは死ななかったはずで、Vの死は相当でない、となる。
学説が定まっていないところであり、どちらもあり得るだろう。
なお、3要素説(前田説)は、行為後のあらゆる事情を基礎に3要素を判断する。
従って、客観説でなく折衷説からこの説を採るのは、本来困難である。
採るとすれば、行為時の事情と行為後の事情とで判断を異にする理由を述べる必要があるだろう。
3要件説からは、誤投薬の危険性も甲の不作為の異常性も高い。
甲の不作為の寄与度をどう評価するかで、どちらの結論にもなり得る。

 

【参考答案その1】

第1.甲の罪責

1.Vの死につき殺人罪(199条)を検討する。

2.(1)まず、実行行為を確定する。甲は、自然的には様々な所為を行っている。しかし、既に悪化したVの法益を回復させないという点で一貫している。従って、Vの容体急変を甲が発見してから甲が帰宅するまでの一連の所為は、1個の不作為と評価できる。

(2)作為形式の犯罪も、不作為によって実現しうるが、不作為は無限に存在するから、自由保障の見地から限定を要する。具体的には、以下のとおりである。

ア.不作為を違法とする以上、作為をすべき義務(作為義務)がなければならない。
 本問では、甲は、Vの妻であるから、扶助義務を負う(民法752条)。また、VはA病院の入院患者であるものの、甲は、行為当時、乙に代わって単独でVの世話をしていたから、法益の引受けがあり、Vの容体が急変すれば病院関係者に救命処置を求める作為義務を負っていたといえる。

イ.法は不可能を要求しないから、作為の可能性及び容易性が必要である。
 本問で、甲の負う作為義務は、甲自らVを救命する義務ではなく、A病院関係者に救命処置を求める義務である。これが可能かつ容易であったことは明らかである。

ウ.不作為は、通常作為のような因果力がない。これを作為と同視する以上、その危険性において作為と構成要件的に同価値と評価しうることを要する。
 本問で、Vは、午後2時50分を過ぎるとほぼ救命可能性はなかったのであるから、死の危険は切迫していた。にもかかわらず、甲は救命を求めず、乙を入室させなかった。これはVの生命にとって極めて危険な行為である。よって、作為と構成要件的に同価値と評価しうる。

(3)以上から、甲の不作為は、殺人の実行行為である。

3.次に、因果関係を検討する。

(1)実行行為がなくても結果が発生する場合、それは実行行為によるものでない。従って、実行行為がなければ結果が発生しなかったという関係(条件関係)が必要である。もっとも、不作為は作為をしないことであるから、上記は作為があれば結果が発生しなかったといえるかにつき検討すべきである。

ア.本問では、Vは遅くとも午後2時20分までは甲が救命を求めれば救命可能であった。従って、甲の実行行為のうち、Vの容体急変時から午後2時20分までの間の不作為は、Vの死と条件関係がある。

イ.他方、午後2時20分から同2時50分までの間は、救命可能性は不明である。すなわち、甲が救命を求めてもVが死亡したかもしれないという合理的疑いが残る。従って、上記時間帯における甲の不作為とVの死に条件関係を認めることができない(「疑わしきは被告人の利益に」の原則)。

ウ.なお、午後2時50分以降については、既に甲は帰宅しており、実行行為終了後である。条件関係は問題とならない。

(2)条件関係があっても、偶然の結果を帰責すべきでない。一般予防効果がないからである。すなわち、行為から結果が生じることが社会通念上相当といえる関係(相当因果関係)が必要である。その際、判断の基礎事情が問題となるが、一般予防の観点から、一般人の認識予見可能な事実と、行為者の利用可能性の観点から、行為者が行為当時特に知っていた事実を考慮すべきである。
 本問では、条件関係のある前記(1)アの不作為当時、Vが死亡しうる容体であったことにつき、甲は以前の経験から特に知っていた。
 そうすると、Vが死亡しうる容体であったのに救命を求めなかった結果、死亡に至ることは社会通念上相当である。

(3)以上から、実行行為のうち前記(1)アに示した不作為には、因果関係が認められる。

4.最後に、故意を検討する。
 一般に、認識のみで認容がない場合、規範を踏み越えたといえないから、故意非難を向け得ない。従って、故意の要素として、認識のみならず認容を要する。
 本問では、甲は、容体急変時から、Vの死の危険を認識していた。一方で、午後2時ころまでは心を決めかねており、同時刻において乙に嘘を言った時も、Vの救命は間に合うだろうと思っていた。この時点では、未だ認容はない。
 しかし、午後2時ころに乙が立ち去った後から、午後2時15分までの間に、甲は、Vの生死を運命に委ね、その結果がどうなろうと運命に従うと考えるに至った。これは、Vが死んでも運命であるからやむを得ないという意思、すなわち、Vの死の認容である。
 従って、上記時点以降、甲の故意が認められる。

5.以上から、上記4に示した故意の成立時から、因果関係のある午後2時20分までの間の不作為について、甲は殺人罪の罪責を負う。殺人罪が成立する以上、その危険犯である保護責任者遺棄罪の成否は問題とならない。

第2.乙及び丙の罪責

1.Vの死につき、業務上過失致死罪(211条1項前段)の共同正犯(60条)の成否を検討する。

2.乙は、看護師の地位に基づき、点滴等患者の生命身体に危険のある行為を反復継続して行い、丙は、薬剤師の地位に基づき、薬の準備等投薬される患者の生命身体に危険のある行為を反復継続して行うから、いずれも業務者に当たる。

3.現代社会では有用な危険行為が存在する以上、過失行為とは、単に危険な行為ではなく、注意義務に違反する行為であり、共同正犯とは、同一の犯罪を共同して行う点に本質があるから、共通の注意義務に違反する場合には、過失犯の共同正犯が成立しうる。

(1)A病院において、看護師は、処方通りの薬であることの確認をする注意義務を負い、薬剤師は、適切な処方であることの確認をする注意義務を負っていた。両者の注意義務は異なる。しかし、薬剤師は処方の適切性のみ確認すれば足り、看護師に渡す薬が処方通りかは確認する義務がないと考えることはできない。処方と異なる薬を看護師に渡さないよう注意する義務も負うというべきである。そうすると、処方通りの薬であるか確認する注意義務の限度で、乙と丙は共通の注意義務を負っていたといえる。

(2)そして、乙及び丙は、上記注意義務を怠れば誤投与が生じうることを予見しえた。また、A病院で定められた確認を履行することで取違えを回避できた。なお、乙は、丙を信頼して上記注意義務を怠ったものであるが、A病院のチェック態勢からすればかかる信頼は相当性を欠いているから、結果回避義務は否定されない。

(3)よって、乙及び丙は、誤投与を予見し、回避することを怠ったから、過失があるといえる。

4.では、因果関係はあるか。

(1)乙及び丙の取違えがなければ、Vの死は生じなかったといえるから条件関係が認められる。

(2)相当因果関係についてみると、乙及び丙の過失による誤投与後の事情のうち、甲がVの容体急変にもかかわらず救命を求めず、乙に入室させなかったことは、患者の世話をする親族の行動として極めて異常であるから、一般人において予見不能であり、乙及び丙も予見していなかった。そこで、上記甲の行為を除去するとすれば、Vの容体急変直後に直ちに甲により救命が求められ、又は、遅くとも午後2時ころに乙が巡回によりVの異状を発見して救命がされ、Vは死亡しなかったと考えるのが、社会通念に適う。そうである以上、現実にVが死亡したことは、社会通念上相当ではない。
 よって、相当因果関係は認められない。

5.以上から、因果関係は認められない。結果を帰責できない以上、未遂である。業務上過失致死罪には未遂処罰規定はないから、乙及び丙に犯罪は成立しない。

6.なお、乙が午後2時及び午後2時30分の巡回をしなかった点については、従前の献身的な甲の行動からすれば、甲が嘘をつくことは考え難く、およそ予見不能であって過失はないから、犯罪は成立しない。

7.よって、乙及び丙は、刑法上の罪責を負わない。

以上

 

【参考答案その2】

第1.Vの死を惹起した行為の確定

1.ある行為が結果を惹起したというために、条件関係及び相当因果関係を必要とする説がある。しかし、この説の判断定式は、事実的・経験的帰結を装うが、実は規範的に妥当な結論を先取りして設計された虚構であり、2段階に分けて検討する意味もない。端的に、結果発生に至る個々の因果経過を自然的かつ規範的に観察し、当該行為の設定した因果の流れ(以下「因果性」という。)によって結果が発生したかを検討すべきである。

2.本事例において、Vの死因はD薬の投与により生じた(事例8(1))。従って、Vの死への因果の起点は、乙によるD薬投与(事例4第3段落、以下「本件投薬」という。)である。
 D薬を乙に手渡したのは、丙である。本件投薬の因果性は、E薬ではなくD薬であったことによる。すなわち、丙は、乙の本件投薬を介して重要な因果的寄与を行った。従って、丙は、乙と本件投薬を共同したと評価できる。

3(1)もっとも、設定された因果性は、その後の行為によって遮断され得る。そして、一度遮断された因果性を再設定する行為があって、これにより結果が発生した場合には、当初の設定行為は結果を惹起したとはいえず、その後の再設定行為こそが結果を惹起したといえる。

(2)ア(ア)甲は、午後1時50分ころにVの異状を現認(事例5第1段落)したのに、乙ら病院関係者に通報することなく、午後2時ころまで思い悩んでいた(事例5第4段落)。

(イ)上記不通報は不作為である。不作為は、自然的には因果性を遮断・再設定しない。しかし、当該因果性が、結果発生防止の作為を法的に期待される者(以下「保障人」という。)の排他的支配下に入ったときには、規範的に因果性が遮断され、保障人の不作為は、因果性の再設定となる。なぜなら、保障人の作為による結果回避が期待される一方、結果発生は因果性を支配する保障人の手に委ねられたと評価できるからである。

(ウ)本事例の甲は、Vの妻であり、法的扶助義務を負っている(民法752条)。甲は、その意味で保障人に当たる。
 しかし、病院の管理下にある患者の生命を保護する能力は、病院にある。病室を訪問する家族等は、病院の管理から患者を離脱させる等特段の事情がない限り、患者の生命に対する排他的支配を取得しない。本事例の甲は、Vの身の回りの世話をしたにとどまり、Vを病院外に連れ出す等A病院の管理からVを離脱させる行為等はしていない。従って、Vの生命に対する排他的支配は認められない。

(エ)よって、甲の上記不作為は、本件投薬の因果性を遮断しない。

イ.乙は、午後2時ころにVの病室出入り口ドアをノックした(事例5第4段落)。これは、Vの容体を確認するためであった(事例2)。そして、この時点で乙がVの異変に気付けば、Vは救命され得た(事例8(2))。

ウ.しかし、甲は嘘を言って乙の入室を拒んだ(事例5第4及び第5段落、以下「本件虚言」という。)。甲乙間のこれまでの経緯(事例1第2段落)からすれば、乙が入室を控えたことは自然である反面、本件虚言は異常である。これは、乙により実現されつつあった本件投薬の因果性の遮断を、甲が妨げたと評価すべきである。
 上記場合、当初の行為による因果性は残存している。他方で、因果性の遮断を妨げる行為によって、遮断されつつあった因果性を維持する新たな因果性が付加されたと考えられる。従って、両者の行為が競合して結果を惹起したと評価できる。

4(1)その後、甲は2時30分ころ、再度嘘をついて乙の巡回を妨げた(事例6第3段落)。しかし、この時点で発見しても、Vを救命できたか不明である(事例8(2))。真偽不明の事実については、利益原則(刑訴法336条参照)が妥当する。

(2)甲との関係では、上記原則は2時30分の時点で乙の巡回を妨げても結局Vの死は避けられなかったという意味で作用する。従って、上記行為によって甲が因果性を付加したという認定はできない。

(3)乙及び丙との関係では、甲の上記行為がなければVが救命され得たという意味で作用する。しかし、その場合でも、甲の上記行為は前記3(2)イと同様、実現されつつあった因果性の遮断を妨げるものに過ぎないから、結局因果性は遮断されない。

5.その後も甲がVの救命を求めずに、午後2時50分に立ち去った行為は、前記3(2)アのとおり、甲に排他的支配はなく、因果性の遮断は生じない。なお、本件虚言による入室妨害は一時的なものであるから、これにより排他的支配を取得したとは評価できない。

6.以上から、本件投薬及び本件虚言がVの死を惹起した。

第2.甲の罪責

1.甲に本件虚言によるVの死に係る犯罪事実の認識(予見を含む。以下同じ。)、すなわち、故意があれば殺人罪が成立する。

2.故意責任とは、犯罪事実を認識したのに行為したことに対する非難である。従って、故意の内容は犯罪事実の認識であり、これに尽きる。この点、認識ある過失を除外すべく、認容や、結果を行為動機とする関係を要するとする説がある。しかし、認識ある過失とされる場合で、故意を否定すべきものは、行為者が行為の危険性、すなわち、結果への因果力を看過した場合である。これは、因果関係の認識の欠缺に過ぎない。因果関係の認識は、現実の因果経過との一致を要しないが、それ自体として構成要件該当性を基礎付けうる程度に具体的でなければならない。結果発生には至らないと確信する者は、上記具体的認識を欠いて故意が否定される。このように解する以上、故意の要素として認容等を要すると解する必要はない。

3.本件虚言当時の甲には、以前の経験からVが再び薬によるアレルギー反応を起こして呼吸困難等に陥っており、放置すればこれにより手遅れ、すなわち、死に至るという具体的認識がある(事例5第2段落)。他方、救命の時間的余裕につき、具体的根拠なく間に合う「だろう」と思ったに過ぎず、上記因果経過を否定する事実認識はない。従って、甲に故意が認められる。

4.よって、甲は殺人罪の罪責を負う。

第3.乙の罪責

1.乙は、本件投薬当時Vの死を認識していないから、故意はない。そこで、過失の有無を検討する。

2(1)過失責任とは、犯罪事実の認識可能性があったのに、認識を欠いて行為した点に対する非難である。すなわち、過失は故意と同様の責任形式であり、その内容は、犯罪事実の認識可能性である。

(2)刑法は、重過失と業務上過失につき過失致死(210条)の加重類型を置いている(211条)。重過失は、認識が容易であるから責任が重い。また、危険のある行為を反復すれば危険の認識は容易となる。かかる行為につき重過失を類型化したものが、業務上過失である。重過失と異なるのは、認識容易性の判断につき、当該業務に要求される水準(業務上の注意)が求められる点にある。従って、業務とは、生命・身体に対する類型的危険を有する行為を反復継続するものをいい、業務上過失とは、当該業務の要求水準に照らし容易に認識しえたことをいう。

(3)また、同罪の結果とは人の死であるが、およそ「人」の死では足りない。人の生命は主体により別個の法益であるから、具体的な「その人」の死が対象である。また、因果関係についても構成要件該当性を基礎付けうる程度に具体的な認識可能性が必要である。  
 すなわち、本事例で認識可能性の対象となるべき事項は、@E薬ではなく、D薬が投与されること、AD薬により、Vがアレルギー反応を起こすこと、Bアレルギー反応により、Vが死に至ることの3点である。

3(1)乙は看護師であり、薬の投与等患者の世話を通じて、患者の生命・身体に対する類型的危険のある行為を反復継続して行うから、業務者にあたる。

(2)認識可能性につき、以下の事実がある。

ア.本件投薬に係る薬のアンプルに貼付されたラベルには、薬名が明記されていた(事例3第4段落)。看護師である乙は、ラベルを一瞥するだけでE薬でなく、D薬だと識別できた。

イ.A病院の態勢(事例4第1段落)からすれば、乙は看護師として、Vのアレルギー体質についても確認すべきであり、乙自ら記載した看護記録(事例4第2段落)を参照すれば、容易にこれを確認できた。

ウ.A病院の態勢(事例4第1段落)からすれば、乙は看護師として、Vのアレルギー体質の程度を確認すべきであり、Bに問い合わせれば、その程度が強度であって、急性アレルギー反応でショック死する危険のあることも容易に知り得た。

(3)以上のアから@が、イからAが、ウからBが、それぞれ容易に認識可能であったと認められる。
 なお、乙は丙の仕事ぶりを信頼して上記を怠ったという。確かに、他者への信頼が基礎となる場合、その違背は認識し難い。しかし、本事例のA病院では、薬の取違えを想定した態勢(事例3第2段落及び同4第1段落)を採っていた。むしろ、他者への不信を前提にしている。従って、丙への信頼は認識可能性を否定しない。

4.以上から、乙には業務上過失が認められるから、乙は業務上過失致死罪の罪責を負う。

第4.丙の罪責

1.丙は、Vの死を認識せずに、乙と本件投薬を共同したから、業務上過失致死の共同正犯の成否を検討する。

2.そもそも、共犯の処罰根拠は、正犯の行為を介して犯罪結果を惹起する点にある。そして、共同正犯は、単独正犯同様の因果的寄与により結果を共同惹起する場合であるから、その本質は数人数罪、すなわち行為の共同にある。そして、心理的因果性がなくとも物理的因果性を及ぼすことができる以上、上記は過失犯にも妥当する。従って、各行為者の過失の及ぶ範囲において過失犯の共同正犯を認めることができる。

3.そこで、丙の過失を検討する。

(1)丙は薬剤師であり、薬の準備等を通じて、患者の生命・身体に対する類型的危険のある行為を反復継続して行うから、業務者にあたる。

(2)丙は、乙の本件投薬を介してVの死を惹起している。従って、前記第3の2(3)に示した@からBまでに加えて、C丙の取違えに乙が気付かないことについても認識可能性を要する。
 本事例では、以下のとおりである。

ア.アンプルのラベルには薬名が明記されていた(事例3第4段落)から、薬剤師であれば、一瞥してD薬と識別できた。

イ.A病院の態勢(事例3第2段落)及び丙の知識(事例3第5段落)からすれば、丙は薬剤師として、Bの処方が患者の病状や体質に適合するかチェックした上で乙に提供すべきであり、このチェックの過程で、VのD薬に対するアレルギー体質を容易に知りえた。

ウ.A病院の態勢(事例3第2段落)からすれば、丙は薬剤師として、BにVの体質を確認することで、Vが強度のアレルギー体質であって、D薬を処方すれば死亡しうることは容易に知りえた。

エ.A病院の態勢(事例3第2段落及び同4第1段落)は、人は常に誤りを犯すとの前提で構築されている。そうである以上、丙は薬剤師として、乙もまた薬の取違えに気付かないこともあると容易に想定しえた。

(3)上記アから@が、イからAが、ウからBが、エからCが、それぞれ丙において容易に認識可能であったと認めることができる。従って、丙に業務上過失を認めうる。

4.よって、丙は業務上過失致死罪の共同正犯となる。

以上

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