平成22年度旧司法試験論文式
憲法第2問の感想と参考答案

【問題】

 選挙区選出の参議院議員である甲は,参議院本会議での居眠りや野次がひどく,議長や所属政党から口頭での注意をたびたび受けていた。甲の態度はその後も改善されず,平成22年2月某日,甲は酔った状態で本会議に出席し,野次を飛ばすのみならず,対立政党の議員に対し暴力を振るった。
 このような甲の問題行動を受けて,参議院は出席議員の3分の2以上の多数による議決で甲を除名処分とした。甲はこの処分を不服として,議員の地位の確認を求めて裁判所に訴えを提起した。
 この事例に含まれる憲法上の問題点を,甲が地方議会議員であり,上記と同様の理由で地方議会から除名処分を受けた場合及び甲が参議院議員であり,所属政党から除名処分を受けた場合と比較しつつ論ぜよ。

統治の比較だが

本問は、統治からの出題である。
統治の問題は、根本原理を示して、そこから一刀両断的に説明する方が評価されやすい。
また、本問は、比較問題である。
比較問題は、根本的な比較の視点を示して、そこからざっくりと説明する方が評価されやすい。
だとすると、本問は比較の視点となるような統治の根本原理から、一貫した説明をすればよい。
多くの人が、現場でそう感じたはずである。

しかし、本問はそのような一つの視点、根本原理から説明できるものではない。
本問の主要な論点は、司法権の限界である。
そして、参議院は議院自律権が。
地方議会と政党は部分社会の法理が、それぞれ限界論の論拠となる。
前者における根本原理は権力分立であると、すぐわかる。
しかし、後者は権力分立から説明できるようなものではない。
部分社会の法理を採用する立場からは、法秩序の多元性が。
同法理の採用に否定的な立場からは、団体自治や結社の自由が、その根拠となる。
これらを、統一的な一つの視点で切る、というのは、無理がある。
本問は、早い段階でこのことに気付くことができるか、というのが一つのポイントだろう。

定跡的な書き方ができないとすれば、どう書けばいいか。
本問の論点は、いずれも論証等を用意しているような、基本論点である。
現場の限られた時間の中では、それを順に貼って、最後に適当なまとめを付す。
それが、無難な構成だろう。
具体的には、以下のような構成である。

第1.参議院の場合

1.問題提起

2.用意した論証

3.結論

第2.地方議会の場合

1.問題提起

2.用意した論証

3.結論

第3.政党の場合

1.問題提起

2.用意した論証

3.結論

第4.比較

 適当に3〜4行まとめ。
 例)参議院では権力分立が根拠になるのに対し、地方議会及び政党では法秩序の多元性が根拠となる。
 前者は裁判所と対等の地位なので例外を許さないのに対し、後者はそうではなく、一般市民法秩序との調整が問題になるため例外が生じるのである。

ただ、実際に現場でこれを決断するのは、かなり勇気がいる。
答練などでは、案外平気でこういう答案を書く人も、本試験では、なぜか踏み切れない。
いかにも予備校的、論点主義的で、出題意図にそぐわないようにみえるからである。
実際、考査委員もあまりこういう答案は評価したくないだろう。
しかし、現実にこれを上回る構成を現場で思いつくのは難しい。

本問の場合、上記の構成でも、論証が正確であれば上位になると思う。
現在では、正確に論証を貼ることができるだけで、相当の上級者である。
特に、本問のように大展開するための論証をきちんと用意できる人は、かなり少ない。
部分社会の法理否定説の論証しか、用意していない人も多い。
そのため、否定説から個別の事例をどう処理していいかわからない。
その結果、比較衡量と称して、何をいっているかわからないような答案を書いてしまいがちだ。

とりわけ本問の場合は、勝手に転ぶ人が相当数でるはずである。
無理に一つの視点のようなものを設定し、そこから書いてしまう。
例えば、部分社会の法理を、「ミクロの権力分立である」などと称し、それで全部を説明しようとする答案などである。
しかも、本問は参議院、地方議会、政党の3つを書かないといけない。
紙幅的には、それぞれ1ページ強しか割けない。
その場の思いつきの概念でまとめようとすると、紙幅切れになりやすい。
結果、何を言っているのかわからないような答案が、相当数出てくる。
それらと比べると、上記の無難な構成は、相対的に浮かび上がってくる。

また、本問は、「Aについて、Bと比較しつつ論ぜよ」という形式である。
これは日本語に忠実に読めば、Aがメインであって、あくまでAの説明のための比較対象としてBにも触れよ、というように読める。
しかし、過去の出題と評価の傾向からは、AとBを同程度に論じた方が評価されている。
Bの方が雑だと、評価を下げている。
本問を見て、これはあくまで参議院がメインだ。
だから、地方議会と政党は比較対象として軽く触れただけで、しっかり論じなかった。
そういう答案は、評価を下げることになりやすい。
むしろ本問では、参議院は論じることが少なく、地方議会、政党は論じることが多い。
その意味でも、上記の無難な答案は、浮かび上がってくる。
結果として、考査委員は不満だけれども、予備校答案が上位になる。
そういう問題だったと思う。

範囲の問題か、限界の問題か

内容的には、どの基本書でも触れてある基本的なものである。
ただ、いくつか引っかかりそうな部分がある。

まず、司法権の範囲の問題なのか、限界の問題なのか、という点である。

判例は、部分社会の法理の適用場面において、法律上の争訟性を否定する。
すなわち、司法の範囲外という立場と理解できる。
もっとも、下級審の中には法律上の争訟性を肯定した上で司法審査の対象外とするものもある。

最大判昭35・10・19より引用、下線は筆者)

 司法裁判権が、憲法又は他の法律によつてその権限に属するものとされているものの外、一切の法律上の争訟に及ぶことは、裁判所法三条の明定するところであるが、ここに一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない。一口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがあるのである。けだし、自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないものがあるからである。

(引用終わり)

 

東京高判平14・10・30より引用、下線は筆者)

 裁判所は,「一切の法律上の争訟を裁判する」(裁判所法3条)が,ここにいう法律上の争訟とは,法令を適用することによって解決し得べき権利義務に関する当事者間の紛争を指称する(最高裁昭和26年・第584号同29年2月11日第一小法廷判決・民集8巻2号419頁)。
 本件は,原告を候補者名簿に登載しないで実施した選挙の有効性,すなわち原告の被選挙権の有無に関する紛争であって,被選挙権についての法令,会則,細則,慣習などの法規範を解釈し,又は適用することによって終局的に解決し得べきものであり,法律上の争訟であることは明らかである。
 もっとも,法律上の争訟であっても,自律的な法規範をもつ社会ないしは団体にあつては,当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ,必ずしも,裁判による司法的解決を適当としないものがあるから,一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り司法審査の対象から除かれるべきであると解される。

(引用終わり)

他方、議院自律権については、法律制定の議事手続に関するものとして最大判昭37・3・7(警察法改正無効事件)がある。
しかし、これは司法の範囲を言っているのか、限界を言っているのかわからない。

(最大判昭37・3・7より引用、下線は筆者)

 同法は両院において議決を経たものとされ適法な手続によつて公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべく同法制定の議事手続に関する所論のような事実を審理してその有効無効を判断すべきでない。従つて所論のような理由によつて同法を無効とすることはできない。

(引用終わり)

考え方としては、いくつかあり得る。
全て司法の範囲に含まれ、限界の問題とする考え方。
参議院の場合は司法の範囲外であるが、他の2者は司法の範囲内であり、限界の問題とする考え方。
いずれも司法の範囲の問題であるとする考え方。
政党における実体審査の可否は限界の問題、それ以外は範囲の問題とする考え方。
どれでもよいだろう。
重要なことは、ここであまり悩んで時間をロスしないこと。
それから、論点として長々と説明しないことである。
自分の立場を当然の前提のようにして書いてよいところである。

地方議会の除名の理由付け

事前に論証を用意していないと悩むのが、地方議会の除名の理由付けである。
ほとんどの人は、これには司法審査が及ぶとするはずである。
しかし、これに説得的な理由をつけるのは難しい。
実際、部分社会の法理を当初から少数意見で説いていた当時の田中耕太郎最高裁長官は、その区別に理由はないとする。

最大判昭28・1・16(米内山事件)田中耕太郎少数意見より引用、下線及び※の注は筆者)

 凡そ法的現象は人類の社会に普遍的のものであり、必ずしも国家という社会のみに限られないものである。国際社会は自らの法を有し又国家なる社会の中にも種々の社会、例えば公益法人、会社、学校、社交団体、スポーツ団体等が存在し、それぞれの法秩序をもつている。法秩序は社会の多元性に応じて多元的である。それ等の特殊的法秩序は国家法秩序即ち一般的法秩序と或る程度の関連があるものもあればないものもある。その関連をどの程度のものにするかは、国家が公共の福祉の立場から決定すべき立法政策上の問題である。従つて例えば国会、地方議会、国立や公立学校の内部の法律関係について、一般法秩序がどれだけの程度に浸透し、従つて司法権がどれだけの程度に介入するかは個々の場合に同一でない。要するに国会や議会に関しても、司法権の介入が認められない純然たる自治的に決定さるべき領域が存在することを認めるのは決して理論に反するものではない。そうして本件の問題である懲罰の事案のごときは正にかかる領域に属するものと認められなければならない。
 勿論団体の種類によつては、法が多数決による除名を団体に委ねない場合がある例えば商法八六条に規定する合名会社の社員の除名(業務執行権若くは代表権の喪失も同様である)の場合(※現会社法859条の持分会社の社員の除名の訴えに相当)には、他の社員の過半数の決議を以て足れりとしないで、その宣告を裁判所に請求しなければならぬことになつている。この場合には合名会社の関係の特殊性に鑑み、除名に関する事項に関し会社の内部関係に対する一般的法秩序の側からする干与を認め、単なる社員の決議だけでは足らないとしたのである。ところが地方議会や国会における懲罰事件については、もしその事由たる事実の存否又は制裁の当不当を関係者が一々裁判所に訴えて争うことができるとするならば、結局裁判所が議員の除名問題について最後の決定者たるべきこと合名会社の場合と異ることなきにいたるのである。(なお会社の法律関係は全体として一般法秩序に編入されているために、仮令昭和一三年改正法前の除名のごとく他の社員の一致のみによつて除名ができる場合にも、除名の無効の確認の請求を裁判所になし得ることが認められるのである。)
 要するに地方議会の懲罰に関しては、議会自体が最終の決定者であること国会の場合と同様である。仮りに多数者が横暴に振舞い、事実として懲罰の事由の存否が疑わしい場合に懲罰に附し又は情状が軽いのに比較的重い制裁を課したような事情があつたとしても、それは結局事実認定裁量の問題に帰し、従つてその当不当は政治問題たるに止まり、違法の問題ではないのである。
 この点に関し、懲罰の種類が戒告、陳謝、一定期間の出席停止の場合と除名とを区別し、前の種類のもののみを内部規律とする説があるが、この説は、全然理論的基礎を欠くものである。そこには議員の地位自体を奪うことが議員にとつて極刑であるとか、議員が選挙によつてその地位にあるとかいう考慮が伏在するであろうが、そのいずれも根拠とすることができないただ公選議員を議員の決議で以て除名することができないものとするーこれは地方議会たると国会たるとを問はぬ問題である――主張が一つの立法論として成り立つこと勿論である。

(引用終わり)

明文上その効力を争う訴えの規定がない(一般法秩序に編入されていない)ことは除名も出席停止も同じだ。
だから、区別する理由はない。
除名のみ例外にすべきというなら、地方自治法を改正してそういう規定を設ければよい。
それは、立法政策の問題だ。
そういう立論である。
この見解における「一般法秩序」の中身は明快だ。
しかし、この見解は現在の部分社会の法理とは距離がある。
論文でこれを採用するのは、難しい。
他方、判例は除名を例外とする。
しかし、その理由は、単に「身分の喪失に関する重大事項」というだけである。

最大判昭35・10・19より引用、下線は筆者)

 昭和三五年三月九日大法廷判決―民集一四巻三号三五五頁以下―は議員の除名処分を司法裁判の権限内の事項としているが、右は議員の除名処分の如きは、議員の身分の喪失に関する重大事項で、単なる内部規律の問題に止らないからであつて、本件における議員の出席停止の如く議員の権利行使の一時的制限に過ぎないものとは自ら趣を異にしているのである。従つて、前者を司法裁判権に服させても、後者については別途に考慮し、これを司法裁判権の対象から除き、当該自治団体の自治的措置に委ねるを適当とするのである。

(引用終わり)

判例の部分社会論における一般市民法秩序の意味内容は、曖昧である。
このことが、部分社会論を理解し難くしている。
下級審には、これをもう少しきちんと説明しようとするものもある。
しかし、あまりうまくいっている感じではない。

大阪地決昭44・9・20より引用、下線は筆者)

 被申立人は、地方議会議員の除名処分については、裁判所による司法審査が許されないと主張する。
 言うまでもなく、裁判所がいかなる事項について裁判権を有し、または有しないかは、憲法及びこれをうける裁判所法の定めるところによつて決定されるべき事柄である。そして、裁判所法はその第三条で、「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。」と規定しているから、地方議会議員の除名処分について裁判所が裁判権を有するか否かは、かかる除名処分に係る争訟が右規定に言うところの「法律上の争訟」に該当すると言うべきものか否かによる。
 而して、憲法は三権分立の原理を採用しており、この原理は国家作用のうち国民の間に法律上の紛争がある場合に何が法であるかを判断し正しい法の適用を保障する作用を司法と呼び、これを裁判所の権限に属せしめているのであるから、ここに言う「法律上の争訟」とは、具体的な権利義務又は法律関係の存否に関する紛争であつて、法律の適用により当該紛争が終局的に解決され得べきものであり、そのような解決方法が当該紛争の性質に照して適当なものを言うものと解するのが相当である。
 ところで、法的な現象は人の社会に普遍的なものであり、国家という社会だけに限られるものではなく、人の社会には国家のほかにも各種の社会が存在し、各社会はそれぞれの法秩序をもつているのであるから、その特殊的法秩序の実現は内部規律の問題として原則として当該社会の自治的措置に任せるべきであり、これを裁判によつて実現することは必ずしも適当でない場合があるといわなければならない。地方議会において地方自治法第一三二条、一三三条その他及び会議規則違反等を理由に懲罰の議決(同法第一三五条)をすることも、この特殊的法秩序実現のための措置であるから、それが内部規律の範囲内に属するものである限り、当該議決に関する紛争を裁判の方法によつて解決することは適当でないというべきである。
 然しながら、右のような懲罰に関する議決であつても、議員の除名処分の如きは議員の身分を終局的に喪失させ、これを当該社会(地方議会)の外に放逐する重大な措置であるから、それは最早内部規律の問題の範囲を越えるものといわざるを得ない。蓋し、一旦その社会から放逐された者は最早当該社会を構成する内部の一員ではあり得ず、いまや特殊的法秩序とは次元を異にする一般市民法秩序を基盤として外部から当該社会に対立する関係として把握さるべきものだからである。地方議会議員の除名処分に関する紛争は「法律上の争訟」として裁判権の対象となるものというべきである。

(引用終わり)

 

大阪高判平13・9・21より引用、下線は筆者)

 裁判所は,日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するとされている(裁判所法3条1項)。しかし,一切の法律上の争訟とは,あらゆる法律上の係争を意味するものではなく,自律的な法規範をもつ社会ないし団体にあっては,当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ,必ずしも裁判にまつを適当としないものがあり,これについては,司法権が及ばないと解するのが相当である(最大判昭和35年10月19日民集14巻12号2633頁)。このような社会ないし団体は「部分社会」と呼ばれることがあるが,その中には,政党,労働組合,宗教団体,学校,地方議会,公益法人等各種各様の団体が存在しており,それぞれ存在理由ないし性格を異にするものであるから,一律に「部分社会」であることをもって司法権が及ばないと解するのは適切でなく,その団体の存在理由ないし性格に即して司法権の及ぶ限界を論ずるべきである。団体の多くについては,憲法21条の保障する「結社の自由」を根拠として司法権の限界を根拠づけることができるが,地方議会については,その設置が住民の自由意思に委ねられているわけではないから,「結社の自由」の観点から司法権の限界を根拠づけるのは必ずしも相当でない。しかし,地方議会は,その設置が憲法の明文(93条)をもって定められ,住民自治,団体自治という地方自治の本旨を実現するための意思決定機関であり,自律権として,地方自治法により,会議規則制定権(120条),議員に対する懲罰権(134条)等が保障されていることに照らすと,その自律権の範囲内で決定された事項については,原則として司法権が及ばないと解するのが相当である。もっとも,地方議会は,国会と異なり,国権の最高機関性(憲法41条)を有せず,しかも,憲法が除名を含めた国会議員の懲罰について議院に権限があることを明文で定めているのに対し(憲法58条2項),地方議会の議員の懲罰は憲法ではなく,地方自治法により定められている事項であること,地方議会の議員の懲罰のうち,除名は議会からの排除という議員の身分にかかわる重大な事柄であり,しかも,住民の意思とかかわりなく決められることなどに鑑みると,除名はその議会内部の紛争というにとどまらず,市民法秩序と直接関係する問題として,司法権が及ぶというべきである。これに対し,戒告処分については,議会内部の紛争にとどまっているから,内部規律の問題として,司法審査は及ばないと解するのが相当である。

(引用終わり)

結論的には、現場で適当に理由付けすれば、よほどおかしな理由でない限り大丈夫だろう。
また、上記大阪高判のように部分社会論への批判を意識しつつ、国会や政党との差異を書ければ、比較の題意にも答えたことになる。
下級審裁判例は、理由不十分な判例を説明し、使い方を教えてくれる場合がある。
とりわけ、評価の定まっていない新判例の理解に役立つ。
裁判例の判示を覚える必要はないが、ざっと読み流すことは有益である。
当サイトが近時の下級審裁判例を多数掲載しているのは、そのような趣旨でもある。

袴田事件判例に注意

政党に関しては、共産党袴田事件判例が先例となる。
政党にも部分社会論を適用したと理解できる判例である。
しかし、この判例は、単独で読もうとすると理解が難しい。

まず、一般論の部分をみてみよう。

(共産党袴田事件判例より引用、下線は筆者)

 政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成する政治結社であつて、内部的には、通常、自律的規範を有し、その成員である党員に対して政治的忠誠を要求したり、一定の統制を施すなどの自治権能を有するものであり、国民がその政治的意思を国政に反映させ実現させるための最も有効な媒体であつて、議会制民主主義を支える上においてきわめて重要な存在であるということができる。したがつて、各人に対して、政党を結成し、又は政党に加入し、若しくはそれから脱退する自由を保障するとともに、政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。他方、右のような政党の性質、目的からすると、自由な意思によつて政党を結成し、あるいはそれに加入した以上、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である。右のような政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがつて、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であつても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則つてされたか否かによつて決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。

(引用終わり)

「除名その他の処分」につき、原則として自律的な解決に委ねる。
そう言っている。
すなわち、除名それ自体が一般的に一般市民法秩序にかかわるものとはしていない。
この点で、地方議会の場合とは異なる。
前記大阪地決昭44・9・20のように「一旦その社会から放逐された者は最早当該社会を構成する内部の一員ではあり得ず、いまや特殊的法秩序とは次元を異にする一般市民法秩序を基盤として外部から当該社会に対立する関係として把握さるべきもの」という考え方を基礎にすれば、政党の場合も除名は当然に一般市民法秩序にかかわるものとして把握されなければならないはずである。
しかし、判例はそのような見解には立っていない。

また、「一般市民としての権利利益を侵害する場合」でも、手続審査しか認めない。
しかし、部分社会論においても、一般市民法秩序にかかわる場合には、実体審査が認められるはずである。
一般論の部分だけをみても、判例の部分社会論として説明される枠組みだけではうまく理解できない。
次に、あてはめをみてみよう。

(共産党袴田事件判例より引用、下線は筆者)

 本件記録によれば、被上告人は前記説示に係る政党に当たるということができ、本訴請求は、要するに、被上告人と上告人との間で、上告人が党幹部としての地位を有することを前提として、その任務の遂行を保障する目的で上告人に党施設としての本件建物を使用収益させることを内容とする契約が締結されたが、上告人が被上告人から除名されたことを理由として、本件建物の明渡及び賃料相当損害金の支払を求めるものであるところ、右請求が司法審査の対象になることはいうまでもないが、他方、右請求の原因としての除名処分は、本来、政党の内部規律の問題としてその自治的措置に委ねられるべきものであるから、その当否については、適正な手続を履践したか否かの観点から審理判断されなければならない。そして、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができ、右事実関係によれば、被上告人は、自律的規範として党規約を有し、本件除名処分は右規約に則つてされたものということができ、右規約が公序良俗に反するなどの特段の事情のあることについて主張立証もない本件においては、その手続には何らの違法もないというべきであるから、右除名処分は有効であるといわなければならない。

(引用終わり)

除名処分が一般市民法秩序にかかわるか否か。
当然、この部分の当てはめがあるはずである。
しかし、それがない。
むしろ、いきなり「右請求が司法審査の対象になることはいうまでもない」とされている。
しかも、その直後に「除名処分は、本来、政党の内部規律の問題としてその自治的措置に委ねられるべきもの」とも言っている。
除名が一般市民法秩序にかかわるから、もはや内部規律に委ねられない、とは言っていない。
では、なぜ「司法審査の対象になることはいうまでもない」のか。
単純な部分社会論の枠組みでは、この辺りは理解困難である。

しかし、これは判例の立場としては、一貫している。
これを理解するには、宗教団体の内部紛争に関する一連の判例を参照する必要がある。

最判昭55・1・11(種徳寺事件)より引用、下線は筆者)

 上告人が原審において提起した新訴は、上告人と被上告人宗教法人B1宗(以下「被上告人B1宗」という。)との間において上告人が被上告人宗教法人B2寺(以下「被上告人B2寺」という。)の住職たる地位にあることの確認を求める、というにあるが、原審の適法に確定したところによれば、B1宗においては、寺院の住職は、寺院の葬儀、法要その他の仏事をつかさどり、かつ、教義を宣布するなどの宗教的活動における主宰者たる地位を占めるにとどまるというのであり、また、原判示によれば、B2寺の住職が住職たる地位に基づいて宗教的活動の主宰者たる地位以外に独自に財産的活動をすることのできる権限を有するものであることは上告人の主張・立証しないところであるというのであつて、この認定判断は本件記録に徴し是認し得ないものではない。このような事実関係及び訴訟の経緯に照らせば、上告人の新訴は、ひつきよう、単に宗教上の地位についてその存否の確認を求めるにすぎないものであつて、具体的な権利又は法律関係の存否について確認を求めるものとはいえないから、かかる訴は確認の訴の対象となるべき適格を欠くものに対する訴として不適法であるというべきである(最高裁判所昭和四一年(オ)第八〇五号同四四年七月一〇日第一小法廷判決・民集二三巻八号一四二三頁参照)。もつとも、上告人は、被上告人B1宗においては、住職たる地位と代表役員たる地位とが不即不離の関係にあり、B2寺の住職たる地位は宗教法人B2寺の代表役員たりうる基本資格となるものであるということをもつて、住職の地位が確認の訴の対象となりうるもののように主張するが、両者の間にそのような関係があるからといつて右訴が適法となるものではない

 (中略)

 所論は、要するに、原審が上告人の新訴については住職たる地位が宗教上の地位であるにすぎないことを理由としてその訴を不適法として却下しながら、これと併合して審理された被上告人B2寺の上告人に対する不動産等引渡請求事件についてはB1宗管長のした住職罷免の行為をもつて法律的紛争であるとして取り扱い、本案の判断を示したのは、理由齟齬の違法を犯すものである、というにある。
 しかしながら、論旨指摘の原審の各判断は、互いに当事者を異にし、訴訟物をも異にする別個の事件について示されたものであるから、その間に民訴法三九五条一項六号所定の理由齟齬の違法を生ずる余地はなく、したがつて、論旨はこの点において理由がない。のみならず、被上告人B2寺の上告人に対する右不動産等引渡請求事件は、B2寺の住職たる地位にあつた上告人がその包括団体であるB1宗の管長によつて右住職たる地位を罷免されたことにより右事件第一審判決別紙物件目録記載の土地、建物及び動産に対する占有権原を喪失したことを理由として、所有権に基づき右各物件の引渡を求めるものであるから、上告人が住職たる地位を有するか否かは、右事件における被上告人B2寺の請求の当否を判断するについてその前提問題となるものであるところ、住職たる地位それ自体は宗教上の地位にすぎないからその存否自体の確認を求めることが許されないことは前記のとおりであるが、他に具体的な権利又は法律関係をめぐる紛争があり、その当否を判定する前提問題として特定人につき住職たる地位の存否を判断する必要がある場合には、その判断の内容が宗教上の教義の解釈にわたるものであるような場合は格別、そうでない限り、その地位の存否、すなわち選任ないし罷免の適否について、裁判所が審判権を有するものと解すべきであり、このように解することと住職たる地位の存否それ自体について確認の訴を許さないこととの間にはなんらの矛盾もないのである。

(引用終わり)

 

最判昭55・4・10(本門寺事件)より引用、下線は筆者)

 本訴請求は、被上告人が宗教法人である上告人寺の代表役員兼責任役員であることの確認を求めるものであるところ、何人が宗教法人の機関である代表役員等の地位を有するかにつき争いがある場合においては、当該宗教法人を被告とする訴において特定人が右の地位を有し、又は有しないことの確認を求めることができ、かかる訴が法律上の争訟として審判の対象となりうるものであることは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和四一年(オ)第八〇五号同四四年七月一〇日第一小法廷判決・民集二三巻八号一四二三頁参照)。そして、このことは、本件におけるように、寺院の住職というような本来宗教団体内部における宗教活動上の地位にある者が当該宗教法人の規則上当然に代表役員兼責任役員となるとされている場合においても同様であり、この場合には、裁判所は、特定人が当該宗教法人の代表役員等であるかどうかを審理、判断する前提として、その者が右の規則に定める宗教活動上の地位を有する者であるかどうかを審理、判断することができるし、また、そうしなければならないというべきである。もつとも、宗教法人は宗教活動を目的とする団体であり、宗教活動は憲法上国の干渉からの自由を保障されているものであるから、かかる団体の内部関係に関する事項については原則として当該団体の自治権を尊重すべく、本来その自治によつて決定すべき事項、殊に宗教上の教義にわたる事項のごときものについては、国の機関である裁判所がこれに立ち入つて実体的な審理、判断を施すべきものではないが、右のような宗教活動上の自由ないし自治に対する介入にわたらない限り、前記のような問題につき審理、判断することは、なんら差支えのないところというべきである。これを本件についてみるのに、本件においては被上告人が上告人寺の代表役員兼責任役員たる地位を有することの前提として適法、有効に上告人寺の住職に選任せられ、その地位を取得したかどうかが争われているものであるところ、その選任の効力に関する争点は、被上告人が上告人寺の住職として活動するにふさわしい適格を備えているかどうかというような、本来当該宗教団体内部においてのみ自治的に決定せられるべき宗教上の教義ないしは宗教活動に関する問題ではなく、専ら上告人寺における住職選任の手続上の準則に従つて選任されたかどうか、また、右の手続上の準則が何であるかに関するものであり、このような問題については、それが前記のような代表役員兼責任役員たる地位の前提をなす住職の地位を有するかどうかの判断に必要不可欠のものである限り、裁判所においてこれを審理、判断することになんらの妨げはないといわなければならない。そして、原審は、上告人寺のように寺院規則上住職選任に関する規定を欠く場合には、右の選任はこれに関する従来の慣習に従つてされるべきものであるとしたうえ、右慣習の存否につき審理し、証拠上、上告人寺においては、包括宗派である日蓮宗を離脱して単立寺院となつた以降はもちろん、それ以前においても住職選任に関する確立された慣習が存在していたとは認められない旨を認定し、進んで、このように住職選任に関する規則がなく、確立された慣習の存在も認められない以上は、具体的にされた住職選任の手続、方法が寺院の本質及び上告人寺に固有の特殊性に照らして条理に適合したものということができるかどうかによつてその効力を判断するほかはないとし、結局、本件においては、被上告人を上告人寺の住職に選任するにあたり、上告人寺の檀信徒において、同寺の教義を信仰する僧侶と目した者の中から、沿革的に同寺と密接な関係を有する各末寺(塔中を含む。)の意向をも反映させつつ、その総意をもつてこれを選任するという手続、方法がとられたことをもつて、右条理に適合するものと認定、判断したものであり、右の事実関係に照らせば、原審の右認定、判断をもつて宗教団体としての上告人寺の自治に対する不当な介入、侵犯であるとするにはあたらない

(引用終わり)

すなわち、訴訟物として内部規律の問題を直接争う場合は却下する。
他方、内部規律の問題が、訴訟物判断の前提になっているに過ぎない場合は、審理対象となりうる。
もっとも、上記場合であっても、争点が内部規律に属する事項の実体判断にあるとき。
すなわち、板まんだら事件のようなときは、やはり司法審査できないものとして却下しなければならない。
そうではなく、内部事項の実体判断に踏み込む必要のないときは、手続審査により本案判決すべきである。
大雑把に言うと、そういうことである。

そして袴田事件判例は、上記の論理で手続審査をした。
すなわち、訴訟物は、建物明渡し及び賃料相当損害金支払い請求である。
除名の効力は、その前提問題に過ぎない。
そして、その争点は、適正な手続(手続規定の存在及び有効性(公序良俗違反でないこと)を含む)の履践の有無にあった。
そこで、手続審査によって結論を出した。
このように理解できる。

すなわち、政党の除名は一般市民法秩序にかかわるから司法審査できる、という立場ではない。
仮にそうだとすれば、実体審査までできたはずである。
この点が、地方議会の除名と決定的に異なる点である。

ここまで理解した上で、改めて本問を読めば、訴訟物の違いに気付くはずである。
本問では、党員の地位自体を直接確認する訴えである。
袴田事件判例は、「司法審査の対象となることはいうまでもない」とした。
それは、訴訟物が建物明渡し及び損害金支払い請求だったからである。
本問では、「司法審査の対象となることはいうまでもない」ということはできない。
党員の地位が、果たしてそれ自体として法律上の地位といえるのかが、別途論点となる。
これを種徳寺事件の住職と同様に考えれば、法律上の地位とはいえないことになる。
この場合、具体的権利・法律関係に関する訴えではないことから、法律上の争訟を欠く。
従って、この時点で訴えは却下という結論になる。
ただ、団体内部の肩書きと、構成員たる地位自体とは、異なる面がある。
団体と構成員との間には、構成員以外の者との間には存在しない何らかの法律関係があるのが通常である。
政党においても、党則等でそのような関係があれば、構成員たる地位は法律上の地位といえる。
判例にも、檀徒の地位につき法律上の地位を認めたものがある。

最判平7・7・18より引用、下線は筆者)

 本件訴えは、宗教法人である被上告人から壇徒の地位を剥奪する旨の処分を受けた上告人が右の地位を有するとしてその確認を求めるものである。問題は、右の地位が具体的な権利義務ないし法律関係を含む法律上の地位ということができるかどうかにあるので、以下検討する。
 宗教法人法は、壇徒等の信者については、宗教法人の自主性を尊重しつつその最終的な意思決定に信者の意見が反映されるよう、宗教法人の一定の重要な行為につき、信者に対して公告をするものとしている(同法一二条三項、二三条、二六条二項、三四条一項、三五条三項、四四条二項)が、信者と宗教法人との間の権利義務ないし法律関係について直接に明らかにする規定を置いていないから、壇徒等の信者の地位が具体的な権利義務ないし法律関係を含む法律上の地位ということができるかどうかは、当該宗教法人が同法一二条一項に基づく規則等において壇徒等の信者をどのようなものとして位置付けているかを検討して決すべきこととなる。
 記録によると、所論の壇徒の地位に関しては、宗教法人法一二条一項に基づく被上告人の規則(宗教法人「B寺」規則)等において次のような規定が置かれていることが明らかである。

 (1) 被上告人の規則一六条は、被上告人の壇信徒につき、被上告人の包括宗教法人である「D宗の教義を信奉し、この寺院の維持経営に協力する者を壇信徒という。」と定める。

 (2) D宗の宗規中の被上告人に関係する条項が同規則三四条により被上告人にも適用されるところ、右宗規の一四一条一項は「寺院及び教会は、壇信徒名簿を備え付けなければならない。」と定め、また、その一四二条は壇信徒の除名について「壇信徒であって、左に掲げる各号の一に該当するときは、住職は管長の承認を得て壇信徒名簿から除名することができる。一 教義信条に反し、異議を唱うる者、二 宗団若しくは寺院、又は教会の維持経営を妨害する者」と定めており、これらの条項は被上告人において適用されている。

 (3) 被上告人においては、宗教法人法一八条に基づく代表役員及び責任役員の外に、代表役員を補佐し、被上告人の維持経営に協力することを基本的職務とする総代六人を法人組織上の機関として設置している(同規則一七条一項、四項)ところ、壇信徒の地位にあることが総代に選任されるための要件とされ(同条二項)、総代であることが代表役員以外の責任役員に選任されるための要件とされている(同規則七条三項)。

 (4) 被上告人においては、代表役員には宗教的活動の主宰者の地位にある住職の職にある者をもって充てることとされている(同規則七条一項)ところ、住職の選任に際しては総代の意見を聴かなければならず(同条二項)、また、被上告人の基本財産等の設定・変更や不動産、宝物の処分等(同規則二〇条、二二条一項)、予算の編成等(同規則二五条、二八条、三一条)、規則の変更及び合併(同規則三三条)に際しても総代の意見を聴かなければならないものとされており、さらに、総代は決算の報告を受けるものとされている(同規則三〇条)。

 以上によれば、被上告人においては、壇信徒名簿が備え付けられていて、壇徒であることが被上告人の代表役員を補佐する機関である総代に選任されるための要件とされており、予算編成、不動産の処分等の被上告人の維持経営に係る諸般の事項の決定につき、総代による意見の表明を通じて壇徒の意見が反映される体制となっており、檀徒による被上告人の維持経営の妨害行為が除名処分事由とされているのであるから、被上告人における檀徒の地位は、具体的な権利義務ないし法律関係を含む法律上の地位ということができる
 そうすると、被上告人における壇徒の地位は宗教上の地位にすぎず、本件訴訟は具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争に当たらないとして、本件訴えを却下した原判決には法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

(引用終わり)

本問では、党則等につき何ら記述がない。
ただ、通常は何らかの法律関係があるはずであるから、法律上の地位としてよいだろう。

次に検討すべきは、争点が内部規律に属する事項の実体判断にあるか否かである。
ここで、旧試験にしては詳細に挙がっている事実を使うことになる。
仮に、除名の理由が党の理念に反する言動をしたことだったとする。
その場合は、認定された言動が党の理念に反するか否かが、不可避の争点となる。
これは政党の内部規律に属する事項の実体判断であるから、裁判所は判断できない。
従って、訴え却下ということになる。
しかし、本問は、そのような場合ではない。
党の政治的自律とは関係の無い、粗暴な行為が理由となっている。
従って、争点は適正な手続によって除名がなされたか。
その点を裁判所が判断すれば、判決をすることができる。
よって、結論的には袴田事件判例同様、手続審査はできる、ということになるだろう。

なお、本問の事実関係は、論点を限定するという機能も果たしている。
本問で除名の理由に係る事実がないと、党議拘束と除名の論点(半代表論など)を書く人が出るおそれがある。
また、3分の2の多数の濫用という問題も生じうる。
そのような事例でないということが、具体的な事実で示されている。
「選挙区選出の参議院議員」としたのも、比例代表の論点を抱え込まないようにする配慮と思われる。

以上のように、政党の部分は意外と難解である。
おそらく、現場でこの辺りをきちんと整理できる人は、ほとんどいないだろう。
結果的に、細かいことを気にせずに論証を貼っただけの人が、上位になるはずである。

 

【参考答案】

第1.各事例の訴えにつき裁判所は司法権を行使できるか。司法とは、具体的な権利・法律関係に関する係争に法を適用して裁定する国家作用をいう。従って、司法権行使の要件は、具体的な権利・法律関係に関する紛争であること(以下「係争性」という。)、法適用による終局的解決に適すること(以下「裁定適格」という。)である。裁判所法3条1項は、上記の確認規定である。

第2.係争性について

1.参議院議員及び地方議会議員たる地位は、国会法、公職選挙法、地方自治法等を参照するまでもなく、法的地位であることが憲法上明らかである(43条1項、93条2項)。従って、その地位の確認には係争性がある。

2.他方、政党の党員たる地位は、党則等において政党・党員間の権利・法律関係の定めがある場合には、具体的な法律上の地位ということができる。従って、上記場合には係争性がある。

第3.裁定適格について

1.参議院は国会を構成し(42条)、裁判所と対等の地位にある(41条、76条1項。権力分立。)。懲罰権はかかる議院の自律権に属する(58条2項)。その判断は終局的である。従って、裁判所は参議院の除名の当否の実体につき審査できない。
 のみならず、上記自律権が権力分立に由来することに照らせば、裁判所が議院の除名の手続を審理判断することも許されない。
 よって、参議院の除名処分を不服とする地位確認の訴えは法適用による終局的解決に適さないから、裁判所はこれに司法権を行使できない。

2.地方議会は議院と異なり、憲法上懲罰権が認められるわけではない。しかし、憲法は第8章において地方自治を制度として定め、地方に国から独立した一定の権能を認めている(団体自治)。かかる独立性から、地方議会の内部事項の判断に終局性を認めるのが憲法の趣旨である。
 一般に、懲罰は内部規律に属する。もっとも、除名は地方議員の地位を失わせる。地方議員は憲法上の地位であり、議会との関係にとどまらない対世的なものである。従って、内部事項ではなく、裁判所の審査に服する。
 よって、地方議会の除名処分を不服とする地位確認の訴えは法適用による終局的解決に適するから、裁判所はこれに司法権を行使できる。

3(1)政党は地方議会と異なり、憲法に直接の定めがない。しかし、政党とは政治的信条を共通にする者による結社であるから、思想信条の自由(19条)、政治的言論及び結社の自由(21条1項)により国家の介入から一定の保護を受ける。のみならず、政党は、議会制民主主義を支える不可欠の要素であり、国民の政治意思を形成する最も有力な媒体である。従って、その自主性は尊重されなければならない。また、政党は任意団体であって、結成、加入及び脱退は自由である。政党の自主性を尊重することによって党員の権利保護が損なわれるおそれは小さい。以上を考慮すると、政党の内部事項の判断は終局的なものとするのが憲法の趣旨である。
 確かに、除名は党員の地位を失わせる。しかし、議員とは異なり、党員たる地位は政党との関係における相対的地位に過ぎない。たとえ比例代表選出の参議院議員であっても、党籍喪失だけで議員資格を失うことはない(国会法109条の2第2項参照)。他に特別の事情もない本問では、除名は内部事項にとどまる。従って、裁判所が除名の当否について実体的判断をすることは許されない。

(2)もっとも、本問では除名の効力自体が訴訟物ではない。訴訟物は、党員の地位の確認である。除名の効力はその前提問題に過ぎない。そして、除名の原因は甲の品位を欠く言動にあったことがうかがわれる。政治信条の相違等は問題とならない。従って、除名の実体的判断に踏み込む必要はない。適正な手続を履践したか否かという政党の自律的判断にかかわらない事項を対象とすることで審理判断可能であり、そうすべきである。

(3)よって、政党の除名処分を不服とする地位確認の訴えは法適用による終局的解決に適するから、裁判所はこれに司法権を行使できる。

第4.部分社会の法理について

 特殊の法秩序を有する部分社会にあっては、一般市民法秩序にかかわらない限り、内部規律に属する事項は司法審査の対象とならないとする考え方がある。しかし、部分社会であること自体は、司法審査を排除する直接の根拠ではない。司法審査が及ぶか否かは、憲法の各条項を解釈してその趣旨から導くべきものである。上記見解は、かかる解釈の結果を現象として記述したに過ぎない。

以上

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