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最高裁判所第三小法廷判決平成22年06月29日

【事案】

1.被上告人が,自宅と道路を隔てた土地において葬儀場の営業を行っている上告人に対し,上記営業により日常的な居住生活の場における宗教的感情の平穏に関する人格権ないし人格的利益を違法に侵害されているなどと主張して,@上記人格権ないし人格的利益に基づき,又は民法235条を類推適用して,上記葬儀場において目隠しのために設置されているフェンスを更に1.5m高くすることを求める(以下,これらの請求を併せて「本件目隠し設置請求」という。)とともに,A不法行為に基づき,慰謝料及び弁護士費用相当額の支払を求める事案。

2.事実関係の概要等

(1) 当事者

ア.被上告人は,平成6年,第1審判決別紙物件目録記載2の建物(以下「被上告人建物」という。)を新築してその共有持分権を取得し,以来そこに家族と共に居住している。

イ.上告人は,葬祭請負業を目的とする株式会社である。上告人は,平成16年4月30日,幅員15.3mの市道(以下「本件市道」という。)を隔てて被上告人建物の東側に位置する上記目録記載1(1)の土地(以下「上告人土地」という。)を購入し,平成17年9月2日,上告人土地上に同目録記載1(2)の建物(以下「本件葬儀場建物」という。)を建築して,同年10月からそこで葬儀場(以下「本件葬儀場」という。)の営業を行っている。

(2) 上告人が本件葬儀場の営業を始めるまでの経緯等

ア.被上告人建物の敷地及び上告人土地が所在する地域は,いずれも第一種住居地域(都市計画法9条5項)に指定されている。上告人が上告人土地を購入した当時,上告人土地は畑であり,その西側や南側には被上告人建物を含めて一戸建住宅が建ち並んでいた。

イ.上告人は,平成16年8月から同年11月までの間,6回にわたり,上告人土地に本件葬儀場建物を建設することについて地元説明会を開催した。
 被上告人を含む周辺住民により構成される自治会(以下「本件自治会」という。)は,葬儀場建設に反対する旨の要望書を宇治市長に提出するとともに,上告人に対して葬儀場の営業についての要望事項を伝えるなどしたが,上告人において,上記要望事項に配慮し,@目隠しのためのフェンス(以下「本件フェンス」という。)の設置,A本件葬儀場の入口位置の変更,B防音,防臭のための二重玄関ドア等の設置などの措置を講じたのを受けて,平成17年12月,被上告人を含む3名を除き,本件葬儀場の営業に反対しない旨の条項を含む和解協定を,上告人との間で締結した。

ウ.本件葬儀場建物の建築や本件葬儀場の営業自体は,行政法規の規制に反するものではない。

(3) 本件フェンスの現況等

 本件フェンスは,おおむね上告人土地とその西側に隣接する本件市道との境界に沿って設置されている。本件フェンスの高さは1.78mであり,上告人土地と本件市道との境界部分に設置されたコンクリート擁壁を含めると2.92mである。
 本件フェンスを更に1.5m高くするには,約221万円の費用を要する。

(4) 本件葬儀場の営業と被上告人の生活状況

ア.本件葬儀場で通夜式又は告別式が執り行われる頻度は,1か月に20回程度であり,上告人は,遺体搬送車及び霊きゅう車を本件葬儀場建物の玄関先まで近付けて停車させて棺の搬入や出棺を行っている。

イ.本件フェンス及び上記コンクリート擁壁が設置されているため,被上告人建物の1階からは本件葬儀場の様子は見えないが,2階東側の各居室,階段ホール及びベランダからは,本件フェンス越しに,本件葬儀場に参列者が参集する様子のみならず,棺が本件葬儀場建物に搬入される様子や出棺の際に棺が本件葬儀場建物から搬出されて玄関先に停車している霊きゅう車に積み込まれる様子が見える。

ウ.被上告人は,被上告人建物2階の北東居室を仕事部屋兼寝室として利用するなどしているが,本件葬儀場の営業に強いストレスを感じ,本件葬儀場の様子が目に入らないようにするため,2階の各居室の窓及びカーテンを常時閉めている。

3.原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断して,@人格権ないし人格的利益に基づく本件目隠し設置請求を,本件フェンスのうち被上告人建物に面する部分を更に1.2m高くすることを求める限度で認容し,A慰謝料等の支払請求を20万円の限度で認容すべきものとした。

(1) 被上告人が受けている被害は,少なくとも棺が本件葬儀場建物に搬入される様子や出棺の様子が被上告人建物2階の各居室等から見える点において,受忍すべき限度を超える。

(2) したがって,被上告人は,上告人に対し,他者から自己の欲しない刺激によって心を乱されないで日常生活を送る利益,いわば平穏な生活を送る利益としての人格権ないし人格的利益に基づく妨害排除請求として,本件フェンスを高くする方法で,棺が本件葬儀場建物に搬入される様子や出棺の様子が被上告人建物2階の各居室等から見えないようにするために必要な限度で目隠しの設置を請求することができ,また,上告人が上記目隠しの設置をしなかったことについて,不法行為に基づく損害賠償を請求することができる。

【判旨】

1.原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 前記事実関係等によれば,本件葬儀場と被上告人建物との間には幅員15.3mの本件市道がある上,被上告人建物において本件葬儀場の様子が見える場所は2階東側の各居室等に限られるというのである。しかも,前記事実関係等によれば,本件葬儀場において告別式等が執り行われるのは1か月に20回程度で,上告人は,棺の搬入や出棺に際し,霊きゅう車等を本件葬儀場建物の玄関先まで近付けて停車させているというのであって,棺の搬入や出棺が,速やかに,ごく短時間のうちに行われていることは明らかである。
 そして,本件葬儀場建物の建築や本件葬儀場の営業自体は行政法規の規制に反するものではなく,上告人は,本件葬儀場建物を建設することについて地元説明会を重ねた上,本件自治会からの要望事項に配慮して,目隠しのための本件フェンスの設置,入口位置の変更,防音,防臭対策等の措置を講じているというのである。

(2) これらの事情を総合考慮すると,被上告人が,被上告人建物2階の各居室等から,本件葬儀場に告別式等の参列者が参集する様子,棺が本件葬儀場建物に搬入又は搬出される様子が見えることにより,強いストレスを感じているとしても,これは専ら被上告人の主観的な不快感にとどまるというべきであり,本件葬儀場の営業が,社会生活上受忍すべき程度を超えて被上告人の平穏に日常生活を送るという利益を侵害しているということはできない。
 そうであれば,上告人が被上告人に対して被上告人建物から本件葬儀場の様子が見えないようにするための目隠しを設置する措置を更に講ずべき義務を負うものでないことは,もとより明らかであるし,上告人が被上告人に対して本件葬儀場の営業につき不法行為責任を負うこともないというべきである。

2.以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,論旨は理由がある。
 そして,本件目隠し設置請求のうち人格権ないし人格的利益に基づく請求と選択的にされた民法235条の類推適用による請求については,これを棄却すべきものとした原審の判断を正当として是認することができる。
 以上説示したところによれば,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れず,上記部分に関する被上告人の請求は理由がないから,同部分につき第1審判決を取り消し,同部分に関する請求を棄却すべきである。

 

最高裁判所第三小法廷判決平成22年07月06日

【事案】

1.年金払特約付きの生命保険契約の被保険者でありその保険料を負担していた夫が死亡したことにより,同契約に基づく第1回目の年金として夫の死亡日を支給日とする年金の支払を受けた上告人が,当該年金の額を収入金額に算入せずに所得税の申告をしたところ,長崎税務署長から当該年金の額から必要経費を控除した額を上告人の雑所得の金額として総所得金額に加算することなどを内容とする更正を受けたため,上告人において,当該年金は,相続税法3条1項1号所定の保険金に該当し,いわゆるみなし相続財産に当たるから,所得税法9条1項15号により所得税を課することができず,上記加算は許されない旨を主張して,上記更正の一部取消しを求めている事案である。

2.事実関係の概要

(1) 上告人の夫であるAは,B生命保険相互会社(以下「B生命」という。)との間で,Aを被保険者,上告人を保険金受取人とする年金払特約付きの生命保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結し,その保険料を負担していたが,平成14年10月28日に死亡した。上告人は,これにより,本件保険契約に基づく特約年金として,同年から同23年までの毎年10月28日に230万円ずつを受け取る権利(以下「本件年金受給権」という。)を取得した。
 上告人は,平成14年11月8日,B生命から,同年10月28日を支給日とする第1回目の特約年金(以下「本件年金」という。)として,230万円から所得税法208条所定の源泉徴収税額22万0800円を控除した金額の支払を受けた。

(2) 上告人は,平成14年分の所得税について,平成15年2月21日,総所得金額22万7707円,課税総所得金額0円,源泉徴収税額及び還付金の額2664円とする確定申告をし,次いで,同年8月27日,総所得金額37万7707円,課税総所得金額0円,源泉徴収税額及び還付金の額22万3464円(本件年金に係る源泉徴収税額22万0800円を加算した金額)とする更正の請求をしたが,これらの確定申告及び更正の請求を通じて,本件年金の額を各種所得の金額の計算上収入金額に算入していなかった。
 他方,上告人は,Aを被相続人とする相続税の確定申告においては,相続税法24条1項1号の規定により計算した本件年金受給権の価額1380万円を相続税の課税価格に算入していた。

(3) 長崎税務署長は,本件年金の額から払込保険料を基に計算した必要経費9万2000円を控除した220万8000円を上告人の平成14年分の雑所得の金額と認定し,平成15年9月16日,総所得金額258万5707円,課税総所得金額219万円,源泉徴収税額22万3464円,還付金の額4万8264円とする更正をし,次いで,同16年6月23日,所得控除の額を加算して課税総所得金額を32万円に減額し,これに伴い還付金の額を19万7864円に増額する再更正をした(以下,この再更正後の上記更正を「本件処分」という。)。

3.原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判示し,本件処分は適法であると判断して,上告人の請求を棄却すべきものとした。
 所得税法9条1項15号は,相続,遺贈又は個人からの贈与により取得し又は取得したものとみなされる財産について,相続税又は贈与税と所得税との二重課税を排除する趣旨の規定である。相続税法3条1項1号により相続等により取得したものとみなされる「保険金」とは保険金請求権を意味し,本件年金受給権はこれに当たるが,本件年金は,本件年金受給権に基づいて発生する支分権に基づいて上告人が受け取った現金であり,本件年金受給権とは法的に異なるものであるから,上記の「保険金」に当たらず,所得税法9条1項15号所定の非課税所得に当たらない。

【判旨】

1.原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)ア.所得税法9条1項は,その柱書きにおいて「次に掲げる所得については,所得税を課さない。」と規定し,その15号において「相続,遺贈又は個人からの贈与により取得するもの(相続税法の規定により相続,遺贈又は個人からの贈与により取得したものとみなされるものを含む。)」を掲げている。同項柱書きの規定によれば,同号にいう「相続,遺贈又は個人からの贈与により取得するもの」とは,相続等により取得し又は取得したものとみなされる財産そのものを指すのではなく,当該財産の取得によりその者に帰属する所得を指すものと解される。そして,当該財産の取得によりその者に帰属する所得とは,当該財産の取得の時における価額に相当する経済的価値にほかならず,これは相続税又は贈与税の課税対象となるものであるから,同号の趣旨は,相続税又は贈与税の課税対象となる経済的価値に対しては所得税を課さないこととして,同一の経済的価値に対する相続税又は贈与税と所得税との二重課税を排除したものであると解される。

イ.相続税法3条1項1号は,被相続人の死亡により相続人が生命保険契約の保険金を取得した場合には,当該相続人が,当該保険金のうち被相続人が負担した保険料の金額の当該契約に係る保険料で被相続人の死亡の時までに払い込まれたものの全額に対する割合に相当する部分を,相続により取得したものとみなす旨を定めている。上記保険金には,年金の方法により支払を受けるものも含まれると解されるところ,年金の方法により支払を受ける場合の上記保険金とは,基本債権としての年金受給権を指し,これは同法24条1項所定の定期金給付契約に関する権利に当たるものと解される。
 そうすると,年金の方法により支払を受ける上記保険金(年金受給権)のうち有期定期金債権に当たるものについては,同項1号の規定により,その残存期間に応じ,その残存期間に受けるべき年金の総額に同号所定の割合を乗じて計算した金額が当該年金受給権の価額として相続税の課税対象となるが,この価額は,当該年金受給権の取得の時における時価(同法22条),すなわち,将来にわたって受け取るべき年金の金額を被相続人死亡時の現在価値に引き直した金額の合計額に相当し,その価額と上記残存期間に受けるべき年金の総額との差額は,当該各年金の上記現在価値をそれぞれ元本とした場合の運用益の合計額に相当するものとして規定されているものと解される。したがって,これらの年金の各支給額のうち上記現在価値に相当する部分は,相続税の課税対象となる経済的価値と同一のものということができ,所得税法9条1項15号により所得税の課税対象とならないものというべきである。

ウ.本件年金受給権は,年金の方法により支払を受ける上記保険金のうちの有期定期金債権に当たり,また,本件年金は,被相続人の死亡日を支給日とする第1回目の年金であるから,その支給額と被相続人死亡時の現在価値とが一致するものと解される。そうすると,本件年金の額は,すべて所得税の課税対象とならないから,これに対して所得税を課することは許されないものというべきである。

(2) なお,所得税法207条所定の生命保険契約等に基づく年金の支払をする者は,当該年金が同法の定める所得として所得税の課税対象となるか否かにかかわらず,その支払の際,その年金について同法208条所定の金額を徴収し,これを所得税として国に納付する義務を負うものと解するのが相当である。
 したがって,B生命が本件年金についてした同条所定の金額の徴収は適法であるから,上告人が所得税の申告等の手続において上記徴収金額を算出所得税額から控除し又はその全部若しくは一部の還付を受けることは許されるものである。

(3) 以上によれば,本件年金の額から必要経費を控除した220万8000円を上告人の総所得金額に加算し,その結果還付金の額が19万7864円にとどまるものとした本件処分は違法であり,本件処分のうち総所得金額37万7707円を超え,還付金の額22万3464円を下回る部分は取り消されるべきである。

2.これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,上告人の請求には理由があり,これを認容した第1審判決は結論において是認することができるから,被上告人の控訴を棄却すべきである。

 

最高裁判所第二小法廷判決平成22年07月09日

【事案】

1.被上告人らが,X1の経理事務を担当していた上告人による横領等があったと主張して,上告人に対して不法行為に基づく損害賠償等を請求する本訴を提起したが,被上告人らの請求をいずれも棄却する第1審判決を受けたため,これを不服として控訴をしたところ,上告人が,原審において,被上告人らによる本訴の提起が不法行為に当たるとして,損害賠償を請求する反訴を提起した事案。
 被上告人らは,本訴の請求原因事実として,上告人による約70件の横領行為等(以下「本件横領行為等」という。)を主張し,X1は約2721万円,X2は約693万円,X3は約126万円,X4は約403万円の損害賠償をそれぞれ請求した。
 被上告人らが主張する本件横領行為等の行為態様は,上告人が,@ X1の業務に係る支払に充てるなどの名目で小切手(2件については約束手形)を無断で作成し,又は偽造して,これを現金化した上,同小切手金等を領得したというもの,A被上告人らの預貯金を無断で払い戻したり,解約したりして,払戻し等に係る金員を領得したというものであった。

2.原審は,X1の経理処理態勢等について,X1における小切手等の振出しは,上告人が所要事項を記入した小切手用紙にX2がX1の銀行届出印を押捺して行われていたこと,X2は同印章を外出時に妻などに預けるほか常に携帯していたこと,X2は,X1の振り出す小切手等の控えを入念に点検していたほか,会計事務所の担当者が毎月行う会計帳簿等の点検の際も立ち会っていたが,上記点検によっても使途不明金が発見されるなどの問題が生ずることはなかったことなどを認定した上,本件横領行為等を認めるに足りないとするにとどまらず,被上告人らが上告人において無断で作成し,又は偽造したと主張する小切手等の振出しや預貯金の払戻し等については,そのほとんどを,X2が自らこれを上告人に指示したもので,上告人において小切手等を現金化し,又は預貯金の払戻し等を受けた現金は,その多くをX2が上告人から受領し,その他についてもX1の業務に係る支払等に充てられたことを積極的に認め,本訴請求についてはこれを棄却すべきものとしたが,反訴請求については,本訴の請求原因事実である本件横領行為等を全体的にみれば,X2が自己の主張する権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものであることを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて本訴を提起したなど,本訴の提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとまでは認めることができないとして,これを棄却した。

【判旨】

1.反訴請求を棄却した原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である(最高裁昭和60年(オ)第122号同63年1月26日第三小法廷判決・民集42巻1号1頁最高裁平成7年(オ)第160号同11年4月22日第一小法廷判決・裁判集民事193号85頁参照)。

(2) 原審の認定するところによれば,被上告人らが主張する本件横領行為等に係る小切手等の振出しや預貯金の払戻し等のほとんどについて,X2が自らこれを指示しており,小切手金や払戻し等に係る金員の多くを,X2自身が受領しているというのである。
 そうであれば,本訴請求は,そのほとんどにつき,事実的根拠を欠くものといわざるを得ないだけでなく,X2は,自らが行った上記事実と相反する事実に基づいて上告人の横領行為等を主張したことになるのであって,X2において記憶違いや通常人にもあり得る思い違いをしていたことなどの事情がない限り,X2は,本訴で主張した権利が事実的根拠を欠くものであることを知っていたか,又は通常人であれば容易に知り得る状況にあった蓋然性が高く,本訴の提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる可能性があるというべきである。加えて,原審は,X1が本訴の提起に先立ち上告人により5億円程度の小切手が無断で振り出されたとして告訴をしたが,上告人は小切手金約34万円の業務上横領の嫌疑で逮捕勾留されたものの勾留期間満了前に釈放されたことを認定していることや,その後に提起された本訴の請求金額が合計約3900万円に達することなどをも考慮すると,なおさらである。以上によれば,X1及びX2の本訴の提起は,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとみる余地が大きい。また,X3及びX4についても,X2の子であって,X2の主張に依拠して本訴を追行していることがうかがわれることからすれば,これと同様に解することができる。
 しかるに,原審は,請求原因事実と相反することとなるX2自らが行った事実を積極的に認定しながら,記憶違い等の上記の事情について何ら認定説示することなく,被上告人らにおいて本訴で主張する権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものであることを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて本訴を提起したとはいえないなどとして,被上告人らの上告人に対する本訴提起に係る不法行為の成立を否定しているのであるから,この原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決中,上告人敗訴部分は破棄を免れない。
 そして,不法行為の成否について更に審理を尽くさせるため,本件事案の内容及び審理の経過等にかんがみ,同部分につき,本件を原審に差し戻すこととする。

 

最高裁判所第二小法廷判決平成22年07月12日

【事案】

1.被上告人が,商法(平成17年法律第87号による改正前のもの。以下同じ。)に基づき,新設分割の方法により,その事業部門の一部につき会社の分割をしたところ,これによって被上告人との間の労働契約が上記分割により設立された会社に承継されるとされた上告人らが,上記労働契約は,その承継手続に瑕疵があるので上記会社に承継されず,上記分割は上告人らに対する不法行為に当たるなどと主張して,被上告人に対し,労働契約上の地位確認及び損害賠償を求めている事案。

2.事実関係の概要

(1) 平成14年4月ころ,被上告人の親会社であるA社とB社は,ハードディスク事業(以下「HDD事業」という。)に特化した合弁会社を設立する旨の合意をし,その後,当該合意に基づく事業再編計画の一環として,被上告人が,新設分割の方法により,そのHDD事業部門につき会社の分割(以下「本件会社分割」という。)をし,これによって設立される会社(後記(4)の設立時の商号はC社。)を上記合弁会社の子会社にする一方で,B社もまた,吸収分割の方法により,そのHDD事業部門につき会社の分割をし,これをC社に承継させることとした。そして,本件会社分割に伴い,被上告人のHDD事業部門の従業員との間の労働契約もC社に承継させる方針が定められた。

(2) 被上告人は,平成14年9月3日,イントラネット上で,HDD事業部門に関連する従業員向けに本件会社分割の内容及び雇用関係等に係る情報提供を開始するとともに,質問受付窓口を開設し,主な質問とそれに対する回答を掲載するなどした。また,被上告人は,その事業場に労働者の過半数で組織する労働組合がなかったことから,会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律(平成17年法律第87号による改正前のもの。なお,同改正前の法律の題名は「会社の分割に伴う労働契約の承継等に関する法律」。以下「承継法」という。)7条に定める労働者の理解と協力を得るよう努める措置(以下「7条措置」という。)を行うため,各事業場ごとに従業員代表者を選出させ,当該代表者70人を4グループに分けて,同月27日以降,各グループに対して本件会社分割の背景と目的,C社の事業の概要,承継対象となる部署と今後の日程,承継される従業員のC社における処遇,承継される営業に主として従事する労働者か否かの判断基準,労使間で問題が生じた場合の問題解決の方法等について説明し,C社の債務の履行の見込みに係る質問への回答も行った。そして,被上告人は,各種資料をまとめたデータベースをイントラネット上に設置して,従業員代表者がこれを閲覧できるようにした。
 さらに,被上告人は,C社の中核となることが予定されるD事業所の従業員代表者との間で,個別的にも協議を行い,同年11月中旬までに,同代表者から3回にわたり出された要望書に対し,回答書を送付するなどした。当該協議の際,上記事業所の従業員代表者からは,C社設立後の経営見通し,C社への在籍出向によることの可否,承継後の労働条件等についての質問が出され,被上告人は,C社が承継する資産等を含む経営見通しに関係する事情を説明したほか,在籍出向は考えていないこと,労働条件はそのまま維持されることなどを回答した。

(3) 被上告人は,平成14年10月1日,HDD事業部門のライン専門職に対し,商法等の一部を改正する法律(平成12年法律第90号。平成17年法律第87号による改正前のもの。以下「商法等改正法」という。)附則5条1項に定める労働契約の承継に関する労働者との協議(以下「5条協議」という。)のための資料として,C社の就業規則案や上記従業員代表者への説明時に使用した説明資料を送付した。その上で,被上告人は,ライン専門職に対し,同月4日,5条協議として,同月30日までにライン従業員にこれらの資料を示すなどして説明した上で労働契約の承継に関する意向を確認すること,承継に納得しない従業員に対しては最低3回の協議を行うこと,各従業員の状況を被上告人に報告することを指示した。
 ライン専門職は,この指示に従って説明会を開き,多くの従業員は承継に同意した。
 他方,上告人らは,いずれも被上告人のHDD事業に主として従事していた者であるところ,その所属する労働組合の支部(以下「支部」という。)を代理人として5条協議をすることとし,その結果支部と被上告人との間で7回にわたり協議がされるとともに,3回にわたる書面のやり取りがされた。この協議の中で,被上告人は,支部に対し,C社の事業の概要にかかわる事情や上告人らが承継される営業に主として従事しているとの判断結果等について説明した。もっとも,被上告人は,一部の事項につき,支部が求めた形では回答せず,C社の経営見通しについては,これに係る数値等は経営に係る機密事項であるから答えられないが,現状では同業他社と同様にHDD事業部門の売上げは低迷しているものの合弁の強みを生かすことでメリットが得られるなどとし,C社における将来の労働条件については,労働者保護法理の適用がある中でC社が判断することであるなどと回答した。また,被上告人は,上告人らを在籍出向又は被上告人内での配置転換にしてほしいとの支部の求めには,応じられないとした。
 上告人らは,同年11月11日,被上告人から十分な説明がされず,協議も不誠実であるなどとして,被上告人に対し,上告人らに係る労働契約の承継につき異議を申し立てる旨の書面を提出した。

(4) 被上告人は,平成14年11月27日,本件会社分割に係る分割計画書を本店に備え置いた。これに添付された書面には,上告人らの雇用契約も承継される旨記載されており,また,債務の履行の見込みがあることに関しては,C社が承継する資産と負債の簿価が,それぞれ114億8500万円と3億9000万円である旨の記載がされていた。そして,同年12月25日に会社分割の登記がされ,C社が資本金50億円で設立された。

【判旨】

1(1) 新設分割の方法による会社の分割は,会社がその営業の全部又は一部を設立する会社に承継させるものである(商法373条。以下,会社の分割を行う会社を「分割会社」,新設分割によって設立される会社を「設立会社」という。)。
 これは,営業を単位として行われる設立会社への権利義務の包括承継であるが,個々の労働者の労働契約の承継については,分割会社が作成する分割計画書への記載の有無によって基本的に定められる(商法374条)。そして,承継対象となる営業に主として従事する労働者が上記記載をされたときには当然に労働契約承継の効力が生じ(承継法3条),当該労働者が上記記載をされないときには異議を申し出ることによって労働契約承継の効力が生じる(承継法4条)。また,上記営業に主として従事する労働者以外の労働者が上記記載をされたときには,異議を申し出ることによって労働契約の承継から免れるものとされている(承継法5条)。

(2) 法は,労働契約の承継につき以上のように定める一方で,5条協議として,会社の分割に伴う労働契約の承継に関し,分割計画書等を本店に備え置くべき日までに労働者と協議をすることを分割会社に求めている(商法等改正法附則5条1項)。これは,上記労働契約の承継のいかんが労働者の地位に重大な変更をもたらし得るものであることから,分割会社が分割計画書を作成して個々の労働者の労働契約の承継について決定するに先立ち,承継される営業に従事する個々の労働者との間で協議を行わせ,当該労働者の希望等をも踏まえつつ分割会社に承継の判断をさせることによって,労働者の保護を図ろうとする趣旨に出たものと解される。
 ところで,承継法3条所定の場合には労働者はその労働契約の承継に係る分割会社の決定に対して異議を申し出ることができない立場にあるが,上記のような5条協議の趣旨からすると,承継法3条は適正に5条協議が行われ当該労働者の保護が図られていることを当然の前提としているものと解される。この点に照らすと,上記立場にある特定の労働者との関係において5条協議が全く行われなかったときには,当該労働者は承継法3条の定める労働契約承継の効力を争うことができるものと解するのが相当である。
 また,5条協議が行われた場合であっても,その際の分割会社からの説明や協議の内容が著しく不十分であるため,法が5条協議を求めた趣旨に反することが明らかな場合には,分割会社に5条協議義務の違反があったと評価してよく,当該労働者は承継法3条の定める労働契約承継の効力を争うことができるというべきである。

(3) 他方,分割会社は,7条措置として,会社の分割に当たり,その雇用する労働者の理解と協力を得るよう努めるものとされているが(承継法7条),これは分割会社に対して努力義務を課したものと解され,これに違反したこと自体は労働契約承継の効力を左右する事由になるものではない。7条措置において十分な情報提供等がされなかったがために5条協議がその実質を欠くことになったといった特段の事情がある場合に,5条協議義務違反の有無を判断する一事情として7条措置のいかんが問題になるにとどまるものというべきである。

(4) なお,7条措置や5条協議において分割会社が説明等をすべき内容等については,「分割会社及び承継会社等が講ずべき当該分割会社が締結している労働契約及び労働協約の承継に関する措置の適切な実施を図るための指針」(平成12年労働省告示第127号。平成18年厚生労働省告示第343号による改正前のもの。なお,同改正前の表題は「分割会社及び設立会社等が講ずべき当該分割会社が締結している労働契約及び労働協約の承継に関する措置の適切な実施を図るための指針」。以下「指針」という。)が定めている。指針は,7条措置において労働者の理解と協力を得るべき事項として,会社の分割の背景及び理由並びに労働者が承継される営業に主として従事するか否かの判断基準等を挙げ,また5条協議においては,承継される営業に従事する労働者に対して,当該分割後に当該労働者が勤務する会社の概要や当該労働者が上記営業に主として従事する労働者に該当するか否かを説明し,その希望を聴取した上で,当該労働者に係る労働契約の承継の有無や就業形態等につき協議をすべきものと定めているが,その定めるところは,以上説示したところに照らして基本的に合理性を有するものであり,個別の事案において行われた7条措置や5条協議が法の求める趣旨を満たすか否かを判断するに当たっては,それが指針に沿って行われたものであるか否かも十分に考慮されるべきである。

2(1) これを本件についてみると,前記事実関係によれば,被上告人は,7条措置として,本件会社分割の目的と背景及び承継される労働契約の判断基準等について従業員代表者に説明等を行い,情報共有のためのデータベース等をイントラネット上に設置したほか,C社の中核となることが予定されるD事業所の従業員代表者と別途協議を行い,その要望書に対して書面での回答もしたというのである。これは,7条措置の対象事項を前記のとおり挙げた指針の趣旨にもかなうものというべきであり,被上告人が行った7条措置が不十分であったとはいえない。

(2) 次に5条協議についてみると,前記事実関係によれば,被上告人は,従業員代表者への上記説明に用いた資料等を使って,ライン専門職に各ライン従業員への説明や承継に納得しない従業員に対しての最低3回の協議を行わせ,多くの従業員が承継に同意する意向を示したのであり,また,被上告人は,上告人らに対する関係では,これを代理する支部との間で7回にわたり協議を持つとともに書面のやり取りも行うなどし,C社の概要や上告人らの労働契約が承継されるとの判別結果を伝え,在籍出向等の要求には応じられないと回答したというのである。
 そこでは,分割後に勤務するC社の概要や上告人らが承継対象営業に主として従事する者に該当することが説明されているが,これは5条協議における説明事項を前記のとおり定めた指針の趣旨にかなうものというべきであり,他に被上告人の説明が不十分であったがために上告人らが適切に意向等を述べることができなかったような事情もうかがわれない。なお,被上告人は,C社の経営見通しなどにつき上告人らが求めた形での回答には応じず,上告人らを在籍出向等にしてほしいという要求にも応じていないが,被上告人が上記回答に応じなかったのはC社の将来の経営判断に係る事情等であるからであり,また,在籍出向等の要求に応じなかったことについては,本件会社分割の目的が合弁事業実施の一環として新設分割を行うことにあり,分割計画がこれを前提に従業員の労働契約をC社に承継させるというものであったことや,前記の本件会社分割に係るその他の諸事情にも照らすと,相応の理由があったというべきである。そうすると,本件における5条協議に際しての被上告人からの説明や協議の内容が著しく不十分であるため,法が5条協議を求めた趣旨に反することが明らかであるとはいえない。
 以上によれば,被上告人の5条協議が不十分であるとはいえず,上告人らのC社への労働契約承継の効力が生じないということはできない。また,5条協議等の不十分を理由とする不法行為が成立するともいえない。

3.以上と同旨の原審の判断は是認することができ,論旨は採用できない。

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