政府公表資料等情報

第19回司法修習委員会(平成23年3月7日)より抜粋(下線は当サイトによる)

1.選択型実務修習の運用改善方策について

笠井之彦(司法研修所事務局長)幹事 第17回委員会以降,司法研修所で取り組んだ運用改善方策について御説明する。
 まず,選択型実務修習に関する当委員会の議論を踏まえ,委員長談話が取りまとめられたところであるが,司法研修所では,司法修習の指導担当者への周知を図るなどして,今後の指導に生かすとともに,選択型実務修習を企画・実施する際の参考としていただくことを期待し,昨年10月1日に事務局長書簡を発出し,同談話を各配属庁会に送付した。
 その上で,同談話を踏まえた運用改善方策の検討に取り組んだところである。すなわち,同談話において,選択型実務修習に意欲的でない修習生が見られるとの指摘に関して「司法研修所においても,選択型実務修習が司法修習生の自主性・主体性を重視するものであることを踏まえ,司法修習生に選択型実務修習全体を通じた獲得目標等を設定させ,自己評価を行わせるなどして,特にホームグラウンド修習における司法修習生の自発的な取組を促す具体的な方策等を検討することが望まれる。」とされていること,また,選択型実務修習の実情の把握と問題点の改善や充実のための取組の継続に関して,「司法研修所においても,各実務修習地の司法修習生指導連絡委員会からその実施状況等の報告を求めるなどして,今後とも選択型実務修習の実情の把握に努めるとともに,参考となる工夫例をとりまとめるなどして,各配属庁会等に対し,必要な情報発信等を行い,その充実・発展に努めることが期待される。」とされていることを踏まえ,特にホームグラウンド修習を念頭に置いた司法修習生の自発的な取組を促す具体的な方策及び各実務修習地の修習生指導連絡委員会からの実施状況の報告の在り方を検討し,それぞれについて,その結果をとりまとめた所長書簡を発出した。
 まず,修習生の自発的な取組を促す方策についてであるが,選択型実務修習の履修に当たっては,司法修習生は,全国プログラム,個別修習プログラムに応募し,又は修習先を開拓するなどして,履修する修習プログラムを決定し,修習計画書を作成して各配属庁会の指導連絡委員会に提出する。また,司法修習生は,選択型実務修習の終了時点において,司法修習の成果等を記載したレポートをホームグラウンドの修習指導担当弁護士を通じて弁護士会に提出することとされており,このレポートと各プログラムにつき修習先から提出される修習実績のコメントとを併せて,弁護士会長による修習の成果の評価が行われることになっている。
 この運用改善方策は,以上の枠組を前提として,司法修習生が修習計画書を作成するに当たり,ホームグラウンド修習を含めて各修習プログラムの取組目標を記載させ,特にホームグラウンドの指導担当弁護士と認識を共通にした上,選択型実務修習結果レポートの作成に当たり,司法修習生がその達成状況も踏まえて自己評価を行うという運用を具体的なイメージとして整理したものである。また,このような運用を実践させる方策として,各配属庁会に送付している参考書式を改め,修習計画書の参考書式に取組目標等を記載する欄を設けるとともに,具体的な記載例を示し,同じく司法修習生が作成する修習の成果等を記載したレポートの参考書式にも取組状況の到達目標の達成状況を記載する欄を設けるなどしている。
 次に,選択型実務修習の実施状況の報告についてであるが,司法研修所は,現在,各配属庁会の指導連絡委員会から,各配属庁会が提供した個別修習プログラムの一覧の情報提供を受けており,その内容を分析した上,個別修習プログラムの提供状況等につき,司法修習生指導担当者協議会又は当委員会において情報提供に努めている。今回,この情報提供に加え,個別修習プログラムの実施内容,応募人数及び参加人数,実施に当たって工夫した点,修習生の取組姿勢,次年度以降の課題等について報告を求めることとした。
 この実施状況の報告についても,司法研修所で適宜集約した上,指担協等で情報提供を行い,各配属庁会等の選択型実務修習の充実・発展に役立てていただくことを考えている。
 以上の2点の運用改善方策については,昨年11月に開始した新第64期から行うことを予定している。司法研修所としては,これらの運用改善方策の実施状況やその実際の成果等の把握に努め,引き続き当委員会に報告するとともに,更なる改善方策の検討を含め,フォローアップ等に努めて参りたいと考えている。

木村光江(首都大学東京・法科大学院教授)幹事長 ただ今,笠井幹事から御説明のあった改善方策については,幹事会では,司法修習生の自発的な取組を促す方策につき,修習生の自発性をできるだけ尊重しながら,その中でもできるだけ選択型実務修習の趣旨を全うしていくという観点からすれば,出発点としては妥当な方策といえるなどの意見が述べられ,特に異論はなかった。
 結論として,この改善方策につき,大きな成果を上げることを期待するとともに,実務の指導担当者等の協力をお願いし,実施後の状況等については,引き続き,当委員会への報告をお願いすべきであるということになった。

大橋正春(弁護士(第一東京弁護士会))委員 ホームグラウンド修習は,指導担当弁護士にとって当初から予定をきちんと立てるのが難しい部分がある。指導担当弁護士は,従来のホームグラウンド修習とはかなり違ったことをするという意識を強く持つと思うが,担当弁護士に対して,司法研修所として,具体的な説明や協力要請をすることを考えているのか。

笠井幹事 現時点で,具体的にどういった形で説明等をするかというところまで考えているわけではないが,修習生と指導担当弁護士との間で,方式は自由でいいので,何らかの形で,できるだけ意思疎通を図っていただきたいと考えている。すべてについてきちんとした予定を組むというのは,時期的な問題もあり,難しい部分もあることは承知しているので,できる範囲で柔軟にお願いしたい。ただ,このような運用をイメージとして出させていただいている趣旨を十分御理解いただいた上で,できるだけの対応をしていただければ有り難いと考えている。

高橋宏志(中央大学法科大学院教授)委員長 それでは,笠井幹事から御説明のあった選択型修習の運用改善の方策については,木村幹事長から御報告があったとおり,実務の指導担当者等の協力をお願いし,大きな成果を上げることを期待するとともに,実施後の状況等については,引き続き,当委員会への報告をお願いしたいと思うが,よろしいか。

出席委員全員 了承

2.弁護実務修習に対する取組等について

高橋委員長 弁護実務修習については,第17回委員会において,大橋委員から,新司法修習において多くの指導担当弁護士が指導に当たって戸惑いを覚えているとの御報告があり,司法研修所と修習指導担当者等をつなぐ意思疎通の在り方について,さらに検討が必要であるとされたところである。
 先日の幹事会において,このような当委員会の議論を踏まえ,弁護実務修習について司法研修所と日弁連等との間の意見交換の状況等が報告された上,意見交換がなされたと聞いている。そこで,木村幹事長から幹事会の議論の御報告をお願いしたい。

木村幹事長 第17回委員会においては,司法研修所における導入研修の実施等を内容とする意見書が日弁連で検討されていたことに対し,大橋委員から,その背景として,指導担当弁護士において,入口の問題として,司法修習生が実務修習にスムーズに移れていないことに対する戸惑いがあることが指摘されるとともに,出口の問題として,司法修習の到達目標について,必ずしも共通認識がないことが指摘された。そして,これに対しては,法科大学院教育が,かつての前期修習と等置されるものではないこと,新しい司法修習の目標は,法廷実務に限られない幅広い法曹の活動分野に共通して必要とされる法的問題の解決のための基本的なスキルとマインドの涵養であることが,当委員会での共通の理解として改めて確認され,司法研修所と修習指導担当者との意思疎通の在り方についても,検討をする必要があるとされたところである。
 幹事会では,このような当委員会の議論を踏まえ,笠井幹事から,第17回委員会以降になされた弁護実務修習に関する取組として,司法研修所において,昨年の9月25日に実施された日弁連の地域別弁護修習連絡協議会(地弁協),10月25日に実施された日弁連修習委員会委員の司法研修所の講義の参観,12月22日に実施された司法研修所弁護教官と司法修習生指導担当者との弁護実務修習指導に関する連絡協議会(弁修協)などの機会を利用し,また,本年1月に全国の実務庁会で実施された当事者講義の際にも,その参観に加えて,弁護教官と意見交換を行う機会を設けるなどして,実務修習の指導担当者等との間で積極的に意見交換を行ってきたとの報告があった。さらに,日弁連との間で,昨年12月以降,弁護実務修習の在り方,導入的教育の在り方等について継続的に協議する場を設けて,検討を開始しているとのことであった。
 そして,これらの機会においては,抽象的・理念的な議論ではなく,(1)新司法修習の到達目標をどのように考えるべきか,(2)これを受けた分野別実務修習で行われるべき指導はどのようなものか,集合修習との関係はどのように考えるべきか,(3)これらに加え,法科大学院教育で行われるべき指導内容を踏まえた上で分野別実務修習への導入的教育の在り方をどのように考えるべきかなどの論点を取り上げ,実質的な認識の相違の有無等を確認するように努めているとのことであり,このような議論の方向性については,当委員会における議論の経緯及び内容にも沿った妥当なものと考えられるところである。
 また,幹事会においては,巻之内幹事及び小林幹事からも御発言があり,現時点においてはまだ議論がまとまっておらず,その詳細を明らかにすることはできないものの,日弁連においても,弁護実務修習の在り方を巡って,実質的な観点からのさまざまな検討を行っているとのことであった。
 次に,笠井幹事から,ただ今お話しした各論点につき,日弁連等の意見交換等において説明をされている内容についても紹介がなされた。
 すなわち,まず,(1)新司法修習の到達目標については,修習生の指導を担当している弁護士の方々の中には,スタートラインに立つ段階での法曹の質を下げるものではないかとの理解や,法廷実務家にプラスアルファする能力の修得が求められており,現在の司法修習では到底実現不可能なものではないかとの理解もあるようである。
 しかし,この点については,新司法修習の到達目標として求められているのは,これまでの法曹の活動の実質を改めて確認し,その核心部分が何であるかを探求した上で必要な基礎力の涵養を図ることであり,当然ながらスタートラインに立つ段階での法曹としての質を下げるものではないと考えられるところである。また,ここでいう基礎力を,裁判所提出書面の形式等にこだわらない実質的な意味での法的分析能力,事実認定能力等と捉えるのであれば,法廷実務家として必要とされる基本的素養と法廷に限られない幅広い分野で活動する法律実務家に必要とされる基本的な素養に本質的な違いはないのではないかと考えられ,笠井幹事からは,このような説明を行っている旨の報告があったところである。
 次に分野別実務修習については,法律文書等の起案の位置づけ等や具体的な指導内容等が問題となり,例えば,新司法修習では,これまでと全く違った指導を行わなければならないのではないかとの理解もあるようである。
 しかし,法的紛争解決の最終手段である訴訟事件には,法廷実務家に限られない幅広い法曹の活動に必要な法的分析能力や事実認定能力を身につけるのに必要な要素が多く含まれており,新司法修習においても,訴訟事件を素材として指導を行うこと自体は有効な方策であって,集合修習においても,かかる観点から訴訟事件が素材とされているところである。
 笠井幹事からは,以上を前提として,具体的な指導方法について,要は,法廷実務家に固有の書面の形式等に関する知識の修得よりも実質的な法的分析能力や事実認定能力の涵養に向けた指導を行うことが重要であることを繰り返し説明しているとの報告がなされた。裁判修習では,このような観点からサマリー起案等による指導を行うなどの工夫をしているところであり,弁護実務修習において,訴状,準備書面,弁論要旨等の法律文書を作成させることについても,必須のものではないと考えられるものの,実質的な能力の涵養という点を意識して行われるのであれば,これらの文書を作成することも有効な指導方法となり得るものと説明をしているとのことであった。
 なお,分野別実務修習については,司法研修所の弁護教官室でとりまとめた「新司法修習における弁護実務修習に対して望むこと」というペーパーが作成されている。このペーパーは,あくまでも弁護実務修習において履修がなされると有益であると考えられる事項をまとめたものとのことであるが,笠井幹事からは,このペーパーについて,例えば,修習期間が短縮されたため,訴状・答弁書の起案を含めて,かつての前期修習の内容をそのまま弁護実務修習が担当すべきであると受け取られるような側面もあったのではないかと考えており,意図が充分に伝わっていない点については,円滑な情報発信の在り方をさらに検討していきたいとの説明がなされた。
 最後に導入的な教育の在り方についてであるが,少なくとも現状においては,法科大学院とは異なる臨床教育課程である司法修習において具体的な事案の当てはめや事実認定等について,当初の段階で修習生にとまどいがあることは教官からも指摘がされており,裁判所や検察庁も含めて,何らかの導入的教育を行う必要性は否定されないと考えられるところである。実際,民事裁判,刑事裁判及び検察修習においても,それぞれの実務修習の目的,心構え等を理解するためのガイダンスを行ったり,それぞれの実務修習に円滑に入っていくための準備の観点から,事前課題,導入起案,講義や模擬的な演習,手続・事実認定に関するDVD教材の視聴など,さまざまな形で導入的な教育を行っているということであった。
 問題はその具体的な内容や実施方法であり,共通的到達目標の内容等を前提として法科大学院に期待されている教育内容や新司法修習の理念を踏まえ,さらに議論を重ねる必要があると考えられるところであるが,笠井幹事からは,例えば,弁護実務修習の導入としても,司法修習の到達目標とそのために分野別実務修習で何を学ぶかを明確にするガイダンスや法科大学院で履修した内容を確認するとともに,比較的簡単な事例を用いて実際の法的分析・事実認定等に触れる機会を与えることが考えられるとした上,このような導入的教育については,司法研修所や裁判所・検察庁の協力の在り方等を含めて引き続き議論を行っていきたいとの発言があった。
 以上の笠井幹事の御説明については,幹事会では特段異論は見られなかったが,今後,弁護実務修習の在り方を考えるに当たっても重要な論点が含まれているものと考えられるので,当委員会においても,意見交換を行っていただくことが望ましいのではないかと考えている。

高橋委員長 ただ今の御報告を踏まえて意見交換をお願いしたい。
 第17回委員会以降,司法研修所と実務の指導担当者や日弁連と意見交換等を重ねているということだが,このような取組を通じて,司法修習を実施する実際の場面に即して,弁護修習の在り方やその課題についての認識を共有し,地に足のついた改善の取組を行っていくことは重要なことである。

大橋委員 修習生に対する冒頭の導入的な修習,研修については,規模の問題などがあり,すべての弁護士会では実施できていないものの,弁護士会でも,そのような修習あるいは研修を行っているし,日弁連でも,昨年度から,修習生を対象としたものではないが,いわゆる事前研修といって,法科大学院の終了者,合格者を対象とした研修を実施しており,何らかの導入的な修習,研修の必要性については,弁護士会,指導担当弁護士のすべてが同じ認識を持っているところである。
 そのほかに,司法研修所の民事弁護・刑事弁護教官室が,導入的な研修として,修習の当初の段階で,現地に行って修習生に講義をしている
 ただし,問題なのは,その修習,研修同士の相互の関係がどのようなものか必ずしも整理されていないために,内容において重複があったり,あるいは欠けているところがあったり,あるいは修習生において目的を明確に理解していないために逆に混乱させてしまっているというようなところがあるので,この部分をまず整理していこうと,今議論しているところである。
 この問題は,結局,法科大学院における教育と司法修習における教育の分担ということに関わってくるので,これから,司法研修所と弁護士会の協議が重要であると同時に,弁護士会あるいは司法研修所と法科大学院との協議が必要であると認識している。この点については,共通的到達目標を作成する際に,当委員会から民事訴訟実務・刑事訴訟実務について,それぞれ法科大学院に対して希望する内容を出しているので,そういった意味で,今回の議論のもとになるものはできていると思う。
 現在は,まだ,日弁連の中で議論を取りまとめている段階であるが,議論がまとまった段階で,法科大学院に対しても何らかの議論をしていただくということになるのではないか。
 言い方によっては非常に誤解を招くので気をつけなければならないが,法科大学院修了生について言われる一つの問題として,文章による表現能力が非常に欠けているということがある。指導担当者の中には,この点が修習を円滑に行うことの妨げになっていると考えているものも多くいる。だからといって,法科大学院で起案をさせろということにすぐ結びつくものではないが,文章による表現能力というものが,どの程度法律家に必要なのか,それはどこの段階でどのように教育していくのかということを,法科大学院と修習の両側で少し考えなければならないのではないか。

高橋委員長 昨今の法科大学院修了生については,弁は立つが筆は立たないと聞かされることもあるが,この点について,御意見はあるか。

大橋委員 先日,日弁連主催で,法科大学院の実務家教員の交流集会があり,そこで,法科大学院において,もっと起案をさせてほしいという意見が弁護士会の修習指導担当者から出されたところ,当日参加されていた法科大学院の実務系科目を担当している教員方,この教員方は基本的に弁護士なのだが,その教員方から,法科大学院はそのような起案をさせるところではないし,そこまでやれる余裕がないという,もの凄い反発,かなり強い批判が出た。

酒巻匡(京都大学大学院法学研究科教授)委員 同じ「起案」と表現なさっても,発言する方の頭の中にある「起案」というのがそれぞれ違っている気がするが,今おっしゃっていたのはどのような「起案」なのか。

大橋委員 酒巻委員のおっしゃるとおり,弁護士会で議論していても,「起案」と言った場合に,考えていることは人によって大きく違っていると思う。一番極端な人では,訴状を形式に則って書くものであり,その形式も含めて非常に重要であるという方もいる。従来の前期修習では,それができるようにしていたので,形式も含めて,訴状を書くことができないということが問題なんだという議論をされる方もいる。ただし,このような意見は主流ではなく,主な意見は,形式については書式集を見ればできるので,その形式の中に何を盛り込んでいくかということが大事であるとする。しかし,それをするために,サマリー起案とか,訴状の主要な部分について別途書面を書かせるということについては,そんなことより訴状を書けと言った方が何をどう書くかということが少なくとも実務家の中では共通理解があるので,指示する側も指示される側も分かりやすいとするものである。決して,形式を重んじているわけではなく,形式は書式集があればよく,内容が重要であるということは,そのとおりだと思うが,内容を形式の中にある程度落とすというところも重要ではないかということが,多分,研究者が理解されているところと少し違うのかと思う。「起案」という表現について何か共通的な理解というのがあるわけではないが,私としてはこのように感じている。
 法科大学院で教えておられる先生方にお聞きするが,今の法科大学院修了者が,先ほど高橋委員長がおっしゃったように口は立つけど筆は立たないということが本当にあるのか。もちろん人によってかなり違うと思うが,そういう全般的な印象があるのか。

酒巻委員 先ほど,起案について大橋委員がおっしゃった核心部分は,私もそのとおりだと思う。法科大学院を修了するには,それぞれ試験の答案を書いて,それなりの成績を修めなければ修了できないし,その修了者が将来法律家になれるかどうかの能力は,新司法試験の答案によってのみ判断されるので,そのレベルにおいて,新司法試験に合格している人たちの答案は,基本的には法律学の基本的な事柄を修得した上で,それを具体的事案に当てはめ,それを論理的な文章で,ほかの考え方も踏まえながら記述するということがきちんとできている。私の教えている学生たちについて言えば,ごく少数の例外を除いてそういう文章は書けていると思っている。ただ,正しい日本語が書けるかどうかというレベルになると,法科大学院教育というよりは,むしろその方のこれまでの日本語についての能力の習得に関わるところが大きいのではないか。
 それからもう1点,先ほど弁護修習の導入部分の研修,修習と,法科大学院の教育について協議をしていく必要性があるということをおっしゃったが,これまで随分いろいろな形で,新しい司法修習の在り方,法科大学院教育の実務と架橋の在り方についても検討をしてきて,それなりの具体的なものは出来上がっていると思っている。その上で一体何を協議するのかというところを教えていただきたい。

笠井幹事 現在,日弁連と司法研修所等との間でいろいろな議論をさせていただいているところであるが,起案の話について言えば,法科大学院において起案をしてほしいということの実質的な意味が何なのかは,いろいろな議論をしているが,必ずしもよく分からない部分がないわけではない。ただ,いずれにせよ,法科大学院で法理論,実務の基礎を学び,それを何らかの形で表現をしていくにあたり,その表現の手段としては,口頭で表現することもあれば,書面で表現をするということもあり,また,書面で表現をするときのやり方もいろいろなやり方があっていいと思う。決して訴状とか答弁書,あるいは弁論要旨のような,いわゆる法律文書である必要はないと思うが,法理論を実際の実務との関連で考えていくときに,訴状を作成するというのも一つのツールとしてあり得るのであり,法理論と実務が実感としてつながっていることが分かるという意味で,訴状等をツールとして書かせるということにも意味があるのではないかという議論が出ていた。起案が必要だという場合に,それがなぜ必要で,どういう起案を想定しているのかというところはきちんと整理をしていく必要があると思う。
 それから,先ほど,大橋委員から,導入的な教育の話が出されたが,弁護修習における導入的な教育を効果的に行うには,日弁連が行う事前研修と,各配属単位会で行う冒頭修習と言われるものと,司法研修所の教官が現地に出張して行う出張講義,これらの相互の有機的連携というのも当然必要になってくるだろう。その中で,心構え等を教えるガイダンス的なもの,それから実質的な法科大学院教育から実際の実務にスムーズに移行するための導入的なもの,それを相互に,どういう段階でどのように行うのかというところをもう少し整理していきたいと思っているところであるし,これについては,研修所としてもできるだけの協力をさせていただきたいと思っているところである。

高橋委員長 最近,新堂幸司先生の書かれた本を教科書に使ったところ,分かりにくいという学生がいて,驚いた。三十数年前にその本が出版されたときは,こんなにわかりやすい民事訴訟法の教科書が出たと言われたものだが,今は,それが分かりにくいと言われるようになってしまった。「けだし」とか,「思うに」とか,そういう言葉は使えるのだが,日本語能力,文章能力,そのものは今の若い世代が落ちていることは事実だろうと思う。
 御指摘の点については,ある程度年配の弁護士から見ると,今の修習生が書く書面は我慢できないということはあろうかと思う。
 もう一つ,訴状の書式がおかしいということだったが,学生にレポートを書かせると,今の学生は器用なので,それなりに書いてきて,むしろ感心している。モデル書式などもすぐ見付けてくる。しかしその先が問題で,そういうモデル的なもの,あるいは骨と皮だけのものはうまく書くが,それにつけ加えるという力が乏しいようにも思われる。例えば,売買契約の訴状を書かせると売買契約の書式を見付けてきて,ぱっと書いてくるが,具体的事案との関係でどうかというようなところ,そして,訴状であれば,相手方や裁判所を説得させるもので,何かきらりと光らせなければならないという抽象論は分かるのだろうが,その辺のところは相当劣っているかもしれない。それは,結局,まだ法理論が使いこなせてないということに帰着するのだと思う。私の周りには,起案はそれなりに丁寧に書く学生はたくさんいるが,迫力のある,胸に響く起案を書く学生は確かに少なく,指導担当弁護士としては,そういうところがいらいらするのであろう。結局,笠井幹事もおっしゃったように,法曹養成全体の質がどうこうということではなく,そういう状況のもとで何か変わったのかということを,どこまで弁護士の方に分かってもらえるのかという問題ではないか。弁護士はまだ昔のことを頭に置いている方がやや多く,戸惑いを感じていらっしゃるのだろうと思うが,現在は過渡期で,今の修習生が指導者になる10年後にはあまり問題にならなくなってくるのではないか

高瀬浩造(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科研究開発学教授)委員 私は,専門領域が違うので,見方が違うかもしれないが,表現はどういう形で行われるのか。委員の方々の御発言では,口頭でもどういう分析をしてどういう認定をしているのかというのが説明できればいいということだったかと思う。しかし,問題は,現場は口頭ではなく,かなりきちんとした形の文章にしてくれないと,ちゃんと分析できて理解できているのか分からないということかと思っている。そういう認識の差は,ジェネレーションの問題だとか,教育する側と実際に現場で指導する側にあるのは当然だと思うが,口頭でも表現できる,だけど現場は文書でないとそれが判断できないというのだとすれば,その辺りのインターフェースは必要になるのではないか。恐らく法科大学院で教育する側としては,口頭できちんと説明できればそれでいいということだと思うが,それでは現場が困るということであれば,口頭で説明できるものをきちんとした文書にする教育をどこかに挟むことが必要になると思う。
 もう一つ気になったのが,文書できちんと書けないとその方の能力が発展しないということが共通認識であれば,やはり文書にするということをどこかでかなり強力に盛り込まなければならないし,そうではなく,別に文書にするということとその人が能力的に発展することとは直接関係がないということであれば,高橋委員長がおっしゃったように,時代がどんどん変わっているので,きちんと説明できればいいという話で終わるのかもしれない。法科大学院の学生と,医学部の学生を比べると,法科大学院の学生が書いた文章の方が,格段に読みやすいので,法科大学院の学生の方がはるかに文書作成能力があると思う。皆さんおっしゃったように文書を作成することが本質でないことは多分間違いないのだが,文書でないと評価しにくいということが本当にあるのであれば,その部分は少し考えなければならないし,そうでないのであれば,あまり文書にこだわる必要はないのではないか。

山本和彦(一橋大学大学院法学研究科教授)幹事 情報提供だが,ある法科大学院認証評価機関の評価基準に,実務科目の授業内容に,法文書作成という項目があり,その法文書作成の授業内容は,法的文書の作成の基本的技能を添削指導等により習得させるということになっている。法的文書の中身としては起訴状,訴状,準備書面等以外のものとして,契約書,遺言書,法律意見書,調査報告書というようなものも含まれているが,いずれにせよ,このような法的文書を作成するという教育内容が,少なくともこの認証評価機関の評価を受けている法科大学院においては必ず行われているはずである。私の理解では,恐らくほかの認証評価機関においても同じような基準なので,先ほど大橋委員がおっしゃったが,法科大学院において法文書の作成,添削,指導等による教育をやるべきではないというのは,今の基準からいえば,必ずしもそうとは言えないのではないか。

鎌田薫(早稲田大学総長)委員 先ほどの大橋委員のお話の中で一番興味深かったのは,実務修習を担当する弁護士はもっと起案をさせろと言い,法科大学院の実務家教員はそれは自分たちの役割でないと言っているという点である。その両者の考えている起案が同じ内容のものなのかどうか,同じ内容のものだとしたらそれはどういうものなのかというところがこの話の一番のポイントで,そこにやはり少しずれがあるではないかという感じがする。そのずれについては,正に笠井幹事がおっしゃった司法研修所と日弁連との間で,もう少しいろいろな形での話をしていかなければならないということでもあろうし,共通的到達目標の中で,民事系,刑事系それぞれの実務科目について,どこまでを法科大学院がやるべきなのかということをかなり明確に提示しているので,その部分について共通の理解を法科大学院側と司法研修所,そして実務修習担当弁護士の間で形成していくということが重要なのであって,目標自体や,制度的なずれがあるのではなく,そこの認識が共通化されていないという問題ではないかというのが私の印象である。

大橋委員 二回試験についてだが,我々が受けたものは起案の部分が非常に多く,例えば刑事弁護であれば弁論要旨を書きなさいとか,民事弁護であれば,裁判所に出すような最終準備書面を作成しなさいという問題が多かったと思うが,現在はそうではなく,特定の部分に関して問題を出しておられるということである。これは今言われた起案能力とか,そういう問題に関してどういうお考えのもとに問題の傾向を変えているのか,差し支えない範囲でお話しいただきたい。

笠井幹事 二回試験の問題,これは,例えば集合修習における指導などとも関連してくるだろうと思うが,結局,法律実務家としての基本的な素養,これを実質的な観点から捉えていこうというのが新しい司法修習の理念であろう。要するに,幅広い分野で活動する法曹を養成するのが前提であるし,そのために必要な実質的な部分での法的な分析能力,事実の調査・認定能力,そのようなものを養成しようというものである。その観点から分野別実務修習を行っていただき,それを受けて集合修習を実施し,最後の二回試験でそれを試すというコンセプトである。そういう観点から,今までのように弁論要旨や最終準備書面を書かせればいいのかということで,集合修習の指導の在り方について弁護教官室でいろいろ検討し,その結果が集合修習の指導の在り方に反映し,最終的には二回試験の問題にも反映していると思う。そういう実質的な部分を反映したものということになるかと思うし,当然,表現能力も,法律家としての素養として必要になってくると思う。
 先ほど高瀬委員からもお話があったが,法律家の表現能力としては,やはり口頭の表現能力と書面による表現能力の両方が必要だろうと思う。口頭で表現できればすべてが解決するということにはならないし,特に,契約書などを考えていただければよくわかると思うが,書面になっていてこそ意味があるということがある。どういう風に法的な分析をしたかという結果を書面に記載することができるかというところにも非常に大きな意味があるので,その表現能力というのも当然見ていく,あるいは養っていくということが必要になってくる。そういう表現能力も含めてさまざまな観点から書面を書かせるというのがこの集合修習の内容であり,その前提としての分野別修習の内容であり,それが最終的に二回試験で試されるということになるのだろうと思う。

石井誠一郎幹事 多角的な観点からその人の法的能力というものをきちんと評価するのが正当なのではないかという共通の認識がある。決して,文書作成能力は必要ないと言っているわけではない。例えば保全の対象を選ぶときにどういう観点から選ぶのかというと,裁判所からは,まず登記簿謄本を出しなさいと言われる。なぜそう言われるのかと言うと,保全の対象の選定においては,固定的なものがあるかないかがまず重要であり,次に流動的なものを考えることになるが,これは,例えば会社の経営者にとれば,預金やその他の債権を差し押えられるということはかなりのダメージを受けることになるからである。なぜ,裁判所からそういう問い掛けがあるのかというところまでを試すには,単に準備書面や訴状を書かせるだけでは分からないので,多様な観点から判断をしたいということで,二回試験では,いろいろな問題が多角的に出されている
 文書作成能力という点を言うと,少なくとも我々が教官として起案を見ている感じでは,我々が修習生だった時代とさほど変わっていない新制度の修習生は,口頭能力は長けているが,文書作成能力がないというように一元的に言われている部分があるが,私が教官として現実に修習生を3年間見た結果,それは必ずしもそうではないと考えている。

今田幸子(独立行政法人労働政策研究・研修機構特任研究員)委員 私は分野が違う人間だが,議論を聞いていて,皆さんが議論されている文章能力の中身について二つ疑問がある。一つは,法律家,弁護士の方に求められている文書というのはどういうものなのか。事実関係を説明したり記述したりするためには,理系の人が書くようなクールな文章を書くような能力も必要だろうし,裁判官や一般の人に訴えるためには最終弁論のときに陳述する血沸き肉躍るような文章を書くということも必要なのかもしれない。文章能力は目的によっていろいろあると思うので,そういう意味で,起案とおっしゃっているものはどの段階のものなのか。
 もう一つは,時代が情報化してきており,冗長であったり,こ難しい文章はだんだん意味がなくなってきて,非常に簡潔で,端的な文章を書く方向になっている。こうした時代的な大きなうねりの中で,文章が非常に簡略化してきているというのもあると思われる。

鈴木健太(東京高等裁判所判事)委員 文書作成能力と言っても,形式の面と中身の面があると思う。形式の面では,むしろ最近の人はどこかから書式を持って来てさっさと仕上げるのがうまいので,それほど心配することはない。実務修習を終えて弁護士になったときに,すぐに訴状くらい書ける能力が欲しいということは分かるが,そういう能力はすぐに身に付いていくだろうと思う。では,後者がどうしたら身に付くかだが,私は,昔から,中身が分かったらすっと書けるということを言い続けている。書くことを訓練したから書けるというより,この事件で何がポイントであるか,それを論理的に考えるとこうなるということが分かってさえいれば書けるだろうという気がしている。ただ,そういう考える力を身に付ける上で,例えば,判決であれば,書きながら考え,合議をして議論をする。そうすることによって,いわゆる推敲が重なって,論理的にきっちり書けるというところがある。そういう意味では,分かっていれば書けるということもあるが,分かる能力を身につけるために,文章を書くという面も必要だろう。
 文書作成能力を中身の問題とすると,文書を書きながら身に付けるという面もあるし,逆に,基本的な分析能力,あるいは要件事実的な能力,当該事案を把握する能力というのを身に付けていけば自然に文章の作成能力も身に付いていく気がする。一概に,こうだとはなかなか言いにくいが,単純に文章を書け,書けというよりは,基本的な力をいろいろ形で身に付けるのがまず第一だろう。

大橋委員 本質から文章がどうあるかといわれると非常に難しいが,今田委員がおっしゃったように,弁護士の書く文章というのは,基本的にはだれかを説得する文章なので,そういった意味では単にクールなものだけではいけないというところはあるだろう。ただ,逆に法律家を相手にするときには,多分,法律家に特有な議論の形,方法というのがいくつかあるので,それに則っていない議論に,法律家は非常に違和感を覚えるし,それによって,議論が成り立っていないと思わせてしまう。そういった意味で,それは鈴木委員がおっしゃったように,書き方の問題と議論の組立ての問題の両方問題があると思うし,最終的には,関係者を説得するためにどう感情を動かすかという部分もあるだろう。司法修習では感情のところまでは要求せず,ある程度クールな部分ができればいいのであろうが,クールな部分というのは,法律家として,あるいは法律の持っている議論というものの中でどう組み立てていくかが非常に難しいと思うので,法科大学院を修了し,あるいは修習を修了したらすぐできるという話ではないと思う。法科大学院を修了し,あるいは修習を修了した段階では,ある程度簡単なものについて一応できればいいのではないか

鎌田委員 日本語能力一般については,既にいろいろ議論されているが,要するに,「最近の若者は」という議論とほとんど同じではないだろうか。確かに,全体として,若い人は日本語に接する機会がどんどん減ってきているので,日本語能力について,若干,低下の傾向はあると思うが,これは法科大学院の責任でも何でもないとあえて言わせていただきたい。
 法律家の文章は,単純に言えば,法的に見て必要な事柄が過不足なく論理的に順序立てて書けているということが最低限の要件だと思うが,その内容に不十分な点があると言っているのか,大橋委員がおっしゃたように,弁護士だったら,弁護士の書く形式の中に収めろという部分に問題があるのか。それからもう一つ,あえてあるとすれば,どういう視点からその文章を書こうとしているのかということが問題になろう。法科大学院では,それぞれの問題について法的に何が議論の対象になり,あるいは法的にどういう事実を拾ってこなければいけないかということはある程度訓練されてきていると思うので,その部分に欠落があるというのは文章の能力の問題ではなく,法的な分析能力,その他についてなお不十分な点があるということだろうと思う。そこに問題を抱えている人が多いかどうかということ自体は議論の対象にはなると思うが,合格者数の増加によって,そのような問題が発生しているのかというところも一つ考えなければならないことだと思う。
 形式の点については,細かい形式まで法科大学院では教えていない。非常に細かい形式の部分で,一見してかつての前期修習終了者よりも劣っていると批判されても,現在の司法修習は違う出発点から違う目標に向かっているので,この点については,御理解をいただく必要はあるだろう。
 それから,法科大学院では,文章を書かせていないわけではなく,起案や添削もしていると思う。それから毎学期の成績評価も,基本的には文章を書かせ,法律家として適切な文章になっているかどうかを評価しているし,多分多くの法科大学院では試験をして採点しておしまいではなく,それをそれぞれの学生にフィードバックするということもしている。起案や添削の回数が前期修習と比較して多いかどうかは別にして,起案や添削の中で,内容面での指導をかなり一生懸命にしている。そのため,ほかの分野から法科大学院に来て,最初は文学的な文章や自然科学的な文章を書いていた人でも,ある程度法律家的な文章になって法科大学院を卒業し,司法試験に合格しているのだと思う。
 ただ,これは多分に傾向的なことではあるが,学生の法的な問題に対する評価の視点は,常に裁判官的と言うか,受験生的で,第三者的に,この問題はこういうふうに法的には評価できるだろうという観点から書かれているのに対し,弁護士は当事者の立場に立ってその問題をどう見るかという観点から書かなければならない。そのずれにほとんど気づかないまま,受験生は実務修習に入るので,弁護士の側から見ると,その点が非常に気になるということがあるのかもしれない。もしそこのところに問題があるのであれば,それを実務家としてはこういう形で書かなければならないというのを指導するのが正に実務修習であって,実務修習に入る前に完璧にそれを身に付けていて,最後のちょっとしたスキルだけを実務修習の中で身に付けるというのは,現在の制度とは違う。そこに違和感があるとすれば,それはある意味非常に自然なことで,制度の違いから出てくるものなので,その点でもやはり制度の違いについて,もう少しすり合わせをしながら御理解をいただくプロセスというのは必要なのかもしれない。本質的に法科大学院教育を何か変えなければならないというものではないのではないか。

高橋委員長 木村幹事長からの御報告には三つほど柱があった。
 まず,新司法修習の到達目標の点について,新司法修習は,これまでの法曹の活動の実質を改めて確認し,その核心部分が何であるかを探求した上で,必要な基礎力の涵養を図ろうとするものであり,スタートラインに立つ段階での法曹としての質を下げるものではないこと,また,そのような理解を前提とすると,法廷実務家として必要とされる基本的素養と法廷に限られない幅広い分野で活動する法律実務家に必要とされる基本的な素養に本質的な違いはないと考えられるとの理解に立っているとの理解が示されたが,このあたりの理解はこれでよろしいか。
 次に,弁護実務修習の指導の在り方についてだが,新司法修習においても,訴訟事件には法廷実務家に限られない幅広い法曹の活動に必要な法的分析能力や事実認定能力を身に付けるのに必要な要素が多く含まれており,これを素材とすることは有効な方策であることが確認されている。また,弁護実務修習の指導においても,法廷実務家に固有の書面の形式等に関する知識の習得よりも実質的な法的分析能力や事実認定能力の涵養に向けた指導を行うことが重要であり,そのことを前提とした上で実質的な能力の涵養という点を意識して行われるものであれば,訴状,準備書面,弁論要旨等の法律文書を作成させることも有効な指導方法となり得るとの理解が示されたが,この点についてもよろしいか。
 最後に,導入的教育の在り方について,司法研修所における導入研修の復活が相当でないこと,法科大学院教育がかつての前期修習を行うものではないことは第17回委員会でも確認をされたところだが,少なくとも現状において,司法修習への導入的教育を行う必要性自体は否定されないということではあると思われる。
 問題はその具体的な内容であり,この点については,現在,司法研修所,日弁連等において検討がなされているところであるが,一般論としては,共通的到達目標の内容等を前提として法科大学院に期待されている教育内容や新司法修習の理念を踏まえ,さらに議論を重ねる必要があると考えられるところである。この点についてもよろしいか。

鎌田委員 先ほどの大橋委員の御提案における導入的教育についての議論をする当事者というのは,司法研修所と弁護士会で,法科大学院は含まれないということでよろしいか。

大橋委員 今,日弁連で議論しているのは,日弁連と司法研修所とで議論をするということだが,内容的には法科大学院にお願いしなければならないことが出てくれば,法科大学院とも議論をさせていただくことになろう。
それから,先ほど,鎌田委員がおっしゃったように,弁護士の場合,当事者的に考えなければならないが,そういう意識を持たせるのは,弁護修習の開始である合同修習なり導入的修習の役割だと思うので,そういった意味でも導入的教育が必要であると考える。

鎌田委員 法科大学院が導入的教育を実施する当事者として加わるというよりも,共通的到達目標に達しないまま修了している学生が多いとなると,導入的教育をしなければならない状況を法科大学院が作り出しているということになるので,導入的教育をしなくていい程度にまで,法科大学院がもっときちんと教育しなければならないという問題が裏にあるという意味で,法科大学院は若干の当事者的地位にあるということと理解している。

高橋委員長 法科大学院において,次に導入的教育があるということをしっかり理解できれば,法科大学院もそれに向けて何か協力できることがあるかもしれないので,法科大学院も導入的教育について知っておく必要があると考えられ,その意味で,法科大学院が議論に入ることはあり得るだろう。しかし,これは,法科大学院が,ここで言われている導入的教育に携わることではない。
 これは,なおいろいろなところで御検討いただき,幹事会でも,議論していただいて,それをまた当委員会で議論させていただければと思う。
 弁護実務修習に関する本日の意見交換を振り返ると,まず司法研修所と日弁連等の間において意見交換等が重ねられているとの報告があり,今後もこのような意思疎通の強化を期待するということになった。その上で,新司法修習の到達目標,弁護実務修習の指導の在り方,導入的な教育の在り方等を含めて意見交換をさせていただいた。司法研修所,日弁連等においてなお検討がなされているということであり,現時点では当委員会として何か方向性を定めたりするものではないが,木村幹事長の御報告の内容については,委員の皆様から特段の異論はなかったものと認識している。弁護実務修習の充実及び円滑な実施に向けて,今後,更に具体的な取組の進展があることを期待したい。

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