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仙台高裁第2民事部判決平成22年04月22日

【事案】

1.平成15年5月下旬ころ,左大腿部に熱傷を負った控訴人が,その被害は当時使用していた携帯電話機の欠陥により生じたものであるとして,その製造業者である被控訴人に対し,製造物責任法3条又は民法709条に基づき,損害金545万7370円及びこれに対する訴状送達日の翌日である平成17年6月14日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案。

2.控訴人は,平成15年5月20日午前7時50分ころ,肩書住所地を出て自動車で勤務先に向かったが,その際に本件携帯電話をズボン前面左側ポケットに入れた。
 控訴人は,同日午前8時30分ころ,○○○に出勤し,その後現場立会監督業務などのため2か所の現場に赴いた後,設計業務に従事した。平成15年5月当時は,翌月4日締切の設計業務など設計及び設計変更業務にも従事し,多忙であった。
 控訴人は,5月20日の業務中,現場への連絡用のため2,3回程度本件携帯電話を使用したが,支障なく連絡は済ませたし,現場作業や運転中,事務所でデスクワークをしている間においても,本件携帯電話をズボン前面左側ポケットに入れたままにしていたが,特に異変は感じなかった。
 控訴人は,同日午後7時30分ころ,勤務を終え,午後8時過ぎに帰宅し,仕事用の服装のままコタツに入り,午後8時30分から午後11時ころまでの間(本件時間帯),居間のコタツで晩酌(焼酎400cc程度をロックで飲酒)をしながら夕食を取った。この間,控訴人は,コタツの中で足を伸ばしたり,胡座をかくなどしていたが,疲れていたこともあってコタツを出ることはなかったし,酔って居眠りをしてしまったときもあった。その間,控訴人は本件携帯電話を同ポケットに入れたままであった。
 控訴人は,その後,入浴の上,同日午後11時10分ころ就寝した。その際,本件携帯電話は,机の上に置いたACアダプタで充電中で,控訴人の身体には接触した状態ではなかった。
 控訴人は,平成15年5月21日午前1時ないし2時ころ,就寝中,ひりひりして痛い感じがして目が覚めた。見ると控訴人の左大腿部にみみず腫れがあり,これを妻と確認し,本件熱傷に気が付いた。翌朝になってから見ると,水ぶくれになっていた。昨日着用していた作業ズボンには支障はなかった。

(参照条文)製造物責任法

2条 この法律において「製造物」とは、製造又は加工された動産をいう。
2  この法律において「欠陥」とは、当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう。
3  この法律において「製造業者等」とは、次のいずれかに該当する者をいう。
一  当該製造物を業として製造、加工又は輸入した者(以下単に「製造業者」という。)
二  自ら当該製造物の製造業者として当該製造物にその氏名、商号、商標その他の表示(以下「氏名等の表示」という。)をした者又は当該製造物にその製造業者と誤認させるような氏名等の表示をした者
三  前号に掲げる者のほか、当該製造物の製造、加工、輸入又は販売に係る形態その他の事情からみて、当該製造物にその実質的な製造業者と認めることができる氏名等の表示をした者

3条 製造業者等は、その製造、加工、輸入又は前条第三項第二号若しくは第三号の氏名等の表示をした製造物であって、その引き渡したものの欠陥により他人の生命、身体又は財産を侵害したときは、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が当該製造物についてのみ生じたときは、この限りでない。

【判旨】

1.本件は,控訴人がその左大腿部に熱傷を負い,その原因は当時使用していた本件携帯電話の欠陥にあるとして,本件携帯電話の製造業者である被控訴人に対し,製造物責任法3条又は民法709条に基づき,損害賠償を請求するものであるところ,被控訴人は,控訴人の熱傷が本件携帯電話から発生したという製品起因性について否認するとともに,本件携帯電話の欠陥の存在についてもこれを否認している。
 このような場合には,製造物責任法の趣旨,本件で問題とされる製造物である携帯電話機の特性及びその通常予見される使用形態からして,製造物責任を追及する控訴人としては,本件携帯電話について通常の用法に従って使用していたにもかかわらず,身体・財産に被害を及ぼす異常が発生したことを主張・立証することで,欠陥の主張・立証としては足りるというべきであり,それ以上に,具体的欠陥等を特定した上で,欠陥を生じた原因,欠陥の科学的機序まで主張立証責任を負うものではないと解すべきである。すなわち,本件では,欠陥の箇所,欠陥を生じた原因,その科学的機序についてはいまだ解明されないものであっても,本件携帯電話が本件熱傷の発生源であり,本件携帯電話が通常予定される方法により使用されていた間に本件熱傷が生じたことさえ,控訴人が立証すれば,携帯電話機使用中に使用者に熱傷を負わせるような携帯電話機は,通信手段として通常有すべき安全性を欠いており,明らかに欠陥があるということができるから,欠陥に関する具体化の要請も十分に満たすものといえる。

2.これを本件についてみるに,携帯電話は,無線通信を利用した電話機端末(携帯電話機)を携帯する形の移動型の電気通信システムのことをいい,その特性から,携帯電話機を衣服等に収納した上,身辺において所持しつつ移動でき,至る所で,居ながらにして電気通信システムを利用できることにその利便性や利用価値があるのであるから,これをズボンのポケットに収納することは当然通常の利用方法であるし,その状態のままコタツで暖を取ることも,その通常予想される使用形態というべきである。ちなみに,被控訴人も,ズボンのポケットに収納したままコタツで暖を取ることを取扱説明書において禁止したり,危険を警告する表示をしてないところである。
 なお,被控訴人は,取扱説明書の本件携帯電話を高温の熱源に近づけないようにという警告表示がこれに当たるかのような主張をするが,コタツがそこにいう「高温の熱源」に当たるとは直ちにはいい難いし,上記警告表示が,携帯電話機をことさらコタツの熱源に接触させるような行為はともかくとして,これをズボンのポケットに収納した状態のままコタツで暖を取るという日常的行為を対象にしているとは到底解されない(仮に,そのような日常的行為の禁止をも含む趣旨であるとしたならば,表示内容としては極めて不十分な記載であり,警告表示上の欠陥があるというべきである。)。

3.そうすると,控訴人は,本件携帯電話をズボンのポケット内に収納して携帯するという,携帯電話機の性質上,通常の方法で使用していたにもかかわらず,その温度が約44度かそれを上回る程度の温度に達し,それが相当時間持続する事象が発生し,これにより本件熱傷という被害を被ったのであるから,本件携帯電話は,当該製造物が通常有すべき安全性を欠いているといわざるを得ず,本件携帯電話には,携帯使用中に温度が約44度かそれを上回る程度の温度に達し,それが相当時間持続する(異常発熱する)という設計上又は製造上の欠陥があることが認められる。

4.その原因として,具体的には,@本件リチウムイオン電池に係る電池パック下部のコネクタカバーが喪失していたため,電池パック下部がむき出しになっていたことから,ホコリが電池パック内部に混入し,電池の内部に微少な物質が混入することによって,電池内部の電流が短絡(ショート)し,原因物質が融解して消滅するまで温度が上昇して,異常発熱した可能性が考えられるところ,ほかにも,A何らかの理由で本件リチウムイオン電池に外部から力が加わった結果,電池内部に微細な損傷が生じ,その後の充放電の繰り返しにおいて損傷が拡大して電池の内部で短絡(ショート)が発生し,これにより本件リチウムイオン電池が異常発熱した可能性,B本件携帯電話が何らかの理由により,本件時間帯において待ち受け状態から通話状態に切り替わり,それが持続したことに加えて,コタツ内にあったことから周囲温度が37度以上となり,これに連続通話状態における8.0度程度の温度上昇が加わった結果,本件携帯電話の温度が45度前後に達し,これが本件時間帯において持続した可能性,Cコタツの熱による加熱が外部熱源となって本件リチウムイオン電池に作用し,熱暴走を引き起こし異常発熱につながった可能性などを指摘し得るところである。そして,低温熱傷が問題となるような約44度かそれを上回る程度の温度上昇ではPTC(発熱防止のために内臓された温度を感知して電流を遮断する電流制限素子)は作動しない事実が認められ,ほかにこのような事態が発生し,温度上昇が44度程度で持続した場合の対応策が本件携帯電話(本件リチウム電池を含む。)に施されていた形跡はない。
 しかしながら,いずれにしても,また,ほかの原因が考えられるとしても,製造物責任法においては,控訴人がその欠陥の部位,具体的原因,異常発生の科学的機序等を主張・立証することまでは必要でないことは,前記のとおりである。

5.以上によれば,本件携帯電話には製造物責任法2条2項にいう欠陥があったことが認められる。

 

千葉地裁刑事第1部判決平成22年05月26日

【事案】

第1.罪となるべき事実

 被告人両名は,平成21年7月20日,千葉県a市bc丁目d番e号所在の被告人A方において,被告人両名の長男であり精神疾患にり患していたC(当時35歳)が,被告人Aに対し,その頭部を殴り,その背中をける等の暴力をふるい,被告人Bがとっさに包丁を示してその暴力を制止しようとしたのに対し,「やれるもんならやってみろ。」と言って同人に殴りかかるなどし,被告人Aが背後から首をバンダナで絞めてその暴力を制止しようとしたのに対し,同バンダナを外そうとするなどしたことから,身の危険を感じるとともに,上記Cの精神疾患は治らず,今後も同人の暴力はなくならないだろうと将来を悲観して,同人を殺害するしかないと考え,ここに被告人両名は共謀の上,同日午後9時30分ころ,被告人両名の生命,身体を防衛するため,上記Cに対し,防衛に必要な程度を超え,殺意をもって,その頸部に電気コードを巻き付けて強く絞め付け,よって,そのころ,同所において,同人を頸部圧迫により窒息死させて殺害した。

第2.争点

 弁護人は,被告人B(以下「父」という。)及び被告人A(以下「母」という。)が,C(以下「息子」という。)の首を電気コードで絞めて殺害した行為(以下「本件殺害行為」という。)は過剰防衛に当たる旨主張し,被告人両名もこれに沿う供述をしているところ,検察官は本件殺害行為は過剰防衛に当たらない旨主張する。

第3.前提事実

1(1) 父及び母は,夫婦であり,息子は,父及び母の長男である。
 事件当時,父は67歳で,身長165センチメートル,体重50キログラムで,糖尿病にかかっていた。母は61歳で,身長155センチメートル,体重48キログラムであり,左足の指に坐骨神経痛があった。
 息子は,事件当時,35歳で,身長180センチメートル,体重84キログラムであった。

(2) 息子は,平成12年ころから精神疾患を発症し,事件当時まで,精神科に入通院して治療を受けていた。息子の精神疾患は,心臓が2つあるという体感幻覚を起こして胸が苦しくなるなどといった症状を起こすものであり,息子は症状が起きると精神的に不安定になり,父や母などに自分の気が済むまで暴力をふるい,父や母が素手で反撃すると逆上し,さらに暴力をふるっていた。
 父及び母,息子は,平成15年ころまで千葉県内にある本件犯行場所(以下「自宅」という。)で同居していたが,同年,息子の暴力から逃げるために父は東京都内にマンションを購入し,平日は上記マンションから通勤し,週末に自宅へ戻るという生活をするようになった。母は,自宅で息子と同居していたが,息子の暴力がひどくなると自宅を出て上記マンションに逃げ,息子の精神状態が落ち着いたころに自宅に戻るということを繰り返していた。
 なお,母は,平成21年6月23日ころ,息子に殺してくれと頼まれたことから,座っている息子の後方からバンダナ(一辺が約57センチメートルの正方形で,布製のもの。以下単に「バンダナ」という。)で息子の首を絞めたところ,息子が正気に戻ったことがあった。

2(1) 平成21年7月20日の夕方ころ,自宅において,息子は,母に対し,体調が悪いので救急車を呼ぶよう頼んだが,母は救急車を呼ばなかった。そこで息子は自ら救急車を呼んだが,救急車が到着する前に,これをキャンセルした。母が救急車をキャンセルした理由を聞くと,息子は,「お前を殴るためだ。」と言って母の左耳付近をこぶしで1回殴った。

(2) 同日の夕食中,息子は,自宅に酒がないことに機嫌を損ね,夕食後には,胸が苦しいと訴えた。母が,睡眠薬を飲んで寝るよう勧めると,息子は,「おれを眠らせといて朝になったらいないんだろう。」などと言って,台所の流し台付近で,母に対し,頭部をこぶしで1回殴り,背中に回しげりをし,口付近をこぶしで1回殴り,首を手で絞めた。
 母は,息子の手を振りほどいて息子の背後に回り込み,息子の首を右腕で絞めようとしたが,すぐに右腕をほどかれてしまったため,台所と連結しているリビングにバンダナを取りに行き,台所とリビングの境界付近で,バンダナを三角に2つ折りにして背後から息子の首に巻き付け,首の後ろでバンダナの両端を交差させ,絞め付けようとした。息子はバンダナと首の間に両手の指先を入れ,バンダナを外そうとした。
 このころ,台所で息子の前方にいた父は,息子が母を殴るなどしたのを見て,とっさに菜切り包丁(以下単に「菜切り包丁」という。)をつかみ,「やめろ。」と言って息子に突きつけた。しかし,息子は無言で父に歩み寄り,右のこぶしを振り上げて父に殴りかかろうとしたため,父は菜切り包丁を息子の腹付近に突き出したが,ほとんど刺さらず,刃の部分が根元から折れて床に落ちた。そこで父は,出刃包丁(以下単に「出刃包丁」という。)を出し,「やめろ。やめないと刺すぞ。」と言って出刃包丁を息子に示したが,息子は,「やれるもんならやってみろ。」と言って右手を振り上げ,殴るような形で父に近寄ってきた。そこで父は,出刃包丁を息子の腹付近に突き出したが,菜切り包丁と同様にほとんど息子には刺さらず,刃の部分が根元から折れてしまった。そこで父は,息子に殴られると思い,両手で頭を抱えるようにしてその場にしゃがみこんだが,殴られなかったので息子を見ると,母が息子の背後から首の部分をスカーフのようなもの(バンダナをさす。)で押さえていた。
 母は,息子の首を背後からバンダナで絞めながら,後方にあったリビングのソファ(2人掛けのもの。以下,単に「ソファ」という。)方向へと引っ張り,息子はよろけるように後ろに下がっていった。そこで父は,息子の右足にしがみ付き,頭で息子の腹を押すようにして母に加勢し,息子は,ソファに座るような状態で倒れ込んだ。そして,母は,ソファの背もたれの後ろから,体重をかけて息子の首をバンダナで絞めた。

(3) 息子がソファに倒れ込んですぐ,父は,廊下から,パソコン用電気コード(全長216センチメートル,幅0.7センチメートルのもの。以下単に「コード」という。)を持ち出し,結び目を作って輪のようにし,「C君これしかないよ。」と言って,息子の頭の上からコードの輪の部分を首に通して巻き付け,一人で息子の首を絞めようとした。しかし,うまく絞まらなかったため,父は,「そっちを持って。」と言ってコードの片端を母に渡し,母は,バンダナから手を放してコードを受け取った。そして,父と母は,同日午後9時30分ころ,母がソファの左側に立ち,父がソファの背もたれの後方に正座するような体勢で,コードの両端をそれぞれ強く引っ張り,約30分間にわたって息子の首を絞め付け,息子を頸部圧迫により窒息死させた。

3.息子は,母に背後からバンダナで首を絞められ,ソファ方面に引っ張られて以降,本件殺害行為に至るまで,両手の指先を首とバンダナの間に入れて両腕を動かし,バンダナを外そうとしていたが,言葉を発することはなく,父や母に暴力をふるうこともなかった。
 また,母が息子をソファ方面まで引っ張り始めた際の息子の位置から,ソファまでの距離はおよそ2メートル程度であり,父が息子に出刃包丁を突き出してから息子がソファに座るまでの時間が10秒程度であり,出刃包丁を突き出してから息子の首をコードで絞め始めるまでの時間は17秒程度であった。
 なお,父が菜切り包丁及び出刃包丁を息子の腹に突き出したことにより,息子は,腹部に2か所,小さく皮がはがれたような傷を負った。

【判旨】

 裁判官及び裁判員は,本件殺害行為について,過剰防衛行為に当たると判断したので,以下その理由について説明する。

第1.過剰防衛の成否について

 本件殺害行為が過剰防衛行為に当たるといえるためには,本件殺害行為が始まった時点,すなわち,父が息子の首にコードを巻き付けた時点(以下「殺害行為開始時点」という。)において,@息子の攻撃が差し迫っていたことと,A本件殺害行為が,父や母の身を守るための行為であったことが必要である。
 そこで,これらについて順に検討する。

1.@息子の攻撃が差し迫っていたか

(1)ア.息子は,父に包丁を2回突き立てられたことで前記の傷を負ったが,その傷は2か所ともきわめて軽いものである。さらに,2か所の傷の軽さは同程度であるが,息子は1回目に菜切り包丁を腹部に突き立てられた後も,「やれるもんならやってみろ。」と言って父に殴りかかるなどしており,ひるんだ様子を見せていない。これらの事情からすると,包丁で腹部に傷を負ったことによって息子の攻撃力が減ったとは考えられない。

イ.また,母が息子の首をバンダナで絞めた点をみても,バンダナがそれほど大きなものではなく,布製で,三角に折って用いられていること,息子が首とバンダナの間に両手の指先を入れてバンダナを外そうとしていたこと,息子の首の部分にはバンダナで絞められたような跡が残っていないこと,母と息子の身長差や体力差からすれば,息子がソファに座るまでの間はもとより,息子がソファに座った後も,息子の首はそれほど強く絞められていなかったと考えられる。
 検察官は,バンダナで首を絞められたことにより,息子は意識を失いかけていたと主張するが,上記のようにバンダナでは首を強く絞められない状況だったにもかかわらず息子が意識を失いかけるとは考えられないし,バンダナを外そうとした息子の行動は息子に意識があったことの表れともいえるから,検察官の主張は認められない。

ウ.以上からすれば,殺害行為開始時点において,息子の攻撃力が下がっていたことはないといえる。
 そして,バンダナが布製で,上記のようにそれほど強く首を絞めることができない形状であることからすると,息子は,殺害行為開始時点において,バンダナを外して父や母に再び攻撃するだけの力を持っていたということができる。

(2) 検察官は,ソファの方向に引っ張られて以降,息子がバンダナを外そうとするほかに父や母に攻撃的な言動をしていないことを指摘する。確かに,このように息子が攻撃的な言動をしていないことは,息子が,殺害行為開始時点において,父や母を攻撃する意思を失っていたことを一応うかがわせる事情である。
 しかし,父が息子に出刃包丁を向けた際の息子の言動からすると,その時点では息子は攻撃意思を失っていなかったということができ,その時点から殺害行為開始時点までは,およそ十数秒しか経っていない。また,事件以前の息子の暴力は,息子自身の気が済むまで父や母に暴力をふるうというものであり,父や母が反撃をすれば,その反撃以上の暴力をふるっていたというのであって,上記のとおり,殺害行為開始時点において,息子はバンダナを外して父や母に攻撃するだけの力も持っている。
 そうすると,殺害行為開始時点直前に,息子がバンダナを外そうとする以外に攻撃的な言動をしていないからといって,殺害行為開始時点に息子が父や母に攻撃する意思を失っていたことが常識的に考えて間違いないということはできない。
 また,検察官は,事件以前に母にバンダナで首を絞められた息子が正気に戻ったことがあるので,殺害行為開始の時点でも息子は正気に戻り,攻撃意思を失っていたはずである旨指摘するが,今回バンダナで首を絞められたことによって息子が正気に戻るとは言い切れない。

(3) 以上からすれば,殺害行為開始時点において,息子はバンダナを外して父や母に攻撃するだけの力を持っており,かつ,息子が父や母に攻撃する意思を失っていたともいえないのであるから,息子がバンダナを外して父や母に再び攻撃する可能性はあったということができる。
 すなわち,息子の攻撃が既に終わっていたという検察官の主張を認めることはできず,殺害行為開始時点において,息子の父や母に対する攻撃は差し迫っていたというべきである。

2.A身を守るための行為といえるか

(1) 殺害行為開始時点において,息子がバンダナを外して父や母に再び攻撃する可能性があったことは前記のとおりである。
 事件以前の息子の父母に対する暴力は,検察官の主張するとおり,父母に生命の危険をもたらすほどのものではなかったといえる。しかし,事件当時,父は包丁を息子の腹部に2回突き出し,母はバンダナで息子の首を絞めるなどして反撃しているところ,事件以前の父母の息子に対する反撃は素手によるものであって,事件当時のように道具を用いたものではなく,事件以前に母が息子の意に反してバンダナで息子の首を絞めたこともないこと,事件以前に息子が父母から反撃された際には,父母の反撃以上の暴力をふるっていたことからすれば,事件当時,息子がバンダナを外して父や母を再び攻撃した場合に,息子が父や母に対し,事件以前より強度の攻撃を加えていた可能性は否定できない。このことに,息子と父母の体格差や体力差も併せ考えると,息子が再び攻撃してきた場合,父や母が殺される危険が全くなかったと断言することはできない。
 そして,本件殺害行為の直前に,父が息子に包丁を示すなどし,母がバンダナで息子の首を絞めるなどした行為が,息子の暴力から父母の身を守るためにされたものであることは明らかであり,この点は検察官も争っていないが,前記のとおり,自宅台所での反撃からソファにおける本件殺害行為までの間隔は,距離にして2メートルほど,時間にしてわずか十数秒であり,上記のとおり,殺害行為開始時点において息子の攻撃が差し迫っていて,父や母が殺される危険が全くなかったとまではいえない状況だったことからすると,弁護人の主張するとおり,本件殺害行為は,直前の反撃行為と同じく,息子の攻撃から父母の身を守るためにされたものと考えるのが自然である。

(2)ア.一方,父は,殺害行為開始時点において,「C君これしかないよ。」と発言しているところ,父母は,捜査段階に検察官に対して,事件以前から息子の暴力に耐えられず,息子の将来を悲観して,息子を殺す以外道はないという気持ちを持っており,父が母に対して,自分が息子を殺したらどう思うかという趣旨の問いかけをしたことがあったなどと供述し,本件殺害行為の際には,その場の息子の暴力から身を守るという気持ちの他に,上記のような息子の暴力に耐えられないという気持ちや息子の将来への悲観もあって息子を殺すしかないと決意し,本件殺害行為に及んだと供述している。ただし,公判では,父母は事件当時の心境や事件以前の心情について,捜査段階の供述とは異なる供述をしている。

イ.父母の捜査段階における供述は,公判における供述に比べて自分や配偶者が不利になることが含まれており,母が手帳に記載していた内容とも合致している。そして,事件以前の息子の暴力の状況に照らせば,父母が息子に対し,殺そうという気持ちが一切浮かばないはずがないと考えられるところ,父母の検察官に対する供述調書の内容は,父母の心情が具体的かつ自然に述べられている。そして,本件殺害行為当時の,「C君これしかないよ。」という父の発言は,父がその場の息子の暴力から身を守るという気持ちだけではなく,将来への悲観など,検察官に述べたような感情を持っていたことの表れであるといえるし,母もそのような父の言葉を聞きながら父を止めることなく本件殺害行為に及んでいるのであるから,本件殺害行為当時,母も父と同じく,身を守るという気持ち以外に将来への悲観などといった感情があったとみるのが自然である。

ウ.そうすると,父母の捜査段階の供述は,公判における供述よりも信用でき,殺害行為開始時点において,父母は,当時の息子の攻撃から身を守るという気持ちだけではなく,将来への悲観など,当時の息子の攻撃から身を守ることとは関係のない感情から息子を殺害しようという気持ちも併せ持った上で,わざと息子を殺害したということができる。

(3) しかしながら,身を守るという気持ち以外に,積極的に相手を攻撃する気持ちがあったとしても,それだけで身を守るための行為ではなくなるわけではなく,身を守るために殺したといえる限りは,その殺害行為は,身を守るために反撃しようとしてやりすぎてしまった過剰防衛行為というべきである。
 本件では,上記のとおり,殺害行為開始時点において,息子の攻撃は差し迫っており,父母に生命の危険が全くなかったとまではいえない状況にある。このことからすると,父母が息子を殺害した行為は,息子の攻撃から身を守るのに必要な反撃の程度を超えるやり過ぎた行為であるということはできるものの,単なる加害行為と同視できるほどにやり過ぎた行為であるということはできない。加えて,本件殺害行為が,息子の攻撃から身を守るためにされた反撃行為からわずか十数秒の間に引き続いてされていることからすると,殺害行為開始時点において,父母から身を守ろうという気持ちが消えてしまい,将来への悲観などから,息子の攻撃から身を守ることと無関係に息子をわざと殺そうという気持ちに変わってしまったに違いないと決めつけることはできない。
 また,父母は30分間にわたって息子の首をコードで強く絞め付けて殺害しているが,単に息子を殺害することだけが目的であれば,これほどの長時間息子の首を絞め付ける必要はない。このように父母が異常に長い時間息子の首を絞めているのは,父母に息子からの反撃を恐れ,身を守ろうという気持ちがあったことの表れとみることができ,父母もこれに沿う供述をしている。
 以上からすれば,本件殺害行為について,身を守るための行為でなかったことが常識的に考えて間違いないとまで言うことはできない。そうすると,疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判のルールに従い,本件殺害行為は,身を守るための行為であったというべきである。

第2. 結論

 以上のとおり,本件殺害行為は,息子の攻撃から身を守るためにやりすぎた反撃行為というべきであり,過剰防衛に当たる。

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