最新最高裁判例

最高裁判所第一小法廷決定平成23年09月14日

【事案】

1.本件訴訟の経過等

(1) 本件は,電車内における痴漢行為(強制わいせつ)の事案であるところ,第1審の期日間整理手続において,検察官は,立証趣旨を「被害の再現状況等」とする捜査報告書(甲7号証)及び立証趣旨を「被害再現状況等」とする実況見分調書(甲13号証)の証拠調べを請求したが,弁護人は,これらの証拠について,いずれも証拠とすることに同意しないとの意見を述べた。
 検察官は,これを受けて立証趣旨を「被害者立会による犯行再現時の写真について」とする捜査報告書2通(甲24,25号証。甲7,13号証の写真部分をまとめたもの)の証拠調べを請求したが,弁護人は,これらの証拠についても証拠とすることに同意しないとの意見を述べた。その後,検察官は,上記捜査報告書2通に添付された写真を証拠物として証拠請求する意向を示したが,これに対し弁護人は,再現写真は供述証拠であるから,証拠物として請求することには反対であり,証人尋問において示すことも同意できない旨の意見を述べた。

(2) 第1審第3回公判期日において,被害者の証人尋問が実施され,検察官は,痴漢被害の具体的状況,痴漢犯人を捕まえた際の具体的状況,犯人と被告人の同一性等について尋問を行い,動作を交えた証言を得た後,被害状況等を明確にするために必要であるとして,捜査段階で撮影していた被害再現写真(甲24,25号証の写真部分。犯人を検挙した状況を再現した写真も含む。)を示して尋問することの許可を求めた。
 弁護人は,その際,写真によって証言のどの部分が明確になるかということが分かるように尋問することを求めたが,写真を示すこと自体には反対せず,裁判官は,再現写真を示して被害者尋問を行うことを許可した。
 そこで,検察官は,被害再現写真を示しながら,個々の場面ごとにそれらの写真が被害者の証言した被害状況等を再現したものであるかを問う尋問を行い,その結果,被害者は,被害の状況等について具体的に述べた各供述内容は,再現写真のとおりである旨の供述をした。
 上記公判期日終了後,裁判所は,尋問に用いられた写真の写しを被害者証人尋問調書の末尾に添付する措置をとったが,添付することに同意するかどうかを当事者に明示的に確認しておらず,その後もこれらの写真は証拠として採用されていない。

(3) 第1審判決は,主として被害者の証言により,被告人の電車内での強制わいせつ行為を認定した。

2.原判決は,本件被害再現写真は,供述を明確にするにとどまらず,犯行当時の状況に関して,独自の証明力を持つものであり,独立した証拠として扱うかどうかを明確にすることなく,これを漫然と調書に添付することは,当該写真の証拠としての位置付けに疑義を招くおそれがあって相当ではないとした上で,第1審判決が写真を独立の証拠として扱い,実質判断に用いたというような事情は認められず,また,被害者供述は,上記写真の調書添付に左右されずに,十分信用に値するものであるから,第1 審の措置に,判決に影響を及ぼすような訴訟手続の法令違反はないと判断した。

(参照条文)刑事訴訟規則

49条 調書には、書面、写真その他裁判所又は裁判官が適当と認めるものを引用し、訴訟記録に添附して、これを調書の一部とすることができる。

199条の12第1項 訴訟関係人は、証人の供述を明確にするため必要があるときは、裁判長の許可を受けて、図面、写真、模型、装置等を利用して尋問することができる。

【判旨】

1.所論は,検察官が示した被害再現写真は伝聞法則の例外の要件を具備せず,証拠として採用することができない証拠であって,このような写真を尋問に用いて記録の一部とすることは,伝聞証拠について厳格な要件を定めていることを潜脱する違法な措置であり,これが事実認定に影響を及ぼすことは明らかであると主張する。

2.本件において,検察官は,証人(被害者)から被害状況等に関する具体的な供述が十分にされた後に,その供述を明確化するために証人が過去に被害状況等を再現した被害再現写真を示そうとしており,示す予定の被害再現写真の内容は既にされた供述と同趣旨のものであったと認められ,これらの事情によれば,被害再現写真を示すことは供述内容を視覚的に明確化するためであって,証人に不当な影響を与えるものであったとはいえないから,第1審裁判所が,刑訴規則199条の12を根拠に被害再現写真を示して尋問することを許可したことに違法はない。
 また,本件証人は,供述の明確化のために被害再現写真を示されたところ,被害状況等に関し具体的に証言した内容がその被害再現写真のとおりである旨供述しており,その証言経過や証言内容によれば,証人に示した被害再現写真を参照することは,証人の証言内容を的確に把握するために資するところが大きいというべきであるから,第1審裁判所が,証言の経過,内容を明らかにするため,証人に示した写真を刑訴規則49条に基づいて証人尋問調書に添付したことは適切な措置であったというべきである。この措置は,訴訟記録に添付された被害再現写真を独立した証拠として扱う趣旨のものではないから,この措置を決するに当たり,当事者の同意が必要であるとはいえない。
 そして,本件において証人に示した被害再現写真は,独立した証拠として採用されたものではないから,証言内容を離れて写真自体から事実認定を行うことはできないが,本件証人は証人尋問中に示された被害再現写真の内容を実質的に引用しながら上記のとおり証言しているのであって,引用された限度において被害再現写真の内容は証言の一部となっていると認められるから,そのような証言全体を事実認定の用に供することができるというべきである。このことは,被害再現写真を独立した供述証拠として取り扱うものではないから,伝聞証拠に関する刑訴法の規定を潜脱するものではない。

3.以上によれば,本件において被害再現写真を示して尋問を行うことを許可し,その写真を訴訟記録に添付した上で,被害再現写真の内容がその一部となっている証言を事実認定の用に供した第1審の訴訟手続は正当であるから,伝聞法則に関する法令違反の論旨を採用しなかった原判決は結論において是認できる。

 

最高裁判所第三小法廷決定平成23年09月20日

【事案】

1.抗告人が,抗告人の相手方に対する金銭債権を表示した債務名義による強制執行として,相手方の第三債務者Z1銀行,同Z2銀行及び同Z3銀行に対する預金債権並びに第三債務者Z4銀行に対する貯金債権の差押えを求める申立て(以下「本件申立て」という。)をした事案。抗告人は,その申立書において,差し押さえるべき債権(以下「差押債権」という。)を表示するに当たり,各第三債務者の全ての店舗又は貯金事務センター(以下,単に「店舗」という。)を対象として順位付けをした上,同一の店舗の預貯金債権については,先行の差押え又は仮差押えの有無,預貯金の種類等による順位付けをしている。

2.原審は,本件申立ては,差押債権の特定(民事執行規則133条2項)を欠き不適法であるとして,これを却下すべきものとした。

(参照条文)民事執行規則

21条 強制執行の申立書には、次に掲げる事項を記載し、執行力のある債務名義の正本を添付しなければならない。
一 債権者及び債務者の氏名又は名称及び住所並びに代理人の氏名及び住所
二 債務名義の表示
三 第五号に規定する場合を除き、強制執行の目的とする財産の表示及び求める強制執行の方法
四 金銭の支払を命ずる債務名義に係る請求権の一部について強制執行を求めるときは、その旨及びその範囲
五 民法第四百十四条第二項本文又は第三項に規定する請求に係る強制執行を求めるときは、求める裁判

133条 債権執行についての差押命令の申立書には、第二十一条各号に掲げる事項のほか、第三債務者の氏名又は名称及び住所を記載しなければならない。
2 前項の申立書に強制執行の目的とする財産を表示するときは、差し押さえるべき債権の種類及び額その他の債権を特定するに足りる事項並びに債権の一部を差し押さえる場合にあつては、その範囲を明らかにしなければならない。

【判旨】

1.民事執行規則133条2項は,債権差押命令の申立書に強制執行の目的とする財産を表示するときは,差押債権の種類及び額その他の債権を特定するに足りる事項を明らかにしなければならないと規定している。そして,債権差押命令は,債務者に対し差押債権の取立てその他の処分を禁止するとともに,第三債務者に対し差押債権の債務者への弁済を禁止することを内容とし(民事執行法145条1項),その効力は差押命令が第三債務者に送達された時点で直ちに生じ(同条4項),差押えの競合の有無についてもその時点が基準となる(同法156条2項参照)。
 これらの民事執行法の定めに鑑みると,民事執行規則133条2項の求める差押債権の特定とは,債権差押命令の送達を受けた第三債務者において,直ちにとはいえないまでも,差押えの効力が上記送達の時点で生ずることにそぐわない事態とならない程度に速やかに,かつ,確実に,差し押さえられた債権を識別することができるものでなければならないと解するのが相当であり,この要請を満たさない債権差押命令の申立ては,差押債権の特定を欠き不適法というべきである。債権差押命令の送達を受けた第三債務者において一定の時間と手順を経ることによって差し押さえられた債権を識別することが物理的に可能であるとしても,その識別を上記の程度に速やかに確実に行い得ないような方式により差押債権を表示した債権差押命令が発せられると,差押命令の第三債務者に対する送達後その識別作業が完了するまでの間,差押えの効力が生じた債権の範囲を的確に把握することができないこととなり,第三債務者はもとより,競合する差押債権者等の利害関係人の地位が不安定なものとなりかねないから,そのような方式による差押債権の表示を許容することはできない。

2.本件申立ては,大規模な金融機関である第三債務者らの全ての店舗を対象として順位付けをし,先順位の店舗の預貯金債権の額が差押債権額に満たないときは,順次予備的に後順位の店舗の預貯金債権を差押債権とする旨の差押えを求めるものであり,各第三債務者において,先順位の店舗の預貯金債権の全てについて,その存否及び先行の差押え又は仮差押えの有無,定期預金,普通預金等の種別,差押命令送達時点での残高等を調査して,差押えの効力が生ずる預貯金債権の総額を把握する作業が完了しない限り,後順位の店舗の預貯金債権に差押えの効力が生ずるか否かが判明しないのであるから,本件申立てにおける差押債権の表示は,送達を受けた第三債務者において上記の程度に速やかに確実に差し押えられた債権を識別することができるものであるということはできない。そうすると,本件申立ては,差押債権の特定を欠き不適法というべきである。

3.以上と同旨をいう原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

【田原睦夫補足意見】

 私は法廷意見に与するものであるが,本件申立ての如く,差押債権を表示するに当たり,各第三債務者の全ての店舗を対象として順位付けをした(以下,かかる方式を「全店一括順位付け方式」という。)上,同一の店舗の預貯金債権については,先行の差押え又は仮差押えの有無,預貯金の種類等による順位付けをした申立てにつき,法廷意見とは異なり,差押債権の特定性(民事執行規則133条2項)を認める高等裁判所の決定例も存するところから,法廷意見を若干敷衍する。

1.これまでに全店一括順位付け方式による申立ての可否が問われた裁判例は,差押債権がいずれも債務者の第三債務者たる金融機関に対する預貯金債権であり,また従来の学説も専らかかる場合を念頭に置いて検討されてきた。
 しかし,全店一括順位付け方式による申立ての可否は,第三債務者が金融機関の場合に限らず,第三債務者が全国あるいは一定の地域に多数の店舗展開をし,当該店舗毎あるいは一定数の店舗を束ねたブロック毎に仕入代金の管理がなされている百貨店,流通業者,外食産業等の場合や,支店単位あるいはブロック単位毎に下請業者の管理を行っている全国規模のゼネコン,広い地域で事業を展開する土木建設業者等の場合にも問題となるのであって,それらの場合も視野に入れた上で,かかる方式による申立ての可否を検討する必要がある。

2.差押命令(仮差押命令の場合も同様であり,以下双方の場合を含めて検討する。)の第三債務者に対する送達により,差押債権につき弁済禁止や処分禁止の効力が及ぶのであるから,差押債権の特定は,第三債務者において差押えの効力が上記送達の時点で生ずることにそぐわない事態とならない程度に速やかにかつ確実に差し押さえられた債権の種類及び金額を具体的に識別できるものである必要がある。
 債権者が差押命令の申立てに当たって債務者の第三債務者に対する債権の内容を具体的に把握することは一般に困難であるから,差押債権につき特定基準を具体的に措定することによって間接的に特定すること(間接的特定)も許容されるが,裁判所は,差押命令の発令に際し,申立てにおいて措定された特定基準が上記の要件を満たしているか否かを判断するに当たって,第三債務者の状況を直接認識することはできないから,当該第三債務者の置かれている社会経済的状況の下で,一般に当該第三債務者が速やかにかつ確実に差押債権の種類及び金額を識別するに足りるだけの基準たり得るか否かとの観点から判断するべきである。
 かかる観点から特定基準を考える場合,特段の事情がない限り,第三債務者の債務管理の単位を基準として差押債権の種類及び金額が特定されるべきであり,それを超えて,複数の債務管理の単位に係る債務者の第三債務者に対する債権につき,差押えの順位を付けてなされる債権差押命令の申立ては,かかる申立てに基づく債権差押命令が発令されても,第三債務者が差押債権の種類及び金額を速やかにかつ確実に識別することが困難であるというべく,したがって差押債権の特定を欠くものといわざるを得ない。
 なお,金融機関に対する預金債権の差押えにつき全店一括順位付け方式による差押債権の特定を認める見解は,金融機関がそれに対応できるコンピュータシステム(CIFシステム)を設置しているとか,金融機関は預金保険制度の適用に対応する名寄せシステムを設けているから対応が可能なはずである等としているが,現時点においてCIFシステムが全店一括順位付け方式による差押えに直ちに対応できる機能を有していることを示す資料は公表されておらず,また,預金保険制度の適用に対応する名寄せシステムは,その目的を異にするものであり,同システムをもって上記の方式による差押えに直ちに対応できるものではない。

3.ところで,全店一括順位付け方式を肯定する見解は,第三債務者が差押債権を識別するに至るまでに若干の時間を要することを認めながら,差押命令の送達から第三債務者が差し押さえられた債権を識別するに至るまでの間に,第三債務者から債務者に対してなされた弁済は民法478条により保護され,第三債務者の民法481条による責任は同条を柔軟に解釈することにより対応が可能であり,また,第三債務者が差し押さえられた債権を識別するまでの間,差押えの対象外の債権の支払を遅延しても債務不履行責任を問われることはないので,同方式による差押命令を認めても支障はない旨主張している。
 しかし,上記の民法478条,481条に関する議論は論者によって十分に詰められていないし,債権の流動化を含む経済取引の迅速化が求められている今日,債務者の第三債務者に対する債権につき,第三債務者が差し押さえられた債権を識別するまでの間,債務者への支払に応じてよいか否かが判然としない浮動的な状態が生ずることは,取引上重大な支障をもたらすことになりかねない。なお,論者によっては,かかる浮動的な状態が生じたとしても,債務不履行の問題は生じないとする者もあるが,そのような浮動的な状態が生ずることによる取引上の支障は,債務不履行責任の追及という事後的な手続では到底救済され得ないような不利益を債務者にもたらしかねないのである。
 殊に預金債権の差押えに関して言えば,普通預金口座(総合口座)におけるATMが普及している今日,第三債務者が差し押さえられた債権を識別するまでの間,第三債務者である金融機関が債務者の預金につきATMの利用を停止し,結果的にその対象預金が差押えの対象外であった場合には,債務者の不利益の問題が生じ,他方,結果的に差押えの対象であった預金がその間にATMにより払い出された場合には,民法481条による責任の有無の問題が生ずる。また,差押債権に当座預金が含まれている場合には,差押債権の識別作業中,当該当座預金を支払口座とする手形,小切手の決済を如何にするかという信用秩序に影響を及ぼしかねない問題をも生じかねないのである。

4.さらに,全店一括順位付け方式による債権差押えを認める場合には,法廷意見にて指摘するとおり競合する債権差押えとの間で問題を生ずる。すなわち,全店一括順位付け方式による差押命令が発せられた後に,他の債権差押命令が発せられた場合,その差押えの効力如何(先行する差押えに係る転付命令により後の差押えが空振りとなるか,差押えの競合により後の差押えに係る転付命令が無効となるか,差押えの競合がなく直接の取立てが可能となるか等)は,先行する全店一括順位付け方式の差押えによる差押債権の識別作業が完了するまで不明の状態に置かれることになり,先行して複数件の全店一括順位付け方式の差押命令が発せられている場合には,それら複数件の差押えの対象債権の識別作業が完了するまで,その後の差押えの効力如何が判明しないこととなり,債務者及び第三債務者のみならず,後れて差し押さえた差押債権者の地位を非常に不安定なものとすることになる。
 また,全店一括順位付け方式を認めると,請求債権額が相当額に及ぶ場合には,債権者は一件の債権差押えの申立てをもって,債務者の第三債務者に対して有する債権を包括的に差し押さえる効果を得ることとなるが,かかる状態が生ずることは債権者間の公平の観点からは望ましい事柄ではないと考える。

5.以上述べた諸点からすれば,全店一括順位付け方式による債権差押命令の申立ては,差押債権の特定を欠くものといわざるを得ない。

 

最高裁判所第一小法廷判決平成23年09月22日

【事案】

1.平成16年法律第14号(以下「改正法」という。)による租税特別措置法(以下「措置法」という。)31条の改正により,同条1項所定の長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額を他の各種所得の金額から控除する損益通算を認めないこととされ,上記改正後の同条の規定は平成16年1月1日以後に行う土地等又は建物等の譲渡について適用するものとされたこと(改正法附則27条1項)につき,同月30日にその所有する土地の売買契約を締結するなどして同年分の長期譲渡所得の金額の計算上損失を生じた上告人が,改正法がその施行日である同年4月1日より前にされた土地等又は建物等の譲渡についても上記損益通算を認めないこととしたのは納税者に不利益な遡及立法であって憲法84条に違反する等と主張し,所轄税務署長が上告人に生じた上記損失について上記損益通算を認めず上告人の同年分の所得税に係る更正の請求に対し更正をすべき理由がない旨の通知処分をしたのは違法であるとして,その取消しを求める事案。

2.改正法による改正前の措置法(以下「改正前措置法」という。)31条においては,個人がその有する土地等又は建物等でその年1月1日において所有期間が5年を超えるものの譲渡(以下「長期譲渡」という。)をした場合には,これによる譲渡所得については他の所得と区分し,その年中の長期譲渡所得の金額から同条4項に定める特別控除額を控除した金額に対して所得税を課する分離課税を行うこととされ(同条1項),長期譲渡が平成10年1月1日から同15年12月31日までの間にされた場合の長期譲渡所得に係る所得税の税率は20%とされていた(同条2項)。他方,長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額がある場合には,当該金額を他の各種所得の金額から控除する損益通算が認められていた(同条5項2号,所得税法69条1項。以下,この損益通算を「長期譲渡所得に係る損益通算」という。)。
 これに対し,上記改正後の措置法(以下「改正後措置法」という。)31条においては,長期譲渡所得に係る所得税の税率が15%に軽減される一方で,上記特別控除額の控除が廃止され,また,長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額がある場合に,所得税法その他所得税に関する法令の規定の適用については,当該損失の金額は生じなかったものとみなすものとされ,長期譲渡所得に係る損益通算を認めないこととされた(同条1項,3項2号。以下,この損益通算の廃止を「本件損益通算廃止」という。)。そして,改正法は平成16年4月1日から施行されたが,上記改正後の同条の規定は同年1月1日以後に行う土地等又は建物等の譲渡について適用するものとされた(改正法附則27条1項。以下,同項の規定のうち本件損益通算廃止に係る部分を「本件改正附則」という。)。

3.事実関係等の概要

(1) 平成12年以降,政府税制調査会や国土交通省の「今後の土地税制のあり方に関する研究会」等において,操作性の高い投資活動等から生じた損失と事業活動等から生じた所得との損益通算の制限,地価下落等の土地をめぐる環境の変化を踏まえた税制及び他の資産との均衡を失しない市場中立的な税体系の構築等について検討の必要性が指摘されていたところ,平成15年12月17日に取りまとめられた与党の平成16年度税制改正大綱では,平成16年分以降の所得税につき長期譲渡所得に係る損益通算を廃止する旨の方針が決定され,翌日の新聞で上記方針を含む上記大綱の内容が報道された。そして,平成16年1月16日には上記大綱の方針に沿った政府の平成16年度税制改正の要綱が閣議決定され,これに基づいて本件損益通算廃止を改正事項に含む法案として立案された所得税法等の一部を改正する法律案が,同年2月3日に国会に提出された後,同年3月26日に成立して同月31日に改正法として公布され,同年4月1日から施行された。
 なお,平成16年分以降の所得税につき長期譲渡所得に係る損益通算を廃止する旨の方針を含む上記大綱の内容について上記の新聞報道がされた直後から,資産運用コンサルタント,不動産会社,税理士事務所等が開設するホームページ上に次々と,値下がり不動産の平成15年中の売却を勧める記事が掲載されるなどした。

(2) 上告人は,平成5年4月以来所有する土地を譲渡する旨の売買契約を同16年1月30日に締結し,これを同年3月1日に買主に引き渡した。
 上告人は,平成17年9月,平成16年分の所得税の確定申告書を所轄税務署長に提出したが,その後,上記譲渡によって長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額については他の各種所得との損益通算が認められるべきであり,これに基づいて税額の計算をすると還付がされることになるとして,更正の請求をした。これに対し,所轄税務署長は,平成18年2月,更正をすべき理由がない旨の通知処分をし,上告人からの異議申立て及び審査請求はいずれも棄却された。

【判旨】

1.所得税の納税義務は暦年の終了時に成立するものであり(国税通則法15条2項1号),措置法31条の改正等を内容とする改正法が施行された平成16年4月1日の時点においては同年分の所得税の納税義務はいまだ成立していないから,本件損益通算廃止に係る上記改正後の同条の規定を同年1月1日から同年3月31日までの間にされた長期譲渡に適用しても,所得税の納税義務自体が事後的に変更されることにはならない。しかしながら,長期譲渡は既存の租税法規の内容を前提としてされるのが通常と考えられ,また,所得税が1暦年に累積する個々の所得を基礎として課税されるものであることに鑑みると,改正法施行前にされた上記長期譲渡について暦年途中の改正法施行により変更された上記規定を適用することは,これにより,所得税の課税関係における納税者の租税法規上の地位が変更され,課税関係における法的安定に影響が及び得るものというべきである。

2.憲法84条は,課税要件及び租税の賦課徴収の手続が法律で明確に定められるべきことを規定するものであるが,これにより課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含むものと解するのが相当である(最高裁平成12年(行ツ)第62号,同年(行ヒ)第66号同18年3月1日大法廷判決・民集60巻2号587頁参照)。そして,法律で一旦定められた財産権の内容が事後の法律により変更されることによって法的安定に影響が及び得る場合における当該変更の憲法適合性については,当該財産権の性質,その内容を変更する程度及びこれを変更することによって保護される公益の性質などの諸事情を総合的に勘案し,その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによって判断すべきものであるところ(最高裁昭和48年(行ツ)第24号同53年7月12日大法廷判決・民集32巻5号946頁参照),上記1のような暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用によって納税者の租税法規上の地位が変更され,課税関係における法的安定に影響が及び得る場合においても,これと同様に解すべきものである。なぜなら,このような暦年途中の租税法規の変更にあっても,その暦年当初からの適用がこれを通じて経済活動等に与える影響は,当該変更の具体的な対象,内容,程度等によって様々に異なり得るものであるところ,上記のような租税法規の変更及び適用も,最終的には国民の財産上の利害に帰着するものであって,その合理性は上記の諸事情を総合的に勘案して判断されるべきものであるという点において,財産権の内容の事後の法律による変更の場合と同様というべきだからである。
 したがって,暦年途中で施行された改正法による本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定の暦年当初からの適用を定めた本件改正附則が憲法84条の趣旨に反するか否かについては,上記の諸事情を総合的に勘案した上で,このような暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用による課税関係における法的安定への影響が納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかという観点から判断するのが相当と解すべきである。

3.そこで,以下,本件における上記諸事情についてみることとする。
 まず,改正法による本件に係る措置法の改正内容は事案2のとおりであるところ,上記改正は,長期譲渡所得の金額の計算において所得が生じた場合には分離課税がされる一方で,損失が生じた場合には損益通算がされることによる不均衡を解消し,適正な租税負担の要請に応え得るようにするとともに,長期譲渡所得に係る所得税の税率の引下げ等とあいまって,使用収益に応じた適切な価格による土地取引を促進し,土地市場を活性化させて,我が国の経済に深刻な影響を及ぼしていた長期間にわたる不動産価格の下落(資産デフレ)の進行に歯止めをかけることを立法目的として立案され,これらを一体として早急に実施することが予定されたものであったと解される。また,本件改正附則において本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を平成16年の暦年当初から適用することとされたのは,その適用の始期を遅らせた場合,損益通算による租税負担の軽減を目的として土地等又は建物等を安価で売却する駆け込み売却が多数行われ,上記立法目的を阻害するおそれがあったため,これを防止する目的によるものであったと解されるところ,平成16年分以降の所得税に係る本件損益通算廃止の方針を決定した与党の平成16年度税制改正大綱の内容が新聞で報道された直後から,資産運用コンサルタント,不動産会社,税理士事務所等によって平成15年中の不動産の売却の勧奨が行われるなどしていたことをも考慮すると,上記のおそれは具体的なものであったというべきである。そうすると,長期間にわたる不動産価格の下落により既に我が国の経済に深刻な影響が生じていた状況の下において,本件改正附則が本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を暦年当初から適用することとしたことは,具体的な公益上の要請に基づくものであったということができる。
 そして,このような要請に基づく法改正により事後的に変更されるのは,上記1によると,納税者の納税義務それ自体ではなく,特定の譲渡に係る損失により暦年終了時に損益通算をして租税負担の軽減を図ることを納税者が期待し得る地位にとどまるものである。納税者にこの地位に基づく上記期待に沿った結果が実際に生ずるか否かは,当該譲渡後の暦年終了時までの所得等のいかんによるものであって,当該譲渡が暦年当初に近い時期のものであるほどその地位は不確定な性格を帯びるものといわざるを得ない。また,租税法規は,財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断及び極めて専門技術的な判断を踏まえた立法府の裁量的判断に基づき定立されるものであり,納税者の上記地位もこのような政策的,技術的な判断を踏まえた裁量的判断に基づき設けられた性格を有するところ,本件損益通算廃止を内容とする改正法の法案が立案された当時には,長期譲渡所得の金額の計算において損失が生じた場合にのみ損益通算を認めることは不均衡であり,これを解消することが適正な租税負担の要請に応えることになるとされるなど,上記地位について政策的見地からの否定的評価がされるに至っていたものといえる。
 以上のとおり,本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定の暦年当初からの適用が具体的な公益上の要請に基づくものである一方で,これによる変更の対象となるのは上記のような性格等を有する地位にとどまるところ,本件改正附則は,平成16年4月1日に施行された改正法による本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を同年1月1日から同年3月31日までの間に行われた長期譲渡について適用するというものであって,暦年の初日から改正法の施行日の前日までの期間をその適用対象に含めることにより暦年の全体を通じた公平が図られる面があり,また,その期間も暦年当初の3か月間に限られている。納税者においては,これによって損益通算による租税負担の軽減に係る期待に沿った結果を得ることができなくなるものの,それ以上に一旦成立した納税義務を加重されるなどの不利益を受けるものではない。

4.これらの諸事情を総合的に勘案すると,本件改正附則が,本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を平成16年1月1日以後にされた長期譲渡に適用するものとしたことは,上記のような納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものと解するのが相当である。したがって,本件改正附則が,憲法84条の趣旨に反するものということはできない。また,以上に述べたところは,法律の定めるところによる納税の義務を定めた憲法30条との関係についても等しくいえることであって,本件改正附則が,同条の趣旨に反するものということもできない。以上のことは,前掲各大法廷判決の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 なお,論旨は,上告人がした長期譲渡につき,本件改正附則によって本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定を適用することの違憲をもいうが,その実質は本件改正附則自体の法令としての違憲をいうものにほかならず,それとは別に違憲をいう前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。

 

 

最高裁判所第二小法廷判決平成23年09月30日

【事案】

 平成16年法律第14号(以下「改正法」という。)による租税特別措置法(以下「措置法」という。)31条の改正により,同条1項所定の長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額を他の各種所得の金額から控除する損益通算を認めないこととされ,上記改正後の同条の規定は平成16年1月1日以後に行う土地等又は建物等の譲渡について適用するものとされたこと(改正法附則27条1項)につき,同年2月26日にその共有する土地及び建物を譲渡する旨の売買契約に基づく代金を受領して,同年分の長期譲渡所得の金額の計算上損失を生ずるなどした上告人らが,改正法がその施行日である同年4月1日より前にされた土地等又は建物等の譲渡についても上記損益通算を認めないこととしたのは納税者に不利益な遡及立法であって憲法84条に違反する等と主張し,所轄税務署長が上告人に生じた上記損失について上記損益通算を認めず上告人らの同年分の所得税に係る更正の請求に対し更正をすべき理由がない旨の通知処分をしたのは違法であるなどとして,その取消しを求める事案。

【判旨】

 前記最高裁判所第一小法廷判決平成23年09月22日と同旨。

【須藤正彦補足意見】

 私は,法廷意見に賛成するものであるが,納税者の経済活動等における法的安定性や予測可能性などの観点から,少しく補足しておきたい。

1.課税要件及び租税の賦課徴収手続が法律で明確に定められなければならないとする租税法律主義の下で,国民は,現在の租税法規に基づく課税関係に依拠して経済活動等を行うものであるから,そこにおける法的安定性や予測可能性を保護すべきことは,これを規定する憲法84条の趣旨から導かれる。そして,憲法は,個人の尊厳を基本理念として幸福追求の権利を規定し(13条),また,個人の財産権を保障している(29条)のであるから,個人が現行の租税法規を信頼し課税されるか否かを判断して経済活動等を行い,このことを通じて幸福を追求する自由がみだりに侵されてはならず,また,国等と個人との間の租税に係る財産上の権利義務関係がみだりに覆されてはならないというべきである。したがって,本件損益通算廃止の暦年当初からの適用を定めた本件改正附則が,納税者の経済活動等における法的安定性や予測可能性に関する租税法規上の地位の合理的な制約として容認されるかどうかは,上記の視点にも留意した上で判断されるべきである。

2.所得税は,暦年の終了時に納税義務が成立するいわゆる期間税であって,長期譲渡所得に係る損益通算がなされる場合の所得税額は,暦年末日までに累積した各種所得金額についてこれを行うことによって定まる。この場合,暦年末日との間隔で,それに近い時点であるほどに,各種所得の累積結果の見通しは確定的になるといえるから,所得税額の見通しもまた確定的になり,納税者の長期譲渡所得に係る損益通算に関しての期待的地位は,いわば納税義務が成立したときに準ずる状態として形成されて来るといえ,納税者の経済活動等も当然これに対応したものになると思われる。このような場合には,納税者は,この損益通算が廃止され,しかもそれが暦年当初から適用されるような立法などがなされることはないだろうと信頼してもいよう。そうすると,暦年末日に近い時期,例えば,11月か12月頃に,それまでの格別の周知が施されていない状況下で,そのような立法をなすことは,通常,納税者の経済活動等における法的安定性や予測可能性を著しく害する上,法に対する国民の信頼を失わしめ,個人の尊厳や財産権の保障の趣旨に背馳するともいえるから,憲法84条の趣旨及び憲法13条,29条の視点に照らして重大な疑義がある。損益通算廃止規定を暦年当初から適用することによって保護される公益などが厳格に明らかにされない限り,そのような立法は,裁量の範囲を逸脱するものとして,憲法84条に反し,憲法13条,29条の視点からみてもそぐわないことになり得るというべきである。また,その変更の時期が年央(6,7月頃)であるような場合も,半年という経済活動等の期間は一つのまとまりをなし,そこで各種所得の累積結果に従って所得税額の見通しも立って来ているといえようから,損益通算廃止を暦年当初から適用することによって保護される公益などの一層の具体性が要求され,これが明らかにされないと違憲の疑いが生じることがあるというべきである。

3.しかるところ,本件改正附則を含む改正法は平成16年3月に成立し,施行日を同年4月1日とするものであるから,立法の時期が暦年の末日の近接日あるいは年央であるがゆえに違憲であるとの疑いは生じない。のみならず,改正法の法律案は,同年2月3日に国会に提出されたものであるから,暦年初日(1月1日)からその国会提出日までの1か月と3日ほどの間は,長期譲渡所得に係る損益通算を前提に行動している納税者の経済活動等における法的安定性や予測可能性を損なうことは否めないものの,その国会提出日以降は,本件損益通算廃止の暦年当初からの適用の旨が客観的に明らかにされているといえるから,同法案が根本的な修正を受け,あるいは廃案となるであろうことが確実に予想されるなどの特段の事情が認められない限り,納税者は,その日以降は損益通算廃止を前提として行動し,不測の不利益が生じないで済むということが可能になるともいえる。他方において,同法の適用時期をその施行日以降とした場合は,法律案の国会提出日以降法律施行日までの間の駆け込み売却を防止できないことになるであろうし,法律案国会提出日に先立ってなるべく長期間にわたって周知すれば,今度は周知期間中の駆け込み売却を招来させることになるであろうから,いずれの方法も採り得ないであろう。しかも,その2月3日までの時点で予測されている暦年末日までの各種所得の累積結果に従った所得税額はいまだ不確定的で,それについての信頼を保護しなければならない程度は必ずしも大きくはないともいい得るから,長期譲渡所得に係る損益通算を前提に経済活動等をしている納税者の法的安定性や予測可能性を損なう程度も大きいとはいえないと評価し得る。のみならず,本件損益通算廃止を含む改正法の立法目的は,わが国経済の活性化にある。雇用の場が確保され,福祉が充実することは,国民が健康で文化的な生活を営むために不可欠であり,経済が活性化することはその必須の前提基盤であるから,措置法の改正は,重要な公共的利益を図るものであり,その趣旨は法廷意見に記され,相当程度に具体的に明らかにされているというべきである。しかも,同一年度の所得税課税が,損益通算が適用される場合とされない場合とが生じるとなると,実務上の混乱が避け難いであろうし,納税者間の不公平感を醸成することにもなるであろう。
 本件改正附則は,以上の意味において,納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認され得るというべきである。

【千葉勝美補足意見】

 私は,本件改正附則が憲法84条の趣旨に反するものでないとする法廷意見に賛成するものであるが,税制改正との関係で,次の点を補足しておきたい。

1.長期譲渡所得に係る損益通算を認める措置は,今回の改正後措置法により廃止されるまで歴年にわたり認められてきた制度である。したがって,居住用以外の不動産を所有する者にとっては,それを長期譲渡として売却処分をするかどうか,いつ処分するかについては,処分により損失が生ずる場合には,それを損益通算できることを前提に判断してきたはずである。
 年度途中であっても,当該不動産につき長期譲渡の売却処分がされる時点でそれによる損失は明らかになるので,その年度において他に所得の発生することが見込まれている者は,損益通算の処理によりその分の課税が軽減されるという利益がその時点で確実なものとなっているのである。したがって,売却処分後に租税特別措置法が改正され,長期譲渡所得に係る損益通算の廃止が,年度当初の1月1日に遡って適用された場合は,いわば既得の利益が遡及的に立法により奪われるのに等しい状況が生ずることになる。また,納税者は,通常,売却処分時点で施行されている税制を前提にして,課税対象所得を計算し,損益通算による利益を考慮の上で経済活動を選択するのであり,損益通算の制度が売却処分より前の暦年当初に遡って廃止されることは,このような納税者に予期せぬ損害を被らせることになり,その額も多額に及ぶこともあり,その点で財産権を事後的に立法によって変更された場合と類似した状況となる。

2.もっとも,所得税がいわゆる期間税であり,暦年終了時に課税額が確定することから,本件損益通算廃止は,法律に基づき一旦成立した財産権を事後的に変更する場合と全く同じとはいえない。また,制度として長期譲渡所得につき損益通算を認めるか否かは,課税対象となる不動産の長期譲渡所得の範囲を定めるに際して損失をどう扱うかという税制上の政策的な判断により決められるものであるから,この制度は,その時点の社会的,経済的諸情勢,特に,不動産の価格の動向等の変動する諸要素により影響を受けるものであり,本来,恒常的なものではない。その意味で,この制度が改廃されることは予想され得るところであり,それが年度途中に改廃がされることもあり得るところであって,想定の範囲を超えるものとはいえない。これらの点を考慮すると,それが暦年当初からの遡及的な改廃であっても,このことが直ちに憲法84条の租税法律主義の趣旨に反するとはいえない。

3.しかしながら,法廷意見の述べるとおり,本件損益通算廃止を平成16年1月1日から適用するという政策決定は,その間の駆け込み売却により不動産価格の下落に拍車をかけ,我が国の不動産市況や経済の安定等に悪影響を与えるという事態を避けるためのものである。そうであれば,このような政策決定がされることについては,事前に周知させる必要があり,そうでなければ駆け込み売却の防止策としては意味のないことになろう。ところが,本件損益通算廃止は,平成15年12月18日の新聞による与党の平成16年度税制改正大綱についての報道記事の一部で紹介され,そのうちの一紙が,当該廃止に係る定めは平成16年分以後の所得税等について適用する趣旨が小さく報じられたのが最初であるが,その内容等からして,事前の周知としては甚だ不完全なものである。次に,同年1月16日に上記大綱の方針に沿った政府の同年度税制改正の要綱が閣議決定され,これに基づいて本件政策決定を盛り込んだ所得税等の一部を改正する法律案が国会に提出されたのは,同年2月3日である。納税者に対し本件損益通算廃止とそれが同年1月1日から適用になる旨を周知させ,そのような法改正が行われる蓋然性を踏まえて長期譲渡を行うべきか否かを検討するための十分な機会を与えたといえるのは,早くても2月3日の法案提出によってであろう。そうすると,1月1日から2月2日までの間の長期譲渡は,本件損益通算がされることを想定してされたもので上記の駆け込み売却には当たらない可能性があり得るところであり,そのような場合にまで本件損益通算廃止を適用することには,合理性,必要性に疑義が生じないではない。
 しかし,租税法規の適用は,客観的,形式的,画一的に平等に行うことが基本的に要請されるところであり,事案ごとに駆け込み売却かどうかを個別に判断して適用の有無を決めるといった判断が求められるような事態が生ずるのは避けるべきものである。また,法廷意見の述べるとおり,所得税は期間税としての性格を有し,暦年の全体を通じた公平を図るという要請もある。これらの点を考えると,暦年当初から本件損益通算廃止を適用したことに合理性,必要性がないとはいえないであろう。

4.そうはいっても,前に述べたように,納税者が不動産の長期譲渡を行うに際しては,その際の税制を前提に譲渡所得に対する課税額等を考慮するのは当然の経済活動であり,特に,本件のように,売買契約自体は既に前年(本件では前年の12月26日)に締結され,代金等の授受と登記移転・土地の引渡し等が当該年度(本件では2月26日)になったようなケース(すなわち,売買契約の締結が前年中にされているケース)についてまで,年度途中の本件損益通算廃止を年度当初に遡って適用させることは,不測の不利益を与えることにもなり,また,必ずしも駆け込み売却を防止するという効果も期待し難いところである。本件改正附則は,このようにいわば既得の利益を事後的に奪うに等しい税制改正の性格を帯びるものであるから,憲法84条の趣旨を尊重する観点からは,上記のようなケースは類型的にその適用から除外するなど,附則上の手当てをする配慮が望まれるところであったと考える。

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