平成24年司法試験予備試験論文式憲法
出題趣旨検討と参考答案

問題文及び出題趣旨は、こちら

統治からの出題

本問は、国民審査を問う問題である。
出題範囲としては、統治ということになる。
新司法試験では、人権重視、統治軽視の傾向が続いている。
長文の事例問題として、統治は出しにくいからである。
他方、予備試験では、旧試験よりやや長いという程度である。
そのため、統治を出しにくい、ということはない。
予備試験では、今後も統治はそれなりに出題されるだろう。

オーソドックスな三者形式に

予備試験の憲法も、新試験同様、三者形式である。
ただ、昨年は、「対立点を明確にした上で」となっていた。
そのため、かえって書きにくい、ということがあった。
今年は、「被告の反論を想定しつつ」という、新試験と同じ問い方になった。
この方が、書きやすかっただろう。
注意すべきは、「想定」という言葉の意味だ。
「想定」の語からは、答案に明示することを要しないように思える。
単に、念頭に置いておけばよい、という感じである。
しかし、司法試験の用語としては、そうではない。
これは、簡単に答案に示して、という意味である。
また、反論と私見は、明瞭に区別されていなければならない。

平成19年新司法試験に関する新司法試験考査委員(公法系科目)に対するヒアリングより引用、下線は筆者)

 出題形式に関する点であるが,昨年の出題形式は,原告の訴訟代理人,国側の訴訟代理人,それから回答者の三つの立場,三様の立場からそれぞれ論述させる出題形式になっていた。こういった出題形式は,実務家となるための試験にふさわしいものと考えているが,昨年のような形で出題すると,それぞれ三様の立場で,いわばフルスケールで論述をしなければいけないようになってしまう。例えば,国側の主張に沿ったような考え方を自分も採るという場合には,どうしても重複した部分が出てくる可能性があり,それをどこまで書き込むかということもあるが,書き方によっては受験生の負担も大きくなってしまうのではないかと考えた。そして,もう少し簡略にというか,コンパクトな形にした方がいいのではないかということを,考査委員の中で議論した。それで,今年は,教団の訴訟代理人の主張についてはフルスケールで述べさせることを前提にして,教団と反対側になる市側の主張については,自分の見解を展開する前提として踏まえればいいという形にし,そこはよりコンパクトで,ポイントを絞った形で記載してもいいという形にした。どこまでそれが伝わったかという問題はまた別にあると思われるが,出題者の意図としては,そういった観点で昨年とは違った形での出題形式を試みたものである。

(引用終わり)

 

平成20年新司法試験出題趣旨公法系第1問より引用、下線は筆者)

 設問2では,まず,設問1での主張とは対立する,すなわち,本問の仮想する法律を合憲とする理由付けを想定することが求められる(この部分の記述は,簡潔でよい)次いで,このような憲法上の問題点に関する相対立する主張を踏まえて,「あなた自身の見解」を述べることになる。

(引用終わり)

 

平成20年新司法試験採点実感等に関する意見憲法より引用、下線は筆者)

 問題の形式に応じて答える必要がある。問われているのは,弁護人,それに対して想定される検察官の主張と自説であり,まずは,弁護人の立場にたった論述が必要である。設問2で,検察官の主張又は自説の一方しか書いていないのは不十分であり,誰の見解を述べているのか判然としないものは不適切である。

(引用終わり)

毎年、これを答案に示さずに、点を落とす人がいる。
「この点、〜という反論もありうるが〜と考える」という形式で書く人も多い。
しかし、この書き方だと、どうしても私見が雑になる。
また、書き方によっては、どこまでが反論で、どこからが私見か、わかりづらい場合もある。
(私見が反論に同調する場合に、そうなりやすい。)
結果的に、片方が落ちている、と判定されているような答案もある。
テクニックとしては、構成段階で「想定される被告側の反論」という項目を立てるとよい。
そこでは、箇条書き的に、反論を列挙する。
そして、私見は、別の項目を立てて書く。
その方が、書きやすいし、紛れがなくてよい。
(こういったことは、意外とローでも予備校でも、教えていないようである。)

当たり前のことだけ書く

予備試験では、答案用紙は4枚。
これは、旧試験と変わらない。
しかし、出題形式は、新試験同様の三者形式だ。
従って、ほとんど何も書けない。
最低限、当たり前のことだけを書くしかない。
平成23年司法試験予備試験論文式憲法出題趣旨検討と参考答案参照)

また、論文では、基本に極端な配点がある。
細かい論点には、ほとんど配点がない。
従って、誰もが書ける基本だけ書く、ということになる。

本問で、絶対に書くべきは投票方法の合憲性である。
これは、問題文から明らかである。

(問題文より引用、下線は筆者)

 今回の国民審査で審査権を有するAは,審査公報に挙げられていた主要な裁判について,その判決文にまで当たって審査の対象となる各裁判官の見解を調べ,さらに,各裁判官の経歴等も調べた。その結果,各裁判官に対するAの評価は,最高裁判所裁判官として適格と判断した裁判官,不適格と判断した裁判官,そして適格・不適格いずれとも判断できなかった裁判官に分かれた。Aは,不適格と判断した裁判官に対する記載欄には×の記号を記載し,適格・不適格いずれとも判断できなかった裁判官に対する記載欄には何も記載せずに投票した。Aは,適格と判断した裁判官に対する記載欄には○の記号を記載したかったが,国民審査法第15条の規定によって何も記載しないで投票せざるを得なかった

(引用終わり)

しかも、この点は、多くの基本書等で問題とされている。
問題文に挙がっている大法廷判決で主に問題とされたのも、この論点である。
誰もが、書こうと思えば、書けるところである。
従って、これを十分に書いていないと、合格答案にはならない。

また、審査広報の記載事項についても、わざわざ資料2で施行令が載っている。
これも、書くべきだろう。
ただ、審査広報については、あまり基本書でも触れられていない。
前記大法廷判決でも、結論しか示されていない。
従って、ここは、ややウエイトが落ちる。

その他にも、周辺論点として棄権の自由。
(19条や21条の保護範囲に含まれるか、と言い換えてもよい。)
それから、国民審査法自体の合憲性を同法36条の訴えで争えるのか。
これも、問題になるだろう。
これは、定数不均衡を選挙無効の訴えで争えるか、という問題と同じである。

(参照条文)公職選挙法204条

 衆議院議員又は参議院議員の選挙において、その選挙の効力に関し異議がある選挙人又は公職の候補者(衆議院小選挙区選出議員の選挙にあつては候補者又は候補者届出政党、衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては衆議院名簿届出政党等、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては参議院名簿届出政党等又は参議院名簿登載者)は、衆議院(小選挙区選出)議員又は参議院(選挙区選出)議員の選挙にあつては当該都道府県の選挙管理委員会を、衆議院(比例代表選出)議員又は参議院(比例代表選出)議員の選挙にあつては中央選挙管理会を被告とし、当該選挙の日から三十日以内に、高等裁判所に訴訟を提起することができる。

 

最大判昭51・4・14より引用、下線は筆者)

 現行法上選挙を将来に向かつて形成的に無効とする訴訟として認められている公選法二〇四条の選挙の効力に関する訴訟において、判決によつて当該選挙を無効とする(同法二〇五条一項)ことの可否である。この訴訟による場合には、選挙無効の判決があつても、これによつては当該特定の選挙が将来に向かつて失効するだけで、他の選挙の効力には影響がないから、前記のように選挙を当然に無効とする場合のような不都合な結果は、必ずしも生じない。(元来、右訴訟は、公選法の規定に違反して執行された選挙の効果を失わせ、改めて同法に基づく適法な再選挙を行わせること(同法一〇九条四号)を目的とし、同法の下における適法な選挙の再実施の可能性を予定するものであるから、同法自体を改正しなければ適法に選挙を行うことができないような場合を予期するものではなく、したがつて、右訴訟において議員定数配分規定そのものの違憲を理由として選挙の効力を争うことはできないのではないか、との疑いがないではない。しかし、右の訴訟は、現行法上選挙人が選挙の適否を争うことのできる唯一の訴訟であり、これを措いては他に訴訟上公選法の違憲を主張してその是正を求める機会はないのである。およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして考えるときは、前記公選法の規定が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が選挙権の平等に違反することを選挙無効の原因として主張することを殊更に排除する趣旨であるとすることは、決して当を得た解釈ということはできない。)

(引用終わり)

しかし、これらの点は、検討すべきでない。
そのような紙幅の余裕は、ないからである。
これらの論点を書こうとすると、必然的にメインの投票方法の論述が薄くなる。
それは、相対的に、評価を下げる。

また、出題趣旨をみると、判例変更の限界の論点が挙がっている。

(出題趣旨より引用、下線は筆者)

 本問では,この問題点を考える上で,当該判例を変更する必要性についても検討することを求めている。憲法判例の変更はどのような場合に認められるのか,また,本問は判例変更が認められる場合といえるかなどについて検討することが求められている。

(引用終わり)

しかしこれは、書くべきでない。
問題文から、これを読み取る契機としては、以下の部分だけである。

(問題文より引用、下線は筆者)

 Aは,現行の国民審査法を合憲とする1952年の最高裁判所大法廷判決を知っていたが,国民審査法第36条に基づく訴訟を提起して,上記最高裁判所判例の変更の必要性も憲法上の主張の一つとして主張しつつ,現行の国民審査制度の是正を図りたいと思った。

(引用終わり)

しかし、これだけで、判例変更の限界を論点として書くべきだ。
そのように読み取る人は、ほとんどいない。
単に判例を引用して合憲、という答案を牽制する趣旨。
その程度のものとして読むのが普通だろう。
しかも、基本書等でも、判例変更の限界や要件について、ほとんど触れられていない。
これを書こう、と思う方が、むしろ異常である。
実際、この点を書いた人は、ほとんどいなかったようだ。

このような部分は、事後的な配点調整によって、配点が極端に下がる。
そうしないと、適正な得点分布を実現できないからである。
結果として、出題趣旨に挙がっているのに、書いても意味がない。
そういう現象が、生じることになる。
司法試験平成22年採点実感等に関する意見の読み方(商法)司法試験平成22年採点実感等に関する意見の読み方(民法)参照。)
出題趣旨を読む場合、このような点に気をつける必要がある。

なお、ここでいう判例変更の限界とは、以下のようなことだろう。
すなわち、ある論点につき、A、B二つの解釈が可能である。
従来の判例は、Aの解釈であった。
この場合、Bの解釈も成り立ちうるというだけで、Bに判例変更することはできない。
Aの解釈を維持できない理由。
すなわち、判例変更の必要性がなければならない。
本問では、国民審査は、これまで一度も罷免事例がない。
(このことは、短答の知識である。)
これは、国民審査の形骸化を示す。
その原因は、従来の判例が現行の投票制度を合憲とした点にある。
だから、判例変更の必要性がある、ということである。

※判例変更の必要性という語は、別の意味を指すこともある。
例えば、本問で、原告の主張する解釈によっても、投票結果に影響がないとする。
その場合には、いかなる解釈によるかは結論に影響しない。
従って、その点について判断を明示する必要がない。
このような意味において、判例変更の必要性がない、ということも可能である。
(これは憲法判断回避の準則と、ほぼ同義である。)

ただ、罷免を可としない投票のうち、どの部分が適格不適格のいずれでもない票なのか。
それは外形上判断できない。
従って、投票結果に影響がないとは、断定できない。
原告側が、適格不適格のいずれでもない票を、罷免を可としない票に参入すべきでないと主張する場合。
その場合に、上記の意味における判例変更の必要性がないということは、できない。
そう考えるのが、普通だろう。

前記のとおり、答案上、上記を一つの論点として展開する必要はない。
大展開すれば、むしろ評価を下げるだろう。
(これが、論文の怖いところである。)
ただ、国民審査の形骸化という点は、原告側の理由の一つになるだろう。
これ自体は、問題点として基本書にも触れてあることが多い。
そのような意味で、この点を触れるのであれば、問題ない。
これに対し、もともと国民審査は司法が異常な独善、暴走に陥った場合にのみ機能する。
いわば、非常時の安全装置である。
そういうものだと考えれば、司法が一応健全だから罷免が生じていない。
それだけのことだ、と説明することになる。
例えば、自宅の火災報知器は、これまで一度も鳴ったことがない。
故障だろうか。
おそらく、そうではない。
自宅が火災に遭っていないというだけである。
(ただし、報知器は定期点検で故障の有無を確認できるが、国民審査はそうでない。
いざという時に、国民審査が正常に機能するかは、今のところよくわからない。)

統治は原理原則から書く

メインの投票方法の合憲性。
これは、国民審査の趣旨から書く。
合格答案の要件は、ここに尽きると言ってよい。
問題文の最大判昭27・2・20は、解職制度であるとした。
そこから、合憲の結論を導いている。
これに対して、任命の事後審査等と解する説がある。
これらの考え方からは、違憲の結論を導きうる。
この論理性を、答案上示しているか。
本問は、ほぼこれだけで、勝負が決まるといってよい。

さらに、上位の要件としては、統治の原理から上記を説明できているか。
すなわち、司法に対する民主的統制を強調すれば、任命の積極的審査という方向になりやすい。
白票をもって、任命を是とする投票とみなすのは、違憲だ。
そういうことになりやすい。
他方で、司法は少数者の人権を守る最後の砦である。
そのことから、司法の独立が保障されている。
多数決主義は、司法には直接には妥当しない。
従って、国民審査による民主的統制が作用するのは、例外的な場面である。
このように解すると、解職制度という方向になりやすい。
すなわち、白票は罷免を可としない投票とするのは当然、ということになる。
ここまで示すことができれば、上位だろう。
出題趣旨の下記の部分は、上記のことを指している。

(出題趣旨より引用、下線は筆者)

 国民審査制を法の定める統治機構の構造上どのように位置付けるかに配慮しつつ,当該判決の判断をめぐる問題点に関して「考える力」を見ようとする問題である。

(引用終わり)

旧試験時代から、統治は原理原則から書く。
イメージ的には、上位概念からばっさり切る、という感じだ。
その傾向は、予備試験でも、変わっていない。

上記のことは、基本書レベルの知識である。
基本書の「国民審査」の項目にはなくても、総論的な知識を基礎に考えれば書ける。
しかし、案外、現場では書けない人が多い。
後から言われれば、わかる、という感じのことである。
論文における、「考える力」とは、上記のようなものである。
その場の思いつきや、独創的な発想に基づくものではない。
あくまで、基本書等の誰もが知っている基礎概念から、演繹する力である。

勉強が進んでいる人は、上記は論理必然でないことを知っている。
そのため、上記を端折って、15条、19条、21条論等を展開したがる。
しかし、そういう答案は、評価を下げる。
配点は、上記の基本部分にあるからである。
学者並みに学説に詳しい長期受験生が、大学生に敗れる。
そのカラクリは、このような配点分布にある。

また、人権構成は、理論的にも難点がある。
それは、他人の人権の援用の論点を抱え込むからだ。
本問で、Aは、自分が○を付けたり、棄権できれば満足というわけではない。
他の審査人との関係でも、違憲である、と主張する必要がある。
なぜなら、そうでないと、Aの1票だけの問題となってしまうからだ。

(参考)国民審査法37条1項、下線は筆者

 前条の規定による訴訟においては、審査についてこの法律又はこれに基いて発する命令に違反することがあるときは、審査の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、裁判所は、審査の全部又は一部の無効の判決をしなければならない。

従って、飽くまで79条論がメインで、人権論はその解釈指針に過ぎない。
そうみるべきだろう。
すなわち、79条が要求するような制度になっていないから、違憲である。
これが、軸になる主張である。
では、79条が要求する制度とは、何か。
そこでは、単に解職制度か否か、だけでは論理必然の結論は出ない。
だから、15条、19条、21条の趣旨を援用して、考える。
そういう理論構成になるのではないか。
いずれにせよ、答案に書くような内容ではない。

なお、この審査無効の訴えは、客観訴訟である。
従って、厳密には、司法権の限界や、客観訴訟における違憲審査の可否。
そういったことも、問題になる。
Aは、自己の主観的利益の回復を求めるのではなく、制度の是正を図っている。
この部分をとらえて、事件性はあるのか。
そういう問題意識は、ありうるところである。
しかし、こういったことは、書いても点にはならない。

多少強引でも、原理原則とリンクさせる

審査広報については、以下の部分がヒントになる。

(問題文より引用、下線は筆者)

 国民審査法第53条及び同条に基づき規定された最高裁判所裁判官国民審査法施行令第26条(資料2参照)によれば,審査公報に掲載されるのは,審査に付される裁判官の氏名,生年月日及び経歴並びに最高裁判所において関与した主要な裁判その他審査に関し参考となるべき事項である
 今回の国民審査で審査権を有するAは,審査公報に挙げられていた主要な裁判について,その判決文にまで当たって審査の対象となる各裁判官の見解を調べ,さらに,各裁判官の経歴等も調べた

(引用終わり)

つまり、審査広報だけでは、情報が足りなかった。
この点が、問題ではないか、ということである。
これを問題にするとすれば、適用(運用)違憲か、裁量逸脱濫用である。
すなわち、憲法の趣旨からすると、「審査に関し参考となるべき事項」には、判決文等も含む。
だから、国民審査法53条及び同施行令26条の適用として違憲。
あるいは、そのような運用をしてきたことが、違憲である。
または、「審査に関し参考となるべき事項」の裁量判断が、憲法の許す枠を超えている。
だから、裁量権の逸脱濫用で違法だ。
言っていることは、どれもほとんど同じである。
従って、どのような構成でもよい。

※なお、施行令への委任は、問題とはならない。
確かに、憲法79条4項が法律事項としている。
しかし、憲法31条と73条6号ただし書との関係から、それだけで違憲になるとは考えられない。
違憲・違法の問題が生じるのは、白紙委任か、委任の範囲を超える場合などである。
しかし、国民審査法53条は具体的事項を掲げて委任している。
従って、白紙委任ではない。
また、同施行令26条が、委任の範囲を超えているとも思えない。
結局、委任の可否は、問題にならない。

重要なことは、ここでも、統治の原理原則と、リンクさせることである。
実際には、ここは統治論とは、あまり関係なさそうである。
判決文等を全部掲載していたら、分厚すぎて頒布できないし、読んでもらえない。
また、各裁判官の経歴等の情報は、掲載の仕方によっては審査人の予断を生じさせる可能性がある。
そのあたりの、審査対象裁判官の間の公平性等も、考慮しなければならない。
そういった、技術的な要素の方が、現実には決定的な理由になるだろう。
(上記の専門的、技術的要素から、選管の裁量性を導くのが、行政法的な本筋の思考ではある。)
しかし、そうではあっても、強引に原理原則と結びつける。
それが、統治のテクニックである。
任命の積極的審査という観点からは、当否の判断をするに足りる事項を掲載せよ。
そういう方向で考えうる。
他方、消極的に不適格者を罷免するという観点からは、そこまで厳密な意味づけはない。
そういう理解も、可能である。
(ただし、論理必然ではないし、関連性も怪しい感じはあるが、答案としてはこれでよい。)
そういう、大雑把な方向性を示すことが、統治では重要である。
いずれにせよ、ここはコンパクトに書きたい。
メインは、飽くまで投票の方法の方である。

【参考答案】

第1.設問1

1.国民審査制度の趣旨

 国民審査における国民による審査の対象は、内閣による最高裁判所裁判官の任命である(79条2項、「任命は・・審査に付し」)。その趣旨は、直接の民主的基盤を有しない司法に対し、国民が、内閣による任命の当否を審査することによって、民主的正統性を付与する点にある。このように、国民審査は、単なる解職制度ではなく、任命の事後審査としての性質をも併有する。

2.投票の方法について

 上記事後審査としての性質からすれば、棄権や白票をもって、当然に適格の投票とみなすことは許されない。すなわち、憲法79条3項の「投票者」とは、適格又は不適格を示す投票をした者をいい、適格不適格のいずれとも判断できない者、すなわち、棄権者及び白票を投じた者を含んではならない。
 そうすると、適格不適格のいずれとも判断できない場合を、罷免を可としない投票とし、上記「投票者」に含める取扱いをする国民審査法(以下「法」という。)15条は、憲法79条3項に違反する。

3.審査広報の掲載事項について

 前記1の事後審査の性質を考慮すると、法53条及び同条に基づき規定された最高裁判所裁判官国民審査法施行令(以下「令」という。)26条の「審査に関し参考となるべき事項」とは、任命の適否を判断するに十分な事項と解される。
 しかし、本問で、Aは、審査広報記載の事項のみでは足りず、判決文、審査対象となる各裁判官の見解、各裁判官の経歴等も独自に調べたというのであるから、本問の審査広報には上記十分な事項が掲載されたとはいえない。従って、本問の審査広報は、法53条及び令26条に違反する。

4.判例変更の必要性について

 1952年の最高裁判所大法廷判決(以下、単に「大法廷判決」という。)は、単なる解職制度であるという理解の下に、現行制度を合憲としたが、それから半世紀余り経過し、国民審査制度の形骸化が指摘される現在においては到底維持しえないものであって、変更を免れない。

第2.設問2

1.想定される被告の反論

(1)国民審査は、憲法79条3項の「罷免」の文言から、解職の制度である。法15条は上記趣旨に合致するから合憲である。

(2)主要な裁判の事件名だけでも「審査に関し参考となるべき事項」として十分である。従って、本問の審査広報は、法53条及び令26条に違反しない。

(3)上記(1)及び(2)と同旨の大法廷判決を変更する必要はない。

2.私見

(1)国民審査制度の趣旨

 そもそも、司法府は理性の府であって、立法府のような国民の代表機関ではない(43条1項、76条3項参照)。少数者の人権を保護するためには、司法の独立が不可欠である。従って、本来、民主的統制になじまない。もっとも、司法の独善、暴走という極限的事態に対する最低限の防止手段は用意しておく必要がある。そこで、そのような例外的統制手段として、国民審査が規定された。そうである以上、その性質は、不適格者を消極的に排除する解職制度ということになる。

(2)投票の方法について

 上記趣旨からすれば、罷免を可とする投票の数が、その余の投票より多数である場合に罷免が成立すると考えるのが合理的であるから、それに沿う投票の方法を定めた法15条は、憲法79条2項に違反しない。

(3)審査広報の掲載事項について

 前記(1)の趣旨からすれば、法53条及び令26条の「審査に関し参考となるべき事項」には一定の羈束的な意味はなく、掲載事項の判断は、選挙管理委員会の裁量に属する。
 本問で、審査広報に判決文、裁判官の意見等を全て記載することは、頒布に適する紙幅、文字数の制約等から不可能であるし、事件名がわかれば判決文等は調査可能であるから、上記事項の不掲載が選挙管理委員会の裁量の逸脱、濫用に当たると認めることはできない。
 よって、本問の審査広報は、法53条及び令26条に違反しない。

(4)判例変更の必要性について

 以上のことは、大法廷判決の趣旨と抵触しないから、その変更の必要性は認められない。
 なお、現行制度において一度も罷免が成立したことはないが、前記(1)のとおり、国民審査は例外的統制手段であって、司法の独善、暴走という極限的状況が生じない限り発動は予定されていない以上、これをもって形骸化ということはできない。

以上

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