平成28年予備試験論文式一般教養の解法と参考答案

1.予備試験の論文式試験において、一番どうしていいかわからない、という感覚を持つのが、一般教養だろうと思います。一般教養の対策は何もしない、という人も、結構いるようです。しかし、それは非常にもったいないことです。論文式試験における一般教養科目の配点は、他の法律基本科目と同じ50点です。

 

(「司法試験予備試験に関する配点について」より引用)

 法律基本科目及び一般教養科目については各科目いずれも50点満点とする。

(引用終わり)

 

 ですから、一般教養の対策をしないということは、法律基本科目を1科目捨てていることと同じなのです。そして、一般教養を解くための方法論は、大学受験の現代文のテクニックと同じであり、一度解法を理解すれば、安定して上位を取れるおいしい科目でもあります。直前に覚えるような知識もありませんから、余裕のある時期に解法を確立しておけば、むしろ、安定した得点源になるのです。
 もっとも、一般教養の解法が、大学受験の現代文のテクニックと同じであるということ自体、あまり知られていないように思います。また、司法試験受験界には、大学受験の現代文のテクニックを知っている人自体が少ないのかもしれません。そこで、今回は、その解法を、具体的に、設問の目の付け所から文章の読み方、答案用紙に書き込む文言まで、詳細に解説しておきたいと思います。問題文は、こちらから、各自参照して下さい。

2.設問1です。直接的な問いは、「何が求められるであろうか」という部分です。ただ、それよりもまず、目を付けるべきは、「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割に触れつつ」という部分です。これは、解答の中身を構成する要素だからです。より具体的に言えば、答案で、「学問における専門家集団の役割は~」という形で必ず書くことになる、ということですね。ですから、まずは、これが文章中のどの部分を指しているか、ということを、検討することになるわけです。
 この際に、気を付けたいのは、「実質的な意味を考えようとしない。」ということです。自分の頭で考えようとすると、10人いれば10人考え方が違いますから、どんどん出題者の期待する解答からズレていきます。そうではなく、文法の法則に従って、形式的、客観的に考えていく。それが、大学入試の現代文の基本であり、そのまま予備試験の一般教養の基本ともなるわけです。この場合のテクニックは、「キーワードに着目し、それと同じ言葉、あるいは同義語、類義語、対義語を探す。」ということです。「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割」の主要な要素は、「役割」です。答案では、「学問における専門家集団の役割は~という役割である。」と書くことになるからですね。そこで、「役割」を探します。すると、「個々の学問分野において研究者が果たしている役割も,基本的にこれと同じである。」という文章を見付けることができるはずです。これを見た時に、「これは楽だな。」と感じるべきです。なぜなら、この文章の中に、他のキーワードである、「学問」と「研究者」が既に入っているからです。「学問における専門家集団の役割」と、「個々の学問分野において研究者が果たしている役割」は、ほとんど同じ意味ですね。ですから、今度は、「基本的にこれと同じである。」の「これ」が何を指しているかを確定すればよい。これも、自分の頭で考えるのではなく、文法法則に従って、「これ」のある文章の直前のものを指していると考えて、直前の文章を見ればよい。すると、「例えば法律・医療・会計などの領域では,各種の専門家が一定の条件下で知識を独占的に運用し続けている。」とあります。これをそのまま、「これ」に当てはめて、「学問における専門家集団の役割は~という役割である。」という形式にしてみると、

 「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割は、法律・医療・会計などの領域では、一定の条件下で知識を独占的に運用し続ける役割である。」

という文章になります。これでもよさそうです。ただ、気にすべきは、「例えば」となっているということです。「例えば」は抽象的・一般的なものを示した後、それに沿う具体例を挙げる場合に使う言葉です。だとすれば、「例えば」の前の文章は、より抽象的・一般的なものがあるはずです。その意識を持って、前の文章を見てみます。すると、「その一方で,「知識」と「情報」を概念的に区分することに固有の関心=利害(interest)を持つ人々も,いまだに存在する。」という文章がある。この文章のうち、「固有の関心=利害(interest)を持つ人々」とは、ここでは「学問における専門家集団」とほぼ同義の表現として用いられていることがわかるでしょう。そして、「「知識」と「情報」を概念的に区分すること」は、「役割」に当てはまり得る表現である。そうすると、これを先の文章と合わせて、「学問における専門家集団の役割は~」の形式で文章化すると、

 「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割は、「知識」と「情報」を概念的に区分する役割であり、例えば、法律・医療・会計などの領域では、一定の条件下で知識を独占的に運用し続けるという役割である。」

という文章になります。とりあえず、これで、「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割に触れつつ」という要求には応えられそうです。
 そこで、今度は、直接的な問いである、「一般に「学問的知識」が「学問的知識」であるためには,何が求められるであろうか。」に対する解答を考えてみましょう。答案用紙には、「一般に「学問的知識」が「学問的知識」であるためには~が求められる。」というような形で書くことになるでしょう。設問の文章中のどの部分が、この「~」の部分に該当するのか、そのような目で、文章を見ることになります。ここでも、自分の頭で考えてはいけません。キーワードに着目して、形式的に考えればよいのです。ここでのキーワードは、「学問的知識」です。このキーワードを探しながら文章を読むと、最後に出てきます。最後の文章で注目すべきは、「すなわち」という接続詞です。「すなわち」は、直前の文章と同じ意味のことを言い換える場合に使う接続詞です。「つまり」とか、「換言すれば」などと同じ意味ですね。そこで、前の文章を見ると、「個々の学問分野において研究者が果たしている役割も,基本的にこれと同じである。」という前に見た文章です。そして、ここでいう「これ」の意味は、前に確認しましたね。もう一度確認すると、

 「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割は、「知識」と「情報」を概念的に区分する役割であり、例えば、法律・医療・会計などの領域では、一定の条件下で知識を独占的に運用し続けるという役割である。」

ということでした。ここまで来ると、設問が、「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割に触れつつ」と言っていた意味がわかります。
 さて、上記の文章に続けて、最後の文章は、「すなわち研究者は,「斯界の権威」として学問的知識の生産や流通にコミットし続けている。」としているわけですから、研究者が、「学問的知識の生産や流通にコミットし続けている」こととは、「「知識」と「情報」を概念的に区分する」ことを指しているのであり、「一定の条件下で知識を独占的に運用し続ける」ことを指していることになります。「「知識」と「情報」を概念的に区分する」ことによって、学問的知識が生産され、それを「独占的に運用し続ける」ことによって、学問的知識が流通しているともいえるでしょう。ここまで来ると、「一般に「学問的知識」が「学問的知識」であるためには,何が求められるであろうか。」に対する解答が見えてきますね。「「知識」と「情報」を概念的に区分する」ことによって、学問的知識が生産される、すなわち、「知識」と「情報」を概念的に区分すると、学問的知識が生まれるのですから、「学問的知識」が「学問的知識」であるためには、「知識」と「情報」が概念的に区分されることが求められるというわけです。
 さあ、これで解答がわかりました。後は、これを解答用紙に書く文章としてまとめるだけです。書出しは、「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割は」で始めるのが、書きやすそうです。

 「学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割は、「知識」と「情報」を概念的に区分する役割であり、例えば、法律・医療・会計などの領域では、一定の条件下で知識を独占的に運用し続けるという役割である。」

 先に確認したとおり、学問的知識は、研究者が上記の役割を果たす、すなわち、「「知識」と「情報」を概念的に区分する」ことによって生産されていたのでした。このことを文章化すると、

 「研究者は、上記の役割を果たすことにより、「斯界の権威」として学問的知識の生産や流通にコミットし続けている。すなわち、学問的知識は、「知識」と「情報」を概念的に区分することによって生み出される。 」

ということになるでしょう。そして、結論です。

 「したがって、一般に「学問的知識」が「学問的知識」であるためには、「知識」と「情報」が、研究者によって概念的に区分されることが求められる。」

 これが、設問1の解答ということになるわけです。

3.では、設問2を見ていきましょう。直接的な問いは、「「国家」はいかなる立場に置かれているであろうか。」というものです。ですから、解答用紙には、「「国家」は~の立場に置かれている。」と書くことになるのでしょう。ただ、ここでも、この直接的な問いの解答をいきなり探さない方が解きやすい。まずは、解答の際の注文として、「具体的な事象を取り上げつつ」とされているわけですから、この「具体的な事象」とは何か、これを考えてみるべきなのです。ヒントになるのは、設問の部分で前提的に書いてある、「グローバル化=個人化が進行する中で」という部分です。これの具体例が、「具体的な事象」に当たりそうですね。ここまで読んでいればもうわかっていると思いますが、これも、自分の頭で考えてはいけません。「グローバル化=個人化が進行する中で」という言葉が、設問の文章の中のどの部分を指しているのか。これを、「グローバル化」や、「個人化」というキーワードに着目して探していけばよいのです。
 そこで、文章を頭から見ていくと、「グローバル化」と「個人化」は、セットで出てきます。まず、最初に発見するのは、「人々が中間的な集団から解放されることを「個人化(individualization)」と呼ぶならば,グローバル化は個人化と軌を一にしている。」という文章です。まず、「個人化」という言葉は、「人々が中間的な集団から解放されること」と定義されていることがわかります。このことから、解答用紙に記入する場合には、「人々が中間的な集団から解放されるという個人化」と書くことになりそうです。それから、「軌を一にする」の「軌」の語源は、「軌道」の「軌」。すなわち、車輪の跡のことです。ですから、「軌を一にする」という言葉は、「同じ方向性で」という程度の意味です。グローバル化と個人化が同じ方向性にある、という場合の、同じ方向性とは、どのようなものなのか。この、共通の方向性に当たるものを、文章から抜き出すことができれば、設問の、「グローバル化=個人化が進行する中で」の意味もわかりますし、その具体例も理解できそうです。そこで、同じ方向性とは何か、という目でもう一度文章を読むと、冒頭の「インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と,手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている。その一方で,(地理的・空間的に)身近な人々との関係が,より疎遠になる傾向が認められる。」という文章が、これに当たりそうだ、ということがわかるでしょう。すなわち、「インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と,手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている一方で,(地理的・空間的に)身近な人々との関係が,より疎遠になる傾向」が、グローバル化と個人化に共通する方向性、ないしは共通の原因である、ということです。したがって、「グローバル化=個人化が進行する中で」との関係では

 「グローバル化=人々が中間的な集団から解放されるという個人化は、インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている一方で、(地理的・空間的に)身近な人々との関係がより疎遠になる傾向という点で軌を一にして進行している。」

という文章が成立します。
 さらに、「グローバル化」と「個人化」のキーワードは、その直後の文章にも登場します。「グローバル化=個人化は今日,社会の各所に多大な影響を及ぼしつつある。」という文章です。これを見れば、設問の、「グローバル化=個人化が進行する中で」との関係で

 「グローバル化=個人化の進行は、今日、社会の各所に多大な影響を及ぼしつつある。」

という文章が成立することに気が付きます。そして、注目すべきは、その直後の文章が、「例えば」で始まっていることです。「多大な影響」の具体例が挙がっているのでしょう。見てみると、「例えば家族や地域のコミュニティーは,その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」とある。ここから

 「グローバル化=個人化の進行は、今日、社会の各所に多大な影響を及ぼしつつある。例えば、家族や地域のコミュニティーは、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」

という文章が成立します。そうすると、「具体的な事象」とは、今のところ、「家族や地域のコミュニティーが恒常的な解体圧力にさらされていること」を指す事象ということになる。「事象」とは、現実に起きた出来事という程度の意味です。できれば、時事的な社会現象や歴史的事実のようなものを挙げられると一番よい。ただ、問題文には、これは直接的には書いてありません。このような場合にも、「自分の頭で独創的に考える」のではなく、「考査委員が想定していそうな最も無難なもの」を「予測」して挙げるのが基本です。何を挙げるべきかについては、直接的な問いに対する解答とも関係しますので、それを検討してから考えることにしましょう。
 次に、直接的な問いである、「「国家」はいかなる立場に置かれているであろうか。」に対する解答を考えます。キーワードである「国家」を文章から探してみると、実は見つかりません。そこで、同義語、類義語、対義語を探してみると、「中間的な集団」、「社会」、「コミュニティー」という言葉が見つかります。ただ、これは、「国家」とは少し意味が違う言葉です。ですから、これを、「国家」にそのまま当てはめてよいか、というのは、少し注意が必要なのです。1つ1つ、慎重に吟味してみましょう。まず、「中間的な集団」を含む文章は、「人々が中間的な集団から解放されることを「個人化(individualization)」と呼ぶならば」となっています。これを、「国家」に置き換えてみると、

 「人々が国家から解放されることを「個人化(individualization)」と呼ぶならば」

となる。まあ、それなりに意味が通じますね。では、「社会」を含む文章を見てみます。前にみた、「グローバル化=個人化は今日,社会の各所に多大な影響を及ぼしつつある。」という文章です。これも、「国家」に置き換えてみましょう。すると、

 「グローバル化=個人化は今日、国家の各所に多大な影響を及ぼしつつある。」

となります。特に違和感はありませんね。さらに、「コミュニティー」を含む文章を見てみましょう。「例えば家族や地域のコミュニティーは,その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」という文章です。 「国家」に置き換えると、

 「例えば家族や地域の国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」

となります。これは、「家族や地域の国家」という部分がおかしいですね。そこで、「家族や地域の」を削除してみましょう。

 「例えば、国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」

 これは特に違和感がない。ここまで来ると、何となくこれでいけそうだな、という感触が生じます(※)。

※ 「国家」を「中間的な集団」や「家族や地域のコミュニティー」よりは上位の組織と考えて、「国家内部の中間的な集団」、「国家内部の家族や地域のコミュニティー」という言葉で置き換えるということも十分考えられます。その場合は、「例えば国家内部の家族や地域は、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」ことの「具体的な事象」(例えば、貧富の格差による中間層の希薄化、核家族化、アウトソーシング化(家族や地域が担っていた機能を企業や行政のサービスが担うようになること)を挙げ、それを「家族や地域のコミュニティーのような中間的な集団の空洞化」と置き換え、これをもって国家の置かれている地位として記述することになります。より高度な解法になりますが、一度考えてみるとよいでしょう。

 


 さて、ここで、前に検討した「グローバル化=個人化の進行」と、その「具体的な事象」をもう一度確認しておきましょう。

 「人々が中間的な集団から解放されるという個人化=グローバル化は、インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている一方で、(地理的・空間的に)身近な人々との関係がより疎遠になる傾向という点で軌を一にして進行している。」

「グローバル化=個人化の進行は、今日、社会の各所に多大な影響を及ぼしつつある。例えば、家族や地域のコミュニティーは、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」

 上記のうち、「中間的な集団」、「社会」、「家族や地域のコミュニティー」を、「国家」に置き換えるのでした。すると、

 「グローバル化=人々が国家から解放されるという個人化は、インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている一方で、(地理的・空間的に)身近な人々との関係がより疎遠になる傾向という点で軌を一にして進行している。」

「グローバル化=個人化の進行は、今日、国家の各所に多大な影響を及ぼしつつある。例えば、国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」

ということになるでしょう。そして、「例えば、国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」に当たるような「具体的な事象」として、「考査委員が想定していそうな最も無難なもの」を予測します。2つの方向性があり得るように思います。1つは、「中間的な集団」を国家に置き換えたことに着目する方向性です。つまり、国家を中間的な集団とみる場合、より上位の集団は、国家統合体を指すことになります。ですから、国家が解体して統合されるというようなものを挙げればよい。考査委員が想定しそうなものは、EUでしょう。答案用紙に書く場合には、

 「例えば、EUのように国家より上位の統合体が組織されるなど、国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」

というような感じになるわけです。なお、ここで、「しかし、必ずしもそのようには言えないと私は考える。国家統合の動きはインターネットが普及する以前から存在していたし、インターネットの普及は、例えば、英国のEU離脱やスコットランド独立のような、むしろ逆の動きの原動力ともなっているからである。そうだとすると~」などと、自分が言いたいことを書き始めてはいけません。そのようなことをやってしまうと、元の文章からどんどん離れていってしまいます。
 もう1つの方向性は、「インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている一方で、(地理的・空間的に)身近な人々との関係がより疎遠になる傾向」や「人々が国家から解放される」というようなことをヒントに、個人が国家を離れて勝手なことをするようになる、と考える方向性です。具体的な事象としては、イスラム国に代表されるテロ組織の活動などが、考査委員が想定しそうな無難な例です。答案用紙に書く場合には、

 「例えば、イスラム国に代表されるテロ組織の活動のように、個人が国家の枠を超えて組織され、国家と対立する行動をとるなど、国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされている。」

というような感じになるでしょう(なお、「国家の枠を超えて」とあるのに、「イスラム国」の語が「国」を含んでいてややこしいと感じたら、「かつてのアルカイダ」という表現にすればよいでしょう。)。これを、「「国家」は~の立場に置かれている。」の形式に書き換えると、

 「グローバル化=個人化の進行によって、今日、国家は、その各所に多大な影響を及ぼされつつある地位に置かれている。例えば、EUのように国家より上位の統合体が組織されるなど、(イスラム国に代表されるテロ組織の活動のように、個人が国家の枠を超えて組織され、国家と対立する行動をとるなど、)国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされる立場に置かれている。」

ということになります。これで、ほぼ解答が完成しました。
 後は、上記を解答用紙に書き込む順番を整理するだけです。設問の、「グローバル化=個人化が進行する中で」の中身を説明するところから書き出すのが一番自然でしょう。

 「グローバル化=人々が国家から解放されるという個人化は、インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている一方で、(地理的・空間的に)身近な人々との関係がより疎遠になる傾向という点で軌を一にして進行している。」
 そのような「グローバル化=個人化の進行によって、今日、国家は、その各所に多大な影響を及ぼされつつある地位に置かれている。例えば、EUのように国家より上位の統合体が組織されるなど、(イスラム国に代表されるテロ組織の活動のように、個人が国家の枠を超えて組織され、国家と対立する行動をとるなど、)国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされる立場に置かれている。」

 これが、設問2の解答です。

4.上記の解答をまとめたものが、下記の参考答案です。
 このように、一般教養は、教養に基づく思考が問われていないという意味では、「ほとんど頭を使わない。」といえます。もっとも、設問の文章をうまく文法法則に沿って整理するという面では高度なパズルでもあり、その意味では、「非常に頭を使う。」ともいえます。要は、頭の使い方が、「一般教養」という科目の名称から想像されるものとは随分違う、ということです。このような出題になってしまうのは、大学入試の現代文と同じ理由に基づきます。すなわち、客観的な採点をしなければならないからです。客観的な採点をするためには、客観的・形式的に解答が導けるものでなければならないだから、このような出題となり、それに対する解法も、上記のようなものとなるのです。しかし、原文を書く小説家等は、実は、そこまで厳密な文法法則を意識して書いていなかったりします。そのために、「出題された文章を書いた筆者本人が解答すると、正解できない。」という面白い現象が生じるわけですね。このことからも、「自分の頭で文章の本質を理解し、自分の言葉で答案を書く」と、ほとんど点が取れないことがわかるでしょう。多くの受験生が、このことを知らないのです。
 同時に、上記のような思考方法は、単なる予備試験の一般教養科目のためだけの受験テクニックというわけではなく、判例の原文などの法律文を読む際にも用いることのできる方法論である、ということも、指摘しておきたいと思います。上記のように、置換えや、読替え、指示語の指す対象の特定ができるようになると、判例も正しく読めるようになります。判例の規範も、より正確な、洗練されたものを用意することができるようになる。予備校のテキストだけでなく、学者の体系書の中にも、判例の規範の示し方が上記のような方法論を適切に用いていないために、不正確になっているとみられるものがあります。ここで示したような基本的な文章の読み方を理解した上で、判決原文と、テキスト等の判旨や規範を対照してみるのも、面白いのではないかと思います。

 

【参考答案】

第1.設問1

 学問における専門家集団(いわゆる研究者のコミュニティー)の役割は、「知識」と「情報」を概念的に区分する役割であり、例えば、法律・医療・会計などの領域では、一定の条件下で知識を独占的に運用し続けるという役割である。
 研究者は、上記の役割を果たすことにより、「斯界の権威」として学問的知識の生産や流通にコミットし続けている。すなわち、学問的知識は、「知識」と「情報」を概念的に区分することによって生み出される。
 したがって、一般に「学問的知識」が「学問的知識」であるためには、「知識」と「情報」が、研究者によって概念的に区分されることが求められる。

第2.設問2

 グローバル化=人々が国家から解放されるという個人化は、インターネットの普及によって(地理的・空間的に)遠方にいる人々と手軽にコミュニケーションを取ることが可能になってきている一方で、(地理的・空間的に)身近な人々との関係がより疎遠になる傾向という点で軌を一にして進行している。
 そのようなグローバル化=個人化の進行によって、今日、国家は、その各所に多大な影響を及ぼされつつある地位に置かれている。例えば、EUのように国家より上位の統合体が組織されるなど、(イスラム国に代表されるテロ組織の活動のように、個人が国家の枠を超えて組織され、国家と対立する行動をとるなど、)国家は、その中で恒常的な解体圧力にさらされる立場に置かれている。

以上

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