「〇〇的」の使い方

1.現在では、法学に限らず、「○○的」という用例が一般に用いられています。若者の間では、「俺的には~」、「私的には~」のような使われ方もしているようです。もっとも、その語源は、あまり知られていないようです。 

 

大槻文彦「文字の誤用」『復軒雑纂』(慶文堂書店 1902年)280頁から283頁までから引用。現代表記化及び太字強調は筆者。)

 今の世に「的」の字をしきりと用いるが、その元はたわけた話であるから申そう。今の文に「反抗的態度」などは「反抗様態度」などいうような意に用いている。「軍事的設備」は、「軍事上設備」、「ドイツ的教育」は、「ドイツ風教育」、「学者的口気」は、「学者然たる口気」というように用いている「的」の字をかように用いるは、中国の官話、小説に常の事であるけれども、この「的」に、「様」、「上」、「風」、「然」などいう意は決して無い。中国の官話の文法を書いた「文学書官話」という書(米国人高第丕の著)に、「的」の字を説いて……(略)……八品詞の何の類とも名づけることが出来ぬ、どんな字の尻にもつける、とある。……(略)……つまり、あっても無くてもよい字で、決して「様」、「上」、「風」、「然」などの意味は無い。……(略)……しかるに、今では、立派な学者も、皆「何々的」を用いて、今、にわかにこれを廃止をしたなら、筆は動くまいと思う程である。「的」の字の真義を調べて用いているのか知らぬ。大方、調べずに用いているのでろう。調べれば、そんな意味の無い字であるから、我慢に用いられる訳のものでない。しかしながら、この「的」の字を、かように用いるようになったのには、原因がなくてはならぬ。原因、大いにありである。その原因は、かような訳である
 明治維新の初めに、何でもかんでも、西洋々々で、翻訳流行の時があった。諸藩で大金を出して、洋学書生にどんな原書でも翻訳させた。その頃、拙者が知っている人々で、よく翻訳をしていたのは、柳河春三、桂川甫策、黒澤孫四郎(河津祐之の事)、箕作奎五(菊池大麓君の兄さん)、熊澤善庵、その他某々等であって、拙者なども、加わっておった。そうして不思議な事には、この仲間が大抵中国の小説、水滸伝、金瓶梅などを好んで読んでいた。ある日、寄り合って雑談が始まった。その時、一人が、ふと、かような事を言いだした。Systemを組織と訳するはよいが、Systematicが訳しにくい。ticという後加えは、小説の「的」の字と発音が似ている。そうだ、組織的と訳したならば、どうであろう、皆々。それは妙案である。やって見よう。やがて、「組織的」の文で清書させて、藩邸へ持たせて金を取りにやる。君、実行したのか。うん。それはひどいではないか。なに、気がつきはせぬよ。などという戯れであったが、さて、この「的」の字で度々、むずかしい所が切り抜けられるので、遂に、嘘から真事というような具合で、後には、何とも思わず使うようになって、人も承知するようになったが、その根を洗えばticと「的」が、発音が似ているからという事で、洒落に用いただけの事で、実に抱腹すべき事であるこれが、「的」の字のそもそもの原因である。その頃の仲間は今では、みんな死んでしまって……(略)……拙者でも話しておかぬと、この馬鹿げた話が湮滅してしまうから、死者に代わって、懺悔に話します。この話は、決して嘘でない。その証拠には、明治の初年以前の翻訳書はもちろん、世のあらゆる書物を御覧なされ。「何々的」などいう用字は何の書にもない。「的」の字のある文は、すべて明治初年から後の書である。今一つの証拠は、こう申す拙者も三十年来、随分、文章というものをたくさん書いて、世に発表してきたが、およそ拙者が書いた文章中には、「的」の字を用いた事は、一か所もないつもりである用いぬのは、根元を知っているから、馬鹿げて用いられぬのである。「的」の字などは、つかわずとも、ほかにいくらも字があって、不自由はせぬ。もっとも、多く書いた文の中には、我知らず、一か所や二か所、的の字を用いたことがあるかも知れぬが、それは、思わず流行に釣り込まれたので、自分で書く気で書いたのではない。まことに、はや、「幽霊の正体見たり枯尾花」、とでも言おうか。我らが罪は余程深いと思って、自首するというような仕合せである。

(引用終わり)

 

 著者の大槻文彦は、日本初の本格近代国語辞典『言海』の執筆者として知られています。上記引用のとおり、「的」にはほとんど意味がなく、語感をよくする程度の理由で用いられているだけです。むしろ、「的」を付することによって、その意味内容が曖昧になることがある。例えば、本来、「日本の」という意味であるのに、「日本的な」としてしまえば、「日本のものではないけれども、日本風のもの」を含んでしまうでしょう。

2.法令用語として用いることを考えるときには、そのままで意味が通るのであれば、敢えて「的」を付する必要はないし、「的」を付することによって、かえって意味が曖昧になるおそれがあるときは、「的」を付するのは避けるべきだ、といえるでしょう。そのような観点からは、「〇〇的な」と表記するくらいなら、端的に「〇〇の」と表記すべきことになる。例えば、「一般的な」、「個別具体的な」ではなく、「一般の」、「個別具体の」と表記することは、このような考え方に沿うものといえるでしょう。
 論文式試験の答案でも、「的」がなくても意味が通るのに、とりあえず「的」を付けてしまっている場合があるでしょう。そのような場合には、「的」を省くことで、一文字分書く時間を節約できる。例えば、「一般的要件」は、「一般要件」でも意味が通るでしょう。「違憲的適用」は、「違憲な適用」とすれば、「的」を「な」にすることができ、画数を減らすことができます。なお、「違憲ではないけれどもそれに準じる適用」も含む趣旨で、「違憲的適用」と表記する場合があるかもしれません。仮にそうであれば、それは「違憲な適用」とは言い換えられない。先に挙げた「日本的な」に似た曖昧さが生じる例の1つです。

3.とはいえ、「〇〇的」の表記を用いた方が便利な場合があることも事実です。その語源がいい加減なものであったにもかかわらず、これが普及したのは、それがとても便利だったからでしょう。また、既に定着している用語については、敢えて「的」を省くことによって、かえって意味が伝わりにくくなる。そのような場合には、「〇〇的」の表記を用いた方がよいでしょう。例えば、「構成要件的故意」や「時間的場所的接着性」は、「構成要件の故意」、「時間・場所の接着性」と表記することもできるでしょうが、視覚的にしっくりこない、という感じです。なお、直前に用いた「視覚的に」も、言い換えようとすると、かえってまどろっこしいことになります。
 論文式試験との関係でいえば、文字数を節約したり、よく分からない部分を曖昧なままごまかして書くテクニックとして、「〇〇的」は便利です。当てはめの事実を引用した後に、一言、「〇〇的である。」、「〇〇的でない。」等と書いておけば、その厳密な意味を理解していなくても、事実の評価としてそれっぽくみえる。例えば、「…であり、甲の関与は積極的、能動的である。」とか、「~の方法は実効的でない。」というような使い方です。刑法で、ある事実について責任要素と言い切っていいかわからないが、それっぽくみえる、というときには、「責任的な要素といえる。」と書けば、なんとなくごまかすことができるでしょう。このようなことも、普段、答案を書く際に意識してみるとよいかもしれません。

戻る