最新下級新裁判例(刑法)

奈良地裁判決平成19年03月27日

【事案】

 本事件が発生したのは,D大学Eキャンパス敷地内の,法政策学部の校舎である甲号館と教員研修室となっている乙号館の間に設置されていた渡り廊下においてである(以下「本件現場」という。)。同キャンパス敷地内には,人文科学部の校舎となっている丙号館等が建ち並び,隣接する丙号館と甲号館の間には八角形状のベンチ式の椅子が設置されており,本件現場はその北東に位置している。

本事件当時の人間関係等

ア 被告人は,D大学人文科学部の4 回生である。
イ 本事件の被害者であるF,本事件の現場に居合わせたG及びHは,いずれも同大学法政策学部の4 回生である。
ウ 本事件を約10 から20 メートルの距離から目撃したI及びJも,いずれも同学部の4 回生である。
エ 被告人とF,G及びH(以下「Fら3 名」という。)とは,本事件まで全く面識がなかった。
オ G及びHは,Fの友人である。
カ I及びJは,被告人及びFとの間に直接の友人関係はないものの,他の友人との関係等から同人らを知っていた。

事実経過等

ア 被告人は,平成18 年(以下,いずれも平成18 年のことであるので,その記載を省略する。)6 月9 日午後3 時40 分ころ,授業に出るため,人文科学部の教室がある丙号館へと向かったところ,上記ベンチ式の椅子に座って雑談をしていたFら3 名に出くわした。
イ 被告人とFら3 名は,お互いに「相手の顔を見た。見ていない。」という口論となった。その際,Fは,被告人の身体の一部を押した。
ウ 被告人は,その場を離れ,丙号館の出入口を入ってエレベーター前まで行った。
エ 被告人に立腹していたFら3 名は,被告人の後を追いかけ,上記エレベーター前で再び被告人と口論を始めた。その際,被告人は,Fから土下座するよう求められたものの,これに応じなかった。
オ 被告人とFら3 名は,丙号館を出て本件現場に向かい移動した。その移動の間,先頭を歩いていた被告人は,Fから背中を押された。
カ Fは,本件現場で,被告人の顔面を1 回頭突きした。
キ 被告人は,上記頭突きにより鼻に痛みを感じ,すぐさま右手拳でFの左顔面を1 回殴打した。
クFは,上記殴打を受けていったん後退したが,再び被告人に近づいてきた。被告人は,左右の手拳でFの左右の顔面を1 回ずつ,計2 回殴打した。
ケ Fは,上記殴打行為により,鼻血を出してうずくまった。
コ G及びHは,本件現場において,被告人に対し暴行を加えなかった。
サ 被告人は,本件現場から立ち去ったが,その途中で,I及びJから鼻血が出ていることを指摘され,その際に,「やばいっすわ。この後授業あるからばれてしまいますわ。ティッシュ持ってないですか。このことは先生から聞かれても言わないでくださいよ。」,「余裕でしたわ。」などと言った。
シ Fら3 名は,本件現場に駆けつけた同大学職員に対し,Fはこけて近くの柱にぶつかった旨虚偽の事実を申告した。Fは,後日,大学側に対し,そのように話した理由について,喧嘩で怪我をしたら保険金が下りないと思ったからであると説明した。

傷害結果等

ア Fは,被告人の上記各殴打行為により,顔面多発骨折の傷害を負い,医師により全治3 か月と診断された。
イ 被告人は,Fの上記頭突き行為により,約10 日間の通院加療を要する鼻背部打撲及び挫傷の傷害を負った。Fは,この件により,9 月27 日K簡易裁判所において罰金20 万円の略式命令を受けている。

【判旨】

 刑法36 条が正当防衛について侵害の急迫性を要件としているのは,予期された侵害を避けるべき義務を課する趣旨ではないから,当然又はほとんど確実に侵害が予期(以下,この趣旨を「侵害の確実な予期」などという。)されたとしても,そのことから直ちに侵害の急迫性が失われるわけではない。しかしながら,同条が侵害の急迫性を要件としている趣旨から考えて,単に予期された侵害を避けなかったというにとどまらず,その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは,もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきである(最決昭和52 年7 月21 日刑集31 巻4 号747 頁参照)。なぜなら,侵害の確実な予期がありながら,積極的加害意思をもって侵害に臨むことは,実質的にみれば,正当防衛状況を利用した単なる加害行為であり,緊急状況下における防衛行為として正当化できないからである。そして,このような場合,行為者には当然に回避義務が認められるといえるのである。
 これに対し,侵害の確実な予期がなく,侵害の単なる可能性を予期していたにすぎないときや,不意打ちといえるほど予想外の場面で侵害を受けたときは,たとえ行為者に積極的加害意思があったとしても,急迫性は否定されないというべきである。なぜなら,このような場合に急迫性を否定することは,行為者に回避義務を課すことになり,その分だけ不当に行為者の行動の自由を制約することになって,先に述べた刑法36条の趣旨を逸脱することになるからである。

 本件において,検察官は,その主張の全体的な趣旨にかんがみれば,被告人がFの侵害行為を確実に予期していたとまでは考えておらず,・・・,本件全証拠を精査してみても,被告人がFの侵害行為を確実に予期していたとは認められないのである。
 そうすると,以上の点だけをみても,本件において急迫性の要件が否定されないのは明らかというべきである。

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