旧司法試験受験生が受験を続ける理由

消極性の内実

以前の記事で、旧司法試験の受験生が受験し続ける理由は、消極的なものだと書いた。
より具体的には3つあると思う。

情報の欠如

人は、何らかの意思決定をするにあたり、その判断のための材料を必要とする。
司法試験受験生にとって、司法試験以外の選択肢を判断するための材料となるのは、就職情報である。
しかし、多くの受験生は、これを持ち合わせていない。
学生時代、周囲が就職活動に奔走するのを尻目に、受験勉強を続けていたからである。
そして、今後、新たに就職情報を入手するということも、困難であることが多い。
その原因としては、二つある。

一つは、時間配分の優先順位にある。
受験生は、優先順位の最上位に受験勉強を置く。
そうなると、就職情報収集の時間は受験勉強が一段落ついてからということになる。
しかし、司法試験の受験勉強には、通常ほとんど終わりが無い。
結局、就職情報の収集は、ほとんど行わないままになる。

もう一つの原因は、就職を目指す友人の欠如だ。
学生の就職活動は、一斉に行われるため、友人同士で情報交換をしやすく、様々な行動を起こす上でもハードルが低くなる。
しかし、司法試験受験生は周囲に同じように就活をしようという人を見つけにくい。
結局、なんとなく就職を考えること自体が、億劫になってしまう。

敗北感の処理不全と水平線効果

敗北を経験しない人はいない。
多くの人は、敗北を乗り越えることで、生きていくことが出来る。
司法試験は、投入する時間的・金銭的資源が大きいために、敗北感も大きい。
司法試験以外の選択をするにあたり、これをどう処理するかが、重要な問題になる。

しかし、受験生の多くは、これを処理できないか、処理できないと思い込んでいる。
これには、敗北感の大きさだけでなく、受験生の敗北感処理能力の欠落も関係している。
学校教育では、敗北した時の敗北感処理や、周囲との接し方などを教えてくれない。
多くは社会が、これを教えるという役割になっている。
社会との接点を受験勉強のために閉じてしまった場合には、特に処理不全の傾向が強くなる可能性が高い。

水平線効果という言葉がある。
思考の枠の中に最悪の結果が見えるとき、思考過程に一定のノイズを入れることで、思考の枠の外(水平線の向こう側)へと、最悪の結果を押しのけてしまうことをいう。
コンピューターの思考アルゴリズムにおいて、生じる現象である。
コンピューター将棋をやったことのある人は、負けの直前に無意味な王手や合い駒を繰り返す習性を知っているだろう。
これは水平線効果によるものである。
これと同様のことが、旧司法試験受験生に生じている。
つまり、敗北感を処理できないがゆえに、敗北という最悪の結果が見えないように、来年の受験というノイズをいれる。
そして、「先のことは来年落ちてから考えればいい」を繰り返すわけである。
敗北感が処理できれば、撤退後の次の一手を読むことが出来るはずなのだが、そうはなっていない。

経済的に受験継続可能な環境

上述のような理由があっても、受験の継続自体が経済的に不可能であれば、他の選択肢を探すほか無い。
しかし、幸か不幸か、今の日本は、受験継続可能な環境を提供してくれている。
非正規雇用の増加は、受験生のバイトの機会を増やす。
そして、物価の下落は、バイトでも十分生活可能な状況をもたらしている。
親の仕送りがなくても、バイトをしながら、受験を続けることが、比較的容易なのである。

そして無限地獄へ

上述の3つの理由から、受験を継続する旧試験組だが、これは旧試験の終了と共に終わるだろうか。
おそらく、そうはならない。
多くは新司法試験に流れるはずである。
そして、その中でも多くは、ローではなく、予備試験に流れる可能性が高い。
ローと予備試験を比較して、上述の要素を考えてみる。

追加的な情報収集を必要とするのは、ローの方である。
若い同級生と一緒になるなど、敗北感に近い感覚を持ちやすいのもローである。
経済的負担の大きさも、ローの方が大きい。

そう考えると、やはり予備試験の方に優位性がありそうだ。
いや、合格率が随分違うだろうという声もあるかもしれない。
しかし、旧試験組にとって、あまり合格率が優先要素でないことは、今年の出願人数が物語っている。
さらに悪いことに、旧試験でありえない合格率を経験しているがために、多少厳しい数字であっても、
「おっ、このくらいならイケるんじゃない?」と思ってしまいがちだ。

結局、旧試験終了後も、無限に地獄は続くことになる。

最後はその人次第

以上のような話は、あくまで全体的な傾向に過ぎない。
個個人のレベルで、これが全てあてはまるはずはない。
状況を理解した上で、打開していくならば、抜け道はいくらでもあると思う。
ただ、無意識でいると、脱出することが困難であることも事実である。
脱出のために必要なもの。
それは、気合いである。

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