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平成19年04月27日最高裁判所第二小法廷判決

【事案】

 被上告人らは,中華人民共和国の国民であり,第二次世界大戦中に中国華北地方から日本に強制連行され上告人の下で強制労働に従事させられたと主張する者(被上告人X1,同X2,亡A,亡B及び亡C。以下「本件被害者ら」という。)又はその承継人である。本件は,被上告人らが,上告人に対し,上告人が本件被害者らを過酷な条件の下で強制労働に従事させたことは安全配慮義務に違反するものであるなどと主張して,債務不履行等に基づく損害賠償を求める事案である。

【判旨】

 第二次世界大戦後における日本国の戦後処理の骨格を定めることとなったサンフランシスコ平和条約は,いわゆる戦争賠償(講和に際し戦敗国が戦勝国に対して提供する金銭その他の給付をいう。)に係る日本国の連合国に対する賠償義務を肯認し,実質的に戦争賠償の一部に充当する趣旨で,連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだねる(14条(a)2)などの処理を定める一方,日本国の資源は完全な戦争賠償を行うのに充分でないことも承認されるとして(14条(a)柱書き),その負担能力への配慮を示し,役務賠償を含めて戦争賠償の具体的な取決めについては,日本国と各連合国との間の個別の交渉にゆだねることとした(14条(a)1)。そして,このような戦争賠償の処理の前提となったのが,いわゆる「請求権の処理」である。ここでいう「請求権の処理」とは,戦争の遂行中に生じた交戦国相互間又はその国民相互間の請求権であって戦争賠償とは別個に交渉主題となる可能性のあるものの処理をいうが,これについては,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じた相手国及びその国民(法人も含むものと解される。)に対するすべての請求権は相互に放棄するものとされた(14条(b ),19条(a))。
 このように,サンフランシスコ平和条約は,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みを定めるものであった。この枠組みは,連合国48か国との間で締結されこれによって日本国が独立を回復したというサンフランシスコ平和条約の重要性にかんがみ,日本国がサンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであった(以下,この枠組みを「サンフランシスコ平和条約の枠組み」という。)。サンフランシスコ平和条約の枠組みは,日本国と連合国48か国との間の戦争状態を最終的に終了させ,将来に向けて揺るぎない友好関係を築くという平和条約の目的を達成するために定められたものであり,この枠組みが定められたのは,平和条約を締結しておきながら戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,平和条約の目的達成の妨げとなるとの考えによるものと解される。

 日中共同声明5項は,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と述べるものであり,その文言を見る限りにおいては,放棄の対象となる「請求」の主体が明示されておらず,国家間のいわゆる戦争賠償のほかに請求権の処理を含む趣旨かどうか,また,請求権の処理を含むとしても,中華人民共和国の国民が個人として有する請求権の放棄を含む趣旨かどうかが,必ずしも明らかとはいえない。
 しかしながら,公表されている日中国交正常化交渉の公式記録や関係者の回顧録等に基づく考証を経て今日では公知の事実となっている交渉経緯等を踏まえて考えた場合,以下のとおり,日中共同声明は,平和条約の実質を有するものと解すべきであり,日中共同声明において,戦争賠償及び請求権の処理について,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる取決めがされたものと解することはできないというべきである。

 日中国交正常化交渉の経緯に照らすと,中華人民共和国政府は,日中共同声明5項を,戦争賠償のみならず請求権の処理も含めてすべての戦後処理を行った創設的な規定ととらえていることは明らかであり,また,日本国政府としても,戦争賠償及び請求権の処理は日華平和条約によって解決済みであるとの考えは維持しつつも,中華人民共和国政府との間でも実質的に同条約と同じ帰結となる処理がされたことを確認する意味を持つものとの理解に立って,その表現について合意したものと解される。以上のような経緯を経て発出された日中共同声明は,中華人民共和国政府はもちろん,日本国政府にとっても平和条約の実質を有するものにほかならないというべきである。
 そして,前記のとおり,サンフランシスコ平和条約の枠組みは平和条約の目的を達成するために重要な意義を有していたのであり,サンフランシスコ平和条約の枠組みを外れて,請求権の処理を未定のままにして戦争賠償のみを決着させ,あるいは請求権放棄の対象から個人の請求権を除外した場合,平和条約の目的達成の妨げとなるおそれがあることが明らかであるが,日中共同声明の発出に当たり,あえてそのような処理をせざるを得なかったような事情は何らうかがわれず,日中国交正常化交渉において,そのような観点からの問題提起がされたり,交渉が行われた形跡もない。したがって,日中共同声明5項の文言上,「請求」の主体として個人を明示していないからといって,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる処理が行われたものと解することはできない。

 上記のような日中共同声明5項の解釈を前提に,その法規範性及び法的効力について検討する。
 まず,日中共同声明は,我が国において条約としての取扱いはされておらず,国会の批准も経ていないものであることから,その国際法上の法規範性が問題となり得る。しかし,中華人民共和国が,これを創設的な国際法規範として認識していたことは明らかであり,少なくとも同国側の一方的な宣言としての法規範性を肯定し得るものである。さらに,国際法上条約としての性格を有することが明らかな日中平和友好条約において,日中共同声明に示された諸原則を厳格に遵守する旨が確認されたことにより,日中共同声明5項の内容が日本国においても条約としての法規範性を獲得したというべきであり,いずれにせよ,その国際法上の法規範性が認められることは明らかである。
 そして,前記のとおり,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいては,請求権の放棄とは,請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせることを意味するのであるから,その内容を具体化するための国内法上の措置は必要とせず,日中共同声明5項が定める請求権の放棄も,同様に国内法的な効力が認められるというべきである。
 以上のとおりであるから,日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,日中共同声明5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきであり,そのような請求権に基づく裁判上の請求に対し,同項に基づく請求権放棄の抗弁が主張されたときは,当該請求は棄却を免れないこととなる。

 

平成19年04月27日最高裁判所第一小法廷

【事案】

 本件は,中華人民共和国の国民である上告人らが,第二次世界大戦当時,上告人X1及び亡A(本訴提起後に死亡し,上告人X1以外の上告人らが訴訟を承継した。)の両名は,中国において日本軍の構成員らによって監禁され,繰り返し強姦されるなどの被害を被ったと主張して,被上告人に対し,民法715条1項,当時の中華民国民法上の使用者責任等に基づき,損害賠償及び謝罪広告の掲載を求める事案である。
 被上告人は,本件にはいわゆる国家無答責の法理が妥当する上,民法724条後段所定の除斥期間が経過しているなどと主張するとともに,本訴請求に係る請求権については,いわゆる戦後処理の過程での条約等による請求権放棄の結果,日本国及び日本国民がこれに基づく請求に応ずるべき法律上の義務が消滅している旨主張する。

【判旨】

 サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,上記のように請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあることにかんがみると,ここでいう請求権の「放棄」とは,請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。
 上告人らは,国家がその有する外交保護権を放棄するのであれば格別,国民の固有の権利である私権を国家間の合意によって制限することはできない旨主張するが,国家は,戦争の終結に伴う講和条約の締結に際し,対人主権に基づき,個人の請求権を含む請求権の処理を行い得るのであって,上記主張は採用し得ない。

 本訴請求は,日中戦争の遂行中に生じた日本軍兵士らによる違法行為を理由とする損害賠償請求であり,前記事実関係にかんがみて本件被害者らの被った精神的・肉体的な苦痛は極めて大きなものであったと認められるが,日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるといわざるを得ず,裁判上訴求することは認められないというべきである。

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