法曹人口を巡る情報戦(後編)

社説の集中砲火

前回の記事で、法務省の採ったと思われる情報戦術を書いた。
日弁連会長選挙を狙って情報を流し、法曹増員見直しに有利な結果を導いた。
しかし、このやり方は、法曹増員推進派を怒らせたようである。

日経2月9日社説

(以下引用)

「弁護士は多すぎ」は本当か

 昨年、中国地方弁護士会連合会、中部弁護士会連合会、埼玉弁護士会が増員計画の見直しを求める声をあげた。増員に反対するのは、次のような現状認識による。「法曹への国民の需要は増えていない。現に仕事にあぶれる弁護士がでている」

 本当だろうか。203ある地方裁判所・支部の管轄地域で、弁護士事務所が3以下のところが90カ所近くある。この司法過疎の解消などを目指し一昨年秋に業務を始めた「法テラス」も弁護士の人手が足りない。来年までに300人必要と見込む常勤弁護士はまだ90人しかいないし、お金に余裕がない人の訴訟を手助けする民事法律扶助業務を担当するのは全弁護士の4割未満だ。

 (中略)

弁護士不足の危機を感じるこれらの業務は、手間がかかる割に報酬が低いところが共通する。「仕事にあぶれる」は有り体に言えば「もうかる仕事にあぶれる」なのか。

 「大幅増員すれば弁護士間の生存競争がひどくなり、人権の擁護・社会正義の実現を目指す仕事には手が回らなくなる」。増員反対派の、こんな言い分にうなずき、法曹は増やさないほうがよいと判断する国民はどれほどいるだろう。

 日本の司法は、大方の国民の役には立たない「2割司法」と酷評されてきた。司法改革の大目標にすえた、そこからの脱却にはまず法曹の大幅増員が要る、と再確認したい。

(引用終わり)

東京新聞2月13日社説

(以下引用)

日弁連新会長 改革後退は許されない

 日本弁護士連合会の新会長を決める選挙では、「安定した生活をしたい」という多くの弁護士の本音が噴出したようだ。法曹の一翼である弁護士会の路線変更は国民待望の司法改革を危うくする。

 新会長選では、現在の司法改革路線、弁護士の大幅増員に反対する高山俊吉氏が43%も得票した。従来通りの改革推進を掲げ辛勝した宮崎誠氏も、選挙中に増員ペース見直しを明言せざるを得なかった。

 裁判員制度の実施が来春に迫る中で、裁判所、法務省と共同歩調だった日弁連の方針変更は重大だ。弁護士が身近になることを期待する国民に対する背信といえよう。

 (中略)

 過剰論は、要するに都会で恵まれた生活ができる仕事が減った、ということではないだろうか。

 司法書士などの試験と同じく司法試験も法曹資格を得る試験にすぎず“生活保障試験”なぞではない。

 保持する資格を職業に生かせない例はいくらでもある。「弁護士資格を得たら、必ず弁護士として暮らしていけるよう参入規制すべきだ」とも聞こえる増員反対論に共感する一般国民は少ないだろう。

 「生存競争が激化し、人権擁護に目が届かなくなる」−こんな声も聞こえるが、余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しない。

 「法の支配」が確立するには、弁護士が高みにいて出番を待つのではなく、社会の各場面に自ら出向かねばならない。弁護士増員は司法改革の要であり、職域拡大は自らの努力と才覚にもかかっていることを忘れないでほしい。

(引用終わり)

朝日2月17日社説

(以下引用)

弁護士増員―抵抗するのは身勝手だ

 確かに、司法試験に通っても司法研修所の卒業試験に合格できない人は増えている。しかし、これは司法試験の合格者が増えた分、研修所で不適格な人を改めてふるい落としているともいえる。そもそも、どのくらいの質が弁護士に求められるかは時代によっても違うだろう。

 弁護士が就職難というのも、額面通りには受け取れない。弁護士白書によると、弁護士の年間所得は平均1600万円らしい。弁護士が増えれば、割のいい仕事にあぶれる人が出る。だから、競争相手を増やしたくないというのだろうが、それは身勝手というほかない。

 (中略)

 並はずれた高収入は望めなくとも、弁護士のやるべき仕事は全国津々浦々にたくさんあるのだ。
 かつて日弁連は司法改革の先頭に立った。その改革は市民のためであり、法律家の既得権を守るためではなかったはずだ。その原点を忘れてもらっては困る。

(引用終わり)

毎日新聞2月10日社説

(以下引用)

弁護士会 司法改革を後退させぬように

 裁判所の敷居を低くし、司法による紛争解決の道を広げるには、法曹人口の大幅な増員は不可欠だ。多重債務問題などを例示するまでもなく、弁護士への潜在的な需要はまだまだ多い。新人の就職難も、割の良い仕事を目指して大都市での開業に集中するせいで、地方に活躍の場を求めれば就職口は少なくない。

 裁判員制度、被疑者弁護、刑事裁判での被害者の代理人、少年審判の国選付添人など新しい制度の導入によって、弁護士の出番が増えているのに、増員を抑制するのでは筋が通らない。既得権のパイを小さくしたくないとの発想に根差しているのなら、世論の納得は得られまい。

(引用終わり)

大手メディアの社説による激しい集中砲火である。
しかも、内容はどれもほとんど同じ。
元になる原稿があるのでは、と疑わせるほどである。
これは尋常ではない。
なお、東京新聞はマイナーだと思うかもしれないが、部数では日経や産経より多く、それなりの影響力がある。

このような社説を書くのは、通常の記者ではない。
記者としては殿堂入りし、社内で別格の地位を与えられた論説委員である。
彼らは末端の記者と異なり、現場よりも、企業のトップや政治家、学者などとの付き合いが多くなる。
また、多くの場合デスクによる内容のチェックなどはないだろう。
同じ新聞であるにもかかわらず、一般記事と社説の論調が矛盾しているときがあるが、それはそういう理由からである。

従って、法曹人口を増員したい産業界や規制改革派の学者などの意向に沿った社説を書くということも十分ありうる。
この一連の社説は、法務省に対する反撃としてなされたのではないかと疑われる。

鳩山法相失言報道

さらに、より強引なやり方ではないかと疑われる報道がなされた。

asahi.com2008年02月14日00時49分配信記事

(以下引用)

鹿児島12人無罪「冤罪ではない」 鳩山法相が発言

被告12人全員の無罪が確定した鹿児島県議選の公職選挙法違反をめぐる「志布志事件」について、鳩山法相は13日、法務省で開かれた検察長官会同の席上で「私は冤罪と呼ぶべきではないと考えている」と発言した。後で記者会見を開くなどして、冤罪の定義について「無実の罪で有罪判決を受け、確定した場合」とし、裁判の結果として無罪となったケースとは分けて考えたと釈明した。

(引用終わり)

jiji.com2008/02/15-00:16 配信記事

(以下引用)

無罪の元被告らが抗議=法相「冤罪でない」発言で−鹿児島

鹿児島県議選買収無罪事件を「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」とした鳩山邦夫法相の発言について、志布志無罪国賠訴訟原告団は14日、抗議声明を発表した。声明は「事件は警察、検察の犯罪」とし、発言を厳しく批判。発言の撤回と謝罪を求めた。

(引用終わり)

nikkansports.com2008年2月20日20時26分配信記事

(以下引用)

野党3党が鳩山法相の罷免要求へ

社民党の福島瑞穂党首、国民新党の亀井静香代表代行は20日の記者会見で、鳩山邦夫法相が鹿児島の選挙違反事件の無罪を「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」と発言したことを重ねて批判し、福田康夫首相に罷免するよう求める考えを示した。

 先に罷免を求める方針を表明している共産党も含め野党3党で、民主党にも共同歩調を働き掛けて具体的な罷免要求に向け調整していく方針。

(引用終わり)

2008/02/22付 西日本新聞朝刊

(以下引用)

志布志冤罪 無罪判決23日1年 深い傷回復遠く 元被告「なぜ、まだ苦しみ」

 「冤罪と呼ぶべきではない」。谷田則雄さん(69)は、13日の鳩山邦夫法相の発言に耳を疑った。「本当は有罪だとでも言いたいのか」

 逮捕で危篤の父親から引き離された。庭師の仕事は、契約先を別の業者に奪われた。社会とのきずなを断たれた元被告に、反省が見えない司法当局の姿勢が追い打ちを掛ける。

 鳩山法相は自らの発言を謝罪したが、谷田さんは許す気になれない。「俺(おい)たちを疑うなら、志布志に来て、この目を見て確かめろ。また心がズタズタにされた」。怒りからくる涙をこらえながら声を振り絞った。

(引用終わり)

報道だけを見ると、鳩山がまた変なことを言ったのか、と思う。
しかし、この問題をこのタイミングで取り上げるのはおかしい。
なぜなら、鳩山大臣は去年の段階で、繰り返し、冤罪ではないと発言しているからだ。

平成19年10月24日衆院法務委員会

(以下引用)※下線は筆者

○鳩山国務大臣 ・・・しかし、今、早川先生がおっしゃったように、犯罪を犯していない者がぬれぎぬを着せられて、実際、刑期まで終えてしまうという冤罪の事件、冤罪という言葉は余り軽々に使ってはいけないんだと思いますけれども、そういうことは、無辜の者が処罰されるということは絶対にあってはならない。無罪になればぬれぎぬだったということで済みますけれども、実際、服役を終えてしまってからというようなことは絶対あってはならないということでございます。

(引用終わり)

平成19年10月30日衆院法務委員会

(以下引用)※下線は筆者

○国務大臣(鳩山邦夫君) 富山の場合は正に完全な冤罪事件、絶対にあってはならないわけですね、冤罪というものは。しかも、服役までさせてしまってから真犯人が現れるということでありますから、富山地検において地検検事正及び次席検事が元被告人の方に直接謝罪をしたと。このたびは誤った起訴をし、誤った刑の執行をしてしまい、大変申し訳ないことをしました、謝罪いたしますと申し上げたというふうに私は聞いております。
 それから、志布志の事件については、直接の謝罪はしていないようです。鹿児島地検次席検事が無罪判決に対して控訴しない旨表明した際に、謝罪の念を表明したものというふうに承知いたしております。

○国務大臣(鳩山邦夫君) 冤罪という定義は難しいと思うのです。つまり、先ほどの富山の一件のようなものは、真犯人が後から現れる、これ典型的な冤罪ということになるわけでございます。ただ、通常に裁判を行って無罪であるという場合をすべて冤罪と言うわけにはいかない
 これは、先生方御承知だと思いますが、司法制度というのか、刑事司法のシステムというのが各国違っていまして、有罪率、有罪になりそうかなというのをばんばん公判請求してしまって無罪が一杯あるという国もある。日本はそういう仕組みにはないものですから、有罪率が九九・九%になると、非常に慎重に選んで公判請求するという、そういう仕組み上の違いがあると思っておりますけれども、冤罪と言われるようなことがゼロになるように努力するのが我々の務めであり、法務大臣の務めであるというふうに考えております。

○国務大臣(鳩山邦夫君) 冤罪という言葉は法律用語ではないだろうと思うんですね。私が完全な冤罪と申し上げたのは、今先生お話のあったとおり、全く別のところに真犯人がいた。ところが自白があったりなんかして、自白に頼り過ぎたというミスがあったと思いますよ。消極的な証拠に目が行かなかったという面もあるのかもしれませんよ。それで実際に刑が確定して服役してしまったというわけで、こういう冤罪はもう絶対にあってはならない、完全な冤罪であると。
 志布志の事件は、私も細かい報告を受けているわけではないので、またいろいろ読み返してみようとは思いますが、結果的には確かに非常に申し訳ない形になっているんですが、当初、検察は起訴の時点では有罪判決を取れるというような思いがあったというふうに聞いているものですから、それはいろんなところに瑕疵があったからこういう結果になっているわけですが、そういう意味で私は冤罪という言葉は使わなかったということなんです。

(引用終わり)

平成19年10月31日衆院法務委員会

(以下引用)※下線は筆者

○鳩山国務大臣 また反論されるかもしれませんけれども、例えば、刑事事件と思われるものが発生した、事件認知。日本は、慎重に証拠を固めてから公判請求しますね。だから、有罪率が九九・九%。ところが、諸外国では、ちょっと怪しいと、とりあえず起訴して公判請求して、ああ、無罪だったか、そういうようなシステムで裁判というのが行われている国もありますね。だから、裁判のありようというのはいろいろあると思うんですね。
 だから、冤罪という言葉も、無罪はすべて冤罪かというと、そういうわけではないと思いますね。だって、検察が公判請求して、無罪だったら全部冤罪かと言われたら、検察だって
 そういう意味でいうと、冤罪という言葉は簡単に使いたくないんですが、富山の場合は完全な冤罪ですね。そういう意味でいえば、私が、加藤先生がおっしゃるような形で富山に行く機会があればと思います。

(引用終わり)

平成19年11月29日参院法務委員会

(以下引用)※下線は筆者

○国務大臣(鳩山邦夫君) 冤罪という言葉は法律用語ではありませんし、定義があるものとは思っておりません。したがって、そういう意味では何が冤罪で何が冤罪でないかという判断は非常に難しいし、法務大臣として申し上げるべきことではないと思います。
 ですが、一般的な社会通念として、やはり冤罪という概念があるとするならば、また私もその常識的な社会通念に従ってお答えするならば、例えば何か非常に複雑な事件があって、日本では刑事事件の無罪率というのは非常に低いんですけれども、何かこう物すごく難しくて、解釈が難しくて結果無罪になったという場合は冤罪とは呼ばない、呼べない。
 しかし、この氷見事件のように、ある人を捕まえて調べて起訴して有罪になって、服役しちゃってから別に真犯人が現れたというのは極めて残念な特殊なケースでございまして、こういう場合は社会通念上冤罪と申し上げていいのではないかと私は思います

○国務大臣(鳩山邦夫君) ちょっと冤罪という言葉の使い方、松岡先生とのやり取りがありましたので、私の考え方も少し取り入れていただければ有り難いと。
 つまり、日本の検察、警察を含めてですが、在り方というのは、非常に慎重に構えて、これならば十分犯罪を立証できると、つまり有罪に持ち込めると相当な確信がないと起訴しないというやり方。外国の中には、まあ、犯罪になるかどうか分からないけど、取りあえず逮捕しておいてやってみようと。そうすると、有罪率が六割とか七割という国がある。日本は九九・九%以上が有罪であるという。
 そういう在り方の問題なので、無罪と冤罪というのはやっぱり違うので、無罪を全部冤罪と言われたら困るので、検察が起訴して無罪になったのはおかしいじゃないかというんだったら、ある意味じゃ裁判は要らないような話になってもくるわけで、やっぱりそこに裁判という非常に厳正中立な判断が加わるというわけでございまして、犯罪白書によりますと無罪判決数というのがありますが、平成十六年百十四件、平成十七年八十五件、平成十八年百十三件となっております。
 先ほど松岡先生にお答えしたようなもののみは私自身も冤罪と呼びます

(引用終わり)

去年の10月から11月の段階で、衆参の法務委員会で繰り返し発言しているのである。
それを年を越して、数ヶ月たった今になって問題にするのは不自然である。
過去の死刑自動執行発言や、友人の友人がアルカイダ発言は、直ちに問題にされている。
しかも、今回の発言内容は、鳩山大臣の独自見解ではない。
政府見解である。

平成18年5月30日参院法務委員会

(以下引用)※下線は筆者

○荒井正吾君 ・・・しかし、冤罪というのはやはりあるんじゃないかと思います。代用監獄のせいかどうかは分かりませんが、冤罪というのはあるんじゃないかと。冤罪というのはあってならないものだと思います。なぜそういうものが起こるのか、どういうふうにそれを対応するのかということを今後も追求していただきたいという気持ちがございます。すると、冤罪というものはどういうものなのか、どのように定義できるのか、どの程度あったのか。また、起訴されて、有罪率が低下する、有罪でなくなる、これは裁判が働いているという証拠だと思いますが、有罪率が低下するとこれは冤罪が増えたということなのか、どのように冤罪を定義してどういうふうになくすのかということをお聞きしたいと思います。法務省の方からお聞きさせてください。

○政府参考人(大林宏君) 御指摘の冤罪という言葉につきましては、法令上の用語ではございませんので、その定義についてお答えすることは困難であるものと考えております。社会生活上の用語例としては、冤罪とは、実際に罪を犯した真犯人ではないのに刑事訴訟で有罪とされることをいうのが多いのではないかと考えております。
 次に、有罪率が低下すると冤罪が増えたというふうな言い方ができるのかというお尋ねでございます。
 今申し上げたとおり、冤罪については、法令上の定義はない上、仮に実際には罪を犯した真犯人ではないのに刑事訴訟で有罪とされることと理解するのであれば、一般に刑事訴訟手続において判断されるのは有罪か無罪かでございますので、御質問に一概にお答えすることは困難であるのではないかというふうに思っております。

(引用終わり)

無罪とされるべきであるのに有罪判決となったものが冤罪。
無罪とされるべきものが無罪判決になったら、それは単なる無罪であって冤罪でない。
志布志の事件は無罪を勝ち取ったのであるから、単なる無罪である。
これが、政府見解=鳩山大臣の理解であり、一貫している。
従って、問題にするならば、鳩山大臣の資質ではなく、政府見解の変更を迫るべきである。

こうした事情は、少なくとも、衆参の法務委員会の委員は皆知っていたはずである。
事実、委員の質疑は、その理解を前提にしてなされている。
鳩山大臣以外の委員も、富山の事件については、「富山(の)冤罪事件」という。
しかし、志布志の事件は、「志布志(の)冤罪事件」ではなく、「先ごろ無罪判決となった志布志事件」というように、使い分けている。
従って、この問題は、政治家が問題にしたのではない。
メディアが急に問題にした。
おそらく記者が、「鳩山大臣は本当は有罪だといいたいのだと思います」などと煽ったのではないか。
そして、志布志の被害者の怒る様子を取材し、それを、野党議員に利用させたのだろう。
野党議員にしてみれば、テレビ中継のある予算委員会のためのいいネタである。
喜んで飛びついたのではないか。

そうすると、なぜ、今頃急にメディアが問題視したのかという点に突き当たる。
言い方を変えれば、メディアに問題視させたのは誰か、ということでもある。
一連の社説と同様、法曹増員見直しに対する反撃としてなされた可能性がある。
増員見直しの旗印とされる鳩山大臣を叩けば、合格者多すぎる発言も間違った発言であるという印象が強まる。
また、仮にこの問題で鳩山大臣が辞任することにでもなれば、後任いかんで逆転の可能性が出てくる。

よく、政治家やメディアが不当な影響力を行使している、等と言われることがある。
しかし、実際には、政治家やメディアは影響力を行使される客体である。

現時点での印象〜法務省不利

法務省の旗色は悪そうだ。
もともと、法務省という役所は、他の省と比べて組織力が弱い。
局長クラス以上は、ほとんどが検事・判事の出向組だからだ。
彼らはいずれ法務省を去るのだから、省のために一枚岩で頑張るということにはなりにくい。
それに対して、規制改革会議側は、小泉・竹中・宮内という大物は表舞台を去ったものの、彼らの立場はほとんどブレていない。
また、この種の争いには、長けているように思える。
法曹人口増員方針が本当に撤回されるということは、現時点ではあまりありそうに無い。
そう感じる。

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