新司法試験考査委員ヒアリングからみる
傾向と対策(憲法)

何を書くか、どう書くか

新司法試験の実施が来月に迫っている。
この時期になると、知識の詰め込みが始まる。
その反面、基本的な考え方・心構えを忘れやすい。
特に論文であるが、何を、どう書くか、という部分。
新司法試験では、知識よりもこの部分で差が付きやすくなっている。
そこで、司法試験委員会による考査委員のヒアリングから、その点を確認してみたい。

人権だけでなく統治にも注意

昨年度の問題は、統治(地方自治)と人権の複合問題であった。
プレテストと平成18年度はいずれも人権のみの出題だった。
そのため、昨年は統治の問題を落としてしまった人もいたようだ。
そして、今年も、複合問題が出る可能性が高い。

これまで,サンプルテスト,プレテスト,昨年の本番の一年目と出題をしてきたが,本年の出題に当たり,一つの考え方として,統治機構に関する論点を盛り込む問題を出題したいということがあった。御承知のように,憲法の判例は人権の分野が多いわけで,裁判実務ということを念頭に置くと,どうしても,人権の部分から出題されるのではないかという先入観をもたれる可能性があると思われる。しかし,憲法論からすると,統治機構というのは非常に重要な分野である。今年は,そういった先入観を払しょくするということもあって,統治機構の論点を含めた問題を出題するのが適当と考え,そういった観点で問題の作成をした。今後も,特定の分野に偏らないように出題していくということになろうかと思う。

人権の論点は、具体的で見えやすいが、統治の論点は、やや抽象的で、見えにくい。
対策として、統治の視点で問題点がないか、再度確認してみるということが必要になる。

応用論点をかけるのは、1割以下

昨年度の憲法は、住民の同意を要件とする条例の合憲性という応用論点が問われた。
何となく、ここが合否をわけるポイント、応用論点をしっかり書かないと受からない。
そんな風に感じてしまいがちだ。
しかし、そうではない。

三つ目の論点である,住民の同意を得るということと人権保障との関係については,逆に論点の所在に気が付いた答案が極めて少なかったのが非常に残念であった。また,これに触れた答案も,期待したほどの論理を展開したものは非常に少なく,印象的には数パーセントという感じであった。

数パーセントということは、1割にも満たないということになる。
昨年の合格率は40.2%である。
仮に10%がしっかり書けたと考えても、残り30%は、書けていないということになる。
すなわち、合格者のうち4分の3は、触れた程度か、触れてすらいない。
合否を分けるのは、その前の部分、すなわち基本的論点である。
応用論点は見落としたとしても、基本論点だけは絶対に落とさない。
そして、応用論点については、なお紙幅と時間が余ったらちょっと書く。
問題意識と一応の結論だけ触れておくだけでも意味がある。
触れてあるかどうかは、「論点の所在に気が付いた」か否かのメルクマールだからである。
たとえば、「なお、〜であるが、この点は〜から、○○と考える」くらいでもよい。

二重の基準論は書かない

ヒアリングでは、「二重の基準」について、全く触れられていない。
出題の趣旨でもそうである。
予備校答案では、今でも二重の基準をベースにした答案が主流である。
しかし、もはや、二重の基準は、書く必要がないばかりか、書くべきではないというべきだろう。
むしろ、設問で問題となる権利の具体的な性質等に着目して、審査基準を選択する方がよい。
もっとも、そうすると、審査基準定立段階と、基準をあてはめる段階とで、二段階のあてはめとなりかねない。
そこで、審査基準定立段階では、権利の性質という点に着目する。
そして、基準のあてはめ段階では、目的手段の合理性に着目するというように、区別して論述する必要がある。

それから、審査基準の選択は、かなり自由だという風に考えていい。
ヒアリングを見ても、審査基準の選択については、全く言及が無い。
それよりも、事例の分析・あてはめができていないという指摘の方が多い。
従って、審査基準は、あてはめがしやすいものを選ぶべきということになる。
その観点からは、LRAは選択し難いということになろう。

被侵害利益は絞る

憲法が苦手な人に多い傾向として、考えられる人権を全部書くということがある。
そうすると、個々の論述が当然薄くなる。
結果、出題者の意図する部分が不十分ということで、点が伸びない。
この原因は、予備校の答練で、そういう配点の問題を出すことがよくあるからだと思われる。
網羅的に論点を拾わせる問題である。
しかし、平成後半の旧司法試験以降、そういう網羅的な答案は評価が低くなる傾向にある。
ヒアリングでも、その点は指摘されている。

その次に印象として申し上げたいのは,人権保障との関係についてである。これについては,本件では宗教的行為の自由との関係が一番大きな問題であり,これにポイントを絞った掘り下げた論述を期待していたわけであるが,意外とそれがなく,例えば,居住移転の自由だとか財産権の保障といったほかの論点を並べて,問題点としては幅を広げた上で,逆に,それぞれについて底の低い,散漫な記述をしている者がかなり多かったというふうに思う。こういう副次的な論点を挙げることは,もちろん間違いとは言えないものの,実際の裁判に当たって,より効果の少ない主張をしても有益性はないわけで,むしろ,考えられる論点は挙げておかないと減点されるのではないかというような論点主義的な感覚が強すぎるのではないかと感じた。

論点主義という言葉は間違って使われることが多い。
しかし、ここでの指摘は正しい。
今年の問題においても、被侵害利益となる人権は、できる限り絞るという意識を持つべきである。

重要判例の理解が不十分でも、それらしいものを書けば受かる

新司法試験では三振制度があることから、受け控えをする人がいる。
確かに、力不足ならば、それも考えられることである。
しかし、新司法試験の合格レベルが相当低いということも考慮に入れた上で判断すべきである。
昨年の憲法では、徳島市公安条例事件判例の理解が問われた。
これは、誰もが知っていて当然の重要判例である。
この判例の理解が不十分では、受かるはずがないとも思える。
しかし、そうではない。

次の印象は,判例の理解ということであるが,法律と条令の関係については,最高裁判所のリーディングケースの判例があるため,これをきちんと理解しているかどうか,これを利用して論述できるかどうかが出発点になるわけである。もちろん,この判決の基準らしきものに触れた答案は多かったわけであるが,意外に,きちんと理解できているものは少なかった。印象的に言うと,理解がきちんとできていた答案は1割とか2割といった程度ではないかと思う。

判決の基準らしきものに触れた答案は多かったが、理解がきちんとできていた答案は1割とか2割。
驚くべきことである。
今年の合格率は、およそ4割である。
そうすると、合格者の半数以上は、徳島市公安条例事件判例をきちんと理解していないまま、合格を勝ち取ったことになる。
自分は重要判例すら理解できていないから、受け控えをする。
これは、合理的な選択とは言い難い。
また、現場で重要判例を忘れてしまっても、何となくこんな感じというものを適当に書けば、受かる可能性がある。
現場であきらめるということがないようにしたい。
旧司法試験受験者の感覚で言えば、「判決の基準らしきものに触れた」だけで合格されてたまるか、というところであろう。
しかし、それが現状である。

主張・反論は法律論を書く

昨年度は、教団側・市側の主張を書くことが求められた。
このような形式は、今後も続くと思われる。
そこで、注意すべきことがある。
それは、あくまで法律上の主張を書くということである。

それから,もう一つ,教団側,市側,あるいは住民の観点ということで,それぞれの立場から複眼的に論述するという点に関してであるが,比較的多くあったのは,教団側に都合のいい要素,あるいは市側に都合のいい要素を資料から抜き出して,教団としては,例えば教団の危険性はないんだということを,市側からは危険性があるんだということを述べる,つまり,それぞれ違った事実をベースにして,それをお互いの主張として論述する答案が少なくなかった。しかしながら,飽くまでこの新司法試験は,法的な知識と能力を測るものであるので,もともとの事実認定レベルで水掛け論の話をしても仕方がないわけで,むしろ,危険性が明確にあるわけでもないけれども明確にないわけでもないという,そういう状況の下でどういう主張ができるのか,原告として,教団側としてどういう主張があり得て,市側としてどういう反論があり得るのか,また,そのような,ある意味中途半端な,どちらとも断定し難いような状況の下で客観的にどう判断するのかということについて,法令を活用した上での意見を論述してもらいたかったところであり,若干,その辺が出題者の意図に応じているとは言い難いと思われた。

司法試験においては、問題文が、裁判でいうところの認定された事実である。
受験生がこれに加えて事実認定をすることは、要求されていない。
これは、新司法試験においても同じである。
主張・反論を事実レベルで行い、その点の自分の考えを書くということは、以上の原則にそぐわない。
法律構成のレベルで主張・反論を構成するように意識すべきである。

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