新司法試験考査委員ヒアリングからみる
傾向と対策(刑法・刑訴法)

小問提示方式・判例資料問題は続くか

昨年度の刑事系は、全体的に旧司法試験の延長線上にあるような出題がなされている。
もっとも、刑法については、やや特殊な出題形式が採られた。
一つは、端的に罪責を問うのではなく、最低限これは書きなさいという意味での小問を設けたことである。
通常小問形式では、小問に答えればそれで足りる。
しかし、昨年度は、全体の罪責も問うが、最低限触れるべき箇所を小問として提示するという形式だった。
ヒアリングでは、これを「小問提示方式」と呼んでいる。
この、小問提示方式は、旧司法試験にはなかった出題形式である。
そのため、受験生の中に小問しか答えない者が少なからず生じた。
これを、考査委員がどう捉えたか。
出題形式に問題があると考えれば、今年度以降は同じ出題形式は避けるだろう。
逆に、小問しか答えない受験生に問題があると考えれば、今年度以降も引き続き出題される可能性がある。
考査委員は、後者と捉えたようだ。

誠に残念であったのは,出題者の意図に反して,問題文を読み違えて,求められた罪責の全体に対してではなく,小問1と2に対してだけ解答した答案が相当数あったことである。出題者としては,普通に問題文を読めば誤解の余地は全くないと考えて出題したものであり,問題文を十分に読まずに解答した答案があったことは,問題文自体に誤読の可能性が全くなかったものであっただけに,繰り返しになるが残念なことであった。出題者としても,今後とも,出題形式については更に様々な工夫を重ねていきたいと考えているが,受験者の方々にも,試験という緊迫した状況の中ではあるものの,問われていることを正確に理解することが,解答に当たってのいわば基本中の基本であるだけに,思い込みに引きずられることなく,文章を落ち着いて正確に読むという当然のことを改めて求めたいと思う。

考査委員の方では、「誤解の余地は全くない」「誤読の可能性が全くなかった」と述べている。
短答正誤の基本として、語尾に「余地はない」とある場合、大抵その肢は誤りということがある。
法学の世界にいる者にとって、「余地は全くない」「可能性が全くない」というのは余程のことである。
考査委員は意識的にかなり強い表現を使っていると考えてよい。
つまり、小問のみに答えた受験生の方が100%悪いと言っている。
ただ、そうはいっても、小問提示方式自体が積極的に評価できなければ、今後改めて出す意義は薄い。
この点、考査委員は積極的に評価している。

小問提示方式を採用することにより,具体的な論述が促され,そのために結論に至る思考過程を適切に評価することができ,その中で勉強の成果の表れを見て取ることができたという評価をされた考査委員の方もいた。この意味で,小問提示方式を採用したことは,出題形式に関する一つの試みとしては積極的に評価し得るように思われる。

そうすると、この小問提示方式は、今後も引き続き出題される可能性がある。
従って、今年度以降も、小問のみに答えてしまわないよう、注意が必要だ。

もう一つの特殊な出題形式は、判例を資料とした出題である。
この、判例資料問題とでもいうべき形式についても、考査委員は概ね高評価のようである。
「とても良い試み」「この試みは大変すばらしい」などとコメントされている。
従って、この出題形式も今後引き続き出題される可能性がある。

小問提示方式・判例資料問題の対策

いずれの形式も引き続き出題され得る以上、対策を考える必要がある。
まず、小問提示方式。
考査委員がこの形式を用いた理由として、以下のように述べている。

具体的に示された小問への答えを解答に含ませるという,言わば小問提示方式を採ったのは,自らの思考内容,思考過程を明らかにしないままに一定の結論だけを端的に述べるというのではなく,飽くまでも事例に表れた具体的な事実に即して,結論に至る思考内容,思考過程を明瞭に示すことを求めるためである。

これは、新司法試験で一貫して問われていることである。
ポイントは、「具体的事実に即して」「思考内容・過程を示す」の2点である。
これは、旧司法試験でも問われていた。
テクニック的に言うと、まず論証に入る前に本問でなぜこの論点が問題になるかを示す。
問題の所在の指摘である。
これを問題文の事例に即して行う。
次に、(事前に用意した)論証を行う。
そして、論証した規範を使い、事例に即して丁寧にあてはめる。
これを忠実に行っていれば、上記の考査委員の要求に自動的に応えることができる。
新司法試験になって、論証をしないで事実列挙から直接結論を導く人も出てきたようだ。
しかし、それは考査委員の求めていることとは異なる。
その点、考査委員は以下のように述べている。

事実に即して具体的に論じることが求められている場面で,問題文に書かれた事実を切り出して,ただ並べただけの答案が散見された。問題を具体的な事実に即して論じるというのは,単に事実を羅列すればよいのではなく,具体的な事実が持つ意味を吟味した上で,それを適切に意味付け,規範に当てはめることが求められているわけである。

これは、予備校答練などを繰り返し受けている人にとっては常識的なことだ。
答練・問題集をこなして対策をしていれば、ここでつまづくことはない。
すなわち、小問提示方式については、定石通りに対応すれば足りる。
注意すべきは、前述のように小問だけ答えて安心しないことくらいである。

次に、判例資料問題である。
考査委員の趣旨は、以下の通りである。

問題の末尾に関連する最高裁判所決定要旨を特に示したのは,最高裁判例に示された考え方を十分に理解した上で,その基礎にある事例と問題の事例との類似点や相違点に留意しながら,自らの思考過程をはっきりと示しつつ論述することを求めるためであった。最高裁判例を問題文に掲げているからといって,最高裁判例に無批判に従うことを求め,そして,それをただ単に問題の事例に当てはめることだけを求めているわけではない。問題に対して解答するに当たっては,最高裁判例の考え方を,その基礎となった事案,事実との関連で理解し,飽くまでもそれとの対比において,問題の事例においては,自分はいったいどのように考えるのかということを具体的に示すことが求められているわけである。

判例が資料として出ていると、一見それを使ったあてはめが問われているように思える。
しかし、求められているのは、対比である。
言い換えれば、比較である。
比較問題の基本は、論理性にある。
まず、背後にある基本的理念等を明らかにする。
そして、それに照らしていかなる論理的帰結となるか。
これを示す。
判例資料問題では、背後にある理念が、「最高裁判例に示された考え方」となろう。
そして、それに照らして「その基礎にある事例と問題の事例との類似点や相違点」を明らかにする。
そうすれば、結果的に、問題の事例の結論が出る。
つまり、事例の結論自体はあまり重要ではないということになる。
その前段階の論理性。
この部分を重視して答案を構成することが、判例資料問題の攻略法ということになる。

しかし、新司法試験で論理が問われることは珍しい。
そのため、昨年度の出来は悪かったようだ。

最高裁判所の決定を付けた趣旨について申し上げると,その判例は有名な判例で,恐らく受験生であれば多くの者が学習したことがある判例だと思われる。そのため,それを単に知っていただけでは駄目で,その判例が結論を出すに至った思考過程を正しく理解して,本件との違い,類似点というところを分析しながら問題を解決するということを受験生に求めたわけであるが,そこまでに至っている答案はかなり少なく,判例の中から抽象的な基準を一応読み取ったような論述をした上で,突然結論を出すというような答案が多く見られたという印象である。

昨年度の段階ではかなり少ないということである。
ただ、これは技術的・知識的に難解であるからではない。
それ以前の頭の使い方、発想の問題である。
比較・論理の発想で判例資料問題は解くのだという意識。
この意識がはっきりあれば、あてはめ一辺倒の受験生とかなり差が付くところだと思われる。
もっとも、比較・論理の訓練をする機会は少ないかもしれない。
旧司法試験の比較問題を答案構成だけでもやっておくのが効果的である。

基本事項は覚える

刑法・刑訴共通の指摘として、基本がなっていないということがある。

刑法の具体的な知識,基本的な理解がなお十分でない答案が目に付いたということを指摘せざるを得ない。今回の問題では,当然問題となるはずの未遂犯への言及がない答案や,また,罪数の理解が十分でない答案が散見された。物事を常識的に理解・把握することを含め,基本的な事項をしっかりと理解することが重要であることを改めて強調したいと思う。

採点をした実感であるが,今述べたとおり,捜査法と証拠法に関する基本的な出題であって,論ずべき法律問題が明瞭であったにもかかわらず,本来,解答の要であり,出発点となるべき,法解釈の部分に関する論述が著しく不十分な答案が目に付いた。関連条文からいわゆる解釈論を論述・展開することなく,いきなり抽象的な判断基準を,しかも何の理由も記載することなく設定し,あとは問題文中の事実をただ書き写しているかのような解答が多かった,そういう印象を抱いた。もとより,これでは法律試験の答案の体をなしていないのであって,新司法試験が「法律学」の試験であるということに改めて注意を喚起したい。

これらは、基本事項を覚えていないところに原因がある。
試験の現場では、基本的な部分をあれこれ考える時間も、精神的な余裕も無い。
条件反射的に気付くべきところ、考えなくても書けるところ。
そういった部分をいかに増やせるかが、合否を分ける大きな要素となる。
これは、覚えていなくては、無理である。
例えば、「いきなり抽象的な判断基準を、しかも何の理由も記載することなく設定」することは、論証を覚えていればありえない。
また、条文の趣旨を覚えておけば、論証を忘れても、趣旨を理由付けに使って論証できるようになる。
そうした努力を怠っておいて、現場でゼロから論証を考えるなどということは、現実的にはほとんど不可能である。
なお、よく言われている「暗記はよくない」というのは、丸暗記のことである。
丸暗記とは、理解の伴わない記憶である。
基本事項については、理解は当然として、記憶のレベルまで高めておく必要がある。
その意味での暗記は、必須である。

ひたすら書く

それから、別の意味での基本がなっていないという部分の指摘もある。

最後に,採点を担当した多くの委員から,学習・習得した事柄を,確かに勉強はしているけれども,筋道立った文章に起案するという基本的な作文能力がまだまだ不足しているという指摘が,特に実務家の先生方からあった。このような能力や技能は,法科大学院において,様々な形で,法的な文章を起案する訓練によってのみ体得されるものであろうと思われる。したがって,このような側面の教育・訓練が今後も必要であることは当然のことであろうと考えている。

これは、当然のことである。
旧司法試験の時代から、答練を1年くらい繰り返し受けてやっとそれらしいものが書けるようになる。
法学部生でもそういう感じだった。
法科大学院では、時間の関係で演習の時間がただでさえ不足している。
しかも、今後は答練が受験指導だということで自粛するという。
これでは法的な文章力は付くはずが無い。
この点に関しては、本試験までに何通の答案を書いたかで勝負が決まると思っていい。
とにかく、数をこなすことによって、自然と書けるようになるものである。

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