最新下級審裁判例

仙台地裁判決平成20年05月13日

【事案】

 平成17年4月2日,Eが被告B株式会社(以下「被告会社」という。)から賃借した普通貨物自動車を運転中,C市内の歩行者専用道路を走行し,歩行中のDに衝突して死亡させた交通事故(以下「本件事故」という。)について,亡Dの相続人及び両親である原告らが,被告会社に対しては,自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)3条に基づき,被告C市に対しては,国家賠償法2条1項に基づき,本件事故によって,亡D及び原告らが被った損害の賠償及びこれに対する本件事故の日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める事案。

【判旨】

 国家賠償法2条1項は,道路,河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときは,国又は公共団体はこれを賠償する責に任ずると定めているところ,営造物の設置又は管理の瑕疵とは,客観的に,営造物が通常有している安全性を欠いていることをいい,これに基づく国又は公共団体の賠償責任については,その過失の存在を必要としないものと解される(最高裁判所昭和45年8月20日第一小法廷判決・民集24巻9号1268頁)。
 そこでまず,本件歩道が通常有している安全性を欠いていたかについて検討するに,本件歩道は,公安委員会により,車両が通行すること及び本件歩道との交差点等において本件歩道に右折,左折等することが禁止されており,本件事故当時,IがG通りと接する本件交差点においては,G通りから本件歩道に右左折することが禁止され,円形青地に垂直上方を指し示す白色矢印という指定方向外進行禁止の標識が設置され,また,本件交差点東側のIへの入口部分には,円形青地に手をつないだ大人と子供の図柄が白色で描かれた歩行者専用道路の標識が設置されており,Iの中心部には点字ブロックが設置されていたというのである。
 本件事故当時,本件歩道において取られていた上記の措置を前提とすると,G通りを進行してきた通常の運転者であれば,本件交差点においては,直進のみ可能であり,Iに右左折することは禁止されており,また,I入口の歩行者専用道路の標識及びIの中央部分に設置された点字ブロック等により,本件歩道が歩行者専用道路であり,車両の通行は禁止されていることを十分に認識することが可能であったと認めることができる。
 したがって,本件歩道は,仮に誤って本件歩道に進入しようとする車両が存在した場合であっても,通常の運転者であれば歩行者専用道路であることが十分に認識可能であり,許可車両以外の車両が進入することを防止するために必要な措置が取られており,歩行者専用道路である本件歩道が通常有すべき安全性を欠いていたとは認められない。

 道路管理者は,道路の安全・円滑な交通を確保しなければならないが,道路の整備の程度については,必ずしも完全無欠のものとしなければならないものではなく,当該道路の環境,交通状況等に応じて支障が生じない程度で整備すれば足りるものと解される。
 すなわち,上記のとおり,本件歩道は,仮に誤って本件歩道に進入しようとする車両が存在した場合であっても,運転者において歩行者専用道路であることが認識できたのであるから,許可車両以外の車両が進入することを防止するために必要な措置が取られていると言えるし,そもそも運転者は交通法規に従って運転する義務を負っているのであるから,本件事故当時,被告C市において,本件歩道が車両進入禁止であることを認識しつつ,故意に本件歩道に進入する車両に対してまで,車止めのポールを設置するなどの措置を取ることにより,これを防止すべき義務を負うものではない。本件事故におけるEの行動は,上記のとおり,運転者において歩行者専用道路であることが十分に認識できたはずの本件歩道に無許可車両である本件車両を乗り入れた上,Iを通行中の歩行者が死亡する危険があることを認識しながら,あえて本件車両を時速約60キロメートルで走行させたというものであり,本件事故は,本件歩道の設置管理者である被告C市において通常予測することのできない行動に起因するものであったと言えるから,本件歩道につき本来それが具有すべき安全性に欠けるところがあったとは言えず,本件歩道の通常の用法に即しないEの行動の結果生じた本件事故につき,被告C市は,その設置管理者としての責任を負うべき理由はないというべきである。

 以上からすれば,本件歩道の設置又は管理について,営造物が通常有すべき安全性を欠いているとはいえないから,その設置又は管理に瑕疵はなく,被告C市は損害賠償責任を負わないというべきである。

 

仙台地裁判決平成20年05月20日

【事案】

 宮城県警察の警察官である被告A,同B及び同C(以下,上記被告ら3名を併せて「被告Aら」といい,被告宮城県と被告Aらを併せて「被告ら」という。)の亡Dに対する不必要に強度な制圧行為によって,Dが急性循環不全により死亡したとして,Dの実母であり,唯一の相続人である原告が,被告宮城県に対し,国家賠償法1条1項により,被告Aらに対し,民法709条及び710条により,連帯して,損害賠償として7852万2158円及びうち弁護士費用を除く損害の合計7138万3780円に対するDの死亡した日の翌日(違法行為の翌日以降)である平成15年2月19日から支払済みまで,うち弁護士費用相当額の損害713万8378円に対する本訴状送達の日の翌日以降である平成17年8月12日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案。

【判旨】

 被告Aらは,宮城県警察に勤務する地方公共団体の公務員であり,また,本件における被告Aらの本件制圧行為は,被告Aらが個人として行ったものではなく,公務員の職務として行ったものであると認められる。
 そして,公権力の行使にあたる地方公共団体の公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には,当該公務員が属する地方公共団体が賠償責任を負うのであって,公務員個人はその責任を負わないと解するのが相当であるから(最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367頁),その余の点を判断するまでもなく,原告の被告Aらに対する損害賠償請求はいずれも理由がない。

 警察官は,犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは,その予防のため関係者に必要な警告を発し,又,もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び,又は財産に重大な損害を受ける虞があって,急を要する場合においては,その行為を制止することができる(警察官職務執行法5条)。
 Fに対する職務質問をきっかけとして,これに不満を抱いたHやDらが興奮して怒鳴りながら警察官に暴行を振るうなどした(HやDらによる上記行為は,公務執行妨害罪(刑法95条1項)に該当するということができる。)ため,被告Aらが口頭による警告や説得を行ったが,HやDらの上記行為が収まらず,約20分間にわたり,断続的に継続されていたことからすると,Dが,引き続き警察官に対して公務執行妨害罪に該当する行為を行うおそれがあり,また,Dの体格や複数の人物が酒に酔って興奮状態にあったという当時の状況に照らすと,Dの上記行為によって被告Aらの身体に危険が及ぶおそれがあったものと認められるばかりでなく,これを口頭による説得等の任意の方法によって防ぐことは困難であったというべきである。
 そして,複数の警察官がDをフェンスに押しつけたという制止行為の態様は,Dの動きを一時的に制止させるための必要最小限度の手段であったといえるから,上記制止行為は,公務執行妨害罪に該当するDの暴行から警察官らの身体の安全を守るため,急を要する場合に行われた制止行為として,警察官職務執行法5条によって許容される範囲内のものと認めるのが相当であって,違法とは認め難い。
 Dは,フェンスに押しつけられて制止された後も,更に興奮して,被告Aや被告Bに対して暴行を加えるなどしており,この時点においてもなお警察官に対して公務執行妨害罪に該当する行為を行うおそれがあったといえる。また,それまでのDの行動態様に照らし,Dを立たせたまま制止するのは困難な状況であったと認められるから,それまでの制止行為よりも更に強度の手段を取る必要性があったといえ,Dを路上に倒して後ろ固めによる制圧行為を開始した点についても,公務執行妨害罪に該当するDの暴行から警察官らの身体の安全を守るため,急を要する場合に行われた制止行為として,警察官職務執行法5条によって許容される範囲内のものと認めるのが相当であって,違法とは認め難い。
 さらに,被告Aらの本件制圧行為が10分を超えた点についても,Dが,倒された後も激しく抵抗を続けており,被告Aらの説得にも応じなかったこと,Dがおとなしくなってからは,膝による制圧を止めて腕だけを押さえるようにして制圧していたことなどからすれば,違法があったとは認められない。
 Dを逮捕しなかった点についても,身柄拘束を内容とする逮捕手続はあくまでも刑罰権の発動を前提とする手続であって,必要性等に厳格な要件の存在が求められることに照らせば,逮捕手続よりも予防措置によって犯罪の成立を未然に防止した方が望ましいと考えた被告Aらの判断に違法な点は認め難い。
 Dの頚部の左胸骨舌骨筋裏面における出血,上背部第7頚椎及び第1胸椎棘突起部周囲を中心として左右肩にかけての皮下出血,並びに上背部左の筋肉出血については,被告A及び被告Bが,後ろ固めによる制圧行為を開始してからDの後ろ稲妻を膝で制圧する際に生じたものと推認するのが合理的であるところ,その際にDに頚部圧迫による窒息,あるいは体位性窒息が生じた可能性を完全に否定することはできない。
 しかしながら,被告A及び被告Bがその膝でDの後ろ稲妻を正確に押さえ付けることができず,同被告らの膝がDの肩や背中などに移動していた(その原因は,Dが抵抗して体を激しく動かしたことによるものであり,これを被告Aらの過失とみるのは相当ではない。)時間は数分程度の一時的なものであったこと,被告A及び被告Bが膝での制圧を止めた後も,Dは言葉を発し,呼吸を継続していたことが認められること,うつぶせ状態で後頚部のみを圧迫されただけでは,路上のように下が硬く平坦な面であれば頚部圧迫が生じにくいことに照らすと,Dが,本件制圧行為時点の頚部圧迫による窒息又は体位性窒息に陥り死亡したと認めるのは困難である。
 そして,アルコールの影響下で,激しい運動をしている人が,制圧中,あるいは制圧直後に急激な虚脱,急死を引き起こすことがあり,それは心臓に特に病変がなくとも起こりうることが指摘されていることからすれば,Dが,交感神経系の異常興奮により急激な循環不全状態(心不整脈)に陥り死亡した可能性も否定することはできない。
 以上からすれば,Dが,被告Aらの本件制圧行為により,頚部圧迫による窒息又は体位性窒息に陥り死亡したと認めることは困難であり,Dが交感神経系の異常興奮により急激な循環不全状態に陥り死亡したとしても,被告Aらが,膝による制圧を外した後に,Dが交感神経系の異常興奮により急死することについて予見すること及びその結果を回避することは著しく困難であったというべきであるから,被告Aらの本件制圧行為の過程におけるDの死亡につき,被告Aらの過失及び相当因果関係を認めることは困難というべきである。
 本件においては,上記認定・判断のとおり,一人の人間に対し,3名の警察官により,約10分間にわたり相当の力を用いて本件制圧行為が行われており,その際,一時的に後ろ固めとは異なる位置に膝が置かれるなど本来の手技とは異なる制圧行為が行われ,その過程でDが死亡するという重大な結果が生じたものではあるが,被告Aらの本件制圧行為については,上記のとおり,被告Aらの過失及び相当因果関係についてはいずれもこれを認め難いといわざるを得ないから,被告宮城県に国家賠償法上の賠償責任を認めることはできない。

 

大阪地裁判決平成20年05月23日

【事案】

 原告が,被告が管理運営するインターネット上の掲示板に,原告を誹謗中傷する内容が書き込まれ,これに気付いた原告の関係者が被告に対して削除を求めたにもかかわらず,被告が迅速に削除するなどの適切な対処をする義務を怠ったことにより,精神的苦痛を被ったとして,被告に対して,民法709条に基づいて220万円(慰謝料200万円及び弁護士費用20万円の合計)及びこれに対する平成18年8月20日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案。

 特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(以下「プロバイダ責任法」という。)3条1項は,特定電気通信による情報の流通により他人の権利が侵害されたときは,当該特定電気通信の用に供される特定電気通信設備を用いる特定電気通信役務提供者は,当該権利侵害によって生じた損害について,以下の要件を全て充たす場合にしか賠償責任を負わないと規定している。

ア 権利を侵害した情報の不特定多数の者に対する送信を防止する措置を講ずることが技術的に可能であること(同項本文)
イ 特定電気通信役務提供者が,当該情報の流通によって他人の権利が侵害されていることを知っていたこと又は当該情報の流通を知っていた場合で,それにより他人の権利が侵害されていることを知ることができたと認めるに足りる相当の理由があること

【判旨】

1  プロバイダ責任法3条1項の要件の存否
(1)  本件掲示板が「特定電気通信」(プロバイダ責任法2条1号)に該当し,被告が「特定電気通信役務提供者」(同条3号)に該当すると認められる。
(2)  権利侵害性
 本件スレッドについて,タイトルで原告の氏名及び学年が特定されていること,本件スレッドを立ち上げた冒頭の書き込みが原告の容ぼう等を誹謗中傷する内容であり,その後の書き込みの内容をみると,スレッド全体としては,冒頭の書き込みを非難し,原告を擁護する書き込みが多いものの,冒頭の書き込みに同調する内容の書き込みもあることが認められる。
 原告にとっては,不特定多数の者が閲覧可能なインターネット上で,冒頭の書き込みのように実名を明らかにした上で誹謗中傷する内容の書き込みがされていること自体が,重大な権利侵害というべきであり,本件スレッドが全体としては原告を擁護する傾向であったとしても,そのことは権利侵害を否定する理由にはならない。
 したがって,本件スレッドが不特定多数の閲覧可能状態にあることは,原告に対する権利侵害に該当する。
(3)  技術的可能性
 被告は,原告の両親からの削除依頼等のメールを受け取った直後に,本件スレッドを凍結,削除しており,被告がスレッドの削除による情報の送信を防止する措置を講じることは,技術的に可能であったと認められる。
(4)  プロバイダ責任法3条1項各号要件
ア 情報の流通に関する認識
 被告は,平成18年9月7日,Gから,本件掲示板内に,タイトルで原告の氏名が出てくるスレッドが存在し,同スレッドの内容にも原告の個人名が書き込まれていることを指摘した削除依頼のメールを受信しており,遅くとも同日には,本件スレッドの存在を認識したと認められる。
イ 権利侵害に関する認識
 被告は,Gの削除依頼について,一回目のメールでは削除対象のアドレスが正確に引用されておらず,二回目のメールでもGの立場が不明であったこと,また,「中1のF」との内容のみでは,住所や電話番号等の個人情報が明らかになっていないことから,本件スレッドの内容が実在する特定個人についての書き込みとは判断できなかったと主張する。
 しかしながら,Gの一回目のメールには,本件スレッドのタイトルが正確に記載されていたのであるから,本件掲示板の管理人であった被告としては,タイトルからスレッドを検索するなどして,本件スレッドの存在及びその内容を確認することができたというべきであり,削除依頼対象のアドレスの記載がなかったからといって,被告に認識可能性がなかったとはいえない。
 また,被告は,原告の保護者からのメールに対しては,原告の保護者との記載のみをもって依頼に対応しており,削除依頼の主体の確認を厳格に行っておらず,Gの立場が不明であったことは,削除の判断にとっては重要であったとはいえない。なお,Gの削除依頼のメールアドレスが「@H.ac.jp」であることからすれば,むしろ,同人がAの学校関係者であることが推認できたというべきである。
 そして,本件掲示板は,「Aちゃんねる」とのタイトルのとおり,Aの生徒等の関係者が書き込みをすることを想定した掲示板であり,この点は,被告も認めるところである。そして,このことは,本件掲示板を閲覧する第三者にとっても,そのタイトルから明らかであったというべきである。
 以上の事実に加え,Gからの一回目の削除依頼の時点での本件スレッドの内容が,原告が実在の生徒であることを前提とした書き込みがほとんどであることをも考慮すれば,本件掲示板内の,「中1のF」とのタイトルのスレッド及びその書き込みの内容を見た者としては,A中学1年生にFという氏名の生徒が在籍し,本件スレッドは同人についての内容であると判断できると認められる。したがって,被告の主張は失当である。
 以上によれば,被告は,平成18年9月7日のGからの一回目の削除依頼の時点で,本件スレッドを確認することにより,本件スレッドのタイトル及び内容が原告の実名を挙げた上での誹謗中傷であり,原告の権利を侵害するものであることを知ることができたというべきである。
2  不法行為の成否
(1)  管理義務違反の有無
 本件掲示板は,被告が,特定の学校の生徒が書き込むことを予定して作成し,運営していた掲示板であり,学校が公式に運営していたものではない。そうすると,本件掲示板の匿名性も考慮すると,掲示板内において,当該学校の生徒同士が,他の生徒の実名を挙げて誹謗中傷を行う等のトラブルが起こりうることは容易に想定でき,これは,被告自身が実名での書き込みを禁止していることからも明らかである。
 また,そのようなトラブルが生じた場合,掲示板の閲覧者も当該学校の関係者が多いと考えられるから,実名等を公表された人物の被害が,インターネット上にとどまらず,現実の学校生活にも及ぶこともまた容易に予想することができるというべきである。
 したがって,本件掲示板を設置し,これを管理運営していた被告としては,前記のような被害の発生を防止するよう慎重に管理し,トラブルが発生した場合には,被害が拡大しないよう迅速に対処する管理義務を負っていたと解するのが相当である。
 そして,被告は,平成18年9月7日の段階で,本件スレッドによる原告に対する権利侵害を認識できたにもかかわらず,削除等の処置を講ずることなく,これを放置したのであるから,被告には,本件掲示板について,管理義務違反が認められる。
 これに対し,被告は,本件掲示板には,削除の基準,削除依頼窓口も表示されており,管理人としては,全体の流れ等から削除基準に該当しない本件スレッドまで,むやみに削除を行うことは,不適切な管理となりうると主張する。
 しかしながら,本件スレッドが,原告に対する権利侵害となることは前記1(2)のとおりであり,削除の基準や削除依頼の方法を定めているからといって,掲示板管理者の管理義務の程度,内容が限定されることにはならない。
 また,プロバイダ責任法3条2項の規定に照らせば,特定の個人に対する権利侵害と信ずべき相当の理由がある本件スレッドを削除したことについて,被告が書き込みを行った者に対する関係で責任を負うことはないというべきである。したがって,被告の主張は失当である。
(2)  以上によれば,被告の管理義務違反により,本件スレッドによる原告に対する権利侵害の状態が継続したと認められ,被告の行為は,原告に対する不法行為を構成する。

 

福岡高裁判決平成20年05月27日

【事案】

 Xらほかが,Yに対し,Y市長がA寺に対して平成17年5月20日付けでしたB霊園(以下「本件霊園」という。)の経営許可処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求めた事案。

【判旨】

 行政事件訴訟法9条1項所定の当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは,当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され,又は必然的に侵害されるおそれのある者をいい,当該処分を定めた行政法規が,不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず,それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には,このような利益もここにいう法律上保護された利益に当たり,当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は,当該処分の取消訴訟における原告適格を有するというべきである。そして,処分の相手方以外の者について法律上保護された利益の有無を判断するに当たっては,当該処分の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく,当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮しなければならず,当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては,当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌し,当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては,当該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度をも勘案すべきである(最高裁判所大法廷平成17年12月7日判決・民集59巻10号2645頁参照)。
 ところで,墓地,埋葬等に関する法律(以下「法」という。)は,「墓地 、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的」(1条)としており,このような立場に立って,「墓地、納骨堂又は火葬場を経営しようとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならない。」(10条1項)と規定している。
 すなわち,法は,自ら許可要件を定めずに,都道府県知事に許可権限を付与して,その広範な裁量に委ねているところ,これは,墓地等の経営が,高度の公益性を有するとともに,国民の風俗習慣,宗教活動,各地方の地理的条件等に依存する面を有し,一律的な基準による規制になじみ難いためであると解される。
 さらに,F県墓地等の経営の許可等に関する規則(以下「規則」という。)は,その3条1号において,「住宅,学校,病院その他公衆の多数集合する場所から墓地までの距離は百メートル以上であること」とする一方,9条では,「災害の発生又は公共事業の実施に伴い墓地等を移転する場合その他特別な理由がある場合であって公衆衛生その他公共の福祉の見地から支障がないと認めるとき」には,都道府県知事が同3条ないし8条に規定する基準を緩和することができると規定し,公共の福祉という公益的な観点から当該基準の緩和を許容している。これらの規定は,個別的利益というよりも,第一次的には,国民の宗教的感情や公衆衛生といった社会公共の利益を保護する趣旨に出たものと解するのが相当である。
 しかしながら,墓地や火葬場といった施設は,一般には付近に設置されることが歓迎されない施設(いわゆる嫌忌施設)であることは明らかであり,これが自らの居住する住宅の周辺に設置されるということになれば,相応の精神的苦痛を受け,さらには,その設置によって,周辺の地価が下落するというような事態もまま見受けられるところである。そして,そのような精神的苦痛等は,当該嫌忌施設に近接すればするほど強くなる関係にあるものということができる。
 そうであれば,法や規則は,第一次的には,上記のような社会公共の利益を保護するものと解されるが,併せて,嫌忌施設であるがゆえに生ずる精神的苦痛等から免れるべき利益を個別的利益として保護するものと解するのが相当である。このことは,規則3条1号において,具体的に住宅等が列挙されていることにも根拠を見出すことができる(住宅等の個々の居住者や利用者を離れては,そのような施設を列挙した意義は理解し難い。)。

 そこで,Xらの主張する被侵害利益について検討する。
 まず,Xらは,本件各土地に土壌の汚染原因物質である産業廃棄物が埋設されたままになっており,これを除去せずに本件霊園が設置されれば,これを除去することは事実上極めて困難となって,土壌や地下水等が汚染され,ひいては周辺住民であるXらの健康に悪影響を与えることが懸念されると主張する。
 しかし,Xらの主張する健康等への被害は,本件霊園が設置されることによる個別的利益に対する利益侵害とは解されず,むしろ,それに先行する産業廃棄物の埋設に起因するものである(このことはXらの主張自体からも明らかである。)。しかも,Xらを含む本件霊園の周辺住民に現に何らかの健康被害が及んでいるということではなく,また,近い将来にそのような危険が現実に発生する蓋然性が高いということが明らかにされているわけでもない。X2,X3らが債権者となり,A寺を債務者として申し立てた霊園の工事禁止の仮処分申立が却下されたのも同様の理由である。そもそも,本件霊園の地下に埋設された産業廃棄物によって健康等への被害が生じ,或いは生ずるおそれが強いというのであれば,その法益侵害の重大性に照らして,本件霊園の設置後であっても,相応の法的手段に訴えてその除去等を実現することができるし,そうすべきものである。
 次に,Xらは,本件各土地周辺がE神社を中心とする神域として崇め奉られてきた場所であり,豊かな自然が残っているが,本件霊園が設置されれば,周辺の自然環境が破壊されることが予想され,Xらの良好な環境を享受する権利が侵害される旨主張するが,これも上記と同様に,本件霊園が嫌忌施設であるがゆえに生ずる個別的利益に対する侵害であるとは認められないし,本件霊園が設置されることによって自然環境までもが破壊されると認めることもできない(そもそも,それほど自然環境に恵まれた重要な場所であれば,産業廃棄物の埋立自体を許すべきではなかったということになろう。)。
 さらに,Xらは,E神社との関係を窺わせるような名称を用いて本件霊園を経営することになれば,g に宗教的愛着を有するXら周辺住民の宗教感情及び宗教的人格権を侵害することは明らかである上,本件各土地の周辺は,E神社とその氏子を中心とする宗教的色彩の強い地域であり,そのような場所で,他の宗教団体が霊園を経営すること自体,Xらに宗教的嫌悪感を覚えさせ,その宗教感情及び宗教的人格権を侵害する旨主張する。
 確かに,Xらが神域として崇める場所に本件霊園が建設されることになれば,Xらが相応の不快感ないし嫌悪感を抱くことは理解できないわけではないし,法も国民の宗教感情に配慮すべきものとしていることは上記のとおりである。しかし,このような利益は,都道府県知事(ないしはその委任を受けた市町村)の裁量権の範囲内において実現されるべき社会公共の利益というべきものであり,これを個別的利益に含めて理解することは困難である(仮に,これを個別的利益と認めるとすれば,その結果,様々な宗教的利害の調整という困難に直面しなければならなくなって,かえって収拾のつかないことにもなりかねない。)。
 以上によれば,Xらの主張する被侵害利益はいずれも認めることができない。
 そうすると,Xらは,いずれも本件処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とはいえないことに帰する。
 以上の次第であるから,本件訴えは,いずれも原告適格を欠き不適法として却下すべきものである。

 

仙台地裁判決平成20年06月03日

【事案】

 被告人は,少年であるが,平成19年11月14日午前1時30分ころ,仙台市青葉区内の当時の被告人方において,A(当時18歳)に対し,その背部を足蹴にし,顔面及び腹部を手拳で殴打するなどの暴行を加え,同女をして,更なる暴行から逃れるため,同室内から裸足のまま約158メートルにわたり走って逃走することを余儀なくさせ,左冠状動脈開口部の先天的位置異常を有する同女を,同区宮町の路上において急性循環不全に陥らせてその場に転倒させ,同日午前3時45分ころ,同市若林区内の病院において,同女を急性循環不全により死亡するに至らせたものである。

【判旨】

 被告人の暴行と被害者の死亡との間の因果関係について検討するに,傷害致死罪における致死の原因たる暴行は,必ずしもそれが死亡の唯一の原因又は直接の原因であることを要するものではなく,被害者の身体にある高度の病変と暴行とがあいまって死亡の結果を生じた場合であっても,因果関係を肯定する余地がある(最高裁判所第一小法廷昭和46年6月17日判決,刑集25巻4号567頁等)ところ,本件暴行は,密室内で自分より体が小さく力の弱い女性である被害者に対し,背後から蹴り付けたり,頭部を掴んで金属製ドアに複数回打ち付け,続けざまに手拳で両頬や腹部を殴打するなどという執拗で相当に強度の危険なものであり,そのため,被害者は,強い恐怖を感じ,大声を出して裸足のまま約158メートルもの距離を必死に走り,通行人に助けを求めている。相当強度の暴行を立て続けに加えられた被害者が,恐怖心から必死に逃走するのは当然のことであり,その逃走行為が被害者が有していた冠状動脈異常に作用して死因となった急性循環不全を引き起こしたものである。世の中には,心臓等の持病を抱えて脆弱な体質ながら通常の社会生活を送っている者が少なからず存在しており,本件のような暴行及びその後の逃走行為がその持病等に作用して死亡の結果が生じることもあり得ることであり,被告人が被害者の冠状動脈異常を認識していたか否かに拘わらず,本件暴行により恐怖を覚えた被害者が逃走し,それが被害者の冠状動脈異常に作用して急性循環不全を誘発したのであるから,本件暴行と被害者の死亡との間には因果関係があるといえる。

 これに対し,弁護人は,@本件暴行は,加療約1週間を要する怪我を負わせる程度のもので,死亡の結果を引き起こすまでの危険性がないこと,A本件暴行による脅威は強いものとはいえず,被告人は追いかけてもいないから,被害者は被告人方から外へ出た時点で本件暴行の脅威から脱していること,B被害者の冠状動脈異常という介入事情が特殊であり,これが死亡の結果に大きく寄与していることなどを指摘して,本件暴行と被害者の死亡結果との間に法的な因果関係はないと主張する。確かに,本件暴行により被害者が直接受けた頭皮下及び左頬部の皮下出血は加療約1週間程度のものに過ぎないが,本件暴行の態様は,被害者の背後からいきなり足蹴にし,頭髪を掴んで玄関ドアに後頭部を打ち付け,両頬を左右の拳で殴打し,腹部も殴りつけるという危険かつ執拗なものである上,被告人が被害者逃走後も怒りに任せて被害者の所持品を燃やしたり壊したりした状況に照らしても,相当の強度で加えられたものと認められ,本件暴行の危険性の程度は決して小さくなく,悲鳴を上げ,裸足のまま戸外へ飛び出した被害者の恐怖が大きかったことも明らかであり,被害者が必死の逃走行為に出たことは当然というべきである。そして,被害者の逃走行為が被害者の冠状動脈異常に直接的に作用したのであるから,上記弁護人指摘の事情は,因果関係の認定を妨げる事情とはいえない。
 次に,弁護人は,被害者の冠状動脈異常は,本件後初めて明らかになったもので,何人も知り得ない異常な介入事情であり,また,激しい運動をさせてはならないという具体的な認識も欠いていたから,被告人は被害者死亡の結果を予見し得なかった旨主張するが,被害者に心臓疾患のような特殊事情がなかったならば致死の結果を生じなかったと認められ,かつ,行為者が行為当時,その特殊事情を知らず,致死の結果を予見できなかった場合においても,暴行と特殊事情があいまって致死の結果を生じさせれば因果関係を認める余地がある上(前掲最高裁判決等),本件において,被告人は,被害者がランニング中に倒れて意識を失ったことがあることや,仙台に来てからも同女が走って電車に乗った際に心臓が苦しかったと話すのを聞いて知っていたのであるから,本件暴行に及んだ時点で,同女が激しい運動,特に走ることに脆弱な体質であることを認識していたと認められ,被害者の脆弱な体質とあいまって生死に関わるような重篤な症状を招来することが予見できなかったとはいえない。したがって,被告人が行為当時に被害者死亡の結果を予見できる可能性が必要であるとしても,本件暴行と被害者の死亡との間の法的因果関係は否定されない。

 

京都地裁判決平成20年07月09日

【事案】

 原告は被告との間で,嘱託職員として雇用契約を締結し,被告の業務に従事していたところ,原告の労働は被告の一般職員(以下,単に「一般職員」という。)の労働と同一であるのに被告が平成16年4月から平成19年3月までの間,原告に対して原告を一般職員として被告の給与規定及び退職手当支給規定にあてはめた賃金よりも低い嘱託職員の賃金を支給したこと(以下「本件賃金処遇」という。)は憲法13条及び14条,労働基準法3条及び4条,同一価値労働同一賃金の原則並びに民法90条に違反するから,違法無効であり,原告について一般職員としての被告の給与規定及び退職手当支給規定にあてはめた賃金と実際に受領した差額相当の損害を被ったとして,被告に対して不法行為に基づき,506万8543円並びにうち金339万5269円に対する不法行為後の日である平成18年12月21日から及びうち金167万3274円に対する不法行為後の日である平成19年4月21日から民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案。

【判旨】

 原告の平成20年3月7日付け訴えの変更申立て(以下「本件訴えの変更」という。)に対して被告は訴えの変更を許さない旨の決定を求める旨申し立てたので検討する。
 本件訴えの変更前の原告の請求は原告の労働が一般職員の労働と同一であったから本件賃金処遇は違法であるとして月給につき原告を一般職員として被告の給与規定にあてはめた額と実支給額の差額相当額の合計額を損害であると主張する不法行為に基づく損害賠償の請求であり,本件訴えの変更後の原告の請求は被告の上記不法行為により発生した損害に期末手当及び退職手当の差額相当額を付け加えて請求するものである。
 そうすると,本件訴えの変更前と本件訴えの変更後の訴訟物は同一であり,請求原因は損害の数額を除いて同一であるから請求の基礎が同一であることは明らかである。また,本件の主たる争点は原告の業務内容及び同業務内容を行った原告に対する本件賃金処遇が違法か否かであり,上記請求の拡張によって争点が増えることはないから,著しく訴訟手続を遅滞させることはない。
 よって,本件訴えの変更は適法であり,被告の上記申立ては理由がない。
 この点,被告は期末手当や退職手当について一般職員と原告との間の差額について防御の機会が奪われる旨,本件訴えの変更が時機に後れている旨,禁反言法理からして信義則に反する旨主張する。
 確かに,本件訴えの変更により期末手当及び退職手当として原告が現実に受領した金額と原告を一般職員給与規定にあてはめた金額との差額が新たに主張されることになるが,原告の受領額と原告を一般職員として被告の給与規定にあてはめた金額との差額相当額が損害であることは当初から原告が主張していたのであり,被告は答弁書11頁で原告に退職手当の支給がある旨指摘し,被告代理人は原告本人尋問の際に原告に対して退職手当の受領の有無について質問している(原告本人・44頁)ことも合わせ考えると被告の防御の機会を不当に奪うことにはならない。また,著しく訴訟手続を遅滞させることがないことは上記説示のとおりである。さらに,原告が期末手当及び退職手当に関して,その差額相当額の請求の拡張をしない旨の陳述をしたことはなく,原告のそれまでの訴訟活動にかんがみても,請求の拡張をしないと被告が信じることが相当であったとまではいえないから本件訴えの変更が禁反言法理に反して許されないとはいえない。
 よって,被告の主張はいずれも採用できない。

 憲法の規定は国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので,もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり,私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない(参照・最高裁昭和48年12月12日大法廷判決・民集27巻11号1536頁)ところ,被告は京都市が全額出資して設立された財団法人であり,被告の行為に憲法13条及び14条が直接適用されるかには疑義があり,実体法規の解釈にあたって憲法の規定を考慮要素とすることによってその趣旨を適用するのが相当である。
 そして,憲法14条は機会の平等を規定しているところ,労働基準法3条及び4条等の解釈・適用を通じて私人関係を規律することとなる。
 しかし,憲法13条はその文言自体抽象的であり,それ自体から賃金処遇についてどうあるべきかを具体的に明らかにしておらず,仮に同条が直接に適用されるとしても,具体的な法規範性を見いだすことは困難であり,実体法規の解釈にあたって考慮要素としてどのように参酌すればよいのかも明らかでない。また,憲法13条は自由権であって,現に存在する差別を積極的に是正するという積極的な効果をもたらすような人権規定ではない。
 以上のとおり,本件賃金処遇が憲法13条及び14条に直接反するとの原告の主張は採用できないが,憲法14条の趣旨を踏まえて以下の検討をする。

 労働基準法3条が憲法14条の趣旨を受けて社会的身分による差別を絶対的に禁止したことからすると,同法同条の「社会的身分」の意義は厳格に解するべきであり,自己の意思によっては逃れることのできない社会的な身分を意味すると解するのが相当である。また,同条の解釈は民事上の損害賠償請求の場面においても特定の行為が違法か否かの基準となるのであるから,上記場面においても同様に解釈するのが相当である。
 そして,嘱託職員という地位は自己の意思によって逃れることのできない身分ではないから同条の「社会的身分」には含まれないというべきである。
 よって,本件賃金処遇が労働基準法3条に違反し違法であるとはいえず,これに反する争点 についての原告の主張は採用できない。。

 被告は相談員として採用する嘱託職員については,募集にあたって性別を問わないものとしていたことが認められ,嘱託職員に適用する給料表において男女別の給料表を作成していたわけではないことを考慮すると,原告が女性であることを理由にして機会の平等を侵害するような作為を行ったとは認められない。したがって,原告についての本件賃金処遇が女性であることを理由とする差別的な取扱いとはいえないことは明らかである。
 原告は被告の嘱託職員は京都市退職者を除いて全員女性である旨及び非正規職員のうち女性が多数であり,非正規職員に対して一般職員より低い処遇をすることは女性の待遇を低くするものであって,間接差別である旨主張する。しかし,前記 のとおり,京都市役所を退職した女性であっても,被告の嘱託職員となり得ること,被告における業務の内容及び男女共同参画センターの利用者である女性からみた場合,女性が上記業務を担当するほうが利用しやすい側面があること,女性の立場から女性の社会における地位の向上に役立つ仕事をしたいとして被告への就職を希望する者も多いものと考えられることを考慮すると,嘱託職員の待遇それ自体が間接的に女性を差別するものになっているとは認め難い。
 また,そもそも労働基準法4条は機会の平等を定めた規定であると解されるところ,原告は,本件賃金処遇が非正規職員のうち女性が多数であることによって,原告についてどのような機会の平等を侵害しているのかについて,具体的な主張はなく,その立証もない。
 よって,本件賃金処遇が男女平等を求める労働基準法4条に違反するとはいえず(同一価値労働同一賃金の原則との関係については後述する。),争点 についての原告の主張は採用できない。

 ILO100号条約2条1項は「各加盟国は,報酬率を決定するため行われている方法に適した手段によって,同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬の原則のすべての労働者への適用を促進し,及び前記の方法と両立する限り確保しなければならない」と規定しており,同一価値労働同一賃金の原則についても言及している。
 しかし,同条約3条1項には,その適用を促進し,各加盟国の報酬率を決定するために行われている方法と両立する限り同一価値労働同一賃金の原則を確保しなければならないということを宣言をしたにとどまり,その具体的な実現については,各加盟国が,各加盟国の報酬率を決定するために行われている方法を考慮して策定していく具体的な適用促進策によって具体化が図られることを当然の前提とした文言を使用していることを考慮すれば,同条約に自動執行力があるとはいえない。
 次に,国際人権規約A規約7条柱書は「この規約の締約国は,すべての者が公正かつ良好な労働条件を享受する権利を有することを認める。この労働条件は,特に次のものを確保する労働条件とする。」と規定し,同条は「公正な賃金及びいかなる差別もない同一価値の労働についての同一報酬。特に,女子については,同一の労働について同一報酬とともに男子が享受する労働条件に劣らない労働条件が保障されること。」と規定しており,同一価値労働同一賃金の原則を一般的に宣言するとともに,男女差別の観点からは,同一労働に同一賃金が支払われるべきことを宣言している。
 しかしながら,前記の文言は,男女差別の観点からは,同一労働同一賃金の原則が貫徹されるべき旨を明言しているが,男女差別の観点を含まない,例えば男性労働者相互,女性労働者相互で比較した場合に,同一価値労働同一賃金が保障されるべきであるとまで明言しているのかという観点からみると,国際社会のあるべきルールについて具体的な宣言をしたものではないことを考慮すると,上記人権規約の規定が原告の主張する同一価値労働同一賃金の原則という観点から見て自動執行力を有するものと解することは困難である。
 国連女性差別撤廃条約11条1項は柱書で「締約国は,男女の平等を基礎として同一の権利,特に次の権利を確保することを目的として,雇用の分野における女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとる。」と規定している。
 しかし,同条約も男女差別の点から国際社会のあるべきルールを宣言しているにとどまり,同一価値労働同一賃金の原則それ自体について,具体的な共通の規範を策定したものとはいえないから,同条約が同一価値労働同一賃金の原則という観点から見て自動執行力を有するものと解することはできない。
 そこで,労働基準法4条が同一価値労働同一賃金の原則を定めたものと解することができるか検討する。
 労働基準法4条の文言は「同一価値労働」ではなく「同一労働」となっており,前記説示した点も考慮すると,「同一労働」が「同一価値労働」と同義であるとは解釈し難い。
 また,日本においてはILO100号条約が批准された昭和42年当時,諸外国とは異なり,終身雇用・年功賃金・企業別労働組合という3つの特徴からなる日本的労使関係が形成されていたこと,労働者の賃金引上げについても,職務分析・評価の基準手法を団体交渉事項とすることなく,労働組合がどのような職種かを問わず全労働者に一律のベースアップを求め,経営者側がこれに回答するという手法が長い間続いていたこと,大企業を中心とする労働組合は春闘等により個々の大企業の枠を超えた労働組合運動を行い賃金水準の引上げを勝ち取っていたが,これらの労働組合は正規の従業員(正職員・本工)を組織していたにすぎず,大企業ないしその関連企業と正規の雇用関係がない労働者(社外工・臨時工等)は上記労働組合に組織されず,高度経済成長期にある程度賃金格差が縮小された時期を除けば,同一の職場にありながら賃金水準が異なる労働者が存在し続けたこと,パートタイマーについても配偶者等が課税最低限度額,扶養認定の関係等から低賃金で雇用される労働市場が形成されたこと,その後,家計補助的にではなく自ら自活するために就業を希望しているにもかかわらず,非正規雇用に従事せざるを得ない,いわゆるワーキングプアの問題が生起してきていること,以上は公知の事実である。
 このような非正規雇用者の賃金について,一定の法律上の枠組みが設定されたのは短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律(平成5年12月1日施行)が初めてであり,同法においては,「通常の労働者との均衡のとれた待遇の確保等を図ることを通じて短期時間労働者がその有する能力を有効に発揮することができるようにし,もってその福祉の増進を図り,あわせて経済及び社会の発展に寄与することを目的とすることを定め(1条),賃金等の待遇に関しては,「事業主は,業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)が当該事務所に雇用される通常の労働者と同一の短時間労働者(以下「職務内容同一短時間労働者」という。)であって,当該事業主と期間の定めのない労働契約を締結しているもののうち,当該事業所における慣行その他の事情からみて,当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において,その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されると見込まれる者(以下「通常の労働者と同視すべき短時間労働者」という。)については,短時間雇用者であることを理由として,賃金の決定,教育訓練の実施,福利厚生施設の利用その他の待遇について,差別的取扱いをしてはならない」と規定し(8条),通常の労働者と同視すべき短時間労働者に該当しない短時間労働者については,通常の労働者との均衡を考慮して,その雇用する短時間労働者の職務の内容,職務の成果,意欲,能力又は経験等を勘案し,その賃金を決定するように務めるものとすることが規定された(9条)にすぎず,これらの定めにより通常の労働者と同視すべき短時間労働者については同一価値労働同一賃金の原則を貫徹するような規定が置かれたものの,そこまでの事情が認められないパートタイマーについては努力義務規定が置かれたにすぎないことは明らかである。
 また,近時制定された労働契約法においても,その3条2項で均衡処遇の原則(労働契約は,労働者及び使用者が,就業の実態に応じて,均衡を考慮しつつ締結し,又は,変更すべきものとする。)と規定されているにすぎず,同一価値労働同一賃金の原則の採用を正面から義務付けるような規定は置かれていない。
 上記の法律規定の状況,事実に加えて,本件全証拠をもってしても,ILO100号条約の批准にあたって日本における年功賃金制,企業別労働組合との交渉の結果により賃金が決定されてきたという実情を踏まえて,今後どのような手法で同一価値労働同一賃金の原則を定着させていくのかについての議論が行われたとは認められないことを考慮すると,労働基準法4条の解釈として,同条が同一価値労働同一賃金の原則を定めたものと解することはできない。
 そして,低賃金を余儀なくされているパートタイマーへの対策として制定された短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律の規定内容及びその後制定された労働契約法の内容にかんがみると,これらの法律の施行後においても,いまだ労働基準法4条にILO100号条約等の条約の内容をそのまま反映させるような解釈をすることは困難である。
 しかしながら,短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律8条,10条の趣旨を,私人間の雇用関係を律するにあたって参酌することは許されるものと解される。
 そして,本件全証拠によるも,現時点の日本において,特定の労働がいかなる価値を有するかを評価する基準が確立し,それに対していかなる水準の賃金が支払われるべきかの判断基準が確立しているとはいえない。このことは,短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律及び労働契約法が同一価値労働に対して同一賃金の支払をすべき旨の文言を用いず,均衡を考慮するとの文言を用いていることからも窺える。
 さらに,本件全証拠によっても,日本において成果主義賃金の原則が貫徹されているとまでは認められず,短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律8条に反するという事情がある場合を除けば,社会通念上年功的要素を考慮した賃金配分が行われることが違法視されているとまでいうことは困難である。
 以上によれば,憲法14条及び労働基準法4条の根底にある均等待遇の理念,上記各条約等が締約されている下での国際情勢及び日本において労働契約法等が制定されたことを考慮すると,(公序というか否かはともかく)証拠から短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律8条に反していることないし同一価値労働であることが明らかに認められるのに,給与を含む待遇については使用者と労働者の交渉結果・業績等に左右される側面があること及び年功的要素を考慮した賃金配分方法が違法視されているとまではいい難いことなどを考慮してもなお,当該労働に対する賃金が相応の水準に達していないことが明らかであり,かつ,その差額を具体的に認定し得るような特段の事情がある場合には,当該賃金処遇は均衡処遇の原則に照らして不法行為を構成する余地があるというべきである。

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