平成20年度新司法試験論文出題趣旨検討(憲法1)

法務省が平成20年度新司法試験の論文式式試験出題の趣旨を公表した。
今回は憲法について検討する(試験問題はこちら)。

第1段落

第1段落は、本問の事例の要約である。

(出題趣旨から引用)

 本問は,インターネットという「より新しいメディア」における積極的な表現行為に対する表現内容規制をめぐる問題である。インターネット上の有害情報を18歳未満の者が閲覧できないようにするなどのためにインターネット接続電子機器にフィルタリング・ソフトウェアを搭載することを義務付け,また,当該ソフトウェアを削除したり,その効果を損なうプログラムを他人に提供することを禁じる法律が制定されたという想定の下で,問いが設定されている。インターネット上で自らの信念に基づいて表現行為を行なっているAは,18歳未満の者ばかりだけでなく,18歳以上の者も見ることができなくなる可能性があることへの対抗策として,フィルタリング・ソフトウェアによって自分のサイトの閲覧が妨げられないプログラムを作成し,提供したところ,当該行為が違法であるとして,起訴された。

(引用終わり)

要約というのは、重要な部分を抜き出してまとめたものである。
従って、問題文と対比すると、考査委員がどの点を重視し、どの点を重視していないかが分かる。

まず、第1文が、本問の出題意図を端的に示している。
「インターネットにおける積極的な表現行為に対する表現内容規制」が主題であった。
ネット上に文章・写真をアップする等、積極的に表現をする自由に対して、その内容に着目して制限を加えることの合憲性。
最大の配点は、ここに振られていると推測できる。
このことは、「インターネット上で自らの信念に基づいて表現行為を行なっているAは」という表現の仕方からもわかる。
本問で固有名詞が付されているのはAだけである。
そして、そのAは、インターネット上で自らの信念に基づいて表現行為を行っている。
プログラムの作成・提供は、飽くまで表現行為の制約に対する対抗策に過ぎない。
従って、プログラム作成・提供の自由などは、被侵害利益としては想定されていない。

問題文を最初にざっと読んだ時に直感的に気づく論点がある。
憲法においては、それが考査委員の考える主題的論点であることが多い。
本問でも、多くの人がネット表現の内容規制という点にまず気づいただろう。
こういう論点を素直にメインに据えて答案構成をするのが、憲法では上位になりやすい。
逆に、その他の論点を探し出して網羅的に書くと、主題論点の記述が薄くなって点が伸びないことになりやすい。

また、この要約部分には、18歳以上の者がソフトを解除する負担について具体的言及が無い。
従って、この点はあまり考査委員は重視していないと推測できる。
ネット接続業者の財産権等は、全く触れられていないから、問題にされていないといえる。

そして、新司法試験特有の注目点として、統治の論点をどの程度考慮すべきだったか、という点がある。
旧司法試験においては、1問目が人権、2問目が統治とほぼ決まっていた。
従って、第1問で統治の論点を書くべきか、という迷いはほとんど生じなかった。
しかし、新司法試験では、そのような区別が無い。
そのため、統治の論点をどの程度拾えばよいのか、という迷いが生じる。
昨年は、統治の論点(法律と条例)を書く必要があった。

(平成19年度出題趣旨から引用)

 本問は人権と統治を組み合わせた問題となっており,仮想的な事案をめぐって3つのテーマが問われている。それは,法律と条例の関係,人権の保障と民主主義の関係,そして人権の保障と安全・安心の確保の関係である。

(引用終わり)

そして、これは考査委員が意識的に出題したものだった。

(平成19年度公法系考査委員ヒアリングより引用)

 これまで,サンプルテスト,プレテスト,昨年の本番の一年目と出題をしてきたが,本年の出題に当たり,一つの考え方として,統治機構に関する論点を盛り込む問題を出題したいということがあった。御承知のように,憲法の判例は人権の分野が多いわけで,裁判実務ということを念頭に置くと,どうしても,人権の部分から出題されるのではないかという先入観をもたれる可能性があると思われる。しかし,憲法論からすると,統治機構というのは非常に重要な分野である。今年は,そういった先入観を払しょくするということもあって,統治機構の論点を含めた問題を出題するのが適当と考え,そういった観点で問題の作成をした。今後も,特定の分野に偏らないように出題していくということになろうかと思う。

(引用終わり)

ヒアリングでは、「今後も,特定の分野に偏らないように出題していく」と述べられている。
そのことから、今年も統治との複合があるのではないかと思われた。
その観点から本問を見たとき、委任立法の合憲性は書くべきことのように思える。
しかし、結論的には出題趣旨で全く触れられていないから、書く必要はなかった。
とはいえ、今後もそうであるとは限らない。
来年以降の本試験において統治の論点に気づいた場合は、やはり一言触れておく方が無難である。

第2段落

第2段落は、青少年保護育成条例と異なる点の指摘である。
なお、「当該判決」とは必ずしも明らかではないが、岐阜県青少年保護育成条例事件判例のことだろう。

(出題趣旨から引用)

 本問で問われているのは,インターネット上の有害情報という問題設定の新しさはあるが,青少年の保護を理由とした「有害」な表現の規制という点で,青少年保護育成条例における有害図書規制の合憲性と同種の問題である。ただし,当該判決とは,重要な事案の違いもある。本問では,最広義説に立っても,18歳以上の者は「解除ソフト」によって規制される情報を見ることができるので,検閲には該当しない(18歳以上の者が当該情報を見るために課せられる「負担」は,検閲の問題ではない。)。また,問題となる法律は,「有害」とされたサイトを削除するものではない。それは,18歳以上の者が当該サイトを読むためには一定の手続を踏まなければならない,と定めるものである。「自己の権利が,直接,現在」侵害されている場合に,それを理由として当該法律の違憲を主張することはできる。本問の場合,サイトを見る人の「知る自由」の制約も(が)問題となる。したがって,他者の権利の制約が違憲であることを理由に法律や処分の違憲性を主張できるか否かを,検討する必要がある。その場合,まずは,第三者所有物没収事件判決を参照することになる。

(引用終わり)

二つのことを指摘している。
一つは、検閲に該当しないことがより明らかであること。
もう一つは、主張適格の問題が生じることである。

前者については、青少年保護育成条例の場合、自販機での購入ができなくなる点で、成年者に制約が存在した。
しかし、本問では適合ソフトの削除請求をしなければならないという「負担」に過ぎず、何ら制約はない。
(なお、出題趣旨は「解除ソフトによって規制される情報を見ることができる」とするが、問題文では「解除ソフト」というものは存在せず、「適合ソフトの削除」という表現を使っている)
従って、事前抑制全般を検閲に含める最広義説でも、そもそも事前抑制にあたらないから、検閲になりえない。

後者について、青少年保護育成条例の場合は、自販機での販売等、表現の手段が制限されている。
しかし、本問では、サイトの公表自体は何ら妨げられていない。
その意味では、表現行為が侵害されているのではなく、ただ、閲覧する自由=知る権利こそが制約されていると考えられる。
そうなると、他者の権利の援用が必要になるから、主張適格の問題が生じる。

ただ、これは一つの考え方だろう。
適合ソフトの削除請求をしなければならない「負担」が「制約」ではないというのは、一つの評価である。
また、サイトの公表が妨げられなくても、閲覧を制約されることは、表現行為の制限であると解しうる。
表現行為は受け手の存在を前提としているからである。
第三者の権利を援用しなければ、自己のウェブサイトがフィルタされないように求めることができないというのはおかしいだろう。

検閲については、該当するとした受験生はほとんどいないはずで、特に上記の指摘を気にしなくても問題は無かったと思われる。
他方、多くの受験生は主張適格を書くことには抵抗を覚えたはずである。
第三者所有物没収事件判決は、一般論を述べていないし、「所有権を剥奪された第三者から賠償請求権等を行使される危険に曝される等、利害関係を有することが明らか」という点から、厳密には第三者の権利の援用とはいい難い。
従って、これを引用してあてはめるには、それなりの説明が要る。
また、結論的には、抽象的に第三者の権利を援用するのは無理だろうということもある。
そうなると、あまり議論の実益が大きいとは感じられない。
論述に要する紙幅と実益の対比からいって、現場では書かない選択が無難に感じられる。

考査委員は主張適格をどの程度重視していたのか。
この点、「サイトを見る人の「知る自由」の制約も(が)問題となる」という書き方が気になる。
単に、「サイトを見る人の「知る自由」の制約も問題となる」だと、複数の論点の一つという位置づけになる。
後述する第5段落を見る限り、これが出題趣旨の主流の考え方のようである。
他方、「サイトを見る人の「知る自由」の制約が問題となる」だと、これこそが問題、という感じだ。
主張適格がメイン論点だ、と思う考査委員もいたということだろう。
おそらく、考査委員の意見が割れて、折衷的な表現になったのではないかと思う。
この点は、考査委員のヒアリングを見る際に注目したい。

第3段落

第3段落は、解答に当たってのいわば心構え、基本姿勢である。

(出題趣旨から引用)

 新しい素材に関して,全く新たに考えることを求めているのではない。法科大学院の授業で学んでいるはずである,表現の自由や憲法訴訟論に関する基礎知識を正確に理解した上で,具体的問題に即して思考する力,応用する力を試す問題である。個別・具体の事案に応じて存在する憲法上の問題を発見し,それについて深く広く検討し,そして説得力のある理由を付して,自らの結論を導くことが求められている。問題文に書かれていることや資料に書かれていることをそのまま書き写すのではなく,与えられている資料等からそれぞれの設問が求める立場での主張を考えることが必要である。

(引用終わり)

「基礎知識を正確に理解」、「具体的問題に即して思考する力,応用する力」という部分がポイントである。
旧司法試験の出題趣旨で多用されたフレーズとして、「基本的知識と具体的事案に対する応用力」というものがある。
基礎知識を正確に理解しているか、という部分は、結果的には記憶しているか、ということになる。
何も見なくても答案に基礎的な知識を書くことが出来ることが前提になっているからである。
そして、これを具体的問題にあてはめる部分、ここが応用であり、現場思考で足りる部分である。
ただ、この現場思考は、基礎知識の理解から演繹する作業である。
その意味で、単なる頭の回転の良さとか、ひらめきとか、そういうこととは違う。
このことは、本問に限らず、旧司法試験時代から言われていたことである。
「問題文に書かれていることや資料に書かれていることをそのまま書き写すのではなく」という部分は上記とリンクする。
すなわち、問題文・資料は、ただ写すものではなくて、基礎知識を前提にして評価する対象である。
評価の部分で、基礎知識とリンクさせてその理解を示すことになる。

普段の勉強では、基礎知識はカードなどで覚える。
問題集・答練は、覚えた知識をどう使うかの訓練として利用する。
そして、問題集・答練を解いた後に確認すべきは、覚えるべき基礎知識部分を忘れていたのか、それとも知識の利用を誤ったのか。
前者であれば、覚える時間を取るべきであり、後者であれば、新しい問題をさらに解くべきである。
前者を現場思考できるように訓練するとか、後者を暗記で乗り切ろうとするのは、合格から遠くなる。

(次回に続く)

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