平成20年度新司法試験論文出題趣旨検討(憲法2)

前回に続いて、憲法の検討をする(試験問題はこちら)。

第4段落

ここでは、設問1で取り上げるべき事項の大枠が示されている。

(出題趣旨から引用)

 設問1では,Aの弁護人として,本問が仮想する法律の違憲性を主張することが求められている。弁護人としては,当該法律及びAに対する処罰を違憲とするために理論及び事実に関する効果的な主張を行なうことになる。その際,裁判の場で行なう主張であるので,判例と異なる主張を行なう場合には,判例の判断枠組みや事実認定・評価のどこに,どのような問題があるかを明らかにする必要がある。

(引用終わり)

大きな枠としては、本問の法律自体の違憲性と、法律の適用としてのAに対する処罰の違憲性。
この二つを論じることになる。
本問をざっと読んだ時に、法律自体はギリギリ合憲かもしれないが、Aに対する処罰はいきすぎではないか。
このように感じた人が多かったはずである。
その感覚に従って構成すれば、自然とこの点は出題の趣旨に応えることができる。
憲法は細かな文言から論点を抽出するより、直感的な部分を重視した方が、正解にたどり着きやすい。

また、「理論及び事実に関する」というのは、第3段落にいう基礎知識と具体的問題への応用という部分に符合するところである。
基礎知識となる理論をまず書いて、それを踏まえると本問ではどうなるのかという主張を書くということである。

それから、これは新司法試験で新しくみられる傾向であるが、判例を書けということがある。
旧司法試験の出題趣旨では、商法を除いて、判例を要求する記述はなかった。
もっとも、旧試験時代でも判例と異なる説に立つならば判例批判をするのが筋とされていた。
新司法試験では、判例と異なる説に立つなら判例批判をせよ、と明示的に指示してきた。
第2段落で第三者所有物没収事件判決を参照すべきとしている点も、判例重視の現われである。
この点は、新司法試験になってから見られる傾向変化である。
従って、新司法試験では、論文を書く際に判例を挙げるということを意識的にできるようになった方がよい。

現在でも、論文で判例を挙げる際の定型化されたスタイルというものはある。
「この点は判例は〜しかし〜から妥当でない。思うに〜」という形式である。
形式としてはこれを利用して構わないと思う。
他の形式で書けるならそれでいいが、思いつかないならば止むを得ないだろう。
ただ、その中身は、既存の論証ブロックの貼り付けと思われないよう工夫する必要がある。
特に、判例のどの部分を批判しているかを意識すべきだ。
出題趣旨のいう「判例の判断枠組みや事実認定・評価のどこに,どのような問題があるか」という点である。
判例の法解釈それ自体に問題があるというのであれば、一般的な批判を挙げれば足りる。
ただ、判例の解釈自体は良いが、本問の事実に適用するとおかしいというのであれば、一般的な批判では的外れになる。
その場合は、本問の事実に即した理由付けを考えて書かなければならない。
今年度の民事系の主観的追加的併合の問題は、その一例といえる。

第5段落

第5段落は、法令違憲についての具体的な問題点の列挙である。

(出題趣旨から引用)

 法令の違憲性に関しては,@「有害情報」と18歳未満の者の健全な育成及び見たくない18歳以上の者の保護との関連性(立法事実),A表現内容を規制する法律の合憲性に関する判断枠組み,B規制される「有害情報」の不明確性,C有害なウェブページだけでなく,それを含むウェブサイト全体を閲覧できなくする規制の広汎性,D仮にAの提供する情報は「有害」であるとしても,第三者の,憲法が保障する表現も規制される可能性,E18歳未満の者の「知る自由」への制約,F18歳未満の者を保護するための規制によって18歳以上の者の「知る自由」が制約される可能性,G18歳以上の者が見ることができるようにするためには一定の手続が求められていることが,「不当な負担」といえるか否か,等が問題となる。

(引用終わり)

@は、関連性の問題であるから、目的手段審査の部分である。
Aは、審査基準そのもの。
BCは文面審査段階におけるものである。
DEFGは、第三者の人権を援用するものであり、第2段落で述べられた主張適格をクリアした後の問題である。

論理的には、形式審査(BC)、実質審査の基準(A)・あてはめ(@)の順番になるはずである。
従って、この列挙の順序は、考査委員が重要と考える順番に並んでいると考えられる。
まず最初に、表現の自由の規制についての一連の問題点が列挙されている。
従って、やはりメインは表現の自由(とりわけ関連性の有無)であったと考えてよさそうだ。
他方、第三者の人権制約(DEFG)は、それが論じられた後にさらに余裕があれば論ずべきこととなる。
そう考えると、第2段落で強調されていた主張適格のウェイトは、それ程高くなかった可能性が高い。
なお、@のところでDEFGを取り込む書き方をするのが、技術的には優れている。
紙幅と時間をかなり節約しつつ、全体として出題意図によく応えることができるからである。
ただ、その書き方だと、主張適格を落とすことにはなる(逆にそれがメリットともいえるが)。
この辺りの評価がどうなるかは、ヒアリングの方で触れられることを期待する。

第6段落

第6段落は、処罰の違憲性についての具体的な問題点の列挙である。

(出題趣旨から引用)

 Aに対する処罰の違憲性に関しては,@Aが提供する情報の「有害」性,AAが提供する情報自体の社会的重要性,B一般的な解除ではなく,Aのウェブサイトを解除するだけなのに刑罰を科すという規制手段の過度性,C見る人に不快感を与える可能性のある画像が出てくる前に注意を促す文章を掲げていることに関する評価等が問題となる。

(引用終わり)

いずれも、直感的に気づくことの出来る論点である。
ただ、これをどのような判断枠組みに乗せて評価するかは難しく、出題趣旨にもそれは書いていない。
法令審査と同様の基準であてはめをしても、構わないところだろう。
この部分は、いかに丁寧に事実を拾うか、という点が重要である。
その意味で、現場思考・応用部分ということになる。

第7段落

第7段落は、今回の出題趣旨の中で特に重要な部分である。

(出題趣旨から引用)

 このように,本問では,多くの問題が存在する。求められていることは,上記の問題点をすべて挙げることではない。試験時間の制約の中で,重要度を自分で判断して重要であると思う(その判断の妥当性は問われるが。)複数の問題について,説得力のある主張を展開することが求められている。

(引用終わり)

旧司法試験の時代から、憲法は難しい科目とされてきた。
その理由は、多くの論点があるように見えるが、それを網羅的に拾うとなぜか良い評価にならないということである。
これは、再現答案などの分析からの経験則である。
今まで、その原因がよくわからなかった。
受験生の論点主義のせいで、考査委員が全く意図していない論点を拾ってしまっているのか。
それとも、考査委員がわざとそういう出題・採点をしているのか。
今回、この出題趣旨から、後者であるらしいことがわかった。

ただ、そうなると、考査委員がどの論点を重視しているかという点が重要になる。
出題趣旨はかっこ書で、「その判断の妥当性は問われるが」とする。
その妥当性の判断は考査委員が行うことになる。
論点を拾えなかったから評価が下がるというのは、わかりやすい。
その対策としては、論点を出来る限り拾えるよう、論点を学習し、事例にたくさん触れればよい。
しかし、論点のうち、考査委員が大事だと思う論点だけ拾って来いというのは、対策が難しい。
概括的には、「直感的に大事そうな論点は拾う」という対策はある。
ただ、それだけでは手がかりとして不十分だ。
本問における主張適格のように、どの程度重要なのか、問題文はおろか出題趣旨を見てもよくわからないものもある。
論点の取捨選択の評価基準は、出題趣旨においても示されているとはいい難い。
また、考査委員の中でも個人差があるだろう。
この、いわば考査委員の好みに左右される評価方法が、以前の記事で述べた公法の極端な評価に結びついていると思われる。

第8・9段落

第8・9段落は、設問2で、どのように書くべきかの指摘である。

(出題趣旨から引用)

 設問2では,まず,設問1での主張とは対立する,すなわち,本問の仮想する法律を合憲とする理由付けを想定することが求められる(この部分の記述は,簡潔でよい)。次いで,このような憲法上の問題点に関する相対立する主張を踏まえて,「あなた自身の見解」を述べることになる。
 「あなた自身の見解」は,必ずしも,被告人側と検察側の相対立する主張のいずれか,という二者択一であることが求められているわけではない。「あなた自身の見解」は,両者とは異なる「第三の道」であることもあり得る。また,この種の問題に関する判例と同じであることが求められているわけでもない。被告人側と,検察側と,あるいは判例と「同じである」という理由では,全く不十分である。なぜその主張に賛成するのかについて,説得力のある理由が述べられていなければならない。

(引用終わり)

検察側の主張が簡潔でよいというのは、「Aの主張に対する検察官の主張を想定しつつ」という問題文から読み取れる。
従って、設問2は、主として私見を述べればよい。
しかし、これが難しかった。

出題趣旨は「被告人側と,検察側と,あるいは判例と「同じである」という理由では,全く不十分である」と指摘する。
そういう答案が少なくなかったということだろう。
おそらく、受験生もそれはわかっていたはずである。
にもかかわらず、上記のような答案になってしまった原因は二つ考えられる。

一つは、時間・紙幅が足りなかったことが考えられる。
これは時間調整・答案構成を訓練すれば足りる。

もう一つの原因は、その書きにくさである。
これは無理からぬ面がある。
弁護人・検察・裁判所の3つの立場を一つの答案にまとめさせることに、一種の矛盾があるからだ。
設問2で私見を書く場合、設問1で説明したことと同じ立場ならば、書くことが無いということがあり得る。
技術的には、設問1ではわざと重要な論拠を書かないでおき、設問2でそれを深める方法はある。
だが、現場の状況では、つい、設問1で全て書ききってしまうことは十分ある。
その場合は、「理由は設問1で示した通り」とならざるを得ない。
他方、設問1とは異なる立場に立つ場合も、書きにくさは変わらない。
設問1で述べた弁護人の主張の問題点を指摘する場合、書き方によっては「そう思うなら最初から設問1で書くな」と思われてしまう。
そもそも、弁護人・検察官の立場であっても、「私見からはこんな主張はおかしいと思うが、立場上主張する」などとは言わない。
余程やっつけ仕事でない限り、自分でもそうだと思えるような主張を練って公判に臨むのが普通である。
裁判所も、自分が書いた主張でないからこそ、「弁護人(検察官)のいう主張は失当」と判示できるのである。
自分の書いた主張をその後すぐに否定するような文章は、なかなか書き難い。
このように、異なる立場に立ちつつ、一つの答案として不自然でない論述をするというためには、独特の文章力を要する。
この点は、実務とは関係のない文章技術で差が付いてしまう部分といえる。

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