1.今回は、司法試験定義趣旨論証集(刑法総論)における実行の着手の意義について、補足をしておきたいと思います。
司法試験定義趣旨論証集(刑法総論)で採用している定義は、直前行為を含む形式的客観説で、判例の立場です。構成要件的行為の開始と考えたのでは着手が遅すぎるため、直前の密接な行為も含むと考える考え方です。その際、密接な行為には法益侵害の危険性がなければならない。すなわち、密接性と危険性が着手の要件ということになります。判例は、法益侵害の危険性について、「具体的危険性」や「直接的現実的危険性」ではなく、「客観的な危険性」という表現を用いています。具体性・直接性・現実性という要素は、「密接な行為」か否かの点で考慮しているからでしょう。
(東京高判昭29・12・27より引用、太字強調は筆者)
一般に実行の着手とは犯罪構成要件を実現する意思を以て、その実行即ち犯罪構成要件に該当する行為を開始することを指称するものと解すべく、即ち犯罪行為の実行の着手があつたかどうかは主観的には犯罪構成要件を実現する意思乃至は認識を以てその行為をしたかどうか、客観的には、一般的に犯罪構成事実を実現する抽象的危険ある行為がなされたかどうかを探究して個々の場合につき具体的に認定さるべき事実問題であるということができる。 犯罪構成事実に属する行為及びこれに直接密接する行為がなされたときに犯罪実行の着手があるとするのも、実行の着手の客観的方面に即してこれを定義したものに外ならない。
(中略)
検察官はBが自宅を出たときに本件交付罪の着手があつたものと主張するが、右行為は一般的に観察して未だ「交付」に直接密接な行為とは認め難く、いわゆる予備の段階たるに止まるものと認めるのが相当である。
(引用終わり)
(仙台高判昭30・11・8より引用、太字強調は筆者)
原判決挙示の証拠を以ては、被告人は窃盗の決意を以て簟笥の附近に居り、その決意実行の機を窺つていたということを認め得るに止まり、窃盗の決意をした後、それを実現すべく簟笥に近ずいたということは認め得ず、その他何等か他人の財物の事実上の支配を侵すにつき密接な行為をしたもの、即ち窃盗の事行に着手したものであることは之を認めることができないのである。
(引用終わり)
(最決昭45・7・28より引用、太字強調は筆者)
被告人が同女をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階においてすでに強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において強姦行為の着手があつたと解するのが相当であり、また、Bに負わせた右打撲症等は、傷害に該当すること明らかであつて(当裁判所昭和三八年六月二五日第三小法廷決定、裁判集刑事一四七号五〇七頁参照)、以上と同趣旨の見解のもとに被告人の所為を強姦致傷罪にあたるとした原判断は、相当である。
(引用終わり)
(最決平16・3・22より引用、太字強調は筆者)
第1行為は第2行為に密接な行為であり,実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから,その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。
(引用終わり)
(最判平20・3・4より引用、太字強調は筆者)
本件においては,回収担当者が覚せい剤をその実力的支配の下に置いていないばかりか,その可能性にも乏しく,覚せい剤が陸揚げされる客観的な危険性が発生したとはいえないから,本件各輸入罪の実行の着手があったものとは解されない。
(引用終わり)
2.「密接な行為」の判断要素を示したのが、有名なクロロホルム事件(上記引用の最決平16・3・22)です。
(最決平16・3・22より引用、太字強調は筆者)
実行犯3名の殺害計画は,クロロホルムを吸引させてVを失神させた上,その失神状態を利用して,Vを港まで運び自動車ごと海中に転落させてでき死させるというものであって,第1行為は第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであったといえること,第1行為に成功した場合,それ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったと認められることや,第1行為と第2行為との間の時間的場所的近接性などに照らすと,第1行為は第2行為に密接な行為であり,実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから,その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。
(引用終わり)
まず、上記の判断要素は、「密接な行為」か否か、という点に係るものであることを理解する必要があります。上記引用部分を漫然と読むと、客観的な危険性をも基礎付けるかのように読めます。しかし、第1行為の客観的な危険性は、既に事実審段階で認定されています。
(最決平16・3・22より引用、太字強調は筆者)
1 1,2審判決の認定及び記録によると,本件の事実関係は,次のとおりである。
(中略)
(5) 被告人B及び実行犯3名は,第1行為自体によってVが死亡する可能性があるとの認識を有していなかった。しかし,客観的にみれば,第1行為は,人を死に至らしめる危険性の相当高い行為であった。
(引用終わり)
前記引用のうち「実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから」の部分は、この事実認定を確認したに過ぎません。ですから、その前の考慮要素(必要不可欠性、遂行障害不存在、時間的場所的近接性)は、すべて「密接な行為」の判断要素だということになるわけです。
現在学説上有力な実質的客観説(及びこれをベースにした予備校論証)によれば、上記の「客観的にみれば,第1行為は,人を死に至らしめる危険性の相当高い行為であった。」という部分だけで着手を肯定することになりかねないのですが、判例は、単に危険性があるというだけでなく、構成要件的行為と密接な行為でなければならないと考えることから、さらに上記各要素の検討が必要になるのです。理論的に説明するなら、これは罪刑法定主義を重視する形式的客観説の立場からの形式的枠付けともいえます。また、実質的客観説からも、上記各要素は危険の具体性・現実性・直接性(≒密接性)を基礎付けるものとして必要だ、という理解が可能でしょう。従来の予備校論証等は、この点の整理が不十分であったように感じます。
3.そして、同判例は、早すぎた構成要件の実現の場合における事例判例ではありますが、上記の判断要素は、一般的に妥当すると考えることができます。例えば、無人の倉庫に侵入して窃盗を行う場合の実行の着手を考えると、倉庫の中の物を盗むには倉庫に入らなければならず(必要不可欠性)、無人の倉庫に入ってしまえば(警備状況にもよりますが通常は)窃取の障害は特段存在しなくなります(遂行障害不存在)。時間的場所的接着性も容易に肯定できます。従って、倉庫に侵入する行為は、「密接な行為」といえる。従って、これによって物の占有侵害の客観的な危険が認められれば、その時点で着手を認めることができる。このように、これらの判断要素は、実行の着手一般に広く応用可能な考慮要素なのです。
司法試験定義趣旨論証集(刑法総論)
では、上記のような理解を前提に整理して論証化しているために、従来の予備校論証等とは異なっているのです。