1.群馬バス事件判例(最判昭50・5・29)は、判断過程審査や手続違法と処分の効力との関係についての判例として有名ですが、行政裁量の広狭、覊束裁量か自由裁量かの区別についての考慮要素を明確に示した判例であることは、あまり知られていません。
2.かつての通説的見解は、行政裁量の広狭は行政行為の性質によって決まると考えていました。そのため、行政裁量の広狭を決するに当たっては、まず、当該行政行為がどの類型に当たるのか。命令的行為なのか、形成的行為なのか。あるいは、特許なのか、許可なのか。そういったことを検討し、そこから、行政裁量の範囲を導出していたのです。しかし、群馬バス事件判例は、そのようなことは裁量の範囲の結論を左右しないと言います。
(群馬バス事件判例(最判昭50・5・29)より引用、太字強調は筆者)
原審は、まず、一般乗合旅客自動車運送事業を独占の一形態でありその免許を公企業の特許であるとしたうえで、運輸大臣は、道路運送法六条一項に定める基準のすべてに適合し、かつ、同法六条の二の欠格事由に該当しない場合でなければこれを免許することができず、右基準のいずれかに適合しないときは申請を却下しなければならないものであり、また、右免許基準に適合するかどうかの判断は覊束裁量に属すると解し、この見解に基づき、本件免許申請につき同法六条一項一号の基準に適合しないとした被上告人の判断の適否について検討し、右判断は相当であるとするとともに、他方、行政庁が行政処分を行うにあたつては、事実の認定、法律の適用等の実質的判断はもとより、その手続についても公正でなければならないと解し、この見解に基づき、本件免許申請に対する審理手続を検討し、右審理手続上においても違法は認められないとしたのである。
しかしながら、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかは、必ずしも、本件の結論に影響があるものとは考えられない。
(引用終わり)
その上で、行政行為の性質論に代わる考慮要素を具体的に示します。まずは、国民の自由の制約の程度です。これは裁量を狭くする要素です。判例の事案では、効果裁量を否定する要素となっています。
(群馬バス事件判例(最判昭50・5・29)より引用、太字強調は筆者)
自動車運送事業は高度の公益性を有し、その経営は直接社会公共の利益に関係があるものであるから、憲法二二条一項にいう職業選択の自由に対する公共の福祉に基づく制限として、道路運送法は、四条において、自動車運送事業を経営しようとする者は、運輸大臣の免許を受けなければならないとし、六条一項において、免許基準を設け、また、六条の二において、欠格事由を定めているのであり(当裁判所昭和三五年(あ)第二八五四号同三八年一二月四日大法廷判決・刑集一七巻一二号二四三四頁参照)、これにより、運輸大臣は、右免許基準のすべてに適合し、かつ、右欠格事由に該当しない場合でなければ免許を付与してはならない旨の拘束を受けるものと解されるのであつて、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかによりこの理が左右されるものではない。
(引用終わり)
次は、基準の抽象性、概括性と専門技術的・公益的判断の必要性です。これは裁量を広くする要素です。判例の事案では、要件裁量を肯定する要素となっています。
(群馬バス事件判例(最判昭50・5・29)より引用、太字強調は筆者)
右免許基準は極めて抽象的、概括的なものであり、右免許基準に該当するかどうかの判断は、行政庁の専門技術的な知識経験と公益上の判断を必要とし、ある程度の裁量的要素があることを否定することはできないが、このことも、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と考えるかどうかによつて差異を生ずるものではない。
(引用終わり)
さらに、制度上及び手続上の特別の規定の存在を挙げます。これは、裁量を狭くする要素、より具体的には、判断過程における手続の適正の要求を導きます。
(群馬バス事件判例(最判昭50・5・29)より引用、太字強調は筆者)
法は、道路運送法一二二条の二、運輸省設置法六条一項七号、八条以下、運輸審議会一般規則等において、右免許の許否の決定の適正と公正を保障するために制度上及び手続上特別の規定を設け、全体として適正な過程により右決定をなすべきことを法的に義務づけているのであり、このことから、右免許の許否の決定は手続的にも適正でなければならないものと解されるのであつて、自動車運送事業の免許の性質を公企業の特許と解するかどうかによつてこれが左右されるものではない。
(引用終わり)
3.このように、最高裁は、裁量の広狭の考慮要素を明確に示す一方で、しつこいほど、公企業の特許かどうかによってこれが左右されない旨を判示しています。ここまで明示的な判示であるにもかかわらず、この判示部分がそれほど有名ではないのは、当時の学説との乖離が大きかったからでしょう。当時は、個別法解釈により決するのではなく、より大きな視点で統一的に解決できるような方法論が好まれていました。行政行為の性質から一刀両断的に結論を導くアプローチの方が、体系的理解という点からは優れていると考えられたのです。
しかし、それでは具体的事例処理において適切な結論が導けない場合がある。判例が当初からそのようなアプローチを採らなかったのは、その意味では当然ともいえます。そして、現在では、処分の相手方以外の第三者の原告適格の判断や「仕組み解釈」という概念に顕著なように、学説においても、個別法を詳細に検討して個別具体的に結論を導くアプローチが、当たり前になりつつあります。上記の群馬バス事件判例の判示は、現在ではむしろ自然にみえるでしょう。
4.群馬バス事件判例が示した考慮要素を確認した後で、他の判例を読むと、理解が深まります。例えば、在留更新に関するものとして有名なマクリーン事件判例(最大判昭53・10・4)を見てみましょう。
(マクリーン事件判例(最大判昭53・10・4)より引用、太字強調は筆者)
憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものでもないと解すべきである。そして、上述の憲法の趣旨を前提として、法律としての効力を有する出入国管理令は、外国人に対し、一定の期間を限り(四条一項一号、二号、一四号の場合を除く。)特定の資格によりわが国への上陸を許すこととしているものであるから、上陸を許された外国人は、その在留期間が経過した場合には当然わが国から退去しなければならない。もつとも、出入国管理令は、当該外国人が在留期間の延長を希望するときには在留期間の更新を申請することができることとしているが(二一条一項、二項)、その申請に対しては法務大臣が「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」これを許可することができるものと定めている(同条三項)のであるから、出入国管理令上も在留外国人の在留期間の更新が権利として保障されているものでないことは、明らかである。
右のように出入国管理令が原則として一定の期間を限つて外国人のわが国への上陸及び在留を許しその期間の更新は法務大臣がこれを適当と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしているのは、法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、そして、在留期間の更新事由が
概括的に規定されその判断基準が特に定められていないのは、更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広汎なものとする趣旨からであると解される。すなわち、法務大臣は、在留期間の更新の許否を決するにあたつては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の見地に立つて、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしやくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができないものと考えられる。このような点にかんがみると、出入国管理令二一条三項所定の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断における法務大臣の裁量権の範囲が広汎なものとされているのは当然のことであつて、所論のように上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新申請を不許可にすることは許されないと解すべきものではない。
(引用終わり)
上記太字強調部分をみると、群馬バス事件判例の示した権利制約性、規定の概括性、専門技術的公益的判断の必要性といった考慮要素が順番に検討されていることがわかります。
5.司法試験定義趣旨論証集(行政法)では、「法律行為的行政行為の裁量」、「公企業の特許の法的性質と裁量の範囲」、「覊束裁量と自由裁量の区別」の論点で、群馬バス事件を引用して上記趣旨を論証化しています。予備校論証に慣れていると奇異に感じるかもしれませんが、上記を参照すれば、趣旨を理解して頂けると思います。