第1.甲及び丙の罪責
1.甲及び丙が、Aの死亡を認識・認容しつつ、その生存に必要な措置を採らなかった点につき、不作為による殺人罪(199条)は成立するか。
2.Aの生存に必要な措置は、最後の授乳等から約48時間(以下「最後の授乳等から」を省略する。)を超えるまでは授乳等であり、それ以降は病院で治療を受けさせること(以下「加療措置」という。)である。甲及び丙は、授乳等及び加療措置の作為義務を負うか。
(1)作為義務の有無は、法益の排他的支配及び作為の可能性・容易性によって判断する。上記排他的支配は、危険の現実化に至る過程の全部にわたることは必要でなく、作為との同価値性を基礎付ける程度で足りる。
ア.甲は、Aの実母であり、Aと同居しているから、Aの保護を期待される地位にある。のみならず、Aはアレルギーで母乳しか飲めないから、Aの生命の危険が加療措置を要するほど切迫した段階に至るか否かは、専ら甲による授乳等の有無にかかっている。従って、甲は、Aの生命の危険が切迫化する過程について排他的支配を有する。
他方、約48時間を超えて以降の加療措置については、甲が行わなくても、丙が加療措置を行えば、Aの生命の危険は現実化しない。従って、甲は、切迫した危険の現実化の過程については排他的支配を有しない。
では、生命の危険が切迫化する過程における排他的支配をもって、作為と同価値といえるか。作為によって生命の危険を切迫化させれば、たとえ他者による救命可能性があっても、可罰的である。従って、生命の危険が切迫化する過程に排他的支配があれば、作為と同価値といえる。以上から、甲の有する排他的支配は、作為義務の根拠となる。
そして、甲がAに授乳等を行うことは、可能かつ容易である。
よって、甲は、約48時間を超えるまでの授乳等の限度で作為義務を負う。
イ.丙は、授乳を行うことはできないから、危険の切迫化の過程について排他的支配も作為の容易性・可能性もない。また、約48時間を越えて以降については、丙が加療措置を行わなかったとしても、甲が翻意して加療措置を行えばAの生命の危険は現実化しない。従って、丙は、危険が現実化する過程においても排他的支配を有しない。以上から、丙は、危険の切迫化から現実化に至るまでのいずれの過程についても、排他的支配を有しない。
また、甲は、丙が甲の殺意に気付いていないと思っていたから、甲丙間の意思連絡がなく、共同正犯の成立による甲丙共同の排他的支配の余地もない。
よって、丙は作為義務を負わない。
(2)上記(1)から、不作為正犯が成立し得るのは、甲が授乳等をしなかった点に限られる。従って、その実行行為は、Aの生命の危険が生じた7月2日昼前に着手され、生存に必要な措置の内容が授乳等から加療措置へと変更する7月3日昼に終了したと考えられる。
(3)上記(1)イのとおり、丙は単独正犯及び共同正犯とはなり得ない。もっとも、丙が、上記(2)の甲の不作為を見て見ぬふりをした点につき、不作為犯に対する不作為による従犯(62条1項)となるか。
ア.幇助とは、正犯の犯行を容易にすることをいい、正犯との意思連絡を要しない。もっとも、不作為により幇助する場合には、他人の犯行を阻止すべき作為義務を要する。
甲は、丙が何か言ってきたらA殺害を諦めるつもりであったから、丙が、甲の不作為を見て見ぬふりをしたことは、甲の犯行を容易にした。また、丙は、Aと血縁はないが、甲と同棲してAと同居していたから、Aの保護が期待される地位にある。甲及びA以外に同居するのは丙だけである以上、他に甲の犯行を阻止できる者はいない。丙が、甲に授乳等をせよと言うことは、可能かつ容易であった。以上から、丙は、甲の犯行を阻止すべき作為義務を負っていた。
よって、丙の行為は、幇助に当たる。
イ.不作為犯を幇助する場合、正犯と同じ作為義務は不要である。なぜなら、作為義務も犯罪行為に関する犯人の人的関係である特殊の地位であって、不作為犯を構成する以上、65条1項の真正身分に当たり、同項により非作為義務者も正犯の罪の従犯となるからである。
従って、丙が授乳等の作為義務を負っていないことは、従犯の成立を妨げない。
ウ.よって、丙は、甲の従犯となる。
3.では、甲の不作為とAの死亡に因果関係はあるか。因果関係は、条件関係を前提に、行為の危険が結果に現実化したか否かによって判断すべきである。
(1)条件関係とは、当該行為がなければ結果が発生しなかったという関係をいい、不作為犯の場合には、作為があれば結果が生じなかったことを意味する。
(2)Aの死因は、タクシーに衝突されたことによる脳挫傷である。甲が授乳等をしていれば、タクシーの衝突を回避できたといえるか。
乙が、Aの衰弱に気付いたのは、Aを甲方から連れ去った後、タクシーを拾おうと道路端の歩道上に立ち止まった時点であり、それまでの乙の行動は、甲の授乳等の有無と無関係である。乙が、Aの衰弱に気付いた後にタクシーに手を挙げたのも、もともとタクシーを拾おうとしたからであり、Aの衰弱の有無により左右されない。Aの衰弱によってタクシー運転手の過失が生じたわけでもない。
以上から、たとえ甲が授乳等をしても、タクシーとの衝突を回避できたとはいえない。従って、条件関係がない。
(3)よって、因果関係を欠くから、未遂(203条)にとどまる。
4.甲が授乳を再開した点につき、中止犯(43条後段)は成立するか。
(1)不作為犯において、中止したというためには、着手未遂の場合には期待された作為をすることで足りるが、実行未遂の場合にはさらに結果の発生を防止する積極的行為が必要である。
(2)前記2(2)のとおり、甲の不作為は7月3日昼に終了したから、実行未遂である。従って、結果発生を防止する積極的行為、すなわち、加療措置が必要であった。しかし、甲はこれを怠ったから、中止したとはいえない。
(3)よって、中止犯は成立せず、障害未遂(43条前段)となる。
5.丙が、甲の母親に嘘をついて、甲方訪問を断念させた行為は、別個の作為による殺人罪の実行行為となるか。作為と不作為の区別が問題となる。
(1)作為とは、新たに結果発生に至る危険を生じさせる行為であるのに対し、不作為とは、既に生じた危険の現実化を阻止しない行為である。
丙の嘘は、甲の母親による加療措置によって既に生じたAの生命の危険の現実化が阻止されることを拒む行為であるから、不作為である。
(2)前記2(1)イのとおり、丙には加療措置の作為義務がない。よって、上記不作為は殺人罪の実行行為とならない。前記2(3)の従犯に包括して評価すれば足りる。
6.以上から、甲は殺人未遂罪の罪責を負い、丙は同罪の従犯の罪責を負う。
第2.乙の罪責
1.甲方に立ち入った点につき、住居侵入罪(130条前段)は成立するか。
(1)侵入とは、住居等の管理権者の意思に反して立ち入ることをいう。住居における管理権は、現に居住する者に帰属する。
(2)乙は、甲方の賃借名義人であり、以前に甲方に居住していたが、現在は居住していない。甲方の管理権は、現に居住する甲及び丙にある。甲は、明示的に乙の立入りを拒絶しており、丙の推定的同意をうかがわせる事情もない。従って、乙の立入りは、甲及び丙の意思に反するから、侵入に当たる。
(3)以上から、住居侵入罪が成立する。
2.甲方からAを連れ去った点につき、未成年者略取罪(224条)は成立するか。
(1)略取とは、暴行又は脅迫により被略取者を生活環境から離脱させて、行為者又は第三者の実力的支配下に置くことをいう。
乙がAを抱きかかえて連れ去った行為は、有形力を行使してAを生活環境である甲方から離脱させ、乙の実力的支配下に置くものといえるから、略取に当たる。
(2)もっとも、乙は親権者であるから、違法性が阻却されないか。
ア.親権者の1人が、他方の親権者の監護下にある子を略取した場合において、監護養育上それが現に必要とされるような特段の事情があり、又は家族間における行為として社会通念上許容され得る枠内にとどまるときは、違法性を阻却すべきである。
イ.乙が、Aを連れ去った時点において、甲は適切な監護をしていなかったから、監護養育上、甲からAを引き離すことを現に必要とする特段の事情があった。
ウ.従って、違法性が阻却される。
(3)よって、未成年者略取罪は成立しない。
3.以上から、乙は、住居侵入罪の罪責を負う。
以上