【答案のコンセプトについて】
1.現在の司法試験の論文式試験において、現在の合格ラインである「一応の水準の真ん中」に達するための要件は概ね
(1)基本論点を抽出できている。
(2)当該事案を解決する規範を明示できている。
(3)その規範に問題文中のどの事実が当てはまるのかを明示できている。
という3つです。応用論点を拾ったり、趣旨や本質論からの論述、当てはめの事実に対する評価というようなものは、上記が当然にできているという前提の下で、優秀・良好のレベルに達するために必要となるに過ぎないのです。
にもかかわらず、多くの人が、上記優秀・良好レベルの事柄を過度に重視しているように思います。現場思考で応用論点を拾いに行ったり、趣旨や本質から論じようとしたり、事実に丁寧に評価を付そうと努力するあまり、基本論点を落としてしまったり、規範を正確に示すことを怠っていきなり当てはめようとしたり、問題文中の事実をきちんと摘示することを怠ってしまい、結果として不良の水準に落ちてしまっているというのが現状です。
2.その原因としては、多くの人が参考にする出題趣旨や採点実感等に関する意見の多くの記述が、実は優秀・良好レベルの話であって、一応の水準のレベルは当たり前過ぎるので省略されてしまっていること、あまりにも上位過ぎる再現答案を参考にしようとしてしまっていることがあると思います。
とはいえ、合格ラインギリギリの人の再現答案には、解答に不要なことや誤った記述などが散見されるため、参考にすることが難しいというのも事実です。そこで、純粋に上記(1)から(3)だけを記述したような参考答案を作ってみてはどうか、ということを考えました。
3.今回、掲載する参考答案は、上記のようなコンセプトに基づいています。「本問で基本論点はどれですか」と問えば、多くの人が指摘できるでしょう。「その論点について解決するための規範は何ですか」と問えば、事前にきちんと準備している人であれば、多くの人が答えられるでしょう。「その規範に当てはまる事実は問題文中のどこですか、マーカーを引いてみてください」と問えば、多くの人が正確に示すことができるものです。下記の参考答案は、いわば、それを繋ぎ合わせただけの答案です。
それなりの実力のある人が見ると、「何だ肝心なことが書いてないじゃないか」、「一言評価を足せば良い答案になるのに」と思うでしょう。優秀・良好レベルの答案を書いて合格できる人は、それでよいのです。しかし、合格答案を書けない人は、むしろ、「肝心なこと」を書こうとするあまり、最低限必要な基本論点、規範、事実の摘示を怠ってしまっているという点に気付くべきでしょう。普段の勉強で規範を覚えるのは、ある意味つまらない作業です。本試験の現場で、事実を問題文から丁寧に引用して答案に書き写すのは、バカバカしいとも思える作業です。しかし、そういう一見するとどうでもよさそうなことが、合否を分けているのが現実なのです。規範が正確でないと、明らかに損をしています。また、事実を引いているつもりでも、雑に要約してしまっているために、問題文のどの事実を拾っているのか不明であったり、事実を基礎にしないでいきなり評価から入っているように読める答案が多いのです。そういう答案を書いている人は、自分はきちんと書いたつもりになっているのに、点が伸びない。そういう結果になってしまっています。
今回の参考答案は、やや極端な形で、大前提として抑えなければならない水準を示しています。合格するには、この程度なら確実に書ける、という実力をつけなければなりません。そのためには、規範を正確に覚える必要があるとともに、当てはめの事実を丁寧に摘示する筆力を身につける必要があるでしょう。これは、普段の学習で鍛えていくことになります。
この水準をクリアした上で、さらに問題文の引用を上手に要約しつつ、応用論点にコンパクトに触れたり、趣旨・本質に遡って論述したり、当てはめの評価を足すことができれば、さらに優秀・良好のレベルが狙えるでしょう。
4.刑法に関しては、例年どおり論点の数が多く、上記(1)から(3)までを記述しただけでも相当な文量です。これを書き切れば、優に良好の水準に入るでしょう。現在の司法試験では、とにかく文量を書き切る力が必要なのです。
なお、参考答案中の太字強調部分は、「司法試験定義趣旨論証集(刑法総論)」、「司法試験定義趣旨論証集(刑法各論)」に準拠した部分です。
【参考答案】
第1.甲の罪責
1.新薬開発部の部屋への立入りにつき建造物侵入罪(130条前段)の成否を検討する。
(1)「侵入」とは、住居等の管理権者の意思に反して立ち入ることをいい、管理権者が予め立入拒否の意思を積極的に明示していない場合であっても、現に行われた立入りを管理権者が容認していないと合理的に判断されるときは、管理権者の意思に反するものといえる(大槌郵便局事件判例参照)。
本件で、各部は本社ビルにおいて、互いに他の部から独立した部屋で業務を行っていたから、当時の新薬開発部の部屋の管理権者は新薬開発部の後任の部長である。甲は当時新薬開発部に所属していないのに、同部の部屋に誰もいなくなったことを確認した後に立ち入っており、後任の部長が容認していないと合理的に判断される。
よって、甲の立入りは、「侵入」に当たる。
(2)以上から、建造物侵入罪が成立する。
2.新薬の書類10枚の持出しにつき窃盗罪(235条)の成否を検討する。
(1)新薬の書類はA社の所有と考えられるから、「他人の」に当たる。
(2)「財物」とは、有体物であって、何らかの財産的価値を有するものをいう。
本件で、新薬の書類は、新薬の製造方法の記載から財産的価値を有する有体物といえ、「財物」に当たる。
(3)「窃取」とは、他人の財物の占有を占有者の意思に反して自己又は第三者に移転させることをいう。
ア.まず、甲が持ち去ろうとした時点における新薬の書類の占有を検討する。
物が人の直接支配領域内に存在する場合には、物の存在の認識の有無にかかわらず、当該物の占有はその者にある(ロストボール事件判例参照)。
本件で、A社では各部においてその業務上の情報等を管理していたから、甲が持ち去ろうとした時の金庫の管理者は、後任の部長である。金庫の中の物は、金庫の管理者の直接支配領域内にある。従って、新薬の書類の占有は後任の部長にある。
イ.次に、新薬の書類の占有が甲に移転したかを検討する。
占有の移転時期は、財物の大きさ及び数量、搬出の容易性、占有者の管理状況等を総合的に考慮して判断すべきである。
本件で、新薬の書類はA3サイズ10枚であって、かばんに入れて容易に搬出でき、金庫で管理されていたことを考慮すると、金庫から取り出して甲のかばんに入れ、これを持って新薬開発部の部屋を出た時に、占有は甲に移転した。
ウ.上記占有移転は、新薬開発部の部内会議が始まって同部の部屋に誰もいなくなった隙に行われており、後任の部長の意思に反する。
エ.以上から、新薬の書類の持出しは「窃取」に当たり、甲が新薬開発部の部屋を出た時に既遂となる。
(4)甲は、上記(1)から(3)までを認識していたから、故意がある。
(5)窃盗罪が成立するには、故意のほかに、不法領得の意思、すなわち、権利者を排除して自己の所有物とする意思(権利者排除意思)及び経済的用法に従い利用・処分する意思(利用処分意思)が必要である(教育勅語事件判例参照)。
本件で、甲は、新薬の書類を乙に渡し、書類と交換に300万円と海外の支社長の地位を得るつもりであったから、権利者排除意思及び利用処分意思が認められる。よって、不法領得の意思がある。
(6)以上から、窃盗罪が成立する。
3.Cからかばんを取り上げ、傷害を負わせた点について検討する。
(1)強盗致傷罪(240条前段)は成立するか。
ア.強盗罪における暴行・脅迫は、被害者の反抗を抑圧する程度のものであることを要する。そして、ひったくりは、一般に暴行が財物奪取の手段そのものであって、反抗抑圧に向けられていないから、窃盗となるにとどまる。もっとも、被害者が抵抗したため、引きずって転倒させるなどした場合(ハンドバック引きずり事件判例参照)のように、反抗を抑圧するに足りる暴行と評価できる場合には、強盗が成立し得る。
本件で、甲はかばんの持ち手をつかんで引っ張っただけであるから、反抗を抑圧するに足りない。従って、暴行・脅迫がない。
イ.よって、甲に強盗致傷罪は成立しない。
(2)窃盗罪及び傷害罪(204条)は成立するか。
ア.かばんはC所有であり、「他人の物」に当たる。
イ.かばんは、甲のかばんと同じA3サイズの書類が入る大きさのもの1個で、持ち手を持って容易に持ち運ぶことができ、Cが手で持っていたことを考慮すると、甲がCからかばんを取り上げ、出発間際の電車に飛び乗った時に、Cの意思に反してCから甲に占有が移転し、「窃取」に当たる。
ウ.もっとも、甲は、Cが甲のかばんを盗んだものと思い込んでいたから、誤想防衛とならないか。
正当防衛(36条1項)と誤信していた場合には、違法な事実の認識がなく故意は認められない。もっとも、誤信につき過失がある場合には、過失犯が成立し得る。
本件で、甲に正当防衛の認識はあるか。
(ア)「急迫」とは、侵害が現に存在するか、その危険が切迫していることをいう。
本件で、甲が甲のかばんをベンチに置いたまま待合室を出たのが午前11時15分であり、Cに追い付いたのは午前11時18分であるから、甲の認識では侵害が現に存在した。よって、「急迫」の認識がある。
(イ)甲は、Cが甲のかばんを盗んだものと認識していたから、「不正の侵害」の認識がある。
(ウ)「防衛するため」というためには、防衛の意思、すなわち、侵害を認識しつつ、これを避けようとする単純な心理状態が必要である。
本件で、甲は、Cが甲のかばんを盗んだと思い、Cからかばんを取り返そうと考えていたから、侵害を認識しつつ、これを避けようとする単純な心理状態にあったといえ、「防衛するため」といえる。
(エ)「やむを得ずにした行為」とは、防衛手段として必要最小限度のもの、すなわち、相当性を有する行為をいう(判例)。
甲は53歳の男性で身長170センチメートル、体重75キログラムであるのに対し、Cは35歳の男性で身長175センチメートル、体重65キログラムであり、甲の行為は、かばんの持ち手をつかんで引っ張った程度であるから、相当性がある。よって、甲には「やむを得ずにした行為」の認識があった。
(オ)従って、甲に正当防衛の認識があり、甲の故意は否定される。もっとも、Cが盗んだと軽信した点に過失がある。
エ.以上から、甲に窃盗罪は成立しないが、過失傷害罪(209条1項)が成立する。
4.よって、甲は建造物侵入罪、窃盗罪、過失傷害罪の罪責を負う。前2者は牽連犯(54条1項後段)となり、その余の罪と併合罪(45条前段)となる。
第2.乙の罪責
1.甲に成立する建造物侵入罪及び窃盗罪に係る共謀共同正犯(60条)の成否を検討する。
(1)共謀共同正犯が成立するには、自己の犯罪としてする意思(正犯意思)、意思の連絡(共謀)及び共謀者の一部による犯罪の実行が必要である。
ア.本件では、乙の方から、甲に、「その書類を持ち出して私に下さい。私は、その書類を我が社の商品開発に活用したい。成功すれば、私は将来、我が社の経営陣に加わることができる。その書類と交換に、私のポケットマネーから300万円を甲先輩に払いますし、甲先輩を海外の支社長として我が社に迎え入れます」と言ったことから、乙に正犯意思がある。
イ.また、上記乙の発言に対し、甲が、乙に、「分かった…新薬の書類を年内に渡そう」と言ったことから、意思の連絡(共謀)がある。
ウ.そして、共謀者である甲による犯罪の実行がある。
(2)もっとも、上記(1)イの共謀成立時には、甲は新薬開発部の部長として、同部の部屋で執務し、新薬の書類を管理する業務に従事していた。従って、上記(1)イの共謀は、業務上横領罪(253条)に係るものであった。
ア.共謀内容と異なる犯罪が行われた場合において、共謀にのみ参加した者に共謀共同正犯が成立するためには、共謀と実行正犯の行為との間に因果関係があることを要する(教唆の事案におけるゴットン師事件判例参照)。
本件で、甲は、もし自己の所属が変わったことを乙に告げれば、乙は話をなかったことにすると言うかもしれないと思って新薬開発部の部屋へ侵入し、新薬の書類を窃取したから、共謀と実行正犯の行為との間に因果関係がある。
イ.共謀時の乙には建造物侵入及び窃盗の認識はないが、異なる構成要件間にまたがる錯誤については、構成要件が重なり合う限度で軽い罪の故意犯が成立する(判例)。
本件で、乙は業務上横領の認識であったが、上記重なり合いを論じるに当たっては、業務上横領罪が身分犯であることを考慮する必要がある。
すなわち、65条1項は真正身分(「身分によって構成すべき」)の連帯作用を、同条2項は不真正身分(「身分によって特に刑の軽重があるとき」)の個別作用を定めた規定である。また、共同正犯にも65条の適用がある(判例)。
そして、業務上横領罪に非業務者かつ非占有者が加功した場合には、占有者の身分は真正身分であるが、業務者の身分は不真正身分であるから、65条1項及び2項の適用により、単純横領罪(252条1項)が成立する。
そこで、単純横領罪と窃盗罪との重なり合いを検討すると、軽い単純横領罪の限度で重なり合いがある。
以上から、乙に単純横領罪の故意がある。
ウ.共同正犯は、同一の犯罪又は異なる犯罪のうちの重なり合う限度で成立する(部分的犯罪共同説、シャクティ事件判例参照)。
本件では、上記イのとおり、単純横領罪の限度で重なり合うから、同罪の限度で共同正犯が成立する。
(3)よって、乙は単純横領罪の罪責を負い、甲とは同罪の限度で共同正犯となる。
第3.丙の罪責
1.甲のかばん及び新薬の書類に係る窃盗罪を検討する。
(1)甲のかばんは、甲が所有し、時価約2万円相当であるから、「他人の財物」に当たる。また、前記第1の2(1)及び(2)のとおり、新薬の書類は「他人の財物」に当たる。
(2)では、「窃取した」といえるか。
ア.ベンチに置かれていた甲のかばんにつき、甲の占有は及んでいたか。
物が被害者の直接支配領域を離れた場合であっても、ごく短時間で再び支配可能となる場所的範囲にあり、被害者が当該物を認識し、又は失念しても短時間で気付いたときは、当該物の占有はいまだ被害者にある(公園ポシェット事件判例参照)。
本件で、自動券売機に向かって立つと待合室は見えないこと、自動券売機と待合室の出入口とは直線距離で20メートル離れていることから、当時、甲のかばんは甲の直接支配領域を離れていたが、ごく短時間で再び支配可能となる場所的範囲にあったといえる。また、甲は、すぐに心配になってベンチを見に行っており、甲のかばんを認識していた。従って、いまだ甲の占有が及んでいた。
イ.そして、甲のかばんは、A3サイズの書類が入る大きさのもの1個で、持ち手を持って容易に持ち運ぶことができ、誰でも利用できる待合室のベンチに置かれていたから、丙が甲のかばんを抱え、待合室を出た時に、甲の意思に反して丙に占有が移転し、「窃取した」といえる。
ウ.また、新薬の書類は、甲のかばんの占有者の直接支配領域内にあるから、その存在の認識の有無にかかわらず、甲のかばんの占有取得時に、丙は、新薬の書類を「窃取した」といえる。
(3)丙は、新薬の書類の存在を具体的に認識していないが、甲のかばんの占有移転を認識している以上、その中に入っていた新薬の書類についても故意が認められる。
(4)もっとも、不法領得の意思がないのではないか。
ア.まず、所有者である甲を排除する意思がある以上、厳密に自己の所有物とする意思がなくても、権利者排除意思がある。
イ.また、厳密な意味での経済的用法でなくとも、犯人が効用を享受し得る何らかの用途に用いる意思であれば利用処分意思を認め得る(支払督促正本廃棄事件判例参照)。
本件では、丙は、甲のかばんを持って交番へ行き、他人のかばんを勝手に持ってきた旨警察官に申し出れば、逮捕されて留置施設で寒さをしのぐことができると考えていたから、効用を享受し得る何らかの用途に用いる意思はある。従って、利用処分意思がある。
ウ.上記のことは、新薬の書類についても当てはまる。
エ.従って、甲のかばん及び新薬の書類につき、不法領得の意思がある。
(5)以上から、甲のかばん及び新薬の書類について、丙に窃盗罪が成立する。
2.よって、丙は、窃盗罪の罪責を負う。
以上