司法試験論文刑法の参考裁判例

神戸地裁第1刑事部平成15年10月9日判決より引用、太字強調は筆者)

 被告人は,当公判廷で,本件はすべて刑務所に入りたくて犯したものであると供述し,弁護人はこれを前提として被告人の行為(なお,本件で被告人が行った行為について,便宜上,不法領得の意思の有無をひとまずおいて,「本件万引き」とか「万引きした」等という。)は窃盗罪の成立に必要な不法領得の意思を欠いているので被告人は無罪であると主張するので,当裁判所が有罪を認定した理由を説明する。

1.まず,そもそも,刑務所に入る目的で窃盗(万引き)をした場合でも,不法領得の意思が欠けるとすることはできないと考える。
 この点,弁護人は,他の下級審裁判例も引用し,不法領得の意思があるというためには,権利者を排除して他人の物(窃取品)を自己の所有物としてその経済的用法に従って利用または処分する意思が必要であるところ,被告人は刑務所に入りたくて本件を犯したのであって,その被害品とされる判示財物(便宜以下「本件被害品」という。)につき,権利者を排除して自己の所有物とする意思もその経済的用法に従って利用または処分する意思もなかったとする。
 しかし,まず,ここにいう「経済的用法」とは,その物を本来予定されている用法どおりに用いることを指すものでは必ずしもなく,窃取した財物をその財物として利用する意思があれば不法領得の意思があるといわざるを得ない(投票用紙を窃取した事案にかかる最高裁判所昭和33年4月17日判決等参照)。また,財物奪取の方法がこれを永続的にしうるものであれば(換言すれば,財物を,その権利者による利用可能性を排して自己の所有物としてその経済的用法に従って実質的に利用または処分しうる可能性を設定すれば),前記利用意思には継続性は要求されないと解される。そして,窃取行為により刑務所に入ろうとする場合,行為者は,まさに窃取品を自己の所有物のごとくこれを商品などの財物として自己の支配下におき,これを検挙まで権利者を排して継続する意思を有するのであるから,その意思は不法領得の意思であると言わなければならない。弁護人の主張やその引用する裁判例の判断は,経済的用法の意味をその文言にとらわれて狭く考えすぎ,また権利者の(一時的)排除の意義についてその経済的用法の解釈に引きずられて継続性を求めすぎている感があって,首肯できない。
 また,窃盗罪の成立に不法領得の意思が必要とされるのは,もともと,毀棄,隠匿罪やいわゆる使用窃盗との区別をするためであると解されているところ,刑務所に入る目的で窃盗行為に及ぶことは,毀棄,隠匿行為や使用窃盗行為と明らかに異なるから,刑務所に入る目的で財物窃取に及ぶ行為を窃盗と断じても,不法領得の意思がもつとされる,毀棄,隠匿や使用窃盗と(通常の)窃盗とを区別する機能があいまいになるわけでもない(先に括弧内で「換言すれば」として述べた基準はこの区別にも資するものと考える。)。
 なお,窃盗罪が毀棄,隠匿罪に比べて重く処罰される理由として,領得罪に対する誘惑に対しては毀棄,隠匿罪に比べより強い抑止的制裁を必要とするからとの考え方があるが,このことを刑務所に入る目的での窃取行為についてみても,刑務所に入る目的での窃取であれば一般の窃盗より軽い毀棄,隠匿に対するのと同様な制裁で足りるとか,制裁が不要であるなどという結論に結びつくとも思われない
 以上のとおりであって,刑務所に入る目的で窃盗(万引き)をした場合には,不法領得の意思があるというべきである。

2.さらに,1でみた点につきどのように解しても,結局,本件では,被告人には本件万引きの当初から不法領得の意思が認められるというべきである。

(1) まず,関係証拠によれば,本件の前提事実として,被告人が,後記累犯前科の罪で服役の後,一時ホームレス生活をした後妹方に身を寄せることになり,本件当日は,就職活動のため,妹らに見送られ,勇んで同人宅を出たが,就職先としてあてにしていた工場の労働条件が過酷で就職をあきらめざるを得なかったこと,その後判示Af店(以下単に「A」という。)に行って本件万引きを行ったことが認められる(概ね被告人の供述以外に証拠がないが,反対の証拠もない。)。

(2)ア.ところで,関係証拠によれば,被告人は,A入店後,最初にその3階にある判示株式会社Bf店(以下単に「B」という。)で判示スリッパ(以下「本件スリッパ」という。)を万引きした後,直ちにA店外に出ず,同店2階に赴き他の被害品を万引きしたことが認められ,例えば2階に行ったりその後の万引きをする際等に本件スリッパをBに返したり放置するような行動を取っていない。次に,被告人は,A2階の3か所で引き続き万引きをした後,同階で本件被害品をAの買い物かごから自己のかばんに移し替え,その後同店1階におりてそのまま同階にあるハンバーガーショップに行き,その後A店外に出ている。そして,被告人は,店外に出た際,警備員から「レジを通していない商品があるのではないですか。」と尋ねられるや,「レジを通りました。」と答え,警備員からさらに「正直に言ってください。3階でブラジャーなどを入れたでしょ。」と追及され,その後万引きを認めている。これらは,通常,真に万引き(通常の窃盗)をする行為ないしこれを行った者の言動に他ならない。

イ.この点,まず,確かに,被告人が万引きした商品のうち,ブラジャーについては,3Lサイズであり,被告人が普段Lサイズの衣類を身につけると供述していることと合致しない。また,洗面,洗髪用品は,被告人が供述するように,被告人が就職できなかった以上妹方に戻れず再びホームレス状態になるしかないと考えたのであれば,被告人が一人で使い切れる量ではなく,また持ち運ぶことも困難な量である。しかし,一般に洋服のサイズがブラジャーのサイズと常に一致するとはいえず,長年ブラジャーをしたことがない被告人にそのサイズについて正確な知識があるとは思えない。また,被告人が妹宅に居候していたことからすれば,被告人が就職に成功したなどとして,あるいはやや漠然と,洗面用品等を妹宅に持ち帰ろうと考えても不自然ではない。
 さらに,被告人は,公判廷で,本件スリッパを万引きしたのは,履き物を窃取すると「足がつく」から窃盗常習者でも履き物は盗まないとの話を聞いたので,履き物を盗めばすぐ捕まると思ったからであると供述する。しかし,被告人は,妹宅を出る際,履き物を購入するとして3000円を受け取っており,スリッパの万引きは被告人のこの言動と符合しているのであって,アでみた被告人の言動にも照らすと,これまた被告人において自己の履き物として使おうとの確定的な,またはやや漠然とした意思のもとこれを盗んだと考えるのが合理的である。
 そして,被告人は,これらのほかには下着と毛染め剤しか万引きしていないのであって,明らかに被告人が使用,利用することが考えられないような品物は万引きしようともしていない

ウ.次に,被告人は,本件万引きの後A店外に出る前に,同店1階のハンバーガーショップで40分ないし1時間程度過ごしているところ,これも,通常は,万引き後すぐ店外に出た場合に捕まることをおそれる者が追跡されていないことを確認するためとる行動か,万引きした者がそのまま帰宅等しようかやめておこうか等と悩む際にとる行動である。この点,被告人は,警備員がすぐ来ないため待っていたと説明するが,被告人において警備員が万引きを目撃していることを予想していればそのような行動をとらずに直ちに店外に出ればよいのであり,万引きを目撃していない警備員が品物を持って飲食店にいる被告人を見て不審を抱いても,万引き現場を現認していない以上すぐに被告人を検挙する可能性は低いと考えるのが通常でもある(しかも,被告人は,その時点では,本件被害品を値札が目立つように持っていたのではなく,自分のかばんに入れていた。)から,被告人の前記説明は信用できない。

(3) さらに,被告人は,当公判廷で,自分は逮捕当初刑務所に入りたくて万引きをしたと捜査官に述べてその旨の調書も作成してもらったが,その後,警察官から,そのような動機では起訴できないから刑務所にも行けないと言われ,その後は警察官の言うとおりの動機を記載した調書を作成してもらった旨供述する。そして,被告人の供述調書をみると,平成15年6月13日付け及び同月19日付け各警察官調書では刑務所に入るという目的が録取され,同月23日付けの検察官調書では同様の目的が問答体で録取されているのに対し,同月26日付け警察官調書,同年7月2日付け検察官調書では,本当のことを言う等として,窃取品の具体的使用目的が述べられているのであって,このような供述経過はこの被告人の公判供述に符合する。さらに,前記平成15年6月26日付け警察官調書ではこのように供述を変遷させた理由として単にこれまで言い訳していたとのみ録取されているところ,犯行動機につき虚偽を述べるのは,他人をかばう等の事情がない限り自己の罪責を軽くするためというのが通常であると思われるが,自己の罪責を軽くするため刑務所に入るつもりで犯行に及んだと虚偽を述べるというのは一般には不自然である。これらの点からすれば,捜査段階で,被告人と捜査官との間に,被告人が当公判廷で供述するようなやりとりがあったものと推認するのが自然である(なお,そうすると,前記平成15年6月26日付け警察官調書,同年7月2日付け検察官調書については,その任意性にも疑念を差し挟む余地がある。)。
 しかし,被告人の供述調書の記載を子細に検討すると,供述を変更する前の調書というべき前記平成15年6月19日付け警察官調書においても,被告人は,「ここで万引きでもして捕まってもかまわないから万引きしよう」と決心して本件万引きを開始した旨(同調書4枚目),またA1階で本件被害品につき「見つかっていなければ持って帰ろう」と思った旨(同9枚目),また同月23日付けの検察官調書でも「刑務所行きになっても,こんな不景気の世の中にいるよりましだ」と思って本件万引きをした旨(同調書3ページ)それぞれ述べているのであって,これは供述変更後という前記同月26日付け警察官調書における「見つかったら仕方がないとは思っていた」との供述(同調書5枚目。3枚目も同旨)等と実質的にさほど違いがない。 そうすると,これら被告人の供述調書には,被告人の当時の心情として,本件万引きにより検挙されて刑務所に行くことになっても仕方がないと思いつつも,必ず検挙されて刑務所に行くつもりで本件万引きをしたのではなく,検挙されなければそのままAから立ち去る意思も有していたことが,その強弱については変化があるもののほぼ一貫して録取されていると言うべきである(このことに被告人の公判供述を併せ検討すると,前記同月26日付け警察官調書,同年7月2日付け検察官調書における被告人の供述の任意性にも結局問題がないといえ,その証拠能力もこれを肯定できる。)。

(4) 以上の検討によるとき,関係証拠上,被告人には,本件万引きの当初から,自暴自棄的に,刑務所に入ることになってもかまわないとの意思もあったと認められるが,一方では,当初から,捕まらなかったらそのままA店外に出る意思も有しつつ,欲しいと思った物,あるいは少なくともなんとなく欲しいと感じた物を次々と万引きしたという事実が優に認められ,被告人においてこれらを全く使ったり利用する意思なくただ検挙されて刑務所に行くためだけの目的で確保していったのではないことが明らかである。 被告人が刑務所に入りたいという目的のみで本件万引きを行ったと供述するようになったことについては,被告人が当公判廷で述べるように,妹やその娘が,被告人の本件万引きの事実を知ってからも被告人を今後暖かく迎え入れる意志を有していることを示す手紙を送ってきたことが理由となっているとも推認できるが,いずれにせよ,本件では,1で検討した点(いわば法律論)につきどのように解しても,被告人には不法領得の意思が認められる

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