(最大判昭23・7・7多数意見より引用、太字強調は筆者)
憲法第八一条の規定は、第九八条第一項に「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とある規定と密接な表裏の関係が存することも明白である。さらに、第七六条第三項においては、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定し、又第九九条においては、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定し、裁判官の憲法遵守義務を明かに定めているのである。現今通常一般には、最高裁判所の違憲審査権は、憲法第八一条によつて定められていると説かれるが、一層根本的な考方からすれば、よしやかかる規定がなくとも、第九八条の最高法規の規定又は第七六条若しくは第九九条の裁判官の憲法遵守義務の規定から、違憲審査権は十分に抽出され得るのである。米国憲法においては、前記第八一条に該当すべき規定は全然存在しないのであるが、最高法規の規定と裁判官の憲法遵守義務から、一八〇三年のマーベリー対マデイソン事件の判決以来幾多の判例をもつて違憲審査権は解釈上確立された。日本国憲法第八一条は、米国憲法の解釈として樹立せられた違憲審査権を、明文をもつて規定したという点において特徴を有するのである。そしてこの違憲審査権は、近代政治科学における最も特筆大書すべき生産物であると称されているものであつて、この制度の内包する歴史的意義と世紀の使命はまことに深遠であると言わなければならない。
(引用終わり)
(最大判昭23・7・7齋藤悠輔意見より引用、太字強調は筆者)
憲法第九八条第一項は「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定し、同第九九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官其の他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定している。従つて独り裁判官のみに限らず、一切の立法、行政、司法の公務員は、国務に関する行為をなすに当り、自ら内省、反省し自己批判を行い、その行為が憲法に適合するかしないかを決定し、憲法に適合するように行動すべき職務と権限とを有するものである。それ故、その公務員の行為を是正する権限を有する上級者あるときは、その最上級の者において最終の違憲審査決定権を有するを当然とする。而して、我憲法は立法、行政、司法の三権を分立し、各別異の機関をしてこれを分担せしめ、その間互に独立して相侵犯することを許さない建前であるから、特別の規定を設けない限り、各機関の右違憲審査権も夫々独立して互に他の批判を許さない性質のものである。こゝにおいて憲法第八一条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定して、その立法並びに行政行為に対する違憲審査決定権を最高裁判所を終審とする司法裁判所に与え、司法裁判所にその優位を認めたのである。
(中略)
然るに、多数説の理由は、次の諸点において根本的の誤謬と欠陥と弱点とを包蔵し、到底賛同し得ない。
憲法第九九条は、すべての公務員が、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふと規定しているのに、独り裁判官のみが憲法遵守の義務あるもののごとく主張し、また、憲法第七六条第三項は裁判官は、たゞ良心に従ひ独立してその職務を行う積極的使命あることを規定したもので、この場合、憲法の外更に法律は、単にその消極的拘束条件たるに過ぎないのに、この規定から故ら法律を除外して、単に憲法のみの積極的遵守義務を抽出し、これらの規定と憲法第九八条とにより当然違憲審査権を肯定するのは、その前提において、既に甚だしい強弁たるを免れない。
(引用終わり)