平成30年司法試験論文式刑事系第1問参考答案

【答案のコンセプトについて】

1.司法試験の論文式試験において、合格ラインに達するための要件は、概ね

(1)基本論点抽出できている。
(2)当該事案を解決する規範明示できている。
(3)その規範に問題文中のどの事実が当てはまるのかを摘示できている。

という3つです。とりわけ、(2)と(3)に、異常な配点がある。(1)は、これができないと必然的に(2)と(3)を落とすことになるので、必要になってくるという関係にあります。応用論点を拾ったり、趣旨や本質論からの論述、当てはめの事実に対する評価というようなものは、上記の配点をすべて取ったという前提の下で、優秀・良好のレベル(概ね500番より上の順位)に達するために必要となる程度の配点があるに過ぎません。 

2.ところが、法科大学院や予備校では、「応用論点に食らいつくのが大事ですよ。」、「必ず趣旨・本質に遡ってください。」、「事実は単に書き写すだけじゃダメですよ。必ず自分の言葉で評価してください。」などと指導されます。これは、必ずしも間違った指導ではありません。上記の(1)から(3)までを当然にクリアできる人が、さらなる上位の得点を取るためには、必要なことだからです。現に、よく受験生の間に出回る超上位の再現答案には、応用、趣旨・本質、事実の評価まで幅広く書いてあります。しかし、これを真似しようとするとき、自分が書くことのできる文字数というものを考える必要があります。
 上記の(1)から(3)までを書くだけでも、通常は6頁程度の紙幅を要します。ほとんどの人は、これで精一杯です。これ以上は、物理的に書けない。さらに上位の得点を取るために、応用論点に触れ、趣旨・本質に遡って論証し、事実に評価を付そうとすると、必然的に7頁、8頁まで書くことが必要になります。上位の点を取る合格者は、正常な人からみると常軌を逸したような文字の書き方、日本語の崩し方によって、驚異的な速度を実現し、7頁、8頁を書きますが、普通の考え方・発想に立つ限り、なかなか真似はできないことです。
 文字を書く速度が普通の人が、上記の指導や上位答案を参考にして、応用論点を書こうとしたり、趣旨・本質に遡ったり、いちいち事実に評価を付していたりしたら、どうなるか。必然的に、時間不足に陥ってしまいます。とりわけ、上記の指導や上位答案を参考にし過ぎるあまり、これらの点こそが合格に必要であり、その他のことは重要ではない、と誤解してしまうと、上記の(1)から(3)まで、とりわけ(2)と(3)を省略して、応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいってしまう。これは、配点が極端に高いところを書かずに、配点の低いところを書こうとすることを意味しますから、当然極めて受かりにくくなるというわけです。

3.上記のことを理解した上で、上記(1)から(3)までに絞って答案を書こうとする場合、困ることが1つあります。それは、純粋に上記(1)から(3)までに絞って書いた答案というものが、ほとんど公表されていないからです。上位答案はあまりにも全部書けていて参考にならないし、合否ギリギリの答案には上記2で示したとおりの状況に陥ってしまった答案が多く、無理に応用、趣旨・本質、事実の評価を書きにいって得点を落としたとみられる部分を含んでいるので、これも参考になりにくいのです。そこで、純粋に上記(1)から(3)だけを記述したような参考答案を作れば、それはとても参考になるのではないか、ということを考えました。下記の参考答案は、このようなコンセプトに基づいています。

4.参考答案の太字強調部分は、「司法試験定義趣旨論証集(刑法総論)及び「司法試験定義趣旨論証集(刑法各論)に準拠した部分です。

 

【参考答案】

第1 設問1

1 丙に対する名誉毀損罪(230条1項)の成否

(1「名誉」(230条)とは、人に対する社会的評価(外部的名誉)をいう「毀損」というためには、事実の摘示で足り、現実的、具体的に社会的評価が低下したことを要しない(抽象的危険犯、判例)「事実」(230条)とは、他人の社会上の地位又は価値を侵害するに足りる事実をいう(判例)
 乙は、PTA役員会において、「2年生の数学を担当する教員がうちの子の顔を殴った。」と発言した。A高校2年生の数学を担当する教員は、丙だけであった。したがって、乙は、丙の社会上の地位又は価値を侵害するに足りる事実を摘示したといえ、「事実を摘示し、人の名誉を毀損した」といえる。

(2)「公然」とは、不特定又は多数人が認識し得る状態をいうたとえ事実摘示の直接の相手方が特定少数者に対するものであったとしても、不特定多数人への伝播可能性がある場合には、「公然」に当たる(判例)
 確かに、PTA役員会の出席者は乙を含む保護者4名とA高校の校長であり、特定少数者であった。同委員会において、乙は「徹底的に調査すべきである。」と発言し、この乙の発言を受けて、A高校の校長が丙やその他の教員に対する聞き取り調査を行った結果、A高校の教員25名全員に丙が甲に暴力を振るったとの話が広まったが、A高校の教員には守秘義務があると考えられる。しかし、同委員会に出席した乙以外の保護者3名から不特定多数人への伝播可能性がある。したがって、「公然」に当たる。

(3)乙は、かねてから丙に対する個人的な恨みを抱いていたことから、この機会に恨みを晴らそうと思い、丙が甲に暴力を振るったことを多くの人に広めようと考えて、上記発言を行ったから、上記(1)、(2)の点を認識、認容していたといえ、故意がある。

(4)以上から、名誉毀損罪が成立する。

2 A高校に対する信用毀損罪(233条)の成否

(1)「信用」とは、人の支払能力又は支払意思に対する社会的な信頼に限定されるべきものではなく、販売される商品の品質に対する社会的な信頼も含む(コンビニジュース虚偽異物申告事件判例参照)「流布」とは、不特定又は多数人に広めることをいい、直接の相手方が特定少数人であったとしても、不特定又は多数人に伝播するおそれがある限り「流布」に当たる(判例)
 乙は、PTA役員会において、「2年生の数学を担当する教員がうちの子の顔を殴った。」と発言した。上記発言は、甲がとっさにしたうその話を信じたものであるから、「虚偽の風説」に当たる。前記1(2)のとおり、直接の相手方は特定少数人であったが、不特定又は多数人に伝播するおそれがあったから、「流布」したといえる。A高校において販売される商品は教育であり、その品質に対する社会的な信頼を低下させるに足りるから、「信用を毀損」したといえる。

(2)もっとも、乙は、甲がとっさにしたうその話を信じたのであり、上記発言が「虚偽の風説」に当たることの認識がない。したがって、故意がない。

(3)以上から、信用毀損罪は成立しない。

3.よって、乙は、名誉毀損罪の罪責のみを負う。

第2 設問2

1 不作為による殺人未遂罪が成立するとの立場からの説明

(1)不真正不作為犯が成立するには、作為との構成要件的同価値性を基礎づける保証人的地位に基づく作為義務が必要である。具体的には、法益を排他的に支配し、作為が可能かつ容易であったことを要する
 甲が乙を発見したのは、午後10時30分頃である。山道脇の駐車場には、街灯がなく、夜になると車や人の出入りがほとんどなかった。乙が転倒した場所は、草木に覆われており、山道及び同駐車場からは倒れている乙が見えなかった。甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ていた。他に、乙の様子を見ていた者がいたという事実はない。乙が転倒した場所のすぐそばが崖となっており、崖から約5メートル下の岩場に乙が転落する危険があった。現に、甲がバイクで走り去った後、乙は崖下に転がり落ち、後頭部を岩に強く打ち付け、後頭部から出血して意識を失うに至った。この時点で、乙の怪我の程度は重傷であり、乙が意識を失ったまま崖下に放置されれば、その怪我により乙が死亡する危険があった。以上から、甲は、乙の生命を排他的に支配していた。
 また、乙が崖近くで転倒した時点で、同駐車場に駐車中の乙の自動車の中に乙を連れて行くなどすれば、乙が崖下に転落することを確実に防止することができたし、甲は、それを容易に行うことができた。したがって、作為が可能かつ容易であった。
 以上から、甲には、乙を救命すべき作為義務があった。それにもかかわらず、乙の救助を一切行うことなく、その場からバイクで走り去ったから、その不作為は殺人罪の実行行為に当たる。

(2)甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ており、乙が転倒した場所のすぐそばが崖となっており、崖下の岩場に乙が転落する危険があることを認識していた。それにもかかわらず、その場からバイクで走り去った以上、少なくとも、乙の死亡について未必的な認識・認容がある。
 以上から、甲に殺人罪の故意がある。

(3)よって、殺人未遂罪が成立する。

2 保護責任者遺棄等(致傷)罪にとどまるとの立場から考えられる反論

(1)乙が崖近くで転倒した時点では、乙の怪我の程度は軽傷であり、その怪我により乙が死亡する危険はなかった。甲がバイクで走り去った後、乙が崖下に転がり落ちたのは、乙が意識を取り戻して起き上がろうとした際に、崖に向かって体を動かしたためである。
 以上から、甲には、乙の生命について排他的支配があったとはいえず、甲には、殺人罪の不真正不作為犯の成立に必要な作為義務はない。

(2)甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ており、乙の怪我が軽傷であることを認識していた。したがって、乙の死亡について未必的にも認識・認容があるとはいえない。
 したがって、甲に殺人罪の故意はない。

3 甲の罪責

(1)怪我により乙が死亡する危険はなくても、乙が意識を取り戻して起き上がろうとした際に崖に向かって体を動かしただけで、崖から約5メートル下の岩場に転落する危険があったことからすれば、前記2(1)の反論を考慮しても、甲には、不作為の殺人罪に係る作為義務がある。

(2)甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子を見ており、乙の怪我が軽傷であることを認識していただけでなく、乙が転倒した場所のすぐそばが崖となっており、崖下の岩場に乙が転落する危険があることも認識していた。そうである以上、転落して死亡に至るかもしれないことは認識していたといえ、それにもかかわらず、バイクで走り去ったということは、そのような事態に至るかもしれないが、それでも構わないという認容があったといえる。したがって、前記2(2)の反論を考慮しても、甲に殺人罪の故意がある。

(3)よって、甲は殺人未遂罪の罪責を負う。

第3 設問3

1 乙と誤認した丁との関係

(1)甲には無関係の丁を救助する義務は認められない以上、不能犯であり、殺人未遂罪は成立しないのではないか。

(2)不能犯とは、行為の性質上、結果発生が絶対に不能なものをいう(判例)諸事情の変動により結果が発生する可能性があったと認められるときは、行為の性質上、結果発生が絶対に不能なものとはいえないから、不能犯は成立しない(空気注射事件判例参照)
 親に生じた危難について子は親を救助する義務を負うから、甲には乙を救助する義務がある。駐車場には、丁以外にも負傷した乙が倒れており、甲は、乙の存在に気付いていなかったが、丁を救助するために丁に近づけば、容易に乙を発見することができた。丁を乙と誤認したのは、丁の体格や着衣が乙に似ていたこと、同駐車場に乙の自動車が駐車されていたこと、夜間で同駐車場には街灯がなく暗かったことによる。したがって、諸事情の変動により結果が発生する可能性があったと認められる。したがって、不能犯は成立しない。

(3)よって、乙と誤認した丁との関係で、甲に殺人未遂罪が成立する。

2 乙との関係

(1)甲が丁の救助を一切行うことなく、その場からバイクで走り去ったことは、同時に乙の救助を行わない不作為でもある。親に生じた危難について子は親を救助する義務を負うから、甲には、乙を救助する義務がある。したがって、乙との関係で、不作為の殺人罪の実行行為がある。もっとも、甲は、乙の存在に気付いていなかったから、故意がないのではないか。

(2)行為者の認識した事実と発生した事実とが構成要件の範囲内で一致すれば故意が認められ、故意の個数は問わない(判例)から、具体的事実の錯誤は故意を阻却しない
 甲は、丁を乙と誤認し、重傷を負った乙が死んでも構わないと思っていたから、行為者の認識した事実と発生した事実とは殺人罪の構成要件の範囲内で一致している。したがって、乙に対する殺人罪の故意を阻却しない。

(3)よって、乙との関係で、甲に殺人未遂罪が成立する。

以上

戻る