令和2年司法試験民事系第3問の出題の不備について(上)

1.令和2年司法試験論文式試験の民事系第3問設問1に関する問題文には、弁護士Lと司法修習生Pとの間の会話として、以下のようなやり取りがありました。

 

令和2年司法試験民事系第3問問題文より引用。太字強調は筆者。)

L:Y2は本件建物を明け渡して敷金を返還してもらうことを希望しています。Y1が本件契約の解約の合意を争っているため,本件建物の明渡しの見通しはついていませんが,Xに対し敷金返還を請求する訴えを提起した場合に,本件建物の明渡しをしないままの状態であっても,本案判決を得ることはできるでしょうか。ここでは,敷金返還請求権は,賃貸借終了後,不動産が明け渡されたときに,敷金によって担保されるそれまでに生じた一切の債務の額を控除した残額につき発生するものと考えましょう。

P:そうすると,本件建物の明渡し前には敷金返還請求権は発生しないので,将来給付の訴えの適法性を検討せよということですね。敷金返還請求権が本件建物の明渡しを条件とする条件付請求権ということであれば,将来給付の訴えの適法性が認められるのではないでしょうか。

L:条件付請求権であっても,将来給付の訴えの適法性が認められるとは限りませんよ。ここでは,Y2の法定相続分が2分の1であることを考慮し,60万円のみの請求をすることとして,「Xは,Yらから本件建物の明渡しを受けたときは,Y2に対し,60万円を支払え。」との請求の趣旨による将来給付の訴えの適法性につき検討してもらいましょう。これを「課題1」とします。検討の際には,本件の具体的状況を踏まえた上で,敷金返還請求権の特質のほか,当事者間の衡平の観点から,適法性が認められた場合の被告の負担を考慮する必要があります。ただし,応訴の負担は考慮する必要がありません。

(引用終わり)

 

 これを見て、「まあ判例の見解だよね。」と思った人は、以下に示す判例をもう一度ちゃんと読んでみるべきです。

 

最判昭48・2・2より引用。太字強調は筆者。)

 家屋賃貸借における敷金は、賃貸借存続中の賃料債権のみならず、賃貸借終了後家屋明渡義務履行までに生ずる賃料相当損害金の債権その他賃貸借契約により賃貸人が貸借人に対して取得することのあるべき一切の債権を担保し、賃貸借終了後、家屋明渡がなされた時において、それまでに生じた右の一切の被担保債権を控除しなお残額があることを条件として、その残額につき敷金返還請求権が発生するものと解すべきであり、本件賃貸借契約における前記条項もその趣旨を確認したものと解される。

(引用終わり)

最判平18・12・21より引用。太字強調は筆者。)

 建物賃貸借における敷金返還請求権は,賃貸借終了後,建物の明渡しがされた時において,敷金からそれまでに生じた賃料債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得する一切の債権を控除し,なお残額があることを条件として,その残額につき発生する条件付債権であるが(最高裁昭和46年(オ)第357号同48年2月2日第二小法廷判決・民集27巻1号80頁参照),このような条件付債権としての敷金返還請求権が質権の目的とされた場合において,質権設定者である賃借人が,正当な理由に基づくことなく賃貸人に対し未払債務を生じさせて敷金返還請求権の発生を阻害することは,質権者に対する上記義務に違反するものというべきである。

(引用終わり)

 

 上記引用部分を見れば、敷金返還請求権が条件付債権である、というときの条件の中身は、「敷金からそれまでに生じた賃料債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得する一切の債権を控除し、なお残額があること」であることがわかります。そして、その条件の基準時はいつか、と問われれば、誰もが、「建物の明渡しがされた時」と答えるでしょう。このように、「建物の明渡しがされた時において」は、「なお残額があること」に掛かるのです。この判示部分については、「建物の明渡しがされた時に…発生する」という読み方がされがちですが、そうではなく、「明渡しがされた時」が条件の成就・不成就の基準時となる結果として、敷金返還請求権の発生時も明渡し時となるという理解の方が論理的だと思います(「時に」ではなく「時において」とされていることも、細かいですが、条件を構成すると考える形式的な理由となり得るでしょう。)。
 それから、「条件付き」ということの意味を、少し確認しておきましょう。条件とは、法律行為の効力の発生・消滅を将来発生することが不確実な事実の発生に係らせるもの、すなわち、効力発生(消滅)要件です。そして、敷金返還請求権は、敷金契約という賃貸借契約とは別個の契約の効果として生じるものとされます。

 

最判昭49・9・2より引用。太字強調は筆者。)

 敷金契約は、このようにして賃貸人が賃借人に対して取得することのある債権を担保するために締結されるものであつて、賃貸借契約に附随するものではあるが、賃貸借契約そのものではないから、賃貸借の終了に伴う賃借人の家屋明渡債務と賃貸人の敷金返還債務とは、一個の双務契約によつて生じた対価的債務の関係にあるものとすることはできず、また、両債務の間には著しい価値の差が存しうることからしても、両債務を相対立させてその間に同時履行の関係を認めることは、必ずしも公平の原則に合致するものとはいいがたいのである。

(引用終わり)

最判昭53・12・22より引用。太字強調は筆者。)

 土地賃貸借における敷金契約は、賃借人又は第三者が賃貸人に交付した敷金をもつて、賃料債務、賃貸借終了後土地明渡義務履行までに生ずる賃料額相当の損害金債務、その他賃貸借契約により賃借人が賃貸人に対して負担することとなる一切の債務を担保することを目的とするものであつて、賃貸借に従たる契約ではあるが、賃貸借とは別個の契約である

(引用終わり)

 

 そういうわけで、「敷金返還請求権は条件付債権である。」ということの意味は、「敷金契約の効果として敷金返還請求権が発生するのであるが、その効力発生要件として、「明渡時に賃料債権等を控除しても、なお残額があること」という条件が付いていますよ。」、ということになるわけです。明渡し時を基準にして、未払賃料や建物の損傷等による損害賠償債務を控除すると残額がなくなってしまうのであれば敷金返還請求権は発生しないし、残額があるのであれば、その残額について発生する。そういうことです。
 このように、条件の成就によって敷金返還請求権が発生するわけですが、そうすると、条件未成就の間は、敷金返還請求権は存在しないのでしょうか。厳密に言えば、そうなるはずです。もっとも、何も存在していないというわけではない。条件未成就の段階では、敷金返還請求権発生の期待権が存在する、というのが、厳密な表現です。期待権を定めたとされるのが、民法128条、129条です。

 

(参照条文)民法
128条 条件付法律行為の各当事者は、条件の成否が未定である間は、条件が成就した場合にその法律行為から生ずべき相手方の利益を害することができない。

129条 条件の成否が未定である間における当事者の権利義務は、一般の規定に従い、処分し、相続し、若しくは保存し、又はそのために担保を供することができる。


 もっとも、敷金に関する法律関係に関しては、この期待権についても、法制上、「敷金の返還請求権」という表記が用いられます。代表例が、破産法70条後段です。倒産法選択者であれば、馴染みのある条文ですね。

 

(参照条文)破産法70条
 停止条件付債権又は将来の請求権を有する者は、破産者に対する債務を弁済する場合には、後に相殺をするため、その債権額の限度において弁済額の寄託を請求することができる。敷金の返還請求権を有する者が破産者に対する賃料債務を弁済する場合も、同様とする

 

 「賃料債務を弁済する場合」とあることから、同条の「敷金の返還請求権」は、賃貸借契約継続中、すなわち、条件未成就の時点を想定していることが明らかです。念のため、同条制定時の政府参考人の説明を紹介しておきましょう。

 

参院法務委員会平成16年4月1日議事録より引用。太字強調は筆者。)

政府参考人(房村精一君) 敷金というのは、要するに賃貸借契約を締結するときに差し入れをして、その賃貸借契約が終了したときに未払賃料とかあるいは補修を要する費用があれば、それを差し引いた上で賃借人に返還されると、こういう性質の金銭です。したがいまして、賃貸借契約が終了して、かつそういったものを控除して残額がある場合に初めて請求できる権利、そういう意味で、そういった条件付きの権利ということになります
 破産においては、そういう条件付きの権利でありましてもやはり破産債権として現在額に評価をいたしまして、そして割合的な弁済をするということになるのが原則でございます。
 ただし、賃貸借契約を、例えば管財人がその賃貸物件を他人に譲渡いたしましてそのまま賃貸借契約が引き継がれると、こういうことになりますと、その新たな貸主に対して敷金も受け継がれますので、賃借人といたしましては、新たな貸主との間で終了したときにその人から敷金を返還してもらえると、こういう形になります。したがいまして、譲渡されましたときには言わば満額が保証される。一方、そういうことがない場合には割合的な弁済しか受けられない、これが従来の考え方でございます。
 そういうことに対しまして、やはり賃借人保護の観点から敷金返還請求権をもう少し保護すべきではないかと、こういう指摘を受けていたところでございます。
 今回、この敷金返還請求権につきましてこの法案ではどういうことにいたしましたかというと、敷金返還請求権を持っている者が破産後になお賃料を、継続して使用している場合には賃料を支払います。そのときにその賃料を寄託をする。直接払って配当されてしまうわけではなくて、寄託をいたしまして預けておく。要するに、敷金返還請求権、敷金の額に満つるまでは寄託ができまして、現実にその敷金返還請求権を行使ができる明渡しのとき、そのときにその寄託分から敷金分を取れる、したがって優先的に回収できる、こういう仕組みにしております。
 これは、先ほどの申し上げた条件付きの権利、これ一般について、破産では、普通、その条件付き権利を、双方が債権を持ち合っている場合には相殺で、言わばチャラにするということができるわけですね。ところが、一方の権利がそういう条件付きですと、その条件が成就するかどうかによって権利があるかないかが決まりますので、そのままでは相殺できない。そういう場合に備えまして、破産法では、停止条件付きの、そういう条件付きの請求権を持っている者は、その破産者に対して債務を弁済するときにその債権額の限度で寄託ができるという仕組みがございます。これは現行法でもありますが、今回の法案でも残っています。
 そういう場合、その条件付きで、今すぐはチャラにはできないけれども、将来、条件が成就すればお互いに、双方対等に相殺してチャラにして、本来払わなくて済むはずだと、そういう場合に備えて支払うときに寄託をしておく、預けておくわけですね。将来、条件が成就して自分も取り立てられるようになったら、その段階で寄託しておいたものでお互いチャラにして済む。条件が成就しなければ、それはもう仕方がありませんから払うわけですが。
 そういう仕組みがありますが、これを敷金返還請求権と賃料の間にも用いるということを明文で書いて保護を図ったわけでございます。
 なかなか分かりにくい説明で申し訳ございませんが。

(引用終わり)

 

 上記の説明からも、条件未成就のものを「敷金返還請求権」と称していることがわかります。ただし、それが厳密には期待権であることは、先ほど説明したとおりです。これに似た例としては、他に、株式の共有があります。これは厳密には準共有ですが、法令では「共有」と表記します。

 

(参照条文)民法
264条(準共有) この節の規定は、数人で所有権以外の財産権を有する場合について準用する。ただし、法令に特別の定めがあるときは、この限りでない。

(参照条文)会社法
106条(共有者による権利の行使)  株式が二以上の者の共有に属するときは、共有者は、当該株式についての権利を行使する者一人を定め、株式会社に対し、その者の氏名又は名称を通知しなければ、当該株式についての権利を行使することができない。ただし、株式会社が当該権利を行使することに同意した場合は、この限りでない。

 

2.さて、ここまで理解した段階で、もう一度、先ほどの問題文を見てみましょう。

 

令和2年司法試験民事系第3問問題文より引用。太字強調は筆者。)

L:Y2は本件建物を明け渡して敷金を返還してもらうことを希望しています。Y1が本件契約の解約の合意を争っているため,本件建物の明渡しの見通しはついていませんが,Xに対し敷金返還を請求する訴えを提起した場合に,本件建物の明渡しをしないままの状態であっても,本案判決を得ることはできるでしょうか。ここでは,敷金返還請求権は,賃貸借終了後,不動産が明け渡されたときに,敷金によって担保されるそれまでに生じた一切の債務の額を控除した残額につき発生するものと考えましょう。

P:そうすると,本件建物の明渡し前には敷金返還請求権は発生しないので,将来給付の訴えの適法性を検討せよということですね。敷金返還請求権が本件建物の明渡しを条件とする条件付請求権ということであれば,将来給付の訴えの適法性が認められるのではないでしょうか。

L:条件付請求権であっても,将来給付の訴えの適法性が認められるとは限りませんよ。ここでは,Y2の法定相続分が2分の1であることを考慮し,60万円のみの請求をすることとして,「Xは,Yらから本件建物の明渡しを受けたときは,Y2に対し,60万円を支払え。」との請求の趣旨による将来給付の訴えの適法性につき検討してもらいましょう。これを「課題1」とします。検討の際には,本件の具体的状況を踏まえた上で,敷金返還請求権の特質のほか,当事者間の衡平の観点から,適法性が認められた場合の被告の負担を考慮する必要があります。ただし,応訴の負担は考慮する必要がありません。

(引用終わり)

 

 ほとんどの人が、「あれ、判例と違う。」ということに、気が付いたはずです。上記問題文では、条件の中身が、「明渡しがされたこと」になっている。これは、単純に判例を誤読した(安易に「時に」(時点を指す。)を「ときに」(条件を指す。)に置き換えてしまった。)可能性もありますが、最大限に善意解釈すれば、債権法改正で新設された民法622条の2第1項を意識し、それに合わせようとした結果であるとも考えられるでしょう。

 

(参照条文)民法622条の2第1項
 賃貸人は、敷金(いかなる名目によるかを問わず、賃料債務その他の賃貸借に基づいて生ずる賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務を担保する目的で、賃借人が賃貸人に交付する金銭をいう。以下この条において同じ。)を受け取っている場合において、次に掲げるときは、賃借人に対し、その受け取った敷金の額から賃貸借に基づいて生じた賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額を返還しなければならない
一 賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき
二 賃借人が適法に賃借権を譲り渡したとき。

 

 確かに、同項を形式的に読めば、上記問題文の記述は、同項に忠実であるといえなくもないでしょう。しかしながら、同条は従来の判例法理を明文化したものとされること、さらに、「残額を返還しなければならない。」という以上は、残額の存在が前提になることからすれば、簡易な表現として「明渡しが条件」のように省略して表記する(学者の体系書等でもこのような簡易な表記がされることはあります。)ならともかく、「残額があること」を厳密な意味で条件から除外する解釈は成立し難いでしょう。いずれにせよ、問題文の条件の把握の仕方は、適切でないと思います。

3.「まあそれはそうかもしれないけど、解答に影響しないような細かい話じゃないの?」と思った人もいるかもしれません。それが、解答に大いに影響するのです。そのことについては次回、説明します。

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