「客観的な危険性」か「危険性」か

 従来、判例は、実行の着手を判断するに当たり、法益侵害に至る「客観的な危険性」の語を用いていました。

(参照判例)

ダンプカー事件判例
 被告人が同女をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階においてすでに強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において強姦行為の着手があつた

クロロホルム事件判例
 第1行為は第2行為に密接な行為であり、実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。

覚醒剤海中投下事件判例
 本件においては、回収担当者が覚せい剤をその実力的支配の下に置いていないばかりか、その可能性にも乏しく、覚せい剤が陸揚げされる客観的な危険性が発生したとはいえないから、本件各輸入罪の実行の着手があったものとは解されない。

うなぎ稚魚密輸事件判例
 本件スーツケース6個を、機内預託手荷物として搭乗予約済みの航空機に積載させる意図の下、機内持込手荷物と偽って保安検査を回避して同エリア内に持ち込み、不正に入手した検査済みシールを貼付した時点では、既に航空機に積載するに至る客観的な危険性が明らかに認められるから、関税法111条3項、1項1号の無許可輸出罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。

 ところが、近時の特殊詐欺事件判例及びすり替え窃盗事件判例は、単に「危険性」の語を用います。

(参照判例)

特殊詐欺事件判例
 本件嘘には、預金口座から現金を下ろして被害者宅に移動させることを求める趣旨の文言や、間もなく警察官が被害者宅を訪問することを予告する文言といった、被害者に現金の交付を求める行為に直接つながる嘘が含まれており、既に100万円の詐欺被害に遭っていた被害者に対し、本件嘘を真実であると誤信させることは、被害者において、間もなく被害者宅を訪問しようとしていた被告人の求めに応じて即座に現金を交付してしまう危険性を著しく高めるものといえる。このような事実関係の下においては、本件嘘を一連のものとして被害者に対して述べた段階において、被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても、詐欺罪の実行の着手があったと認められる。

すり替え窃盗事件判例
 本件うそが述べられ、金融庁職員を装いすり替えによってキャッシュカードを窃取する予定の被告人が被害者宅付近路上まで赴いた時点では、被害者が間もなく被害者宅を訪問しようとしていた被告人の説明や指示に従うなどしてキャッシュカード入りの封筒から注意をそらし、その隙に被告人がキャッシュカード入りの封筒と偽封筒とをすり替えてキャッシュカードの占有を侵害するに至る危険性が明らかに認められる
 このような事実関係の下においては、被告人が被害者に対して印鑑を取りに行かせるなどしてキャッシュカード入りの封筒から注意をそらすための行為をしていないとしても、本件うそが述べられ、被告人が被害者宅付近路上まで赴いた時点では、窃盗罪の実行の着手が既にあったと認められる。

 その説明の1つとして、特殊詐欺事件判例及びすり替え窃盗事件判例では、行為者の計画等を正面から考慮して危険性を判断しているため、「客観的」の語を用いるのにふさわしくないからだ、というものが考えられます(特殊詐欺事件判例に係る調査官解説参照)。確かに、クロロホルム事件判例では、行為者が第1行為に死の危険性があることを認識していなかったけれども、客観的には死の危険性があったという点を重視しているので、その点に「客観的」の語を付する意味があったと考える余地があります。

(参照判例)クロロホルム事件判例
 被告人B及び実行犯3名は、第1行為自体によってVが死亡する可能性があるとの認識を有していなかった。しかし、客観的にみれば、第1行為は、人を死に至らしめる危険性の相当高い行為であった

 もっとも、本来、着手の文脈で用いる「客観的」とは、主観主義刑法学(近代派)の主張する主観説を採らないという意味で用いられたものです。なので、必ずしも、「客観的な危険性」という語に行為者の認識、計画等を考慮しないという含意があるとはいえない。古典的な事例として、ピストルの引き金に手を掛けた時点における殺人未遂の成否というものがあります。この事例では、その行為者が引き金を引くつもりがなく、威嚇のつもりなのか、引き金を引くつもりであっても、当てるつもりがないか、足など枢要部でない部位を狙っているか、あるいは心臓や頭部など枢要部を狙うつもりかという点を考慮しなければ、死の危険性を評価することができません。このことは、形式的「客観」説からも、実質的「客観」説からも、一般に肯定されていたことです(※)。このように、法益侵害の危険を客観的に評価するに当たり、行為者の計画等は考慮要素となり得るのです。ですので、厳密にいえば、計画等を考慮するから「客観的」の語を用いてはいけない、ということにはなりません。
 ※ 刑法マニアであれば、「結果無価値一元論からでも、例外的に主観的違法要素になるやつだよね。主観的違法要素全面否定説はあまり支持されてないよ。」、「ここでいう意思は故意ではなくて行為意思だからね。」、「だから、犯行計画は故意の要素ではなくても、複数の行為意思の組み合わせと評価できるときには考慮できるのだよ。」などと目を輝かせながら話せるところでしょう。

 とはいえ、今どき主観説を真顔で主張する人はいません。そのことを踏まえれば、主観説を採らないというだけのために、「客観的な」の語を付する意味は乏しいといえるでしょう。また、「客観的な」の語を付することによって、計画等を考慮しないという誤解を与えかねないのであれば、そのような語を用いないということにも、相応の理由があるといえるでしょう。
 以上のことを踏まえると、答案で着手の規範を書く場合にも、敢えて「客観的な」の語を付する必要はなくなったといえそうです。文字数の節約という意味でも、今後は、単に「危険性」と表記すれば足りるでしょう。 

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