手段限定型犯罪と密接な行為

 最近、改めて注目されている論点として、「手段限定型犯罪(※1)において、手段行為以前の『密接な行為』に実行の着手を認め得るか。」というものがあります。下記の事例を考えてみましょう。
 ※1 手段限定型犯罪の例としては、強盗罪、詐欺罪、強制性交等罪が挙げられます。概ね結合犯と重なりますが、詐欺罪における欺く行為のように手段が犯罪を構成しない場合には「結合犯」とはいいにくいことから、ここでは「手段限定型犯罪」の呼称を用います。

【事例】
 甲は、Vを騙して車に乗せ、人気のない場所に移動してから暴行を加えてVから財布を強取するつもりで、Vに対し、「家まで送ってあげますよ。」と声を掛けた。Vは、これに応じて乗車したものの、方向が自宅と異なることから甲の意図に気付き、疾走する車のドアを開けて路上に飛び降りたところ、頭を強く打って死亡した。甲に強盗致死罪は成立するか。

 Vを乗車させて車を疾走させる行為は、強盗の手段としての暴行・脅迫に当たるかというと、「車に乗せて疾走する行為は監禁に当たり得るのだから反抗を抑圧し得る有形力の行使であって、一応は財物奪取に向けられているから暴行に当たる。」という余地が全然ないとはいえないものの、当たらないとするのが普通でしょう。
 それでも、Vを乗車させ車を疾走させる行為をもって、「密接な行為」であるとし、強盗の実行の着手ありと考えることができれば、甲は240条の「強盗」に当たります。

(参照条文)刑法240条(強盗致死傷)
 強盗が、人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。

 Vを乗車させ車を疾走させる行為は、その後の強取行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠で、それに成功すればその後の強取行為を行うについて障害となる特段の事情がなく、強取行為との間に時間的場所的接着性があると考えれば、「密接な行為」といえそうです。
 加えて、Vを乗車させ車を疾走させる行為は強盗の機会にされた(※2)もので、Vが疾走する車から飛び降りることは無謀な行為であるとしても、甲の行為によって誘発されたから間接実現型(高速道路侵入事件夜間潜水事件等判例参照)として因果関係を肯定できるとすれば、強盗致死罪の成立を認めることができそうです。
 ※2 密接な行為と認定した以上、密接関連性を要求する説からも、機会性を肯定できそうです。ただし、強盗の手段としての暴行・脅迫が行われていない段階の行為をもって強盗の機会といえるかは疑問の余地があるでしょう。

 しかし、上記のような考え方に対しては、「そんなんで着手が認められたら、暴行・脅迫に手段を限定した意味なくね?」という疑問が生じます。現に、「実行行為の開始がなくても、法益侵害の具体的現実的危険があれば着手が認められる。」とする伝統的な実質的客観説の論者でも、各論の記述をみると、手段限定型犯罪については手段行為の開始をもって着手ありとすることが多かったのでした(例外は後記山口説)。
 理論的に考えてみましょう。修正形式的客観説の立場からは、「財物の占有移転に至る危険性を有する密接な行為のうち、暴行・脅迫に限定して犯罪化したものが強盗罪なのだから、さらにそれを前倒しして実行の着手を認めたら駄目じゃん。」という説明になるでしょう。一般化して論証化するとすれば、以下のような感じです。

【論証例】
 手段限定型犯罪は、法益侵害に至る危険性を有する密接な行為のうち、特定の手段に限定して構成要件とした犯罪類型であるから、罪刑法定主義の観点から、それ以前の行為に実行の着手を認めることはできない。
 

 実質的客観説の立場からは、「反抗を抑圧するに足りる暴行・脅迫をもって未遂処罰可能な具体的現実的危険が生じるという評価を前提に類型化されたのが強盗罪なんでしょ。だからそれ以前の段階で具体的現実的危険が生じることはあり得ないってことじゃないの。」という説明になりそうです。一般化して論証化するとすれば、以下のような感じになりますね。

【論証例】
 手段限定型犯罪は、手段行為をもって未遂処罰可能な具体的現実的危険が生じるという評価を前提に構成要件化された犯罪類型であるから、それ以前の時点で法益侵害の具体的現実的危険が生じるとは考えられず、実行の着手は認められない。
 

 このような考え方によれば、上記事例では強盗罪の実行の着手を認めることができない以上、甲は240条の「強盗」に当たらないため強盗致死罪は成立せず、監禁致死罪が成立する(名古屋高判昭35・11・21、神戸地判平14・3・25)にとどまるということになるでしょう。また、このように考えれば、クロロホルム事件判例が「密接な行為」の文言を明示するのに対し、ダンプカー事件判例特殊詐欺事件判例が「密接な行為」の文言を明示しないのは、手段限定型犯罪である強姦罪(現在の強制性交等罪)、詐欺罪の事案だったからだ、という説明が可能となります。

(参照判例)

クロロホルム事件判例
 第1行為は第2行為に密接な行為であり、実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。

ダンプカー事件判例
 被告人が同女をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階においてすでに強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において強姦行為の着手があつた

特殊詐欺事件判例
 本件嘘には、預金口座から現金を下ろして被害者宅に移動させることを求める趣旨の文言や、間もなく警察官が被害者宅を訪問することを予告する文言といった、被害者に現金の交付を求める行為に直接つながる嘘が含まれており、既に100万円の詐欺被害に遭っていた被害者に対し、本件嘘を真実であると誤信させることは、被害者において、間もなく被害者宅を訪問しようとしていた被告人の求めに応じて即座に現金を交付してしまう危険性を著しく高めるものといえる。このような事実関係の下においては、本件嘘を一連のものとして被害者に対して述べた段階において、被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても、詐欺罪の実行の着手があったと認められる。

 ダンプカー事件は強姦罪の手段としての暴行が開始されたものとして、特殊詐欺事件判例は詐欺罪の手段としての欺く行為が開始されたものとして、それぞれ理解しようというわけです。最近では、学生向けの概説書にもこの立場が、説の対立としてではなく、当然の前提であるかのような形で記載されるものが増えてきていて、多数説化しているのかな、という印象を持ちます。

 もっとも、上記の帰結は、必ずしも論理必然というわけではありません。「実行行為の開始がなくても、法益侵害の具体的現実的危険があれば着手が認められる。」とする実質的客観説からは、手段限定型犯罪であっても、法益侵害の具体的現実的危険の発生という実質的観点から判断する方が一貫するでしょう。山口説がその立場で、従来から、ダンプカー事件判例について、強姦罪の手段としての暴行が開始したとするものではなく、それより前の段階の行為について強姦に至る危険性を認めて着手を肯定したものであると位置付けていたのでした。特殊詐欺事件における山口厚補足意見は、その従来からの持論の延長線上のものということができます。ただし、山口説の依拠する結果無価値論からは、「密接な『行為』」を要求する必要はなさそうですが、そこは飽くまで補足意見なので、判例との整合性をとる表現が用いられています。その後の記述で、「密接性」と言い換えているのは、より自説寄りの表現といえるでしょう。

(特殊詐欺事件における山口厚補足意見)
 詐欺の実行行為である「人を欺く行為」が認められるためには,財物等を交付させる目的で,交付の判断の基礎となる重要な事項について欺くことが必要である。詐欺未遂罪はこのような「人を欺く行為」に着手すれば成立し得るが,そうでなければ成立し得ないわけではない。従来の当審判例によれば,犯罪の実行行為自体ではなくとも,実行行為に密接であって,被害を生じさせる客観的な危険性が認められる行為に着手することによっても未遂罪は成立し得るのである(最高裁平成15年(あ)第1625号同16年3月22日第一小法廷決定・刑集58巻3号187頁(※注:クロロホルム事件判例を指す。)参照)。したがって,財物の交付を求める行為が行われていないということは,詐欺の実行行為である「人を欺く行為」自体への着手がいまだ認められないとはいえても,詐欺未遂罪が成立しないということを必ずしも意味するものではない。未遂罪の成否において問題となるのは,実行行為に「密接」で「客観的な危険性」が認められる行為への着手が認められるかであり,この判断に当たっては「密接」性と「客観的な危険性」とを,相互に関連させながらも,それらが重畳的に求められている趣旨を踏まえて検討することが必要である。特に重要なのは,無限定な未遂罪処罰を避け,処罰範囲を適切かつ明確に画定するという観点から,上記「密接」性を判断することである

 山口説は、従来から犯罪定型を重視しない立場で、総論初版では、実行行為を構成要件要素とすらしていなかったのでした。そのような山口説からは、構成要件で手段が限定されているからといって、「だから何なんだ。」ということになるのでしょう。

【論証例】
 未遂処罰の根拠は法益侵害の危険にあり、手段限定型犯罪であっても、手段行為の前段階に法益侵害の危険が生じることはありうるから、手段行為以前の密接な行為に実行の着手を認めることができる。
 

 また、犯罪が未遂処罰可能な段階まで進行した時点で着手を認めるという立場からは、手段限定型犯罪であっても、同様に未遂処罰可能な段階に至った時点で着手を認めることができるでしょう。この立場からは、犯行計画等において暴行・脅迫という手段が予定されていなければ強盗の着手が認められないという意味において、手段限定型犯罪の定型性はなお維持されているので、手段行為の前段階の行為に着手を認めても、「手段を限定した意味がない。」とはいえないという整理になるのでしょう。

【論証例】
 手段限定型犯罪における手段行為の前段階であっても、犯罪が未遂処罰可能な段階まで進行したといえる場合がありうるから、手段行為以前の密接な行為に実行の着手を認めることができる。このように考えても、犯行計画等において、その後に手段行為が予定されていたことが着手を認める前提となるから、手段限定型犯罪としての定型性はなお維持されており、罪刑法定主義に反しない。
 

 論文式試験において、上記事例のような事案が示された上で、「強盗致死罪が成立する解釈論と、成立しない解釈論を示しなさい。」という問題が出題された場合には、このような点が解答の1つのポイントになるわけです。以前の記事(「実行の着手~総論の視点と各論の視点~」)で、「最近の司法試験では、法律構成を複数掲げて解答させたりする等、やや工夫した問い方をしています。上記の視点の差異に着目した出題がされた場合、着手の法律構成として上記の2つがあるということを知らないと、設問の意味がわからないおそれもあるので、上記のことは一応知っておいてよいことだろうと思います。」と説明しましたが、上記はその一例です。

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