「効果的で過度でない」基準が
過度に効果的だった理由

1.SNS等における議論が、当サイトからみて、あまりにも筋違いであると感じたので、この機会に、当サイトの見解を説明しておきたいと思います。

2.現在の論文式試験では、規範の明示と事実の摘示に極端な配点があります。このうち、規範の明示については、その判定の在り方が大きく2つに分かれます。
 1つは、確立された判例等がある場合です。処分の相手方以外の者の原告適格であるとか、民法177条の「第三者」などが、これに当たります。この場合には、適切な規範以外の規範を書いたのでは、規範の明示があったとは判定されない。「民法177条の「第三者」とは、食うか食われるかの関係にある者をいう。」は、規範の明示がないものとして扱われる。この場合、規範の明示に振られている大きな配点を獲得できません。これは厳密には「加点を受けられない」というにとどまるのですが、当たり前のように規範の明示をクリアする一般の受験生との比較においては、規範の明示に振られた配点に相当する減点を受けたのと同じ意味を持ちます。なので、とんでもない積極ミスがなくても、規範の明示をしていないというだけで、不合格になったりするわけです。
 もう1つは、確立された判例等がない場合です。この場合には、とにかく明示されることで足り、規範の内容の適否は問題とされない。自分なりの規範でよいわけです。問題とされるのは、明示された規範と、当てはめとの論理的なリンクです。明示された規範がいい加減だと、この論理的なリンクの部分をクリアすることが難しくなります。例えば、「食うか食われるかの関係にあるかで判断する。」という規範では、具体的事実を論理的に当てはめるのは難しいでしょう。また、民訴の当事者の確定基準について、「規範分類説によって判断する。」といいながら、当てはめがどう見ても単純な表示説だ、というような場合も、規範と当てはめのリンクがされていない、という判断を受けることになります。
 以上のことは、当サイトのみる確立された経験則です。

3.論文式試験の憲法における合憲性判断の枠組み(以下「審査基準」といいます。)については、上記のうち、後者による判定が用いられているとみえます。したがって、たとえ判例・学説とは異なる独自の審査基準であっても、それが当てはめにおいて論理的にリンクしていれば、普通に評価される。これが、「効果的で過度でない」基準が規範の明示をクリアしてしまう理由です。このことは、「効果的で過度でない」を用いる答案が、普通に公法系1桁の順位を取ってきたことからも裏付けられます(筆者も最初に見たときは「マジで?」と驚きましたが、そのうちに慣れました。)。単に「A評価」ということならともかく、公法系1桁の順位を、規範の明示をクリアしない答案が取ることは考えられません。
 このことを知っていれば、「判例でも学説でもないんだからダメに決まってる。」などという主張が筋違いであることは、容易に理解できるでしょう。そのような主張は、実際の採点傾向がどのようなものか、「効果的で過度でない」基準を用いた答案がこれまでにどのような評価を受けてきたのか等の事実を知らないまま、憶測ないし願望に基づいてされたものといわざるを得ません。司法試験の世界では、「実務家登用試験だから」とか、「本質が問われているから」というような、地に足の付いていない、事実から遊離した主張が公然となされることがまれではありません。こうした事実の基礎を欠く主張に振り回されないことが重要です。

4.「効果的で過度でない」基準が、どうしてそんなに効果的なのかについて、もう少し説明しましょう。
 この基準の利点は、「たった9文字で規範を書ける。」、「どんな問題が相手であっても、常に同じ書き方で対応できる。」、「憲法で論文対策の知識のインプットをしなくてよい。」という点にあります。この基準の使い手は、どんな問題が来ても、決まった書き方しかしません。例を示しましょう。

(「効果的で過度でない」を用いた論述の例)

 権利の重要性について、確かに~。しかし~。したがって、権利は重要である(重要でない)。
 規制態様について、確かに、~。しかし~。したがって、規制態様は強度でない(強度である)。
 そこで、目的が重要で、手段が効果的で過度でない限り合憲である。
 目的は、~で重要である。
 手段について、まず、~効果的である。
 確かに~。しかし~。したがって、過度でない(である)。
 よって、本件規制は合憲(違憲)である。 

 

 上記の雛形の「~」部分を、問題文の事実+評価で埋めまくる。問題文の事実を引きまくり、思い付きでガンガン評価を書く。三者形式であっても、違憲側・合憲側では審査基準を立てることなく、違憲・合憲の理由だけを言いっ放しにする。審査基準の選択とか、難しいことは何も考える必要はない。この世に存在するのは、「効果的で過度でない」という唯一絶対の審査基準だけです。後は、現場で事実を拾い、評価しまくることだけに集中すればいい。こんなふざけた方法で、筆力さえあれば公法系1桁の順位すら取ることができるのです。そのために暗記しなければならないのは、「効果的で過度でない」の9文字だけ。余った時間で、他の科目を勉強できます。

なんてコスパだ!

 それだけではありません。「効果的」とは、要は目的を促進すること、すなわち、関連性(適合性)を意味します。しかし、憲法を全然勉強してない人に「関連性」と言っても、なかなかピンと来ないでしょう。「効果的」なら、そんな人でもわかりやすく、直感的に当てはめることができる。そして、論文で、全然効果的でない法令が出ることはほとんどありません。なので、効果に関係ありそうな要素を挙げて、簡単に「効果的である」と書いておけばいい。後は、「過度でない」ですが、これは文言上、より制限的でない他の選び得る手段(LRA)の不存在を意味するのか、狭義の比例性(相当性)を意味するのか、わからないようになっています。これが、とてもよい。というのは、問題によって、LRA不存在が書きやすい場合と、狭義の比例性(相当性)が書きやすい場合、両方書いた方がいい場合等があるからです。LRA不存在が書きやすい場合はLRA不存在を書いて、「過度でない(である)」とすればいいし、狭義の比例性(相当性)が書きやすい場合は狭義の比例性(相当性)を書いて、「過度でない(である)」とすればいいし、両方書いた方がいい場合は両方書いて、「過度でない(である)」とすればいい。万能過ぎます。やばい。
 採点する考査委員の立場になって考えてみましょう。前記のとおり、現在のところ、審査基準に係る規範の明示は、規範と当てはめの論理的なリンクがあればよい。ここで、上記のように「過度」という曖昧な表現を用いられてしまうと、LRA不存在でも、狭義の比例性(相当性)でも、間違いとは判定しにくいのです。なので、考査委員としては、規範と当てはめが論理的にリンクしていないとは判定できない。こうして、一生懸命現場で考えて、ちゃんとした審査基準を定立した人と同等のように評価されてしまうのでした。
 以上のことを理解すれば、「内容が曖昧な基準だからダメに決まってる。」などという主張が筋違いであることも、容易に理解できるでしょう。むしろ、内容が曖昧だったからこそ、効果的だったのです。

5.この基準の巧妙なところは、いつも「効果的で過度でない」という1つの基準しか使わず、審査基準を使い分ける気すらないこととか、「過度でない」を便宜的に使い分けていることについて、一通の答案だけからは判別できない、ということです。これが口述試験であれば、「じゃあこういう事案だったらどう判断するの?」などと色々な角度から問われて、「君は、『効果的で過度でない』って基準しか知らないの(笑)」とか、「君はさっき『過度』の意味をLRA不存在と言ったよね?今度は狭義の比例性の意味だって言うの?一貫してないよね。」などと突っ込まれるところです。しかし、論文の採点対象はただ一通なので、バレない。このことは、かつての旧司法試験では普通に生じていた現象ですが、新司法試験でも、部分的に生き残っているのです。

法曹養成制度検討会議第12回会議議事録より引用。太字強調は筆者。)

鎌田薫委員 私どもが旧試験から新制度に変わるときに,非常に実務的な観点から考えたことは,これ以上合格者を増やそうと思ったら,口述試験ができないということでした。口述試験が一番本当は能力が分かるのに,それができなくなる。……(略)……かつての旧試験の末期は,論文試験ではともかく減点されないように,最低限のことしか書くなという指導が,受験予備校などで行われていた。これがまさに受験指導で,そういう指導をするなというのが法科大学院での受験指導をするなということの意味で,試験に役立つ起案・添削などはもちろんやっているんですけれども,旧試験時代には減点されないような答案を書きなさいという指導が行き渡っていて,全員ほぼ同じ文章を書く。これは分かっているのか,分かっていないのかわからないので,分かっているというふうにして,点をあげないと合格者がいなくなるので,どんどん点をあげていたのですけれども,口述試験でそこのところを本当に分かっているかどうかを聞くと,実は全然分かっていなかった。後になって論文の点を10点引きたくなるという,そういうこともありました。実は口述試験が一番能力が分かる

(引用終わり)

 

 もちろん、この基準を使う答案は毎年それなりの数あるはずなので、このカラクリに考査委員も気付いてはいるでしょう。しかし、個別の答案について断定はできない(ひょっとすると別の事案だと違う基準を使うかもしれない。)ので、減点できない。そのことは、問題とされた昨年の採点実感の記載からもわかります。

(「令和4年司法試験の採点実感(公法系科目第1問)」より引用。太字強調は筆者。)

 決定①を、Y教授の学問の自由に対する制限の問題として構成しつつ、判断枠組みとして「手段が効果的で過度でない」なる表現を採用する答案が一定数あったが、その多くはいわゆる論証パターンにのっとって、事案の一面を切り取って決定①が過度である・ないと機械的に論じるだけで、本問における大学の自治と学問の自由の対立の状況において決定①がいかなる意味で「過度か」という視点が欠落していた

 (中略)

 決定②を、Y教授の教授の自由に対する制限の問題として構成しつつ、判断枠組みとして「手段が効果的で過度でない」なる表現を採用する答案が一定数見られたが、その多くはいわゆる論証パターンにのっとって、事案の一面を切り取って決定②が過度である・ないと機械的に論じるだけで、本問における大学の自治と学問の自由の対立の状況において決定②がいかなる意味で「過度か」という視点が欠落していた

(引用終わり)

 

 考査委員も常々、「このふざけた基準ムカつく。」と思っていたことでしょう。何も言えないのは悔しい。しかし、一通の答案から読み取れる誤りでなければ減点できないから、「効果的で過度でない」という表現だけでは減点できない。それでも、この憤懣やる方ない思いを表現してやりたい。そこで、「過度」という基準と当てはめとの論理的なリンクが不十分なものが多かったぞ、という、ギリギリ実際の採点と矛盾しない感じで書いてやった。そんなところでしょう(なぜこのタイミングで、ということについても、当サイトとして色々と耳にはしていますが、差し支えるので書きません。)。

6.お分かり頂けたでしょうか。これが、この基準が過度に効果的だった理由です。

7.では、このすんごい基準は、今後も同様に効果を発揮し続けるのか、あるいは、これを「実質的関連性」に置き換えれば、問題は解決するのか。いずれもそうではない、ということについて、次回、詳しく説明したいと思います。 

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