今年の予備憲法。冒頭のXの属性に関する記述がやけに詳しいことが気になった人は多かったことでしょう。
(問題文より引用) 大手新聞社Aで記者として働いていたXは、編集方針等の違いからAを退社し、現在は、フリージャーナリストを自称し、B県を拠点に、主に環境問題について取材その他の活動を行っている。しかし、Xの取材及び発表の手段は、Aの記者だったときとは変化している。取材の手段について言えば、B県には、新聞社等の報道機関によって設立された取材・報道のための自主的な組織であるB県政記者クラブが存在するが、同クラブは、その規約上、日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された県政担当記者のみを構成員としており、フリージャーナリストであるXは入会を認められていない。B県庁やB県警は、記者発表には、B県政記者クラブに所属する報道機関の記者のみに出席を認めているため、Xは出席することができない。また、Xの発表の場は主にインターネットとなり、自らの関心に応じて取材した内容を動画サイトに投稿し、閲覧数に応じて支払われる広告料によって収入を得ている。環境問題に鋭く切り込むXの動画は若い世代を中心に関心を集め、インフルエンサーとして認識されつつある。さらに、Xは、これまでに取材・投稿した内容に基づくノンフィクションの著作1冊を公表している。 (引用終わり) |
「事案をリアルにするためにXの生き様を描写しているだけなのかな?」という読み方は、明らかにおかしい。「これ、何かある。」と慎重に考えてみる必要があります。上記の記述は、「Xは報道機関の記者じゃないけど、何かそれっぽいことはやってるよね。」という感じの意味だろう。「報道機関の記者じゃない。」の部分から、「あれ?報道の自由って、報道機関の報道の自由って意味だったよね?」という発想に至れば、「おおーこれ判例の射程問題じゃん。」ということに気が付くでしょう。当サイト作成の司法試験定義趣旨論証集(憲法)でも、その旨は「※」で注記していました。
(博多駅事件判例より引用。太字強調は筆者。) 報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。 (引用終わり) (司法試験定義趣旨論証集(憲法)より引用。太字強調は筆者。) 事実の報道の自由の保障の肯否 取材の自由の保障の肯否 (引用終わり) |
この論点は、「報道・取材の自由、ひいては取材源秘匿は報道機関の特権なのか。」という古くて新しい応用論点(※)なのですが
、知識としては知らなくても、問題文の事実から読み取るべきものでした。現場で気が付いた人は相応にいるはずで、ここはそれなりに差が付くでしょう。
※ 鈴木秀美「デジタル時代における取材・報道の自由の行方――メディア適用除外とメディア優遇策――」法学研究93巻12号(2020年)79~105頁参照。