令和6年司法試験短答式試験憲法第11問、同年予備試験短答式試験憲法・行政法第7問がとってもギルティ、という話を耳にしましたので、当サイトでもちょっと考えてみました。設問の内容は、以下のとおりです。
(令和6年司法試験短答式試験憲法第11問、同年予備試験短答式試験憲法・行政法第7問) 法の支配に関する次のアからウまでの各記述について、bの見解がaの見解の根拠となっている場合には1を、そうでない場合には2を選びなさい。
ア.a.イギリスで20世紀までに成立した法の支配は、制定法とコモン・ローを中心とした「正規の法」による支配を意味しており、裁判所による法の適用を保障することを要求している。 イ.a.19世紀後半のドイツにおいて採用されていた法治国家概念は、今日では、形式的法治国家論であると批判されている。
ウ.a.現在の立憲主義国家の多くは、統治原理として法治主義を掲げる場合であっても、その内実は、法の支配原理とほぼ同じ意味を持つようになっている。 |
まず、わかりやすいのはイで、「形式的法治国家論であると批判されている」(a)のは、「法律がどのような内容を伴っているかは問題とされなかった」(b)からですから、bがaの根拠となる、すなわち、1が正解だと判断できます。
次に、アを見てみましょう。知識抜きの解法という観点からは、bの「国会が主権を有するという観念」がヒントになっていて、要するに「国会最強」ということです。であれば、aが「国会最強ゆえに違憲審査みたいなものはない。」という感じになっているかを見ればよい。そうすると、「制定法とコモン・ロー……(略)……による支配」となっていて、制定法の上位に憲法のようなものがないことが確認できます。「コモン・ロー」が気になりますが、並列なので、制定法の上位という位置付けではなさそう。また、「裁判所による法の適用を保障する」という部分は、一見すると、「違憲審査のことかな?」と思うものの、冷静に「法」が何を指すかを考えると、これは直前の「正規の法」を指すのだろう。そして、「正規の法」は、「制定法とコモン・ローを中心とした」ものなので、違憲審査で制定法の適用が否定されることはなさそう。つまり、「裁判所による法の適用を保障する」とは、「国会が定めた制定法を粛々と適用しやがれ。」という内容だよね。ということで、「国会最強ゆえに違憲審査みたいなものはない。」という感じになっていることが確認できたので、bがaの根拠となる、すなわち、1が正解だと判断すればよい、ということなのだろうと思います。
知識的には、bは「イギリスは伝統的に国会主権だよね。」ということを言っており、aは、「イギリスで20世紀までに成立した法の支配」、すなわち、19世紀後半にダイシーが『憲法研究序説』(1885年に初版刊行)で主張していた法の支配の内容を言っていて、ダイシーはこれを国会(議会)主権から導いているので、1が正解だ、ということになるのでしょう(深田三徳『〈法の支配と立憲主義〉とは何か-法哲学・法思想から考える-』(日本評論社 2021年)34、35頁。戒能通弘=竹村和也『イギリス法入門-歴史、社会、法思想から見る-』(法律文化社 2018年)132~134頁)。ちなみに、「裁判所による法の適用を保障する」という部分は、「行政機関に対しても通常裁判所が法を適用する。」という意味、すなわち、行政裁判所のようなものを許さないという「保障」の意味と、「裁判所が『この法律おかしくね?』と思ったとしても、議会が決めたんだから粛々と適用しやがれ。」という意味、すなわち、裁判所の法適用拒否を許さないという「保障」の意味を持っています。
なお、この点について、木下昌彦神戸大教授は、bのダイシーの主張は現在では説得力がないと評価されているから根拠にならないともいえるのではないか、という趣旨のポストをXに投稿しています。しかしながら、bは、「イギリスで20世紀までに成立した法の支配は」となっていることに注意が必要です。現代の目線でみてはいけない。bの記述が、「イギリスで20世紀までに成立した法の支配」において根拠とされていれば、それは根拠となる、すなわち、1と判断してよいのです。この種の見解・根拠対応問題は、aという見解を主張する論者がその根拠としてbを挙げているかが重要で、それが多数説に支持されているかなどは関係ないのです。このことは、例えば、「公務員の勤務関係は特別権力関係であって、一般的権力関係とは区別される。」という記述は、「公務員の勤務関係には法治主義が妥当しない。」という記述の根拠となる。同様に、「ある人権を外国人が享有するかは、憲法の文言から形式的に判断すべきである。」という記述は、「憲法22条1項は、『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
』と定めているので、外国人も居住移転の自由を享有する。」という記述の根拠となる。現代の通説の目から見て説得力があるかは、関係がありません。
最後に、ウを見ましょう。知識抜きの解法という観点からは、「国民主権」と「立憲主義」のざっくりしたイメージが重要です。国民主権というのは、「国民が勝手に何でも決められる。」というものです。他方、立憲主義は、「権力者に何でも決めさせない。権力を憲法で縛る。」というものです。その意味では、国民主権と立憲主義はバッティングする関係にあるのですね。その目でみると、aの「法治主義を掲げる場合であっても、その内実は、法の支配原理とほぼ同じ意味を持つようになっている。」は、「国民が何でも勝手に決められるわけではなく、憲法の枠がはめられていますよ。」という意味でしょう。これは、立憲主義からストレートに導出される内容です。すなわち、「立憲主義→a」という感じになっている。仮に、bが根拠になるなら、「立憲主義→国民主権→a」という感じにならないとおかしいでしょう。しかし、そうなってはいない。bは、敢えて言えば、「立憲主義から国民主権は導出されないけど、現在ではたまたま立憲主義国家の多くが国民主権原理を採用するに至っているよね。」という内容です。これは、aの根拠にはならない。そんなわけで、これは2が正解と判断すべきだったろうと思います。
知識的にも、立憲主義と法の支配はほぼ同義に近い関係にあるとされる(前掲深田22頁)のに対し、国民主権は立憲主義の不可欠の要素ではないとされます(樋口陽一『憲法(第四版)』(勁草書房 2021年)12頁)。なので、上記のざっくりした説明がそのまま成り立つわけですね。
なお、この点について、木下昌彦神戸大教授は、アとウの「法の支配」の意味が矛盾するのでおかしいのではないか、という趣旨のポストをXに投稿しています。しかしながら、アの「法の支配」は、「イギリスで20世紀までに成立した法の支配」であるのに対し、ウの「法の支配」は「現在の立憲主義国家」における法の支配ですから、両者の意味が違っていたり、矛盾していたりしても、何もおかしくありません。そもそも、短答式試験では、独立したそれぞれの肢の論理的整合性は問題にならないので、その意味でも、この点はなんにもおかしくないと思います。
そんなわけで、司法憲法第11問、予備憲法・行政法第6問の正解は、112ではないか、というのが、当サイトの見解でした。