令和6年司法試験論文式民事系第1問参考答案

【答案のコンセプト等について】

1.現在の論文式試験においては、基本論点についての規範の明示と事実の摘示に極めて大きな配点があります。したがって、①基本論点について、②規範を明示し、③事実を摘示することが、合格するための基本要件であり、合格答案の骨格をなす構成要素といえます。下記に掲載した参考答案(その1)は、この①~③に特化して作成したものです。規範と事実を答案に書き写しただけのくだらない答案にみえるかもしれませんが、実際の試験現場では、このレベルの答案すら書けない人が相当数いるというのが現実です。まずは、参考答案(その1)の水準の答案を時間内に確実に書けるようにすることが、合格に向けた最優先課題です。
 参考答案(その2)は、参考答案(その1)に規範の理由付け、事実の評価、応用論点等の肉付けを行うとともに、より正確かつ緻密な論述をしたものです。参考答案(その2)をみると、「こんなの書けないよ。」と思うでしょう。現場で、全てにおいてこのとおりに書くのは、物理的にも不可能だと思います。もっとも、部分的にみれば、書けるところもあるはずです。参考答案(その1)を確実に書けるようにした上で、時間・紙幅に余裕がある範囲で、できる限り参考答案(その2)に近付けていく。そんなイメージで学習すると、よいだろうと思います。

2.参考答案(その1)の水準で、実際に合格答案になるか否かは、その年の問題の内容、受験生全体の水準によります。令和6年民事系第1問についていえば、前提となる法律関係の整理に文字数を費やすあまり、肝心の論点を落としてしまったり、規範の明示や事実の摘示がおろそかになってしまったりする答案が相当数出たようであることから、参考答案(その1)でも、合格レベルには達するのではないかと思います。

3.参考答案中の太字強調部分は、『司法試験定義趣旨論証集(民法総則)【第2版】』、『司法試験定義趣旨論証集物権【第2版補訂版】』に準拠した部分です。 

【参考答案(その1)】

第1.設問1(1)

1.ア

(1)他人物賃貸借と相続

 他人物売主・所有者間に相続が生じた場合には、両者の地位が併存する(判例)。このことは、他人物賃貸人・所有者間に相続が生じた場合にも当てはまる。
 甲土地はA所有である。契約①につき、BはAの了承を得ていない。契約①は他人物賃貸借である。その後、Bが死亡し、唯一の相続人としてAがBを相続した(882条、896条本文)。
 したがって、Aは、他人物賃貸人・所有者の地位を併有する。

(2)履行拒絶の可否

 他人物売主・所有者間に相続が生じた場合には、信義則に反する特別の事情がない限り、所有者の地位に基づいて、売主としての履行義務を拒絶できる(判例)。このことは、他人物賃貸人・所有者間に相続が生じた場合にも当てはまる。
 甲土地は、遠方で空地で登記名義人はAである。Cが、Bに登記名義人がAである理由を尋ねたところ、Bは、「Aは父であり、甲土地は既にAから贈与してもらったものだから、心配はいらない。」と言い繕った。Cがなお不安がったことから、契約①には、甲土地の使用及び収益が不可能になった場合について、損害賠償額を300万円と予定する旨の特約が付された。CがAに問い合わせた事実、AがCに何らかの誤信を生じさせる行為をした事実はない。
 以上から、信義則に反する特別の事情はない。したがって、Aは、所有者の地位に基づき、賃貸人の履行義務を拒絶できる。

(3)よって、Cは、㋐の反論に基づいて請求1を拒めない。

2.イ

 ㋑の権利は、留置権(295条)である。

(1)甲土地はA所有で、Cは甲土地上に乙建物を所有して占有するから、「他人の物の占有者」(同条1項本文)である。「その債権が弁済期にない」(同項ただし書)とはいえない。

(2)「その物に関して生じた債権」(同項本文)とは、その物自体から生じた債権又は物の引渡義務と同一の法律関係・事実関係から生じた債権をいう

ア.300万円の損害賠償請求権は、契約①に基づくから、「その物自体から生じた債権」でない。

イ.他人物売買の場合、買主の売主に対する損害賠償請求権の発生原因は債務不履行であるのに対し、所有者の引渡請求権の発生原因は所有権に基づく物権的請求権であって、留置によって売主の履行を間接的に強制しうる関係にもない以上、同一の法律関係・事実関係から生じた債権とはいえない。したがって、買主の有する損害賠償請求権は、「その物に関して生じた債権」には当たらない。このことは、他人物賃貸借にも当てはまる。
 したがって、他人物賃借人の有する損害賠償請求権は、「その物に関して生じた債権」には当たらない。

(3)以上から、留置権は成立しない。

(4)よって、Cは、㋑の反論に基づいて請求1を拒めない。

第2.設問1(2)

1.ア

(1)賃料当然減額(611条1項)の肯否

 丙室は乙建物の一室であり、「賃借物の一部」である。同月11~30日の間、雨漏りで丙室は使用できなくなったから、「使用及び収益をすることができなくなった」といえ、契約②締結前から存在した原因によるから、「賃借人の責めに帰することができない事由による」といえる。
 したがって、9月分賃料は、丙室20日間の使用に相当する部分の割合に応じて、当然に減額される。

(2)Dは、9月分賃料を約定どおりAに支払ったから、上記(1)の減額分相当額について、原状回復請求権(121条の2第1項)に基いて返還請求できる。

(3)よって、請求2は認められる。

2.イ

 請求3は、必要費償還請求(608条1項)である。

(1)修繕権(607条の2)の有無

ア.雨漏りで丙室は使用できなくなったから、「賃借物の修繕が必要である」(同条柱書)といえる。
 しかし、賃借人Dは賃貸人Aに対し、「修繕が必要である旨を通知し」(同条1号)ていない。本件工事の実施について「急迫の事情」(同条2号)はない。
 したがって、Dに修繕権はない。

イ.しかし、このことは必要費償還請求を妨げない。

(2)「必要費」(608条1項)とは、現状維持・回復、通常の用法に適する状態への保存のための費用をいう(判例)。
 雨漏り修繕は丙室を使用できる状態に回復するために必要であるから、原状回復のための費用といえる。
 しかし、本件工事と同じ内容及び工期の工事に対する適正な報酬額は20万円である。したがって、Eに支払った報酬のうち20万円を超える10万円は、必要な費用とはいえない。

(3)よって、請求3は、20万円の限度で認められる。

第3.設問2

1.契約③錯誤取消し(95条1項柱書)の肯否

(1)契約③締結の際、Gは、GではなくHに課税されることを心配して、そのことを気遣う発言をしたのに対し、Hは、「私に課税される税金は、何とかするから大丈夫。」と応じた。Hは、Hにのみ課税されるものと理解していた。しかし、課税されるのは財産分与をした側であるGであった。「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」(同項2号)があり、「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていた」(同条2項)といえる。

(2)重要性(同条1項柱書)とは、その錯誤がなかったならば表意者は意思表示をしなかった(主観的因果性)であろうと考えられ、かつ、通常人であってもその意思表示をしない(客観的重要性)であろうと認められることをいう
 確かに、課税額はおおよそ300万円であった。しかし、上記(1)の事実に加え、Gは、丁土地以外の財産をほとんど持っておらず、失職中で収入がなかったから、錯誤がなかったならばGは契約③を締結しなかったであろうと考えられ、通常人であっても契約③を締結しないであろうと認められる。
 したがって、重要性がある。

(3)Gは、税理士の友人がいたのに確認しなかった軽過失はあるが、重過失(同条3項柱書)はない。仮に重過失があっても、HもHにのみ課税されるものと理解していたから、共通錯誤(同項2号)である。

(4)以上から、令和6年1月15日に、GがHに契約③をなかったこととする旨を伝えたことで錯誤取消しの意思表示の効力が発生し(120条2項、97条1項)、契約③は遡及的無効(121条)となる。

2.Iへの95条4項適用の肯否

(1)「第三者」(95条4項)とは、取消前に法律上の利害関係を有するに至ったものをいう
 契約④は、契約③の目的物である丁土地の売買契約であり、契約③錯誤取消し(令和6年1月15日)に先立つ令和6年1月10日にされた。Iは取消前に法律上の利害関係を有するに至ったものであり、「第三者」に当たる。

(2)Iは、Gが契約③に係る課税について誤解していたことを契約④の締結時に知らず、そのことについて過失がなかったから、「善意でかつ過失がない」といえる。

(3)丁土地につきHからIへの所有権移転登記はされなかった。しかし、同項の「第三者」は、表意者とは前主後主の関係であって対抗関係になく、無過失の第三者にさらに権利保護要件を要求する必要はない。したがって、「第三者」は対抗力の具備を要しない

(4)以上から、Iに95条4項が適用される。

3.Fへの所有権対抗の肯否

 確かに、丁土地について、HからIへの所有権移転登記は、されなかった。
 しかし、「第三者」というには、登記がないことを主張する正当な利益を要する(判例)
 丁土地は、Gを起点として、契約③によりH、契約⑤によりFに二重譲渡されているが、先にHへの所有権移転登記がされたから、Fが所有権を取得できないことは確定している。したがって、Fは全くの無権利者と同じであり、登記がないことを主張する正当な利益がない。
 以上から、Fは「第三者」に当たらず、Iは、登記なくして丁土地所有権をFに対抗できる。

4.よって、請求4は認められる。

以上

【参考答案(その2)】

第1.設問1(1)

1.請求1は、所有権に基づく返還請求としての土地明渡請求であり、請求原因として甲土地A所有、乙建物C所有による甲土地C占有がある。

2.ア

(1)反論㋐は、占有権原の抗弁をいうものである。
 令和2年4月1日BC契約①締結、令和3年7月10日B死亡A相続から、上記抗弁が基礎付けられる。なお、契約①締結当時甲土地B所有は抗弁事実として必要でない(559条、561条)。

(2)再抗弁

ア.所有者が他人物賃貸人を相続したことにより、所有者は賃貸人の地位を承継する(896条本文)。所有者と賃貸人の地位が同一人に帰属したことで、他人物賃貸借の瑕疵は当然に治癒されるともみえる。
 しかし、相続により、所有者自身が賃貸借契約を締結したことになるわけでない。所有者は賃貸人の債務を履行できるとしても、所有者として賃貸借についての諾否の自由を有していたのであり、相続という偶然の事情によって左右される理由はない。他人物賃借人はもともと所有者からの明渡請求があれば使用収益を継続できない地位にあったのであり、所有者の履行拒絶を認めたとしても不測の不利益を受けるわけでない。
 以上から、所有者は、信義則に反する特別の事情がない限り、賃貸人債務の履行を拒絶できる。このことは、他人の権利の売買に関する判例の趣旨に徴して明らかである。

イ.したがって、契約①締結当時甲土地A所有の事実主張及び所有者としての地位に基づき賃貸人債務の履行を拒絶する旨の権利主張により、履行拒絶の再抗弁が成立する。これに対する信義則違反の評価根拠事実は、再々抗弁となる。

(3)再々抗弁

 Aは契約①締結を了承していないだけでなく、何らかの関与をした事実もない。甲土地が近隣にあり、又はAが日常使用する土地なら、Aは容易に乙建物の存在に気付くことができ、Cの利用に気付かなかった点に過失があるという余地があるが、甲土地は遠方の空地であったから、Cの利用に気付かなかった点に過失があるとはいえない。甲土地登記名義はAで、登記を怠った事実もない。Cが、Bに登記名義Aの理由を尋ね、Bは、「Aから贈与してもらった」等と言い繕ったが、Cがなお不安がったことから、契約①に甲土地使用収益不可の場合に賠償額300万円予定の特約が付された。Cは不安であるのに直接Aに問い合わせをせず、それに代えて、甲土地A所有を予定した約定をしており、Cに不測の損害が生じると認めるべき事実はない。AがCに何らかの誤信を生じさせる積極の行為をした事実はない。
 以上から、信義則に反するとの評価を根拠付ける事実はなく、再々抗弁は成立しない。

(4)よって、Cは、㋐の反論に基づいて請求1を拒むことはできない。

2.イ

(1)㋑の反論は、賠償額予定の約定に基づく損害賠償債権を被担保債権とする留置権の抗弁をいうものである。抗弁事実は、「その物に関して生じた債権」(295条1項本文)の発生原因事実及び他人の物の占有であるが、後者は請求原因において既に顕れている(前記1)。

ア.上記約定は使用収益させる債務(601条)の履行不能を原因とする填補賠償(415条2項1号)の額を定める趣旨である。請求1がされたことにより上記債務は社会通念上履行不能となるから、填補賠償債権の発生原因がある。

イ.「その物に関して生じた債権」とは、その物自体から生じた債権又は物の引渡義務と同一の法律関係・事実関係から生じた債権をいう
 填補賠償債権は債務不履行を原因とするから、その物自体から生じた債権ではない。
 一般に、他人物賃貸借において、賃借人の賃貸人に対する損害賠償請求権の発生原因は債務不履行であるのに対し、所有者の明渡請求権の発生原因は所有権に基づく物権的請求権であって、留置によって賃貸人の履行を間接的に強制しうる関係にもない以上、同一の法律関係・事実関係から生じた債権とはいえない。このことは、他人物買主の留置権を否定した判例の趣旨に徴して明らかである。
 もっとも、留置権の成否は明渡請求権及び被担保債権が発生した時点を基準に判断されるところ、履行不能によって填補賠償債権が発生するのは請求1がされた時と考えられ、その時点では、AがBを相続したことにより、明渡請求権者と被担保債権の債務者は同一のAに帰属している。留置によって賃貸人として負う損害賠償債務の履行を間接的に強制しうる関係になるため、同一の法律関係・事実関係から生じたと評価しうるとみえる。しかし、相続という偶然の事情によって留置権の成否が左右される理由はなく、賃借人はもともと留置を期待できる地位になかった以上、留置権を否定しても賃借人の保護に欠けることもない。相続があったことは、留置権の成否を左右しない。
 したがって、上記アの填補賠償債権は「その物に関して生じた債権」に当たらない。

ウ.以上から、留置権の抗弁は成立しない。

(2)仮に、前記(1)アの填補賠償債権が「その物に関して生じた債権」に当たるとして、留置権の抗弁が成立するとしても、以下のように、発生障害の再抗弁が成立する。

ア.填補賠償債権の弁済期は本来の履行請求権の弁済期によるところ、使用収益させる債務は日々刻々の使用収益に対応するから、履行不能により直ちに弁済期が到来する。したがって、「弁済期にない」(295条1項ただし書)とはいえない。

イ.悪意・有過失の無権原占有に要保護性はなく、それ自体として所有者との関係における不法行為を構成しうる以上、「占有が不法行為によって始まった」(同条2項)には、占有取得行為自体が不法行為を構成する場合だけでなく、対抗しうる占有権原がなく、そのことにつき悪意・有過失で占有を始めた場合を含む(高裁判例)。
 Cは前記1のとおりAに対抗しうる占有権原がなく、甲土地をBが所有するか不安であるのに直接Aに問い合わせをせず、それに代えて、甲土地A所有を予定した約定をしており、過失がある。したがって、同項の発生障害事由がある。

(3)よって、Cは、㋑の反論に基づいて請求1を拒むことはできない。

第2.設問1(2)

1.ア

(1)請求2は、給付利得返還の場面であるから、原状回復請求(121条の2第1項)をいうものであり、債務の履行としての給付及びその原因行為の無効が請求原因となる。

(2)令和4年8月31日、Dは、同年9月分の賃料(以下「9月分賃料」という。)を約定どおりAに支払った。債務の履行としての給付がある。

(3)9月分賃料の発生原因は契約②であり、同契約自体に無効原因はない。もっとも、同賃料の一部に発生障害事由(611条1項)がある場合も、原因行為の無効に準じる。

ア.丙室は乙建物の一室であり、同月11日に発生した雨漏りで同月30日まで使用できなくなったから、「賃借物の一部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった」といえる。

イ.「賃借人の責めに帰することができない事由による」ことは、減額の発生原因ではなく、賃借人の帰責事由によることが減額の障害事由として抗弁となるともみえる。しかし、賃借物は賃借人の支配下にあり、賃借人に帰責事由があるかどうかは通常賃貸人が把握することはできないことから、減額を主張する賃借人が主張・立証責任を負う。したがって、請求原因を構成する。
 丙室の雨漏りは、契約②締結前から存在した原因によるから、賃借人Dの帰責事由によるとはいえない。Dは通知義務(615条)を怠ったが、通知懈怠は雨漏りの原因でないし、Aに通知すれば本件工事より早期に使用可能になったことをうかがわせる事実はなく、かえって、Aは「特に修繕工事を急ぐべき事情はなかった」と主張しているから、Dの帰責事由によって使用不能期間が拡大したともいえない。
 以上から、「賃借人の責めに帰することができない事由による」といえる。

ウ.以上から、9月分賃料は、乙建物に占める丙室の割合に応じた20日分の日割り部分について当然に減額(発生が障害)される。

(4)よって、請求2は認められる。

2.イ

(1)請求原因

 請求3は、必要費償還請求(608条1項)をいうものであり、賃貸借契約締結、同契約に基づく引渡し、「賃貸人の負担に属する」・「必要費を支出した」ことの評価根拠事実が請求原因となる。

ア.令和4年6月15日契約②締結、同年7月1日契約②に基づくDへの乙建物引渡しがある。

イ.賃貸人は修繕義務を負うのが原則である(606条1項)から、丙室雨漏りの修繕費用であることは「賃貸人の負担に属する」との評価を根拠付ける。

ウ.「必要費」とは、現状維持・回復、通常の用法に適する状態への保存のための費用をいう(判例)。
 本件工事の報酬としてEに支払った30万円が雨漏りの修繕費用であることは、丙室を雨漏前の使用可能な状態に回復するための原状回復費用であるとの評価に結び付くから、「必要費を支出した」との評価を根拠付ける。

(2)抗弁

ア.DはAに通知せず、かつ、Aは雨漏りを知らなかった(607条の2第1号)。急迫の事情(同条2号)もなかった。したがって、Dに修繕権はない。Aの反論はこれをいうものである。上記各事実は、「賃貸人の負担に属する」との評価を障害する事実として抗弁を構成するか。
 同条の趣旨は、通常目的物の所有権を有する賃貸人が修繕の権利を有するという原則を確認するとともに、例外的に賃借人の修繕が債務不履行とならない場合を明らかにする点にある。また、必要費償還請求権の根拠は、修繕義務を負う賃貸人が本来負担すべき支出を賃借人が負担した点にあるところ、修繕権のない場合であっても、本来賃貸人が負担すべき支出であったことに変わりはない。そうすると、修繕権のない賃借人が修繕を行った場合であっても、修繕により賃貸人に損害が生じたときに賃借人が損害賠償債務(415条1項本文)を負う余地があるほか、解除事由(541条本文、542条1項5号)となりうるにとどまり、必要費償還請求の肯否については、専ら608条1項の要件を充足するかによって決せられる。なお、同項の要件判断に当たり、通知懈怠や急迫の事情の有無が考慮される余地があることは別論である。
 したがって、上記各事実自体は直ちに抗弁を構成しない。

イ.一般には必要費に当たるとされる類型の支出であっても、通常要する額を超える部分は本来賃貸人が負担すべき支出とはいえないから、支出額を下回る通常要する額の主張は、「必要費を支出した」との評価を一部障害する事実として一部抗弁を構成する。Aの反論はこれをいうものである。
 賃借人は通知義務(615条)を負うから、通常要するか否かを判断するに当たり、これを履行した場合を考慮する。本件工事と同じ内容・工期の工事に対する適正な報酬額は20万円であったから、DがAに通知していれば、Aが一般の建設業者に依頼し、20万円で足りた蓋然性が高い。急迫の事情はなく、敢えて高額の報酬を支払って本件工事を急ぐ必要はなかった。
 以上から、通常要する額は20万円であって、これを超える10万円部分については超過額の一部抗弁が成立する。

(3)よって、請求3は、20万円の限度で認められる。

第3.設問2

1.請求原因

 請求4は所有権に基づく返還請求としての明渡請求であり、請求原因として、所有権取得原因(丁土地Gもと所有、GH契約③締結、HI契約④締結)及び丁土地F占有がある。

2.抗弁

(1)Fによる契約⑤締結の事実主張及び所有権移転登記を備えるまでIを所有権者と認めない旨の権利主張により、対抗要件の抗弁が成立する。

(2)契約③につき、基礎事情錯誤による取消し(95条1項柱書、121条)の抗弁は成立するか。

ア.「法律行為の基礎」(同項2号、同条2項)とされたかは、当事者の意思解釈上、誤認が事後的に判明した場合に効力を否定する前提で法律行為がされたかという観点から判断する(判例)
 契約③締結の際、Gは、GではなくHに課税されることを心配して、そのことを気遣う発言をしたのに対し、Hは、「私に課税される税金は、何とかするから大丈夫。」と応じた。Hは、Hにのみ課税されるものと理解していた。財産分与に伴う課税を重要な要素として考慮していた一方、Gに課税されることが事後的に判明する場合があることはおよそ想定されておらず、その場合を想定した対応をとることは不可能ないし極めて困難であった。Gは、丁土地以外の財産をほとんど持っておらず、失職中で収入がなかった。Gに課税がされた場合、それがさほど高額でなくても納税は困難であり、生活にすら困窮することが明らかである。Gに課税されないことが前提にあったからこそ、Hにほぼ全財産を分与するという判断に至ったと考えられ、Hもこれを認識していたと考えられる。Gに課税されることが事後的に判明した場合にまで、契約③の効力を維持する意思であったとは到底考えられない。GHの意思解釈上、誤認が事後的に判明した場合に効力を否定する前提で法律行為がされていたと評価できる。
 したがって、課税されるのはHであるという事情は、「法律行為の基礎」とされていたといえる。

イ.真実は、課税されるのはGであったから、基礎事情錯誤(95条1項2号)がある。

ウ.GHは、Hに課税されることが契約の基礎である旨を明示して契約③を締結したわけではない。基礎事情の表示(同条2項)はあるか。
 同項の趣旨は、表示により意思表示の内容を構成すると評価できる点にあり、意思表示は黙示でも可能である以上、表示は黙示でも足りる(判例)。
 上記アに示した各事実から、Hに課税されることが契約の基礎である旨が黙示に表示されたと評価できるから、基礎事情の表示がある。

エ.重要性(95条1項柱書)とは、その錯誤がなかったならば表意者は意思表示をしなかった(主観的因果性)であろうと考えられ、かつ、通常人であってもその意思表示をしない(客観的重要性)であろうと認められることをいう
 上記アに示した各事実から、錯誤がなかったならばGは契約③を締結しなかったであろうと考えられ、通常人であっても契約③を締結しないであろうと認められる。なお、判明した税額はおおよそ300万円で、極めて高額とまではいえないものの、Gは、丁土地以外の財産をほとんど持っておらず、失職中で収入がなかったことから、さほど高額でなくても納税は困難であり、生活にすら困窮することが明らかであること踏まえると、上記評価を妨げない。
 したがって、重要性がある。

オ.Gは、Hに契約③をなかったこととする旨を伝えたから、取消しの意思表示がある(120条2項、97条1項)。

カ.以上から、基礎事情錯誤による取消しの抗弁が成立する。

3.再抗弁

(1)上記2(1)に対し、対抗要件具備による第三者地位喪失の再抗弁は成立するか。
 177条の趣旨は登記を公示方法として不動産取引について正当な利益を有する者同士の利害調整を図る点にあるから、「第三者」というためには登記がないことを主張する正当な利益を要する(判例)。二重譲渡において、一方の譲受人が登記を先に備えたときは、他方の劣後譲受人は所有権を取得できないことが確定し、その結果、登記がないことを主張する正当な利益を欠くに至るから、「第三者」の地位を喪失する。
 以上から、契約③締結及び令和5年12月11日H登記具備により、上記再抗弁が成立する。

(2)上記2(2)に対し、重過失(95条3項柱書)の評価根拠事実の再抗弁は成立するか。
 確かに、Gは、税理士の友人がいたにもかかわらず、事前に確認しなかった。しかし、租税の知識に乏しい一般人であれば、財産分与で利益を受けるHに課税されるのが当然と考え、敢えて確認するまでもないと軽信することもやむを得ないといえるから、軽過失の評価を根拠付けることはできても、重過失の評価までは根拠付けることができない。
 以上から、重過失の評価根拠事実の再抗弁は成立しない。なお、仮に同再抗弁が成立するとしても、HもHにのみ課税されるものと理解していたから、共通錯誤(同項2号)の再々抗弁が成立する。

(3)上記2(2)に対し、「第三者」(同条4項)の再抗弁は成立するか。

ア.同条4項による権利取得につき、94条2項と同じ法定取得であるとすれば、「第三者」の主張は錯誤取消しの抗弁を前提とする予備的請求原因と位置付けられる。
 しかし、虚偽表示は意思表示の実体を欠いて無効(94条1項)であるのが本則とされることから、同条2項によって新たに法定取得の効果が生じると考えられるのに対し、錯誤があるにすぎない場合は取り消されるまで意思表示は有効に存在するのが本則であるから、95条4項の適用があるときは、本則に戻って有効な法効果が存続する。したがって、同項による権利取得は、表意者→相手方→第三者という順次取得である。
 以上から、同項の主張は錯誤取消しの効果を覆滅する消滅の再抗弁と位置付けられる。

イ.同項の趣旨は取消しの遡及効(121条)により害される第三者を保護する点にあるから、「第三者」とは、錯誤による意思表示の当事者又はその包括承継人以外の者で、取消前に法律上の利害関係を有するに至ったものをいう
 契約③の当事者はGHで、相続はなく包括承継人はない。契約④は、契約③の目的物である丁土地の売買契約であり、令和6年1月15日契約③錯誤取消しに先立つ同月10日にされた。
 以上から、Iは、錯誤による意思表示の当事者又はその包括承継人以外の者で、取消前に法律上の利害関係を有するに至ったものであり、「第三者」に当たる。

ウ.Iは、Gが契約③に係る課税について誤解していたことを契約④の締結時に知らず、そのことについて過失がなかったから、「善意でかつ過失がない」といえる。

エ.丁土地につきHからIへの所有権移転登記はされなかった。しかし、同項の「第三者」は、表意者とは前主後主の関係であって対抗関係になく、無過失の第三者にさらに権利保護要件を要求する必要はない。したがって、「第三者」は対抗力の具備を要しない

オ.以上から、「第三者」の再抗弁が成立する。

4.上記3(3)に対し、前記2(1)と同様に、対抗要件の再々抗弁が成立する。

5.前記3(3)アのとおり、95条4項による権利取得は順次取得であるから、上記4に対し、前記3(1)と同様に、対抗要件具備による第三者地位喪失の再々々抗弁が成立する。

6.よって、請求4は認められる。

以上

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