1.今年の民法設問1(1)では、予備校等で、「現場で条文を探したら1040条1項ただし書を見付けられますよね!これは確実に摘示しないといけませんよ!」という説明がされそうです。しかし、それは誤りですよ、という話が、今回のテーマです。
2.1040条1項ただし書は、以下のような条文です。
(参照条文)民法1040条(居住建物の返還等) 配偶者は、前条に規定する場合を除き、配偶者短期居住権が消滅したときは、居住建物の返還をしなければならない。ただし、配偶者が居住建物について共有持分を有する場合は、居住建物取得者は、配偶者短期居住権が消滅したことを理由としては、居住建物の返還を求めることができない。
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本問のDは、まさに居住建物(甲建物)について共有持分を有する配偶者ですから、現場でこの条文を見付けた受験生が、「これ、完全にバッチコーンじゃん!」と思うのも、無理はありません。現場思考としては、それでやむを得ない。しかし厳密には、本問はこの条文の適用場面ではありません。どういうことか。説明しましょう。
3.まず、理解のための補助線として、以下の設例を考えます。
【設例】 1.BCDが、甲建物を共有していた(持分割合は1:1:2)。BCは、Dとの間で、1年間無償で甲建物を使用させる旨の使用貸借契約を締結し、甲建物をDに引き渡した。 2.上記1から1年が経過し、使用貸借契約が終了した。 3.そこで、Bは、Dに対し、共有持分権に基づく物権的返還請求として、甲建物明渡請求をした。
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上記設例の場合には、BCを合わせても持分過半数に満たないので、明渡請求は無理です(※)。
※ 令和3年法律第24号による改正との関係については、「司法試験定義趣旨論証集物権【第2版補訂版】」冒頭の「【所有者不明土地解消関係の改正について】」の章の「3.「協議を経ずに共有地を占有する共有者に対し他の各共有者が共有地明渡請求をするための手続」及び「協議を経ずに一部の共有者から共有地の占有を承認された第三者に対し他の各共有者が共有地明渡請求をするための手続」の各項目について」の項目を参照。
では、以下の設例はどうか。
【設例】 1.BCDが甲建物を共有していた(持分割合は1:1:2)。BCは、Dとの間で、1年間無償で甲建物を使用させる旨の使用貸借契約を締結した。 2.上記1から1年が経過し、使用貸借契約が終了した。 3.そこで、Bは、Dに対し、使用貸借契約終了に基づく債権的返還請求として、甲建物明渡請求をした。
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上記設例の場合には、Dは、使用貸借契約上、契約が終了すればBCに甲建物を返還するという義務を負っていますから、甲建物の明渡しを拒むことはできません。「自分には共有持分権があるぞ!」と主張しても、それは主張自体失当です。このように、物権請求であるか、債権請求であるかで、要件事実が変わる。似たような例として、所有権に基づく物権的返還請求としての明渡請求であるか、賃貸借契約終了に基づく債権的返還請求としての明渡請求であるかによって、相手方の占有が要件(請求原因)となるかが変わる、ということがありました。「なんのこっちゃわからん。」という人は、要件事実のテキスト等で復習しましょう。
4.さて、上記を理解した上で、配偶者短期居住権が消滅した場合を考えると、配偶者短期居住権消滅に基づく債権的返還請求としての居住建物明渡請求に対しては、配偶者は共有持分権を主張して明渡しを拒むことはできない、ということになりそうです。でも、それって何らの居住権もないのに勝手に配偶者が居住していた場合(物権請求しか受けないので、持分を主張すれば拒める。)と比較して不均衡だよね。そのような考慮から、配偶者短期居住権消滅に基づく債権的返還請求としての居住建物明渡請求は認めない、という趣旨で設けられたのが、1040条1項ただし書です。
(「補足説明(要綱案のたたき台(4))」(民法(相続関係)部会 資料 25-2)より引用。太字強調は筆者。下線は原文による。) 従前は,短期居住権が消滅した場合には配偶者は居住建物の返還義務を負うとするものであり,返還義務を負う場合について特段の限定を設けていなかった。しかし,配偶者が居住建物の共有持分を有するときは持分に応じて居住建物の全部を使用することができ(民法第249条),共有持分の過半数を超える者でも配偶者に対して当然に居住建物の明渡しを請求することができるわけではない(注1)。配偶者が共有持分を有し,かつ,短期居住権を有していた場合に,短期居住権が終了すると他の共有者に対して返還義務を負うとすることは,配偶者が共有持分のみを有していた場合と均衡を失すると考えられる。 そこで,本部会資料では,配偶者が居住建物の共有持分を有する場合には,短期居住権が消滅した場合であっても,配偶者は居住建物の返還義務を負わないこととし,この場合の法律関係については,一般の共有法理に委ねることとした(注2)。 (注1)最判昭和41年5月19日民集20巻5号947頁 共同相続に基づく共有者の一人であつて,その持分の価格が共有物の価格の過半数に満たない者(以下単に少数持分権者という)は,他の共有者の協議を経ないで当然に共有物(本件建物)な単独で占有する権原を有するものでないことは,原判決の説示するとおりであるが,他方,他のすべての相続人らがその共有持分を合計すると,その価格が共有物の価格の過半数をこえるからといつて(以下このような共有持分権者を多数持分権者という),共有物を現に占有する前記少数持分権者に対し,当然にその明渡を請求することができるものではない。けだし,このような場合,右の少数持分権者は自己の持分によつて,共有物を使用収益する権原を有し,これに基づいて共有物を占有するものと認められるからである。従つて,この場合,多数持分権者が少数持分権者に対して共有物の明渡を求めることができるためには,その明渡を求める理由を主張し立証しなければならないのである。 (注2)例えば,配偶者が善管注意義務に違反して居住建物を使用しており,その使用の継続を認めることにより,建物の価値を減少させるおそれがあるような場合には,他の共有持分権者は,建物の明渡しを求めることができる場合もあり得るものと考えられる。 (引用終わり)
(法制審議会民法(相続関係)部会第25回会議議事録より引用。太字強調は筆者。) ○垣内秀介(東京大学大学院法学政治学研究科教授)幹事 簡単な確認を1点だけさせていただければと思いまして,本日の資料の2ページから3ページにかけまして,短期居住権が消滅した際の返還義務についての定めがございますけれども,ここで,今回入った点として,共有持分を有する場合を除くという規律になっております。この規律の理解に関してなのですが,例えば,短期居住権ではなくて使用貸借の成立が認められるというような場合についてで,その使用貸借が終了した場合には使用貸借関係の終了に伴う返還義務というのが生ずるというのが通常の理解であるかと思われますけれども,その場合でも共有持分を当該使用借人が持っていた場合には同じ規律になるということで,ここでもこういう規律になっているのか,それとも,使用貸借の場合とは異なることをここで定めているという御趣旨であるのか,その点だけ確認させていただければと思います。 ○堂薗幹一郎(法務省民事局民事法制管理官)幹事 基本的には使用貸借とは別で,短期居住権の場面では,元々共有持分を持っていた場合については,配偶者が短期居住権終了の場合に負う義務として,ここでいう返還義務ですとか,原状回復義務というものを設ける必要はないのではないかという趣旨です。その点については,通常の共有法理に委ねることでいいのではないかという前提で,このような規律にさせていただいたということでございます。 (引用終わり) |
そのことを理解して、もう一度条文を見ると、1040条1項は、本文で配偶者短期居住権消滅に基づく債権的返還請求権を定めており、ただし書はその例外を定めるという構造になっていることに気付きます。そして、ただし書の「配偶者短期居住権が消滅したことを理由としては」の文言が、物凄く重要な意味を持っていることにも、気が付くでしょう。これは、「配偶者短期居住権消滅に基づく債権的返還請求としては」という意味なのです。
(参照条文)民法1040条(居住建物の返還等)
配偶者は、前条に規定する場合を除き、配偶者短期居住権が消滅したときは、居住建物の返還をしなければならない。ただし、配偶者が居住建物について共有持分を有する場合は、居住建物取得者は、配偶者短期居住権が消滅したことを理由としては、居住建物の返還を求めることができない。
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5.以上の説明から、1040条1項ただし書は、配偶者短期居住権消滅に基づく債権的返還請求としての明渡請求を否定するための条文であることが理解できたでしょう。つまり、共有持分権に基づく物権的返還請求としての明渡請求との関係では、適用がない。では、本問で問われている請求は何かといえば、これは共有持分権に基づく物権的返還請求としての明渡請求です。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 4.令和5年8月31日、Bは、Dに対し、共有持分権に基づいて甲建物の明渡しを請求し(以下「請求1」という。)、併せて、同年4月2日以降明渡しまで1か月当たり5万円(甲建物の賃料相当額である月額20万円の4分の1)の支払を請求した(以下「請求2」という。)。Dは、Bの請求に対し、「㋐私は、Aの妻として甲建物に居住していたのだから、Aの死亡後も無償で甲建物に住み続ける権利があり、仮にそのような権利が認められないとしても、㋑甲建物を共同で相続したのだから、いずれにせよ請求1及び請求2を拒むことができる。」と反論した。 (引用終わり)
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なので、本問において、Dが共有持分権を有することによって請求1を拒むことができるのは、共有の一般法理によるものであって、1040条1項ただし書の適用によるものではない。したがって、答案でこれを摘示するのは適切ではない、ということになるのです。敢えて摘示するのであれば、当サイトの参考答案(その2)のように、本問では適用がない旨を明示すべきでしょう。
(参考答案(その2)より引用) 1040条1項ただし書は、「配偶者短期居住権が消滅したことを理由としては」とし、居住権消滅に基づく債権的明渡請求(同項本文)との関係で特に共有持分保有の抗弁を認める規定であるから、共有持分権に基づく明渡請求である請求1との関係では適用がない。 (引用終わり)
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6.もっとも、上記のようなことは、普通の受験生が知っているわけがない。それは考査委員もわかっていると思うので、答案で誤って1040条1項ただし書を摘示しても、特に減点はされないだろうと思います。その意味では、どうでもいいと言えば、どうでもいい。ただ、このことは概説書等でもほとんど触れられていなくて、予備校等で、1040条1項ただし書を摘示するのが正解であるかのような答案例・解説が流布されるおそれがあることから、詳しめに解説しておきました。