錯誤は?
(令和5年予備試験民法)

1.令和5年予備民法。基礎事情錯誤を書くか、迷った人もいたでしょう。結論としては、これは書かなくてよかったのだろうと思います。1つの手掛かりとなるのは、【事実】8におけるABの主張です。

問題文より引用。太字強調は筆者。)

8.Bは、「本件請負契約は有効に成立しており、甲の修復ができないのはAの問題である。」として、Aに対して250万円の支払を請求している。これに対して、Aは、「本件請負契約は無効である。仮に有効だとしても、甲が現に修復されていない以上、金銭を支払う理由はない。」と反論している。

(引用終わり)

 まず、上記の部分を見たら、これは考査委員が検討対象を限定するためにわざわざ記載したものだ、ということを読み取らなければなりません。債権法改正後は、錯誤の主張とは取消しの主張なので、「無効」という表現には馴染みません。また、「有効だとしても、甲が現に修復されていない以上」という部分をもって錯誤取消しの主張とみるのは無理がある。そう考えると、錯誤は書かなくてよさそう、と一応は判断できる。とはいえ、「無効」には、「錯誤取消しによる遡及的無効」が含まれるかもしれない、と考え始めると、書かなくてよいとは断定できないかも、という迷いも生じるでしょう。
 知識があれば、「原始的不能を当然に無効としないのは契約法理で処理しましょうって趣旨なんだから、契約法理で処理できるときは契約法理で処理すべきであって、錯誤主張を認めるべきでないって説が確かあったよな。」ということを想起して、「錯誤を書かせると、そもそも錯誤を否定する説に立つ人と錯誤を検討する人とで配点が不平等になるから、それに配慮してこんな問題文の記載にしたんだろう。そうだとすれば、この『無効』っていうのはやっぱり錯誤取消しを含まない趣旨なんだろうな。」という判断ができやすいのですが、ちょっと厳しいかもしれません。
 このようなときは、錯誤以外の検討を先にやってみる。「甲の修復ができないのはAの問題」というのは帰責事由のことを指すだろうし、「甲が現に修復されていない以上」というのは危険負担ないし先履行のことを指しているのだろう。そこまで読み取れれば、契約法理は絶対書かないとダメだよね、ということになる。実際に検討すると、契約法理に関する部分だけでもかなり大変であることがわかるでしょう。それなら、錯誤は諦めようか。そんな感じで、錯誤を書かない、あるいは、触れるとしてもごく簡潔に否定すべきだ、という判断ができたのではないかと思います。

2.そんなわけで、当サイトの参考答案では、錯誤を検討していません。仮に、検討するとどうなるのか。これが案外面白かったりするので、ちょっと考えてみましょう。
 まず、95条1項、2項の要件は、特に説明する必要もなく、まあ満たすだろうという感じですね(※)。
 ※ 契約法理での処理を重視する立場からは、原始的不能は「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要」とはいえないとされます(潮見佳男『新債権総論Ⅰ』(信山社 2017年)84頁)。不能な場合も契約法理が適用されて妥当な解決に至る以上は、「たとえ不能でも契約法理の適用で解決できるから契約を締結してよい。」というのが合理的意思と考えられるから、「不能なら契約を締結しない。」とはいえないという理解なのでしょう。もっとも、立案担当者は、基礎事情錯誤となり得るという立場です(『司法試験定義趣旨論証集債権総論・契約総論』「一方当事者が履行可能性を前提に締結した契約の原始的不能」の項目の※注を参照)。

(参照条文)民法95条(錯誤)

 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
 一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
 二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤

2 前項第2号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。

3、4 (略)

 では、3項の要件はどうか。Aの重過失は問題なさそう。問題は、各号非該当といえるかです。

(参照条文)民法95条3項

 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
 一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
 二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。

 契約締結時にBが甲の状態確認を要求すれば容易に本件損傷に気が付いた、ということを重視すれば、Bに重過失があるとして、1号該当になりそう。仮に重過失はないとしても、Bも、Aと同じように、本件損傷を知らず、修繕可能だと思っていたのだから、2号に該当するのではないか。でも、Bが本件損傷を知っていたら1号該当になるはず。このように考えると、Bがどのような認識だったかにかかわらず、常に錯誤取消しが認められるという結論になってしまいそうです。しかし、それは何かおかしい。

3.どうしてそんなことになってしまうのか。本問のことをいったん忘れて、改めて95条3項各号を見ると、そもそも各号の定め自体がおかしいことに気付きます。

(参照条文)民法95条3項

 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
 一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
 二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。

 仮に、相手方が表意者の錯誤を知っていれば、1号該当です。他方、相手方が表意者の錯誤を知らなければ、通常は相手方も表意者と同じ錯誤に陥っているので、2号該当です。そうだとすれば、たとえ表意者に重過失があっても、ほとんど常に錯誤取消しができるということになってしまわないか。このことに気が付くと、「なんだこのアホみたいな規定は。」と思うことでしょう。各号の規定は、個別にみると、どちらも当時の通説とされていたものでした。しかし、両者を同時に一般化して並べてみると、とってもおかしい。学説は、論者が念頭に置く個別の事例において最適な結論を導くために主張されることが多く、安易に一般化するとおかしなことになることが少なくないのですが、これはその好例といえるでしょう。
 近時、このことを意識して各号を限定解釈したり、表意者による各号該当主張を信義則によって制限する解釈論が示されています。

(川元主税「錯誤者の重過失不顧慮規定(民法 95 条 3 項 1 号・2 号)に関する一考察」名城法学72巻1・2合併号(2022年)より引用。太字強調は筆者。)

 表意者の無重過失要件は、本来は表意者が負うべき錯誤リスクを相手方に転嫁することを認めるのが妥当かどうかの最終的なチェック機能を担っており、従来の裁判例は、広範な事情を衡量する慎重な重過失判断を通じて結果の妥当性の確保に努めてきた。しかし、95 条 3 項 1 号・2 号がそのまま適用されるならば、無重過失要件はこうした機能を果たし得なくなる。たとえば、美術品売買において真作であるにもかかわらず贋作と軽率に誤信した A が、それを前提とした廉価で B に売却し、その後に契約の錯誤取消しを主張する場合、A に重過失があったとの B の抗弁は意味をもたない。A が、B は実際の価値を知っており A の錯誤につき悪意であった、もし知らなかったとすれば A と同一の錯誤に陥っていたと再抗弁すれば、1 号・2 号のどちらかに必ず該当するため A の重過失は問題にならないからである。

 (中略)

 本稿では、相手方の悪意・善意重過失や同一の錯誤であることは基本的に表意者の重過失判断の中で考慮される要素であり、95 条 3 項 1 号・2号は適用範囲を限定すべきであるという立場から、1 号は相手方が表意者の重過失を主張することが信義則に反して許されない場合があることを明確化するために信義則違反となりやすい場合を例示したにすぎず、2 号の同一の錯誤にあたるには相手方の錯誤にも重過失が必要であるという解釈を提案した。

(引用終わり)

 仮に、本問で錯誤を検討するのであれば、各号を形式的に適用して結論を出すのではなく、このような点を踏まえて、Aの錯誤取消しを認めることが妥当であるか、実質的に検討することが必要になります。本問の場合は、錯誤取消しを認めて、後は契約締結上の注意義務違反や不法行為の問題だ、という法律構成でも、それなりに妥当な結論は導けそうなので、敢えて限定解釈をする必要はないという考え方もあるでしょう。一方で、債権法改正は、原始的不能な場合も契約法理で解決するのが妥当であるとの理解を根底に据えているはずだ、と考える場合には、そもそも契約法理と錯誤が競合する場合は契約法理が優先すると考えるとか、容易には3項各号は満たさないと解釈することが必要になる。本問はこの点を問う趣旨ではないと思いますが、今後、この点を問う出題がされてもおかしくないので、問題意識としては知っておいてもよいでしょう。

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