1.令和6年司法試験論文式公法系第1問。規制①の規制目的については、犬猫販売業の経営安定でも、犬猫由来の感染症等による健康被害の防止でもなく、「人と動物の共生する社会の実現」である。これを前提にして答えてね、ということが、問題文で指示されていました。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 甲:ということは、本件法案の目的は、犬猫の販売業の経営安定でも、犬猫由来の感染症等による健康被害の防止でもないのですね。 X:はい。そのいずれでもありません。本件法案は、ペット全体についての動物取扱業や飼い主等に関する規制等を定めた「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下「動物愛護管理法」という。)の特別法です。動物愛護管理法の目的は「人と動物の共生する社会の実現」であり、本件法案も、その目的を共有しています。 (中略)
【別添資料】 第1 目的 この法律は、犬猫の販売業について、虐待及び遺棄の防止、犬猫の適正な取扱いその他犬猫の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来するとともに、生命尊重、友愛及び平和の情操を涵養し、もって人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。 (引用終わり) |
本問は、普通に読めば供給過剰に起因する遺棄等を防止しようとしていることが明らかで、言われなくても、犬猫販売業の経営安定とか、犬猫由来の感染症等による健康被害の防止なんて目的になるわけがない。それにもかかわらず、わざわざ上記のような指示を入れたのは、入口の目的設定から的外れな答案が出てくると、その後の手段審査も連動してメチャクチャになって採点がやりにくいから、猛烈に誘導をかけた、ということなのでしょう。
2.さて、この「人と動物の共生する社会の実現」というのは、福祉(積極)目的なのか、警察(消極)目的なのか。「生存権保護が積極目的なら、動物の生命保護も積極目的じゃん。」、「動物福祉って言葉もあるくらいだから福祉主義実現のためじゃんね。だったら積極目的じゃん。」、「動物との共生って意識高い系の発想だから積極目的でヨロ。」などという、なんちゃって理論は容易に思い付くところで、当サイトの参考答案(その1)は、これに依拠しています。
(参考答案(その1)より引用。太字強調は筆者。) 職業の許可制の合憲性は、重要な公共の利益のために必要かつ合理的かで判断する(薬事法事件判例参照)。 (引用終わり) |
3.しかしながら、これは誤りです。立法目的とは、一般に何らかの法益を保護するものであるところ、そのような利益は、究極的には国民一般が享受しうるものでなければなりません。専ら動物の利益を図るというのは、およそ規制目的にはなり得ないのですね。判例も、「国民全体の共同の利益」という表現を用いており、およそ国民が享受しない利益は公共の福祉とはいえないという立場であるといえます。
(全農林警職法事件判例より引用。太字強調は当サイトによる。) 憲法28条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」、すなわちいわゆる労働基本権を保障している。この労働基本権の保障は、憲法25条のいわゆる生存権の保障を基本理念とし、憲法27条の勤労の権利および勤労条件に関する基準の法定の保障と相まつて勤労者の経済的地位の向上を目的とするものである。このような労働基本権の根本精神に即して考えると、公務員は、私企業の労働者とは異なり、使用者との合意によつて賃金その他の労働条件が決定される立場にないとはいえ、勤労者として、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものである点において一般の勤労者と異なるところはないから、憲法28条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶものと解すべきである。ただ、この労働基本権は、右のように、勤労者の経済的地位の向上のための手段として認められたものであつて、それ自体が目的とされる絶対的なものではないから、おのずから勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地からする制約を免れないものであり、このことは、憲法13条の規定の趣旨に徴しても疑いのないところである(この場合、憲法13条にいう「公共の福祉」とは、勤労者たる地位にあるすべての者を包摂した国民全体の共同の利益を指すものということができよう。)。 (引用終わり) |
では、どのような利益が保護法益なのか。具体的に考えてみましょう。仮に、誰かが、自分の所有する犬猫を虐待したり、遺棄したりしたら、何が害されるのか。自分の財産は自由に処分できるはずなので、誰の法益も侵害していない感じがするでしょう。ここで、問題文が一応のヒントになります。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 我が国におけるペット、取り分け、犬又は猫(以下「犬猫」という。)の関連総市場規模は拡大傾向にあり、ペットの種類が多様化する中、犬猫の飼養頭数割合は相対的に高いままで推移している。他方で、販売業者が、売れ残った犬猫を遺棄したり、安易に買取業者に引き渡し、結果として、犬猫が殺され山野に大量廃棄されたりしたことが大きな社会問題となった。また、飼い主が、十分な準備と覚悟のないまま犬猫を安易に購入した後、想定以上の手間、引っ越し、犬猫への興味の喪失等を理由に犬猫を遺棄することも大きな社会問題となった。さらに、各地方公共団体は、飼い主不明や飼養不可能になった犬猫を引き取り、一定期間経過後に殺処分としているが、それについても命を軽視しているとの批判が大きくなった。 (引用終わり) |
犬猫販売業者や飼主が犬猫を遺棄することが大きな社会問題となり、各地方公共団体による殺処分に対しても、命を軽視しているとの批判が大きくなったとされています。「社会」問題、すなわち、社会的法益が侵害されているのかな、という勘をはたらかせることは可能かもしれません。なぜ、社会問題になったり、批判が起きたりするのか、と考えてみるのも、思考の手掛かりになりそうです。あれこれ考えてみると、「そんなことは人のすることではない。」という道徳観によって支えられていることに気付くかもしれない。同様に、道徳観を基礎にした規制として、公然わいせつ罪、わいせつ物頒布等罪(刑法174条、175条)があることを想起できれば、正解は目の前です。
(参照条文)刑法 174条(公然わいせつ) 175条(わいせつ物頒布等) (チャタレー事件判例より引用。太字強調は筆者。)
およそ人間が人種、風土、歴史、文明の程度の差にかかわらず羞恥感情を有することは、人間を動物と区別するところの本質的特徴の一つである。羞恥は同情および畏敬とともに人間の具備する最も本源的な感情である。人間は自分と同等なものに対し同情の感情を、人間より崇高なものに対し畏敬の感情をもつごとく、自分の中にある低級なものに対し羞恥の感情をもつ。これらの感情は普遍的な道徳の基礎を形成するものである。 (引用終わり) |
チャタレー事件判例を踏まえて表現すれば、「虐待されたり遺棄された動物がかわいそう。そんなことはしてはいけない。」という感情は、普遍的な道徳の基礎を形成し、法は、これを社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」として保護しようとしている、という発想が可能でしょう。こうして、保護法益は、「動物愛護の良俗」であるという理解に至るのです。これは、動物法の一般的な理解です。
(環境省第1回動物の愛護管理のあり方検討会配布資料 資料4「動物の愛護管理の歴史的変遷」より引用。太字強調は筆者。) 動物愛護管理法の目的は、「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資すること」……(略)……とされている。この目的から見て取れるように、動物愛護管理法制の基本的な部分を構成してきた虐待や遺棄の禁止規定の法益は、動物の生命・身体の安全そのものを直接の保護法益としているものではない。わが国の国民の間に一つの法規範にまで高められた動物の愛護管理の精神を一つの社会的秩序として保護しようとするもの、すなわち、動物の愛護管理の良俗を保護しようとするものであると言われている。 (引用終わり) |
4.保護法益が「動物愛護の良俗」であるとわかったとして、それは福祉(積極)目的か、警察(消極)目的か。先に、公然わいせつ罪、わいせつ物頒布等罪と同じだよね、という説明をしたところから、理解できるでしょう。これは、動物愛護の良俗を害する行為を禁圧するための警察(消極)目的規制です。その意味では、風営法の仲間ということもできるわけですね。
5.以上のようなことは、動物法に触れたことのある人であれば常識に属する事柄ですが、受験生が知ってるわけないと思います。現場で考えて、福祉(積極)目的と誤解しても、やむを得ない。なので、この部分で大きな差が付くことはないだろうと思います。