1.令和6年司法試験論文式公法系第1問。規制②では、商業広告(※1)規制が問題となっていることが明らかです。
※1 「営利的言論」や「営利的表現」と呼称されることも多いのですが、この名称だと、マス・メディアのニュース報道も営利活動だから「営利的言論」ないし「営利的表現」だ、という誤解を生じさせることから、当サイトでは、「商業広告」の表記を用いています。なお、単に「広告の自由」と表記すると、典型的な表現である意見広告(サンケイ新聞事件判例参照)も含まれてしまうので、「商業広告の自由」と表記するのが的確です。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 規制② 犬猫販売業免許を受けた者(以下「犬猫販売業者」という。)は、犬猫の販売に関して広告するときは、犬猫のイラスト、写真及び動画を用いてはならない。 (中略) 第4 広告の規制 (引用終わり) |
そこで問題となるのは、審査基準をどうするか。とりわけ、「どのような根拠をもって厳格審査を回避するか。」という点です。なぜ、この点が問題になるのか、ということを理論的かつ正確に説明しようとすると、実は非常に複雑で、すげーめんどくさいです(めんどくさい理由を説明するのもめんどくさいです。)。なので、ここでは、直感的に説明しましょう。仮に、市民一般に対して、犬猫のイラスト、写真及び動画を用いた表現一般を禁止する場合、これはもう違憲に決まってる。いや、「決まってる。」というのは言い過ぎかもしれないけど、合憲というためには、よほどの正当化理由がないと無理だろう(※2)。一方で、本問のような商業広告に用いることを禁止する場合には、それなりに合憲になりそうな感じがする。それはなぜなのか。素朴に疑問が生じるよね、ということです。
※2 例えば、犬猫のモフモフ画像を見た瞬間に即死してしまうウイルスが全国的にまん延した、という場合などが考えられます。もっとも、この場合でも、感染者から犬猫モフモフ画像を隔離するなどの代替措置をとることが困難であるなどの事情を要するでしょう。
2.まず、1つ思い付くのは、「商業広告は経済活動であって、表現じゃないよね。だから、21条1項の保障は受けませんよ。」という考え方です。適応症広告事件判例における垂水克己補足意見が、この考え方を採用しています。
(適応症広告事件判例における垂水克己補足意見より引用。太字強調は当サイトによる。) 本法に定めるきゆう師等の業務は一般に有償で行われるのでその限りにおいてその業務のためにする広告は一の経済的活動であり、財産獲得の手段であるから、きゆう局的には憲法上財産権の制限に関連する強い法律的制限を受けることを免れない性質のものである。この業務(医師、殊に弁護士の業務も)は往々継続的無料奉仕として行われることも考えられる。しかし、それにしても専門的知識経験あることが保障されていない無資格者がこれを業として行うことは多数人の身体に手を下しその生命、健康に直接影響を与える仕事であるだけに(弁護士は人の権利、自由、人権に関する大切な仕事をする)公共の福祉のため危険であり、その業務に関する広告によつて依頼者を惹きつけるのでなく「桃李もの言わねども下おのづから蹊をなす」ように、無言の実力によつて公正な自由競争をするようにするために、法律で、これらの業務を行う者に対しその業務上の広告の内容、方法を適正に制限することは、経済的活動の自由、少くとも職業の自由の制限としてかなり大幅に憲法上許されるところであり、本法7条にいう広告の制限もかような制限に当るのである。そのいずれの項目も憲法21条の「表現の自由」の制限に当るとは考えられない。 (引用終わり) |
しかし現在では、商業広告を21条1項の保障から完全に除外する見解を積極に主張する論者は見当たりません。適応症広告事件判例の多数意見及び風俗案内所規制条例事件判例も、「公共の福祉」を合憲の根拠にしているので、21条1項の保障自体は肯定しているとみるのが自然でしょう。
(適応症広告事件判例より引用。太字強調は当サイトによる。) 本法があん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し……(略)……いわゆる適応症の広告をも許さないゆえんのものは、もしこれを無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであつて、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。されば同条は憲法21条に違反せず、同条違反の論旨は理由がない。 (引用終わり) (風俗案内所規制条例事件判例より引用。太字強調及び※注は当サイトによる。)
京都府風俗案内所の規制に関する条例(平成22年京都府条例第22号。以下「本件条例」という。)は,風俗案内所に起因する府民に著しく不安を覚えさせ,又は不快の念を起こさせる行為,犯罪を助長する行為等に対し必要な規制を行うことにより,青少年の健全な育成を図るとともに,府民の安全で安心な生活環境を確保することを目的として(1条),学校,児童福祉施設等の敷地から200m以内の区域(営業禁止区域)における風俗案内所の営業を禁止し(3条1項),違反者に対して刑罰を科することを定める(16条1項1号)とともに,表示物等に関する規制として,風俗案内所を営む者が,風俗案内所の外部に,又は外部から見通すことができる状態にしてその内部に,接待風俗営業(歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなして飲食させる営業)に従事する者を表す図画等を表示すること等を禁止している(7条2号)。 (引用終わり) |
そういうわけで、この考え方は、「自己の見解と異なる立場」としてぶっ叩く対象ではあっても、自説にすべきものではありません。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 〔設問〕 あなたが検討を依頼された法律家甲であるとして、規制①及び規制②の憲法適合性について論じなさい。なお、その際には、必要に応じて、参考とすべき判例や自己の見解と異なる立場に言及すること。既存業者の損失補償については、論じる必要がない。 (引用終わり) |
3.次に考えられるのは、商業広告には自己統治の価値がないから、保障の程度が低い、という考え方です。これは、芦部憲法以来の伝統的な考え方で、現在でも、「かつての通説」と呼べる程度には権威のある考え方です。
(芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法(第八版)』(岩波書店 2023年)211頁より引用。太字強調は筆者。) 表現の自由の重点は、自己統治の価値にあるから、営利的言論の自由の保障の程度は、非営利的(すなわち政治的)言論の自由よりも低いと解される。 (引用終わり) |
政府見解は、必ずしも明確ではないものの、概ねこの立場に依っているといえます。以下は、消費税転嫁対策特別措置法(※3)による消費税転嫁阻害表示の規制に関して行われた質疑です。
※3 なお、同法は令和3年3月31日をもって失効しています。
(参照条文)消費税の円滑かつ適正な転嫁の確保のための消費税の転嫁を阻害する行為の是正等に関する特別措置法8条(事業者の遵守事項) 事業者は、平成26年4月1日以後における自己の供給する商品又は役務の取引について、次に掲げる表示をしてはならない。 (衆院経済産業委員会平25・5・10議事録より引用。太字強調及び※注は筆者。) ○三谷英弘(みんなの党)委員 (中略) 商売のために、一生懸命商品を売っていくために価格を据え置くことは禁止されておりません。問題は、価格を据え置いたことをどのように消費者に伝えていくか。これは、まさに営利的言論の自由を制約していくという話になるわけですから、それが実際問題、憲法21条、表現の自由との関係上認められるかどうか、これは本当に考えていかなければいけないわけです。 (中略) 表現の自由が不当に制限されないようにするためには、一般的に、規制の対象となるものとそうでないものが明確に区別され、一般国民の理解において、具体的な場合に、当該表現が規制の対象となるかの判断が可能となる基準というものをその規定から読み取れない場合には文面上無効だ、これがいわゆる明確性の基準というものでございますけれども、この基準からすれば、本件の法案、何が規制の対象になるかわからないという話ですから、これは違憲無効となる可能性は十分にあるんじゃないでしょうか。 御意見をいただきたいと思います。 ○森まさこ法務大臣 (中略) ○三谷英弘(みんなの党)委員 ○森まさこ法務大臣 (引用終わり) |
このような考え方に立って、セントラルハドソンテストに着地する、というのは、1つのやり方でしょう(前掲芦部211頁も、「広告の自由と違憲審査基準」という注を設けて、セントラルハドソンテストを参照しています。)。
3.もっとも、上記2の考え方は、よく考えてみると、全然説得的ではありません。政治的意味を全く持たないような絵画、音楽、小説等の表現であっても、「自己統治の価値がないから保障の程度が低い。」とは考えられていない。どうして、商業広告に限って「自己統治の価値がないから保障の程度が低い。」と言えるのか。また、商業広告にも、環境問題や多様性を訴えるものがあります。このようなものも、「自己統治の価値がないから保障の程度が低い。」と言えるのか。一般に低価値ないし「保護されない言論」(Unprotected
Speech)とされるわいせつ、名誉毀損、せん動は、それ自体に他者の利益や公共の利益を害する危険を内包していますが、商業広告は、虚偽・誇大のものを除けば、そうしたものとはいえません(※4)。また、政治的言論と比べて真偽の判断が客観的にできるから萎縮効果が少ないとか、消費者に危害が生じるおそれがあるから規制の必要性が高い、などといわれることもありますが、それも虚偽・誇大広告の規制についてのみ当てはまることで、虚偽・誇大でない真実の広告について規制を正当化する要素とはいえないでしょう。そして、本問では、まさに犬猫のありのままの姿を動画等で表現する真実の広告すら規制することの合憲性が問われているのです。
※4 「そもそもそれ自体は害悪を発生させない営利的表現を名誉棄損的表現などと同列に論じようとするところに無理がある」と指摘するものとして、木下智史「表現内容規制・表現内容中立規制二分論の現在」立命館法学2020年5・6号(393・394号)
259頁注14。虚偽・誇大の商業広告については、セントラルハドソン事件等の米国判例を参照して、日本でも保障範囲外とする考え方が一般化しつつあります(渡辺康行=宍戸常寿=松本和彦=工藤達朗『憲法Ⅰ基本権[第2版]』(日本評論社 2023年)242頁。長谷部恭男『憲法(第8版)』(新世社 2022年)217頁)。
現時点では、虚偽・誇大でない真実の商業広告については、消費者保護という、いわばパターナリスティックな制約として捉え、セントラルハドソンテストを内容中立規制に準じたものと位置付けつつ、やや厳格に審査する、というのが、最先端の学説の到達点だろうと思います(※5)。本問に即していえば、犬猫の動画等を用いた広告がされたとしても、それが虚偽・誇大でない限り、適切な判断能力のある消費者なら十分な準備・覚悟をした上で購入するはずです。しかし、規制②は、消費者にはそのような能力はない、すなわち、公権力の介入がなければ適切な判断ができない「アホの子」と捉えている。これが、青少年保護と同様のパターナリズムだというわけです(※6)。
※5 商業広告規制に関する判例の多い米国の議論状況を反映したものです。米国の議論状況の変化についてネットですぐ読める文献としては、佐々木秀智「アメリカ合衆国憲法修正第一条における営利的言論の自由論」法律論叢第80巻第4・5合併号(2008年)25~72頁、橋本基弘「営利広告規制と情報パターナリズム」新報124巻
7、8号(2017年)89~110頁があります。
※6 もっとも、規制②は、消費者保護を直接の目的としていない点で、一般的な商業広告規制とやや異なる面があります(当サイトの参考答案(その2)参照)。
4.これを既存の判例法理で捉えるならば、青少年保護目的の規制と同様に、間接的・付随的制約として捉えることになるでしょう(※7)。当サイト作成の『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』は、そのような立場に依っています(「商業広告規制は直接的制約か、間接的・付随的制約か」等の各項目を参照)。
※7 内容規制・内容中立規制の区別について、伝達効果に着目し、副次的効果にとどまる場合は内容中立とみる学説の立場からも、同様の理解が可能でしょう。