1.令和6年司法試験刑事系第2問設問1。Pが本件かばんの中に手を入れて注射器を取り出すまでの行為の適法性が問われていることは明らかです。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 甲がいきなりその場から走って逃げ出したので、Pは、これを追い掛け、すぐに追い付いて甲の前方に回り込んだ。甲は、立ち止まって、「何で追い掛けてくるんですか。任意じゃないんですか。」と言ったが、Pは、「何で逃げたんだ。そのかばんの中を見せろ。」と言いながら、いきなり本件かばんのチャックを開け、その中に手を差し入れ、その中をのぞき込みながらその在中物を手で探った。そして、Pが本件かばんの中に入っていた書類を手で持ち上げたところ、その下から注射器が発見された。Pが同注射器を取り出し、甲に対し、「これは何だ。一緒に署まで来てもらおうか。」と言ったところ、甲は警察署への同行に応じた。 (引用終わり) |
「こんなもん違法に決まっとる。」というのは誰もが思うところでしょうが、問題は、それが「所持品検査の限界を超えるから」なのか、「捜索に当たるから」なのか。ここは、結構迷うところでした。
2.まず、職務質問に引き続いてやってるときは、とりあえず所持品検査ってことにして、例の規範を当てはめて大魔神、というのが、初心者向けの対応です。当サイトの参考答案(その1)は、その立場で書いています。
(参考答案(その1)より引用) 1.所持品検査は、任意手段である職務質問(警職法2条1項)の付随行為として許容されるのであるから、所持人の承諾を得て行うのが原則であるが、承諾がない場合であっても、所持品検査の必要性、緊急性、これによって害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し、具体的状況の下で相当と認められる限度で許容される(米子強盗事件判例参照)。
(1)確かに、被疑事実は覚醒剤取締法違反(所持)で法定刑は10年以下の懲役(41条の2第1項)である。Pは、本件アパート2階201号室を拠点とする覚醒剤密売情報を得た。同室から出てくる人物を目撃したため、同人を尾行した。すると、同人は、本件かばんを持っていた甲と接触し、本件封筒を甲に手渡し、甲は、本件封筒を本件かばんに入れた。これを目撃したPは、本件封筒の中には覚醒剤が入っているのではないかと疑い、甲に対する職務質問を開始した。甲には覚醒剤取締法違反(使用)の前科があることが判明した。甲が異常に汗をかき、目をきょろきょろさせ、落ち着きがないなど、覚醒剤常用者の特徴を示していたため、Pは、本件封筒の中に覚醒剤が入っているとの疑いを更に強めた。所持品検査の必要性が高い。Pが、甲に対し、「封筒の中を見せてもらえませんか。」と言うと、甲がいきなりその場から走って逃げ出した。緊急性も高い。 (引用終わり) |
この考え方は、判例の傾向に合致しているともいえます。なぜなら、判例は、学説が「捜索だろ。」というような場合でも、「所持品検査の限界を超えただけ」と言ってのけるからです。
(最決平7・5・30より引用。太字強調は当サイトによる。) 平成5年3月11日午前3時10分ころ、同僚とともにパトカーで警ら中の警視庁a警察署A巡査は、東京都港区内の国道上で、信号が青色に変わったのに発進しない普通乗用自動車(以下「本件自動車」という。)を認め、運転者が寝ているか酒を飲んでいるのではないかという疑いを持ち、パトカーの赤色灯を点灯した上、後方からマイクで停止を呼び掛けた。すると、本件自動車がその直後に発進したため、A巡査らが、サイレンを鳴らし、マイクで停止を求めながら追跡したところ、本件自動車は、約2.7キロメートルにわたって走行した後停止した。 (中略) 警察官が本件自動車内を調べた行為は、被告人の承諾がない限り、職務質問に付随して行う所持品検査として許容される限度を超えたものというべきところ、右行為に対し被告人の任意の承諾はなかったとする原判断に誤りがあるとは認められないから、右行為が違法であることは否定し難いが、警察官は、停止の求めを無視して自動車で逃走するなどの不審な挙動を示した被告人について、覚せい剤の所持又は使用の嫌疑があり、その所持品を検査する必要性緊急性が認められる状況の下で、覚せい剤の存在する可能性の高い本件自動車内を調べたものであり、また、被告人は、これに対し明示的に異議を唱えるなどの言動を示していないのであって、これらの事情に徴すると、右違法の程度は大きいとはいえない。 (引用終わり) |
自動車の内部を丹念に調べても捜索にならないのなら、本問の場合も捜索じゃないだろう。なので、所持品検査の枠組みで検討しても、普通に評価されるだろうと思います。
3.もう1つは、類型的にみて捜索に至っているから、所持品検査の規範を検討するまでもなく違法である、とする考え方です。これは、米子強盗事件判例の「捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り」とする判示部分に関する学説の解釈に基づく考え方です。
(米子強盗事件判例より引用。太字強調は当サイトによる。) 警職法は、その2条1項において同項所定の者を停止させて質問することができると規定するのみで、所持品の検査については明文の規定を設けていないが、所持品の検査は、口頭による質問と密接に関連し、かつ、職務質問の効果をあげるうえで必要性、有効性の認められる行為であるから、同条項による職務質問に附随してこれを行うことができる場合があると解するのが、相当である。所持品検査は、任意手段である職務質問の附随行為として許容されるのであるから、所持人の承諾を得て、その限度においてこれを行うのが原則であることはいうまでもない。しかしながら、職務質問ないし所持品検査は、犯罪の予防、鎮圧等を目的とする行政警察上の作用であつて、流動する各般の警察事象に対応して迅速適正にこれを処理すべき行政警察の責務にかんがみるときは、所持人の承諾のない限り所持品検査は一切許容されないと解するのは相当でなく、捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り、所持品検査においても許容される場合があると解すべきである。もつとも、所持品検査には種々の態様のものがあるので、その許容限度を一般的に定めることは困難であるが、所持品について捜索及び押収を受けることのない権利は憲法35条の保障するところであり、捜索に至らない程度の行為であつてもこれを受ける者の権利を害するものであるから、状況のいかんを問わず常にかかる行為が許容されるものと解すべきでないことはもちろんであつて、かかる行為は、限定的な場合において、所持品検査の必要性、緊急性、これによつて害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し、具体的状況のもとで相当と認められる限度においてのみ、許容されるものと解すべきである。 (引用終わり) |
ちなみに、「捜索に至らないが強制にわたる場合」とはどんな場合かというと、行為類型としては所持品検査にとどまるとされることをやっているんだけど、その際に強制を伴う場合を指すとされます。例えば、本問が以下のような事案であったなら、「捜索に至らないが強制にわたる場合」といえるでしょう。
(問題文より引用。太字強調部分は筆者が改変したもの。) 甲がいきなりその場から走って逃げ出したので、Pは、これを追い掛け、すぐに追い付いて甲の前方に回り込んだ。甲は、立ち止まって、「何で追い掛けてくるんですか。任意じゃないんですか。」と言ったが、Pは、「何で逃げたんだ。そのかばんの中を見せろ。」と言いながら、いきなり甲の頭部を拳で殴り、その場に転倒した甲に「殺されたいのか。」と言いながら甲の腹部を繰り返し蹴って、甲に肋骨骨折等の傷害を負わせた。さらに、Pは、持っていたバタフライナイフの刃先を甲の眼前に示しながら、「死にたくなければ、かばんのチャックを開けろ。」と言った。甲は、本件かばんの中身を見られたくなかったものの、拒否すれば殺されると思い、仕方なく、本件かばんのチャックを開けた。Pが、その中を一瞥したところ、注射器が発見された。Pが同注射器を指し示し、甲に対し、「これは何だ。一緒に署まで来てもらおうか。」と言ったところ、甲は警察署への同行に応じた。 (引用終わり) |
学説では、職務質問、所持品検査から捜索に至るまでのグラデーションとして、①外部から目視する、②任意の開披を求める、③承諾なく外部から触れる、④承諾なく開披して中身を目視する、⑤承諾なく中に手を入れて内容物を確認する、というような段階を想定し、①②までは何の問題もない職務質問、③④は承諾のない所持品検査として例の規範で判断する場合、⑤は類型的に捜索に至っているのでアウト、とするのが通説といってよいと思います。そうすると、本問は⑤なのでアウト、ということになるでしょう(※1)。
もっとも、これは上級者向けです。「捜索だからアウト」と判断する以上は、もう例の規範で大魔神することができません。本来大魔神案件として振られているそこの配点を取るためには、大魔神に代えて、判例が捜索構成に消極であることに触れつつ、捜索構成を採るべき積極的理由を示すことが要求されるでしょう。上記2のとおり、判例は、容易に「捜索に至っている。」とは認めていない(※2)ので、捜索構成は判例とは異なる立場といえます(※3)。なので、「判例と違って学説で書くなら、判例と異なる立場を採る理由を積極に示さないと同等に評価しない。」という一般原則が発動されるというわけです。
※1 ここでは、強制処分の意義を示して当てはめる、という説明はされないのが通例です。強制処分の意義を示して当てはめる場合とは、非定型的処分(例えば写真撮影)について、定型的強制処分と同程度の重大な権利制約があるか(例えば、「住居」への「侵入」に準ずる程度の権利制約か。)という視点が意味を持つ場合であって、定型的強制処分に該当するかどうか、という場面では、「定型的強制処分と同程度の権利制約か。」という視点が意味をなさない(「当該行為は定型的な所持品への捜索に当たる行為であるが、果たして「所持品」への「捜索」と同程度の権利制約といえるか。」などと考えても意味がない。)からでしょう。
※2 最高裁として「捜索」と明確に判断したものはない、とする文献として、斎藤司『刑事訴訟法の思考プロセス』(日本評論社 2019年)45頁。
※3 「捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り」という判示自体は米子強盗事件判例が言っていることですが、判例は、「捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り」について学説がいうような当てはめをしていないのです。米子強盗事件判例も、捜索・強制該当性の当てはめをしていません。
4.捜索構成を採るべき積極的理由として、学説がよく挙げるのが、エックス線検査事件判例との均衡です。
(宅配便エックス線検査事件判例より引用。太字強調は当サイトによる。) 本件エックス線検査は,荷送人の依頼に基づき宅配便業者の運送過程下にある荷物について,捜査機関が,捜査目的を達成するため,荷送人や荷受人の承諾を得ることなく,これに外部からエックス線を照射して内容物の射影を観察したものであるが,その射影によって荷物の内容物の形状や材質をうかがい知ることができる上,内容物によってはその品目等を相当程度具体的に特定することも可能であって,荷送人や荷受人の内容物に対するプライバシー等を大きく侵害するものであるから,検証としての性質を有する強制処分に当たるものと解される。そして,本件エックス線検査については検証許可状の発付を得ることが可能だったのであって,検証許可状によることなくこれを行った本件エックス線検査は,違法であるといわざるを得ない。 (引用終わり) |
「荷物の内容物の形状や材質をうかがい知ることができる」、「その品目等を相当程度具体的に特定することも可能」であることをもって、「内容物に対するプライバシー等を大きく侵害する」と評価でき、それによって強制処分である検証と性質決定されるというのです。「それなら、チャックを開けて直接中に手を突っ込んで調べる場合は、プライバシー等をさらに大きく侵害してますます強制処分だろうがよ。」というのが、学説の言い分で、もっともな面があります(※4、※5)。捜索構成で書くなら、この辺りまで触れておかないと、単純に所持品検査構成にして大魔神した初学者に負かされるおそれがあるでしょう。当サイトの参考答案(その2)は、この立場で書いています。
※4 斎藤司『刑事訴訟法の思考プロセス』(日本評論社 2019年)45頁。吉開多一ほか『基本刑事訴訟法Ⅱ
論点理解編』(日本評論社 2021年)63頁[吉開多一]。川島享祐「判批」刑事訴訟法判例百選〔第11版〕(別冊ジュリスト267号)66頁。
※5 飛行機に搭乗する際の手荷物検査を想起すれば、エックス線検査をされるより、係官から直接開けられて中を見られる方がイヤだ、という感覚は理解できるでしょう。
(参考答案(その2)より引用) ア.所持品検査は、口頭による質問と密接に関連し、かつ、職務質問の効果をあげる上で必要性、有効性の認められる行為であるから、警職法2条1項による職務質問に付随してこれを行うことができる場合がある(米子強盗事件判例参照)。しかし、任意処分である(同条3項)以上、捜索に至り、又は強制を伴うことは許されない(同判例参照)。 イ.本件行為は、捜索に至っているか。 ウ.本件行為は、捜索差押許可状の発付なくされた捜索であるから、令状主義(憲法35条1項、法218条1項前段)に反し、違憲・違法である。 (引用終わり) |
ちなみに、捜索構成にした場合には、「令状主義違反なんだから、当然に重大違法要件を満たす。」と書いてしまいがちですが、「令状主義の精神を没却する」というのは、「令状主義に反する」よりも程度が高いとされている(※6)ので、重大違法の当てはめもそれなりにきちんとやるべきでしょう。考慮要素として、捜査機関の主観面も考慮されます(※7)。
※6 川出敏裕「判批」刑事訴訟法判例百選〔第11版〕(別冊ジュリスト267号)204頁。「令状主義と直接に関わりのない証拠獲得手続に違法があった場合を証拠排除の対象から除外する趣旨ではない」ともされています。なので、所持品検査構成にすると直ちに重大違法にならないというわけでもありません。
※7 上記川出204頁。
5.実際の評価を見てみないと確実なことはいえませんが、当サイトとしては、現段階では上記のような感じで評価されそうだ、と考えています。仮にそのように評価されるとした場合には、結果的に、何も考えずに所持品検査として例の規範に当てはめた人が得をした、ということになりそうで、この辺が、本試験の難しいところでもあり、面白いところでもあります。