大局判断に必要な事前準備
(令和6年予備試験憲法)

1.令和6年予備試験憲法。設問(1)と(2)をどう書き分けるか、どの程度の比重で書くべきか、悩んだ人が多かったでしょう。これを正しく判断するためには、事前準備が必要でした。

2.団体の費用徴収の決定が構成員の権利・利益と衝突する場合の判断枠組みについては、南九州税理士会事件判例のように「目的の範囲」で一元的に考えるものもあるけれど、それだと、目的の範囲外とされた行為はどんな態様であれアウト、ということになりかねなくて、硬直的で柔軟な処理ができないよね、ということで、現在では、国労広島地本事件判例や群馬司法書士会事件判例のように、「目的の範囲」と「協力義務の限界」という二段階で考えるべきだよね、ということになっていたのでした(※1)。なので、「団体の費用徴収決定と構成員の権利・自由の衝突事案が出たら、この判断枠組みでいくぞ。」ということを事前準備しておく、これが、まず第一歩になります(※2)。このことを知っていれば、(1)と(2)で書くべきことが分かる。
 ※1 山田創一「法人の目的の範囲と構成員の協力義務の限界論との関係」専修大学法学研究所紀要『民事法の諸問題ⅩⅡ』(専修大学出版局 2006)4頁。
 ※2 当サイトの『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』もこの立場です(「団体の構成員の協力義務の要件」の項目を参照)。

問題文より引用)

〔設問〕

 あなたが意見を求められた法律家であるとして、以下の(1)及び(2)について、必要に応じて判例に触れつつ、あなた自身の見解を述べなさい。

(1) 祭事挙行費を町内会の予算から支出することの可否
(2) 祭事挙行費を予算から支出し得るとして、町内会費8000円を一律に徴収することの可否

(引用終わり)

 (1)は、およそ祭事挙行費を支出し得るのか、という問題だから、「目的の範囲」の問題。(2)は、「それを町内会費として会員から一律徴収していいの?」という問題だから、「協力義務の限界」の問題です。判断枠組みについて事前準備がないと、ここを見抜くことすらできなかったでしょう。そうなると、配点事項にフィットした答案にならないので、評価を下げやすい。
 ちなみに、「間接適用説→A町内会の人権享有主体性→結社の自由→団体の結社の自由と会員の信教の自由との等価的利益衡量の流れで書くんじゃないの?」と思った人は、「すっごい古い。」です。現在は、学説ですら、そのような説明をしていません(※3)。受験技術的な視点でいえば、「間接適用説→A町内会の人権享有主体性→結社の自由」のところは、判例法理からは余事記載であって、配点がないので、文字数を投じて書く意味がない(※4)。判例ベースの書き方をしていないと、このようなところでも損をするようになっています。
 ※3 それに代えて、団体と構成員の対立事案では判例が間接適用説の枠組みを示さないことに言及した上で、判例の判断枠組みを淡々と説明するものが多くなっています(渡辺康行ほか『憲法I 基本権[第2版]』(日本評論社 2023年)56頁。新井誠ほか『憲法Ⅱ人権[第2版](日評ベーシック・シリーズ)』(日本評論社 2021年)30、173頁。これには、そもそも団体(法人)の人権享有主体性に懐疑的な見解が有力になってきていることも関係しています(曽我部真裕ほか『憲法論点教室[第2版]』(日本評論社 2020年)88、89頁)。結社の自由は、諸個人にとっての「結社する自由」であって、個人の人権に対抗できる「法人の人権」とみるべきでないとも説明されます(樋口陽一『憲法(第四版)』(勁草書房 2021年)124、182、183頁)。当サイトの参考答案で、三菱樹脂事件判例の判示のうち、「憲法を適用しない。」部分のみ記載している(この部分は、政教分離規定を適用しない理由として必要です。)のは、そのためです。
 ※4 前掲曽我部真裕ほか94、95頁は、「判例ベースで考えるならば、団体の人権享有主体性について論じる必要はないとすらいえる。」(注20)とし、仮に芦部説で書くとしても、判例が論じるような具体的分析が一番重要なので、人権享有主体性などの抽象論を延々と書くことに意味はないとします。「延々と」ではなく、ちょっと書くくらいならよさそうですが、現在の論文式試験において、そもそも判例ベースだと書く必要のない事項に配点があるとは思わない方がよいでしょう。

3.その上で、両者の比重をどう考えるか。これについては、「目的の範囲」と「協力義務の限界」の規範を事前準備しているかで差が付きます。
 まず、前者については、行為の客観的な性質から抽象的に判断され、直接には目的に入ってこなさそうなものも、「間接に必要である」として、広く含んでくるのでした(※5)。
 ※5 当サイトの『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』もこの立場です(「目的の範囲(民法34条)の判断基準」の項目を参照)。

八幡製鉄事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するのを相当とする。そして必要なりや否やは、当該行為が目的遂行上現実に必要であつたかどうかをもつてこれを決すべきではなく行為の客観的な性質に即し、抽象的に判断されなければならないのである(最高裁昭和24年(オ)第64号・同27年2月15日第二小法廷判決・民集6巻2号77頁、同27年(オ)第1075号・同30年11月29日第三小法廷判決・民集9巻12号1886頁参照)。
 ところで、会社は、一定の営利事業を営むことを本来の目的とするものであるから、会社の活動の重点が、定款所定の目的を遂行するうえに直接必要な行為に存することはいうまでもないところである。しかし、会社は、他面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとつても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をすることは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もまた、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適例であろう。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程度のかかる出捐をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがつて、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主等の利益を害するおそれはないのである。
 以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。憲法は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与えてはいないのであるが、憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては到底その円滑な運用を期待することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているものというべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないのである。論旨のいうごとく、会社の構成員が政治的信条を同じくするものでないとしても、会社による政治資金の寄附が、特定の構成員の利益を図りまたその政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのような政治資金の寄附をする能力がないとはいえないのである。……(略)……要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。

(引用終わり)

国労広島地本事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 労働組合は、労働者の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的とする団体であつて、組合員はかかる目的のための活動に参加する者としてこれに加入するのであるから、その協力義務も当然に右目的達成のために必要な団体活動の範囲に限られる。しかし、いうまでもなく、労働組合の活動は、必ずしも対使用者との関係において有利な労働条件を獲得することのみに限定されるものではない。労働組合は、歴史的には、使用者と労働者との間の雇用関係における労働者側の取引力の強化のために結成され、かかるものとして法認されてきた団体ではあるけれども、その活動は、決して固定的ではなく、社会の変化とそのなかにおける労働組合の意義や機能の変化に伴つて流動発展するものであり、今日においては、その活動の範囲が本来の経済的活動の域を超えて政治的活動、社会的活動、文化的活動など広く組合員の生活利益の擁護と向上に直接間接に関係する事項にも及び、しかも更に拡大の傾向を示しているのである。このような労働組合の活動の拡大は、そこにそれだけの社会的必然性を有するものであるから、これに対して法律が特段の制限や規制の措置をとらない限り、これらの活動そのものをもつて直ちに労働組合の目的の範囲外であるとし、あるいは労働組合が本来行うことのできない行為であるとすることはできない

(引用終わり)

群馬司法書士会事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 司法書士会は、司法書士の品位を保持し、その業務の改善進歩を図るため、会員の指導及び連絡に関する事務を行うことを目的とするものであるが(司法書士法14条2項)、その目的を遂行する上で直接又は間接に必要な範囲で、他の司法書士会との間で業務その他について提携、協力、援助等をすることもその活動範囲に含まれるというべきである。そして、3000万円という本件拠出金の額については、それがやや多額にすぎるのではないかという見方があり得るとしても、阪神・淡路大震災が甚大な被害を生じさせた大災害であり、早急な支援を行う必要があったことなどの事情を考慮すると、その金額の大きさをもって直ちに本件拠出金の寄付が被上告人の目的の範囲を逸脱するものとまでいうことはできない。したがって、兵庫県司法書士会に本件拠出金を寄付することは、被上告人の権利能力の範囲内にあるというべきである。

(引用終わり)

 このことを知っていれば、設問(1)は比較的簡単に肯定でよい。しかも、個別具体の事情を考慮するのではなく、行為の客観的性質から抽象的に判断するわけだから、ここで問題文の個別の事情を拾いまくって大魔神、という感じでもないだろう。こうして、「設問(1)の比重は小さめでいいね。」と判断できるのでした。

4.そうすると、設問(2)が主戦場になる。そして、「協力義務の限界」の判断基準については、強制加入団体であるか否かが重要な視点だったのでした。

国労広島地本事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 このように労働組合の活動の範囲が広く、かつ弾力的であるとしても、そのことから、労働組合がその目的の範囲内においてするすべての活動につき当然かつ一様に組合員に対して統制力を及ぼし、組合員の協力を強制することができるものと速断することはできない。労働組合の活動が組合員の一般的要請にこたえて拡大されるものであり、組合員としてもある程度まではこれを予想して組合に加入するのであるから、組合からの脱退の自由が確保されている限り、たとえ個々の場合に組合の決定した活動に反対の組合員であつても、原則的にはこれに対する協力義務を免れないというべきである、労働組合の活動が前記のように多様化するにつれて、組合による統制の範囲も拡大し、組合員が一個の市民又は人間として有する自由や権利と矛盾衝突する場合が増大し、しかも今日の社会的条件のもとでは、組合に加入していることが労働者にとつて重要な利益で、組合脱退の自由も事実上大きな制約を受けていることを考えると、労働組合の活動として許されたものであるというだけで、そのことから直ちにこれに対する組合員の協力義務を無条件で肯定することは、相当でないというべきである。それゆえ、この点に関して格別の立法上の規制が加えられていない場合でも、問題とされている具体的な組合活動の内容・性質、これについて組合員に求められる協力の内容・程度・態様等を比較考量し、多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和という観点から、組合の統制力とその反面としての組合員の協力義務の範囲に合理的な限定を加えることが必要である

(引用終わり)

南九州税理士会事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 税理士会が……(略)……強制加入の団体であり、その会員である税理士に実質的には脱退の自由が保障されていないことからすると、その目的の範囲を判断するに当たっては、会員の思想・信条の自由との関係で、次のような考慮が必要である
 税理士会は、法人として、法及び会則所定の方式による多数決原理により決定された団体の意思に基づいて活動し、その構成員である会員は、これに従い協力する義務を負い、その1つとして会則に従って税理士会の経済的基礎を成す会費を納入する義務を負うしかし、法が税理士会を強制加入の法人としている以上、その構成員である会員には、様々の思想・信条及び主義・主張を有する者が存在することが当然に予定されている。したがって、税理士会が右の方式により決定した意思に基づいてする活動にも、そのために会員に要請される協力義務にも、おのずから限界がある

(引用終わり)

群馬司法書士会事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 被上告人は、本件拠出金の調達方法についても、それが公序良俗に反するなど会員の協力義務を否定すべき特段の事情がある場合を除き、多数決原理に基づき自ら決定することができるものというべきである。これを本件についてみると、被上告人がいわゆる強制加入団体であること(同法19条)を考慮しても、本件負担金の徴収は、会員の政治的又は宗教的立場や思想信条の自由を害するものではなく、また、本件負担金の額も、登記申請事件1件につき、その平均報酬約2万1000円の0.2%強に当たる50円であり、これを3年間の範囲で徴収するというものであって、会員に社会通念上過大な負担を課するものではないのであるから、本件負担金の徴収について、公序良俗に反するなど会員の協力義務を否定すべき特段の事情があるとは認められない。したがって、本件決議の効力は被上告人の会員である上告人らに対して及ぶものというべきである。

(引用終わり)

 国労広島地本事件における労働組合のように、法的には加入・脱退が自由であっても、事実上強制加入と評価できる場合は、強制加入団体に準じて扱われる。また、南九州税理士会事件判例は「目的の範囲」の文脈で強制加入団体であることを考慮していますが、同判例が、「協力義務にも、おのずから限界がある」と判示することからも分かるとおり、「目的の範囲」と「協力義務の限界」の2段階で考える場合には、後者の要素をいう趣旨として理解できるのでした(※6)。ここで、町内会の性質、とりわけ、加入率100%だとか、日常生活に不可欠な活動を行っている等の事情を使うんだな、ということが分かるでしょう。
 ※6 当サイトの『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』もこの立場です(「強制加入団体の意義」、「事実上の強制加入団体」、「強制加入団体における構成員の協力義務を否定すべき特段の事情の判断基準の理由」の各項目を参照)。

5.最後に、本問では構成員の信教の自由との衝突が問題になるわけですが、これは、国労広島地本事件や南九州税理士会事件で思想・良心の自由の文脈で判示されていたこと(※7)が補助線となります。
 ※7 当サイトの『司法試験定義趣旨論証集(憲法)』でも、これを論証化していました(「強制加入団体における構成員の協力義務を否定すべき特段の事情の判断基準」、「政治的立場を害する場合」、「団体の政治活動に対する費用負担にとどまる協力義務の評価」の各項目を参照)。

国労広島地本事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 いわゆる安保反対闘争のような活動は、究極的にはなんらかの意味において労働者の生活利益の維持向上と無縁ではないとしても、直接的には国の安全や外交等の国民的関心事に関する政策上の問題を対象とする活動であり、このような政治的要求に賛成するか反対するかは、本来、各人が国民の一人としての立場において自己の個人的かつ自主的な思想、見解、判断等に基づいて決定すべきことであるから、それについて組合の多数決をもつて組合員を拘束し、その協力を強制することを認めるべきではない。もつとも、この種の活動に対する費用負担の限度における協力義務については、これによつて強制されるのは一定額の金銭の出捐だけであつて、問題の政治的活動に関してはこれに反対する自由を拘束されるわけではないが、たとえそうであるとしても、一定の政治的活動の費用としてその支出目的との個別的関連性が明白に特定されている資金についてその拠出を強制することは、かかる活動に対する積極的協力の強制にほかならず、また、右活動にあらわされる一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しいものというべきであつて、やはり許されないとしなければならない。

 (中略)

 政党や選挙による議員の活動は、各種の政治的課題の解決のために労働者の生活利益とは関係のない広範な領域にも及ぶものであるから、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかは、投票の自由と表裏をなすものとして、組合員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断ないしは感情等に基づいて自主的に決定すべき事柄である。したがつて、労働組合が組織として支持政党又はいわゆる統一候補を決定し、その選挙運動を推進すること自体は自由であるが(当裁判所昭和38年(あ)第974号同43年12月4日大法廷判決・刑集22巻13号1425頁(※注:三井美唄労組事件判例を指す。)参照)、組合員に対してこれへの協力を強制することは許されないというべきであり、その費用の負担についても同様に解すべきことは、既に述べたところから明らかである。

(引用終わり)

南九州税理士会事件判例より引用。太字強調及び※注は筆者。)

 政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、会員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり(規正法3条等)、これらの団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである。

(引用終わり)

 これを知っていれば、「これを信教の自由にスライドさせればいいよね。」と気付くことができたはずでした。簡単に答案化するなら、当サイト作成の参考答案(その1)のような感じになるでしょう。

(参考答案(その1)より引用。太字強調は筆者。)

 構成員が市民としての個人的な政治的思想等に基づいて自主的に決定すべき事柄(国労広島地本事件、南九州税理士会事件各判例参照)について協力義務を課すことは、構成員の政治的立場を害する。同様に、構成員が市民としての個人的な宗教観等に基づいて自主的に決定すべき事柄について協力義務を課すことは、構成員の宗教的立場を害する

 (中略)

 以上から、祭事挙行費を負担するかは、会員が市民としての個人的な宗教観等に基づいて自主的に決定すべき事柄であり、これに協力義務を課すことは、会員の宗教的立場を害する。したがって、上記特段の事情がある。会員の協力義務は否定される。

(引用終わり)

 出捐との関連性や判例の射程が及ぶ理由まで書き切れるならば、以下のようにすればよい。

参考答案(その2)より引用。太字強調は筆者。)

 国労広島地本事件判例は、選挙における投票の自由と表裏をなし、構成員が市民としての個人的な政治的思想等に基づいて自主的に決定すべき事柄について協力義務を課すことは、構成員の政治的立場を害するとし、強制は金銭の出捐だけで、反対の意見表明をする自由が奪われるわけではないが、一定の政治活動との個別的関連性が明白に特定された資金の拠出を強制することは、その活動に対する積極的協力の強制にほかならず、その活動に表れる一定の政治的立場への支持を強制するに等しいとする。南九州税理士会事件判例も直接には目的の範囲における判示であるが同旨と思われる。
 上記各判例は、構成員の思想・良心の自由(19条)との関係を考慮したものであるところ、信仰は、思想・良心の宗教的側面であるから、構成員の信教の自由(20条1項前段)との関係を考慮すべき場面でも当てはまる。特定の宗教行為に参加するかは、宗教行為等への参加を強制されない自由(20条2項)と表裏をなし、構成員が市民としての個人的な宗教観等に基づいて自主的に決定すべき事柄である特定の宗教行為との個別的関連性が明白に特定された資金の拠出を強制することは、その宗教行為への参加を強制するに等しい。このことは、玉串料・香典等の出捐が儀式への参加の意味を持ちうることからも明らかである。
 したがって、特定の宗教行為との個別的関連性が明白に特定された資金の拠出を強制することは、構成員の宗教的立場を害するといえる。

(引用終わり)

 とはいえ、普通の筆力の人は、こんなもん書いてられないと思います。

6.後は、祭事の宗教性を中心に、時間の許す限りで当てはめを大魔神すればよい。もっとも、本問の場合、「私人間効なんて出るわけねーじゃん。」と油断して、上記の事前準備をきちんとやっていなかった人が上位陣でも多そうで、「何をどの程度書くか。」の段階でほとんどの人が脱落してしまうでしょう(※8)。なので、上記の基本的な判断枠組みや考慮の視点が示されていれば、それほど大魔神でなくても余裕で上位になるでしょう。
 ※8 当サイトは、「私人間効が出るとすれば予備試験」という趣旨の投稿を事前にしていました。中間審査基準を使わせない傾向からは、危ないと感じていたものの、司法試験では出しにくいと思っていたからです。

7.以上のように、本問は、判例を踏まえた事前準備があれば、そんなに難しくはありません。ところが、受験生の多くは、いまだに、「判例無視で人権の重要性と規制態様の強度をテキトーに羅列して、とりあえず中間審査基準」という、それだけしか論文対策をしていないので、全く対応できない。現在のところ、多数の受験生がその状態なので、まだ助かるのですが、それもそろそろ通用しなくなるんじゃないの、ということを、当サイトは言い続けています。ただ、「憲法なんて意地でも勉強しないぞ!」、「おお、その意気だ!俺も勉強しない。」という受験生の団結力が当サイトの想像以上に強く、すぐには劇的な変化は生じそうにありません。

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