二重の意味の不作為幇助

1.平成26年司法試験刑事系第1問の丙の罪責。甲と丙を簡単に不作為の単独正犯(同時犯)とすることは、法益支配の排他性との関係で問題があることは、前回の記事(「排他的支配概念の弱点が問われた」)で説明しました。そうすると、丙について従犯を考えることになります。

2.その場合、2つの論点を処理する必要があります。丙は、「不作為犯を」「不作為によって」幇助しているからです。
 1つは、不作為犯を幇助する場合に、正犯である不作為犯の成立に必要な作為義務がなくても、幇助は成立し得るのか。これは、作為義務者の地位は真正身分であるとして、65条1項の適用によって解決するのが普通です。

3.もう一つは、正犯の犯行を阻止しないという不作為によって幇助を行っている場合に、幇助特有の作為義務を要するかという論点です。通常の幇助は、正犯の犯行を容易にする、いわば、「犯行実現にプラスの行為」をするわけですが、今回の丙は、授乳等をせよと言うことによって、甲の犯行を挫折させる行為をしない、いわば、「犯行実現にマイナスの行為をしない」ことによって、甲を幇助していると考えるわけです(※1)。このような不作為による幇助については、正犯の作為義務とは区別された、正犯の犯行を阻止する作為義務としての幇助の作為義務を要求すべきではないか。このことが、問題になるわけです。

※1 もっとも、正犯の犯行を黙認することによる心理的幇助の場合には、この区別は難しい場合があります。黙って傍に立っていることによって、正犯が奮い立たされたのであれば、「犯行実現にプラスの行為」=作為の幇助です。例えば、正犯者が被害者を殺害しようとするとき、体格の良い幇助者が傍らに立っていて、いつでも加勢してくれるという雰囲気であったとすれば、これに当たるでしょう。近時の実例としては、最決平25・4・15があります。同決定のポイントは、「了解とこれに続く黙認という行為が・・・運転の意思をより強固なものにすることにより・・・危険運転致死傷罪を容易にした」という部分で、これは作為による幇助という認定です。犯行を知って黙認してくれているという態度が、正犯の犯行を強固にしたということです。他方、幇助者が傍にいることによって正犯が奮い立たされたりするわけではないが、幇助者の言動によって容易に正犯を翻意させることができたのに、そのような言動をしないというような場合は、「犯行実現にマイナスの行為をしない」=不作為の幇助となるのです。本問では、甲は、丙が自己の犯行に気付いていないという認識ですから、「丙が犯行を知って黙認してくれていると感じて甲の犯意が強固になった」という認定はできません。従って、後者の場合、すなわち不作為の幇助と考えることになります。

 学説上は、正犯の作為義務と幇助の作為義務を区別することに否定的な見解の方が有力です。法益を保護すべき地位の内容が、正犯の場合と幇助の場合で異なるのはおかしい、というのです。不作為による幇助が問題になる場合には、排他性の要求を緩和した上で、不作為正犯の同時犯とすればよい、と考えるわけですね。このような立場からは、不作為による幇助が成立し得るのは、構成要件上正犯となり得ないような限られた場合だけになります。例えば、宝石店の警備員が、窃盗犯が侵入して宝石を盗んでいるのを、(意思の連絡なく)見て見ぬふりをするような場合です。この場合、警備員は不法領得の意思を欠くから、正犯とはなり得ず、幇助にとどまることになるのです。
 もっとも、判例・裁判例では、幇助の作為義務を肯定する方が一般的です(大判昭3・3・9、東京高判平11・1・29、札幌高判平12・3・16、名古屋高判平17・11・7など)。法益保護義務(正犯の作為義務)と犯行阻止義務(幇助の作為義務)を区別して用いています(※2)。当サイトの参考答案は、この立場に立っています。

※2 犯行阻止義務は、加害者との関係で生じる場合と、被害者との関係から生じる場合があります。例えば、子供の万引きを阻止する親の義務は前者。子供が第三者から暴行を受けている場合に、第三者の暴行を阻止する義務は後者です。本問では、両方が問題になり得ます。ただ、どちらであるかは結論に直結するわけではありませんから、答案で論じる必要はないでしょう。

4.以上のようなことは、答案で詳しく論じる必要はありません。通常の論点処理と同様、簡潔に問題の所在と規範を示して、事案に即して当てはめれば足ります。司法試験定義趣旨論証集(刑法総論)では、「不真正不作為犯の作為義務者に非作為義務者が加功した場合」、「不作為による幇助の成否」の論点名で収録していました。しかし、そもそも、この点を論点として認識できていなかった人の方が多かったようです。今年は、民事系が難しく、刑事系は簡単だった、という印象を持った人が多かったようですが、刑事の出来は決してよくありません。

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