【答案のコンセプトについて】
1.当サイトでは、平成27年から令和元年まで、規範の明示と事実の摘示に特化した参考答案を掲載してきました(「令和元年司法試験論文式公法系第1問参考答案」参照)。それは、限られた時間内に効率よく配点の高い事項を書き切るための、1つの方法論を示すものとして、一定の効果をあげてきたと感じています。現在では、規範の明示と事実の摘示を重視した論述のイメージは、広く受験生に共有されるようになってきているといえるでしょう。
その一方で、弊害も徐々に感じられるようになってきました。規範の明示と事実の摘示に特化することは、極端な例を示すことで、論述の具体的なイメージを掴みやすくすることには有益ですが、実戦的でない面を含んでいます。
また、当サイトが規範の明示と事実の摘示の重要性を強調していた趣旨は、多くの受験生が、理由付けや事実の評価を過度に評価して書こうとすることにありました。時間が足りないのに無理をして理由付けや事実の評価を書こうとすることにより、肝心の規範と事実を書き切れなくなり、不合格となることは避けるべきだ、ということです。その背景には、事務処理が極めて重視される論文の出題傾向がありました。このことは、逆にいえば、事務処理の量が少なめの問題が出題され、時間に余裕ができた場合には、理由付けや事実の評価を付すことも当然に必要となる、ということを意味しています。しかし、規範の明示と事実の摘示に特化した参考答案ばかり掲載することによって、いかなる場合にも一切理由付けや事実の評価をしてはいけないかのような誤解を招きかねない、という面もあったように感じます。
上記の弊害は、司法試験の検証結果に基づいて、意識的に事務処理の比重を下げようとする近時の方向性(「検証担当考査委員による令和元年司法試験の検証結果について」)を踏まえたとき、今後、より顕著となってくるであろうと予測されます。
以上のことから、平成27年から令和元年までに掲載してきたスタイルの参考答案は、既にその役割を終えたと評価し得る時期に来ていると考えました。そこで、令和2年からは、必ずしも規範の明示と事実の摘示に特化しない参考答案を掲載することとしています。
2.刑訴法は、論点がわかりやすい反面、事例分析の難易度が高い問題でした。論点が複雑でないという点では、意識的に事務処理の比重を下げようとする近時の方向性に合致する内容といえますが、その一方で、事例から意味のある事実を抽出して、整理することは難しくなっているため、予備校答練のような多論点型問題に慣れていると、対応することが難しいかもしれません。
設問1は、まず、おとり捜査の定義を書いて当てはめる必要がないというのがちょっとしたポイントです。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 〔設問1〕 【事例1】記載のおとり捜査の適法性について、具体的事実を摘示しつつ論じなさい。 (引用終わり) |
設問で、わざわざ「おとり捜査」と断言されているわけですから、おとり捜査であるか否かを検討する必要がないことは明らかです。書いても単純に余事記載と扱われるだけでしょうが、貴重な時間をロスすることになります。このような場合、問題文を読んで気付いた時点で、忘れないように印を付ける等して、うっかりしないようにしておくべきでしょう。その時はわかっていたつもりでも、答案構成段階でうっかり忘れてしまったり、構成段階でわかっていても、答案を書く段階で、いつものクセで書いてしまいがちです。ちょっとしたことだと思うかもしれませんが、現場の作業工程としては重要なことです。
おとり捜査が出題された場合、理論と事例処理のどちらがメインか、見分ける必要があります。仮に、理論面が問われていそうなら、おとり捜査が違法となり得る根拠について、対象者の人格的利益を重視するか、捜査の公正を重視するか、惹起される犯罪の保護法益を重視するか、自説を示しつつ、要件を導出すべきことになるでしょう。他方で、事例処理がメインであれば、大阪大麻所持おとり捜査事件判例を端的に示して、当てはめに入ればいい。本問が後者の場合であることは、過去問を検討していれば判断できたでしょう。当てはめで考慮すべき要素がとても多く、令和2年のような理論を問う趣旨の設問もないからです。
(令和2年司法試験論文式試験刑事系第2問問題文より引用。太字強調は筆者。) 〔設問2〕 1.自白に対する,自白法則及び違法収集証拠排除法則の適用の在り方について論じなさい。 2.1で論じた自己の見解に基づき,下線部①の取調べで得られた甲の自白の証拠能力について,具体的事実を摘示しつつ論じなさい。 (引用終わり) |
同じくおとり捜査が問われていても、当てはめ要素が少なかった平成22年司法試験や、同24年予備試験とは、この点が違います。ちなみに、大阪大麻所持おとり捜査事件判例の規範については、「『少なくとも』って書いてあるから規範として意味ないですよ!答案で絶対に使わないで下さいね!」等の説明がされることがあるようですが、適切ではありません。
(大阪大麻所持おとり捜査事件判例より引用。太字強調は筆者。) 少なくとも,直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において,通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に,機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象におとり捜査を行うことは,刑訴法197条1項に基づく任意捜査として許容されるものと解すべきである。 (引用終わり) |
判例が、「少なくともこれこれの場合はオッケーだよ。」と明言しているのだから、その場合に当たるかを検討することが無意味なわけがない(※)。この「少なくとも」は、直接の被害者がいる犯罪類型(特殊詐欺における騙されたフリ作戦等)が出題されたような変化球に対応する場合に、以下のような感じで使うべきものです。
※ 「少なくとも」の文言の有無にかかわらず、ほとんどの判例は、その事件の解決を念頭に規範を定立しているので、「いつも必ずこの規範だけを使う。」とか、「この規範に当たらない場合は一切の例外なく絶対ダメ」という趣旨ではなく、「少なくとも本件では」という趣旨であることが普通です。だからこそ、「判例の射程」という問題が生じるのです。このことは、学説も同様で、「おとり捜査によって捜査対象者の人格的利益の侵害は生じない。」とする説も、あらゆる場合にそのような説明をするつもりではなく、例えば、捜査対象者の恋愛感情を利用し、犯罪に陥れて逮捕するような事例では、人格的利益の侵害を認めるでしょう。その意味で、「少なくとも典型的なおとり捜査とされる事例においては」という黙示の留保が付いているのです。このことは、少しひねりの入った問題が出題されたときに、覚えた論証をそのまま貼り付けてよいか、を判断するための1つの留意点でもあります。
【論述例】 直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に、機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象におとり捜査を行うことは、197条1項に基づく任意捜査として許容される(大阪大麻所持おとり捜査事件判例参照)。 被疑事実は詐欺罪で、直接の被害者がいる犯罪類型である。もっとも、上記判例が直接の被害者がいない犯罪を対象とした趣旨は、おとり捜査で惹起される犯罪によって直接の被害者に法益侵害が生じるときは、原則として捜査の必要性との均衡を欠くという点にある。したがって、捜査官が常時追跡し、被害者が財物を交付する前に検挙する等、直接の被害者に法益侵害が生じない状況が担保されるときは、おとり捜査を許容する余地がある。同判例が「少なくとも」としたのは、その趣旨である。 |
もちろん、理論メインで問われた場合に判例の規範を書くだけではまずいでしょうが、本問は事例処理がメインで、かつ、上記判例の規範が当てはまる事案なのですから、理由付けを示して自説を書くよりも、端的に判例の規範を示して当てはめを充実させた方が得点効率が良いでしょう。後は当てはめ大魔神なのですが、甲が渋った理由、サンプル入手段階での捜査状況、好条件提示との関係等の諸要素について、きちんと方向性を示しつつ整理して事実を摘示できるかで、差が付くでしょう。本問は論点がシンプルなので、事実の評価までやっておきたいところですが、そこまではできなくても、それぞれの事実が肯定・否定のどちらの方向を向いているかは、「確かに」、「しかし」を使えば最低限示すことができるはずです。おとり捜査に関しては、抽象論を長く書きたがる人が多いのですが、本問のように事例処理がメインになっている場合には、「抽象論が丁寧で当てはめがスカスカ」は典型的な不合格答案です。他方で、「抽象論がスカスカで当てはめが丁寧」は良好レベルの合格答案です。このことは、刑訴で特に顕著な傾向(「令和3年司法試験の結果について(5)」)ですから、留意すべきでしょう。
設問2小問1は、訴因変更の要否が問われていることは明らかです。ただ、設問の問い方が若干紛らわしい。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 〔設問2〕 1 裁判所が、前記の心証に至った理由を説示した上で、【資料1】の公訴事実に対して【資料2】の罪となるべき事実を認定し、判決をすることが許されるかについて論じなさい。 (引用終わり) |
上記の「説示した上で」を、「裁判所が前記の心証に至った理由を解答した上で」という趣旨に読んで、これを答案で説明した人が一定数いたでしょう。「裁判所が」の後に読点が打ってあることや、「説示」の文言に違和感を覚えつつも、万が一問われていたら怖いから書いた、という人もいたかもしれませんが、これは小問2と比較すれば、容易に解答不要と判断できたはずです。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) この場合、裁判所が、前記の心証に従い、事実認定の理由として、共謀が成立したのは同月2日である旨説示した上で、【資料3】のとおりの事実を罪となるべき事実として認定し、判決をすることが許されるかについて論じなさい。 (引用終わり) |
上記の「説示した上で」は、「裁判所が、前記の心証に従い、事実認定の理由として、共謀が成立したのは同月2日である旨を解答した上で」という趣旨に読めないことが明らかです。同じような表現を用いていて、一方だけ解答を求めるということはあり得ない。ですから、小問1も、「裁判所が前記の心証に至った理由を解答した上で」と読んではいけないのです。もっとも、答案に「乙が室内に灯油を散布し、その灯油に何らかの方法により着火させたことは認定できる理由」を書いてしまっても、意外と評価を落とさないかもしれません。それはなぜかというと、本問では、次に説明するとおり、それが訴因変更の要否に関する重要な考慮要素となっているからです。本問も判例の規範を示して当てはめ大魔神するだけなのですが、その内容は事実認定の要素を含んでおり、結構難易度が高いです。明快に整理できなくても、事実認定の要素を何とか答案上に示すことができれば、評価されるでしょう。すなわち、事実認定部分に配点があるということになる。問題の読み方を誤って、答案で「裁判所が前記の心証に至った理由」を説明した人は、必然的に、この事実認定の要素が入ってくるので、意外とその配点を取ってしまうかもしれません。なので、発表後の上位再現答案の解説等で、「上位答案は「裁判所が前記の心証に至った理由」を書いているので、この点が問われていたはずだ。」等と言われることになるかもしれませんが、それは適切な説明ではありません。なお、本問は点火スイッチ事件判例を素材とした事例で、知っていれば一応は手掛かりにはなりますが、この判例自体、なかなか理解が難しいので、現場でこの判例を想起しても、あまり参考にならなかったでしょう。現場で自分なりに考えて、不意打ちになるとすればどうしてなのか、それでもなお不意打ちにならないと評価できるのはどうしてなのか。方向性を示しつつ、最低でも事実だけは摘示して書く。単に、「証言の内容で他の着火方法があるのはわかるし、裁判所も追加の主張・立証がないか確認してるからオッケーじゃん。」という感じの雑な答案が結構出てきそうなので、それなりに差が付きそうです。
小問2は、平成29年予備試験の設問2とほぼ同じです。論点の中身については、以前の記事(「平成29年予備試験論文式刑訴法参考答案」)で詳細に説明しました。予備試験より時間・紙幅に余裕があるので、事実の摘示だけでなく、できれば評価も頑張りたいところです。予備試験合格組であれば、平成29年の過去問は解いているはずなので、なおさら評価まで書けたでしょう。刑訴に限らず、予備試験と司法試験は出題論点が重なることがそれなりにあるので、司法試験受験生も、予備試験の問題は解いておくべきです。
参考答案中の太字強調部分は、「司法試験定義趣旨論証集刑訴法」、「司法試験平成29年最新判例ノート」の付録論証例集に準拠した部分です。
【参考答案】 第1.設問1 1.強制処分(刑訴法197条1項ただし書)とは、個人の意思を制圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害するものをいう(GPS捜査事件判例参照)。 (1)合理的に推認される個人の意思に反して秘かに行われる場合には、個人の意思を制圧するものといえる(GPS捜査事件判例参照)。 おとり捜査の対象とされることに甲が承諾することはおよそ考えられないから、合理的に推認される甲の意思に反して秘かに行われており、個人の意思を制圧する。 (2)もっとも、甲はあくまで自己の意思で行動しており、憲法の保障する重要な法的利益を侵害するとはいえない。 (3)以上から、強制処分には当たらない。 2.直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に、機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象におとり捜査を行うことは、197条1項に基づく任意捜査として許容される(大阪大麻所持おとり捜査事件判例参照)。 (1)大麻密売に係る大麻取締法違反は、直接の被害者がいない薬物犯罪等といえる。 (2)ア.一般に、薬物犯罪は密行性がある。加えて、甲は氏名不詳で契約名義の異なる携帯電話を順次使用し、身元・所在地は関係者の供述からも不明で逮捕困難であった。甲がAにかけてきた電話番号の契約名義人は実在しなかった。令和3年11月20日以前において、通常の捜査方法のみでは摘発が困難であった。 イ.確かに、同日、Aの架電で甲が今でも大麻を密売していることを確認でき、同月23日に宿泊施設で会った時に、甲は乾燥大麻100gを現に所持し、逮捕の機会があった。甲からは「10キロ程度なら扱うこともある。」との話が出ており、甲は多量大麻を扱うことを認めた。同日以降は、甲を逮捕して取り調べる等の通常の捜査方法でも摘発困難でなかったとみえる。 しかし、同日に甲が所持したサンプルが現実に大麻であるかは、後で確認して判明するから、それが偽物であれば、大麻所持を立証できない。Pが甲と別れた後、I警察署の司法警察員らは甲を尾行したが、途中で見失ったから、大麻が本物とわかってから逮捕することはできなかった。「10キロ程度なら扱うこともある。」発言が録音等された事実がなく、甲を逮捕して取り調べても、黙秘され、100gという少量の大麻取引しか明らかにできないおそれがある。甲の大掛かりな大麻密売を明らかにするには、現実に多量の大麻を持参させることが必要であった。 以上から、同月23日以降も、通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難であった。 (3)ア.確かに、甲は、「気が進まない。」、「明日の取引は取りやめたい。」と述べ、Pが「1.5倍の代金を払う。」旨述べても、渋る態度を示した。 しかし、甲は、「Aの紹介でもあるし、サンプルの件は分かった。」、「10キロ程度なら扱うこともある。」と述べ、機会があれば大麻密売を行う意思を一貫して示した。甲は、「安全に取引できる場所があるのか不安なので」、「危険を感じたら行かない。」、「密売人の摘発が続いているようで、嫌な予感がする。」と述べ、取引を渋った理由は、摘発を恐れただけと評価でき、十分安全な機会が提供されれば密売を行う一貫した意思があったといえる。 イ.機会提供であっても、働きかけが相当な範囲を逸脱したときは、犯意誘発と同視される。 確かに、Pは、甲が渋ると、「1.5倍の代金を払う。」、「同じ単価で10キロをまとめて買ってもよい。」と述べ、代金1.5倍で当初の倍の量をまとめて買うという好条件を提示した。犯意が強固でなかった甲を好条件提示により犯罪に陥れる過剰な働きかけとみえる。 しかし、甲はあくまで摘発のリスクを考慮して渋ったのであり、取引に応じたのは、Pは古くからX組と交遊し、取引もある信用できる人物であるとAから聞いたことも踏まえ、摘発のリスクを考慮しても利益が上回ると判断したからで、犯意が強固でなかった甲を犯罪に陥れたとは評価できない。働きかけが相当な範囲を逸脱したとはいえない。 ウ.以上から、機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象とした。 3.よって、事例1のおとり捜査は適法である。 第2.設問2 1.小問1 (1)資料1の訴因(256条3項)と資料2の犯罪事実(335条1項)では着火方法が異なる。訴因変更(312条1項)を要するか(378条3号参照)。 (2)現行刑訴法は当事者主義を採用したと考えられる(256条3項、312条1項)から、審判対象は、検察官の主張する具体的な犯罪事実、すなわち、訴因である。 ア.訴因の特定に必要な事項に変動が生じた場合には、審判対象の確定の見地から、訴因変更を要する(青森保険金目的放火・殺人事件判例参照)。訴因の特定に必要かは、他の犯罪事実との区別が可能か、起訴に係る罪の構成要件に該当するかどうかを判定できるかで判断する(包括一罪となる傷害罪の訴因に関する判例参照)。 非現住建造物放火の実行行為は、放火である(刑法109条1項)。その方法は問わない。着火方法の特定がなくても、日時、場所、放火の客体等によって他の犯罪事実との区別が可能であり、同罪の構成要件に該当するかを判定できる。 したがって、着火方法は訴因の特定に必要な事項でない。 イ.一般的に被告人の防御にとって重要な事項に変動が生じた場合には、被告人の防御の具体的な状況等の審理の経過に照らし、被告人に不意打ちを与えるものではないと認められ、かつ、判決で認定される事実が訴因に記載された事実と比べて被告人にとってより不利益であるとはいえないときを除き、訴因変更を要する(青森保険金目的放火・殺人事件判例参照)。 (ア)着火方法は非現住建造物放火の実行行為の内容をなし、一般的には被告人の防御にとって重要な事項である。 (イ)確かに、乙・弁護人は、「石油ストーブを見ると、傍らの乾燥大麻が燃えていた。」と失火を主張し、着火態様は故意の有無を左右する争点とみえる。火災科学の専門家の証人尋問で、石油ストーブを倒す方法は、「矛盾はない。」とされるにとどまり、他の着火可能性について、「例えば、可燃物に火をつけて散布された灯油に着火させることも可能と考えられる。」とされた。石油ストーブを倒す方法で着火したことに合理的な疑いを生じさせる証言であるから、検察官としては、裁判所から追加の主張、立証の予定があるかを確認された際に、他の着火方法の予備的主張を追加等すべきであったとみる余地がある。弁護人も追加の主張、立証の予定はないと回答したが、これは、上記訴訟経過から、資料1の訴因では着火方法の立証ができないとして、追加の主張・立証を要しないと判断したためとも考えられ、仮に、検察官が資料2の事実に訴因変更をしたとすれば、弁護人の主張・立証活動に変化が生じた可能性がある。 しかし、故意に着火したかを左右する重要な間接事実は、着火方法でなく、人為的に灯油がまかれたか否かである。日常生活において灯油を人為的に部屋にまくことは考えられず、人為的に灯油がまかれた事実は、故意に着火したことを強く推認させるからである。乙・弁護人は、「灯油をまいてもいない。」と主張し、この点を具体的に争った。証人尋問において、検察官・弁護人の尋問を通じて、「焼け残った床面の広い範囲から灯油が検出されたことからすると、人為的に灯油がまかれたと考えるのが自然である。」と証言された。 以上の審理経過から、乙・弁護人は、人為的に灯油がまかれたかについて、尋問等の具体的防御の機会があった。弁護人が追加の主張・立証等の予定がないと回答したのは、人為的に灯油がまかれたとの認定を前提とする限り、予備的に着火方法を争ったとしても故意の放火を否定しがたいからと考えられる。したがって、着火方法について異なる認定をしても、被告人に不意打ちを与えない。 また、点火したストーブを倒す方法か、それ以外の方法かで、犯情は異ならないから、資料1が資料2と比べて被告人にとってより不利益であるとはいえない。 ウ.以上から、訴因変更を要しない。 (3)よって、資料1に対して資料2を認定し、判決をすることが許される。 2.小問2 (1)検察官の釈明内容は当然に訴因を構成しないが、当初訴因が不特定で、その補正の趣旨で釈明されたときは、その内容は訴因を構成する。 ア.資料3の訴因に共謀の成立日、場所の記載はなく、釈明は、これらを令和3年11月1日、本件家屋内とする。 同訴因で、令和3年11月26日午後2時頃、H県I市〇町△丁目×番地所在の木造スレート葺2階建て、床面積合計約98.6平方メートルの家屋を全焼させたと記載されているから、共謀の成立日、場所がどのようなものであれ、上記記載で特定された非現住建造物放火以外の罪に係る共謀を指す余地はない。したがって、他の犯罪事実との区別が可能である。 また、同訴因は、「共謀の上…現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいないBが所有する家屋…に…火を放ち…よって…同家屋を全焼させて焼損した」とされ、非現住建造物放火に係る共同正犯の構成要件に該当するかを判定できる。 イ.以上から、共謀の成立日、場所は訴因の特定に不要である(練馬事件判例参照)。資料3の訴因に不特定はなく、上記釈明は不特定訴因補正の趣旨でないから、訴因を構成しない。 (2)訴因に含まれない事実であっても、一般的に被告人の防御にとって重要な事項について、当事者の前提とする事実と異なる事実を認定する場合には、被告人の防御の具体的な状況等の審理の経過に照らし、被告人に不意打ちを与えるものではないと認められ、かつ、判決で認定される事実が当事者の前提とする事実と比べて被告人にとってより不利益であるとはいえないときを除き、裁判所は、求釈明(規則208条1項)等によって争点を顕在化させる措置をとることを要する(よど号ハイジャック事件判例及び訴因変更に関する青森保険金目的放火・殺人事件判例参照)。 共謀の成立日、場所は、一般的に被告人の防御にとって重要な事項である。検察官は冒頭陳述で、令和3年11月1日、共謀が成立した場所を本件家屋内と釈明した。これに対し、弁護人は、「検察官が乙との共謀が成立したと主張する日は、甲は、一日中、K県L市内にある自宅にいて、本件家屋には行っていない。」旨述べてアリバイを主張した。証人尋問において、乙は、「同月1日、甲から放火の指示を受けた。」と証言し、これに対し、弁護人は、その証言の信用性を弾劾する反対尋問をした。裁判所も、アリバイの主張を念頭に、その日の甲及び乙の行動について補充尋問をした。甲は、被告人質問においても同日のアリバイを述べ、検察官・裁判所も、同日中の行動について甲に質問した。以上の審理経過から、裁判所が共謀成立日を同月2日と説示して資料3を認定し、判決することは、同月2日の共謀について何ら防御していない被告人に不意打ちを与える。 したがって、裁判所は、共謀成立日が同月1日ではなく同月2日との心証をえた以上、その旨を検察官・弁護人に示して2日のアリバイの有無等について主張・立証をうながす等の争点顕在化措置をとることを要し、そのまま資料3を認定して判決することはできない。 (3)よって、裁判所は、上記判決をすることは許されない。 以上 |