「効果的で過度でない」の今後

1.ある日、当サイトの会合において、「すんごい基準があるからみんな聞いて。」という議題が提示されました。そこでは、「効果的で過度でない」という9文字だけで、公法系1桁すら可能になる旨の報告がされました(「「効果的で過度でない」基準が過度に効果的だった理由」)。それを聞いた構成員は全員、異口同音に

なんてコスパだ!

と叫んだのでした(この部分はフィクションです。)。

2.しかしながら、当サイトは、この基準はすぐに対策され、早晩通用しなくなるだろう、と予測しました。その理由は、あまりにも効果的であること、そして、目立ち過ぎることにありました。
 「効果的で過度でない」は、そのフレーズが強烈なので、印象に残る。これの使い手はそれなりの数がおり、再現を普通に見ていてもちょくちょく遭遇するくらいですから、考査委員はそれ以上に、「またこれか。」と思うでしょう。前回説明したとおり(「効果的で過度でない」基準が過度に効果的だった理由」)、この基準の利点は、基準を1つしか使わないこととか、「過度」の中身をテキトーに使い分けていることについて、一通の答案からは断定できない、という点にありました。しかし、多数の答案を採点していれば、「この基準を使うやつは、審査基準を使い分ける気がないな。」、「『過度』の中身テキトー過ぎない?」ということに容易に気付きます。それにもかかわらず、普通に採点基準を適用すると、上位になってしまうものがあることにも、採点していれば気付くでしょう。すぐに、「これは放置できない。」と判断されるはずだ。そう考えたのでした。

3.では、どのような対策が採られるか。当然ながら、「効果的で過度でない」基準だけ狙い撃ちで減点する、という扱いは、採点の公平性の観点からすることはできません。採点基準に手を加えるには、相応の大義名分が必要です。当サイトは、当時、既に傾向として表れていた「判例重視」をさらに強化することが、その対策となるだろう、と考えました。判例を引用して審査基準を定立する答案に高い評価を与えれば、「効果的で過度でない」というふざけた基準の評価は相対的に下がります。また、当てはめにおいても、判例を参照しつつ評価する答案に高い評価を与えれば、「効果的で過度でない」の9文字しか覚えていない輩を相対的に引きずり落とすことができる。この対策は、「判例無視で人権の重要性と規制態様の強度をテキトーに羅列して、とりあえず中間審査基準」という「効果的で過度でない」基準と類似の方法論を用いる他の予備校答案もまとめて抹殺できる点でも、優れていると感じられました。「判例重視」の採点は、これまでやってきたことの延長でもあり、「実務と理論の架橋という新たな法曹養成制度の理念からすれば、まず答案に判例を示すことが求められる。」という十分な大義名分を有しています。
 そこで、当サイトでは、予測される傾向変化を先取りしようと考えました。まず、本試験後に掲載する参考答案で判例を積極的に用い、「判例で書く答案」の具体例を示しました。さらに、「この論点を判例で書くにはどうしたらいいの?」という疑問に網羅的に答えるため、判例・政府見解の体系をまとめた論証集(「司法試験定義趣旨論証集(憲法)」)を作成したのでした(ただし、完成まで想像以上の時間が掛かりましたが。)。
 上記の予測は、当初、あまり当たっているように感じませんでした。採点実感で、「判例に触れなさい。」という趣旨のことが繰り返し指摘されるようにはなったものの、採点傾向に劇的な変化はみられなかったからです。いくつかの要因が考えられました。1つは、青柳漏えい事件です(「司法試験出題内容漏えい事案を踏まえた再発防止策及び平成29年以降の司法試験考査委員体制に関する提言」)。法科大学院教員が考査委員から排除される等の混乱があって、大きな傾向変化を打ち出す余裕がなかったのでしょう。もっとも、この要因は、現在では解消されています。もう1つの要因として考えられたのは、一部に根強い判例に対する反感です。憲法は、他の科目と比較しても、判例と学説の乖離が大きい科目です。とりわけ、猿払事件判例や全農林警職法事件判例のように、憲法学者がほぼ全員反対するもの、アレルギー反応とでもいうべき拒否反応を示すようなものについて、これを肯定的に参照させるような問題は作りにくいのではないか、とも感じられました。もっとも、この点については、昨年の予備試験で全農林警職法事件判例を参照させる出題がされており(「令和4年司法試験予備試験論文式試験問題と出題趣旨」)、既に克服されたと感じます。最後の要因、おそらく、これが最も大きい要因だと思いますが、判例を参照して答案を書ける受験生が皆無だった、ということがあります。判例で書く受験生がいないのに、判例に大きな配点を置いてしまえば、平均点が下がり過ぎてしまいます。なので、判例で書く受験生が増えてこなければ、大きな配点は置けない。もっとも、この点も、最近では判例を使った答案がかなり増えており、解消に向かっているといえるでしょう。
 上記の各要因が解消されるにつれて、次第に、出題・採点の傾向に変化がみられるようになってきました。当初は、採点実感で「判例に触れなさい。」という趣旨の指摘がされるだけだったものが、最近では、問題文に「参考とすべき判例に言及すること」と露骨に明示されるようになりました。また、かつては、事実+評価をゴリゴリ書いて8頁、というのが、上位答案の典型でしたが、最近では、判例をうまく使って書いて6頁、という感じのものが、上位になるようになってきています(別の要因によりますが、行政法も従来より少ない文字数で上位になる答案が増加傾向です。)。当サイトの予測が、ようやく当たってきた。今後、この傾向は、さらに強くなっていくでしょう。
 こうして、「効果的で過度でない」基準は、今後、これまでのように効果的ではなくなっていき、やがて、この基準では上位はおろか、合格水準に達することすら難しくなる。「これまで普通に上位を取ることができた方法論が、ある時期から合格レベルにすら達しない扱いにされる。」という例は、これまでにも存在します。かつて、「二重の基準+二分論」の予備校論証は、簡単にA評価を取れる最強の違憲審査基準論でした。現在では、そんなもん見たことない、という受験生もいるでしょうから、例を示しましょう。

(「二重の基準+二分論」の論証例)

 思うに、精神的自由権は民主制の過程で瑕疵の回復が困難であり、その判断に専門性・技術性を要しないから、裁判所にも審査能力がある。そこで、精神的自由権の規制に対しては、厳格な違憲審査基準が妥当する。具体的には、目的がやむにやまれない公共の利益で、他に選び得るより制限的でない手段がないといえない限り違憲と解する(※1)。
 他方、経済的自由権は民主制の過程で瑕疵の回復が可能であり、その判断に専門性・技術性が必要であるから、裁判所の審査能力は乏しい。そのため、経済的自由権の規制に対しては、精神的自由権の規制よりも緩やかな違憲審査基準が妥当する。もっとも、経済的自由権の規制も多種多様であるから、規制目的で区別すべきである。具体的には、消極目的規制については、警察比例の原則が妥当し、裁判所もある程度審査能力を有するから、厳格な合理性の基準、すなわち、目的が重要で、手段が必要最小限度といえれば合憲と解する(※2)。これに対し、積極目的規制については、高度の政策的判断が必要となるため立法府の広範な裁量に委ねざるを得ず、裁判所には原則として審査能力がないから、明白の基準、すなわち、規制が著しく不合理であることが明白な場合に限り、違憲となると解する。また、両者の目的が混在しているときは、規制態様の強度も加味すべきと解する。

 ※1 当時は、LRAの基準は厳格な審査基準だと思われていました。
 ※2 「必要最小限ってLRAの基準と違うの?」という質問に対し、「実質同じだが違憲性の推定が及ばない点が違う。」という当時としては一応正しい回答がされていました。

 

 現在の受験生には信じられないかもしれませんが、かつては、予備校に通う受験生のほとんどが、判で押したように上記の論証を貼り付けていて、旧司法試験のある時期までは、それで普通にA評価が取れたのです。どうしてそんなことになっていたかというと、当時、基本重視の若手優遇策(「令和4年司法試験の結果について(12)」)が採られており、上記の部分は、当時通説とされた芦部説の「基本」に該当するという扱いがされ、大きな配点が置かれていたからです。しかし現在は、こんなもん貼ってるようでは合格水準にすら達しません。古い出題趣旨・採点実感で、「観念的・抽象的な違憲審査基準論」として批判されていたのは、概ね、上記の論証を指しています。これと同じ劇的な変化が、「効果的で過度でない」基準についても、今後生じるでしょう。それは、もうちょっと先かもしれないし、今年かもしれない。今年・来年くらいまではまだ通用するような気もしますが、昨年の出題が結構劇的だったので、もう今年から危ない気もします。穿った見方をすれば、昨年の採点実感は、その注意喚起だったのかもしれない。そんなことも考えると、もはや、この基準を用いるべきではない、という結論に至るのです。これは、「憲法も判例くらいはちゃんと勉強しましょうね。」という普通のことを意味します。憲法科目において、判例は、条文に準じた意味を持ちます。参照すべき判例があるにもかかわらず、それを堂々と無視するというのは、民法でいえば、「なんでも信義則」というに等しい暴挙です。むしろ、これまで通用していたことがおかしい。
 このような扱いが現実に起きた場合、顕著に表れると予測される数字の変化があります。それは、公法系の平均点の下落と、これに伴う最低ライン未満者割合の上昇です(「令和4年司法試験の結果について(9)」)。実は、平成26年に、一時的に、その現象が生じました。この年は、薬事法事件等の判例を無視する答案が厳しい評価を受けたことが、その原因と考えられたのでした。判例に大きな配点が置かれることによって、判例無視の受験生が大きく評価を落とす結果、このような現象が生じるというわけです。なので、この部分は、今後、司法試験の結果が公表された際に注目すべきポイントとなります。

4.SNS等では、「『効果的で過度でない』が採点実感で批判されたので、『実質的関連性』に置き換えるべきだ。」という主張がされているようです。しかし、上記のことを理解すれば、「効果的で過度でない」を「実質的関連性」に置き換えても、何の解決にもなっていないことがわかるでしょう。判例を無視している点で、違いがないからです(※)。むしろ、「実質的関連性」に置き換えることは、かえってマイナスです。説明しましょう。
 ※ このことは、「判例無視で人権の重要性と規制態様の強度をテキトーに羅列して、とりあえず中間審査基準」という「効果的で過度でない」基準と類似の方法論を用いる他の予備校答案にもそのまま妥当します。

 これまで、「効果的で過度でない」基準は、意味不明であるがゆえに、関連性を「効果的」と称して簡単に当てはめて、「過度」の意味をテキトーに使い分けて当てはめれば足りました。しかし、「実質的関連性」は、それなりに固まった内容があります。文字どおり、関連性を「実質的」に検討しなければ、「実質的関連性」の基準で審査したとはいえません。簡単に関連性を肯定する答案は、「実質的関連性という規範と当てはめが論理的にリンクしていない。」と判定されても仕方がないでしょう。

(「令和2年司法試験の採点実感(公法系科目第1問)」より引用。太字強調は筆者。)

 審査基準と現実の手段審査が対応していない答案も相当数見られた。例えば,審査基準として「実質的関連性」を挙げておきながら,現実には立法目的が抽象的に達成されていることで憲法上の問題がないとする答案……(略)……である。

(引用終わり)

 

 これは、今までどおりの当てはめができないことを意味します。
 また、司法試験で出題される法令の全てが、実質的関連性の審査を要するとは限りません。法令の文言それ自体から、関連性が明らかな場合もある。そんな場合にも、関連性を詳細に検討するのは無意味です。現に、判例は、法令の文言から関連性が明らかでない場合に、実質的関連性の審査を発動するのでした。

薬事法事件判例より引用。太字強調は筆者。)

 許可条件に関する基準をみると、薬事法6条……(略)……は、1項1号において薬局の構造設備につき、1号の2において薬局において薬事業務に従事すべき薬剤師の数につき、2号において許可申請者の人的欠格事由につき、それぞれ許可の条件を定め、2項においては、設置場所の配置の適正の観点から許可をしないことができる場合を認め、4項においてその具体的内容の規定を都道府県の条例に譲つている。これらの許可条件に関する基準のうち、同条1項各号に定めるものは、いずれも不良医薬品の供給の防止の目的に直結する事項であり、比較的容易にその必要性と合理性を肯定しうるものである(前掲各最高裁大法廷判決参照)のに対し、2項に定めるものは、このような直接の関連性をもつておらず、本件において上告人が指摘し、その合憲性を争つているのも、専らこの点に関するものである。それ故、以下において適正配置上の観点から不許可の道を開くこととした趣旨、目的を明らかにし、このような許可条件の設定とその目的との関連性、及びこのような目的を達成する手段としての必要性と合理性を検討し、この点に関する立法府の判断がその合理的裁量の範囲を超えないかどうかを判断することとする

 (中略)

 競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。

(引用終わり)

 

 「効果的で過度でない」に換えて、「実質的関連性」を使うということは、「どんな問題が来ても実質的関連性で行くぞ。」ということを意味します。しかし、法令の文言から関連性が明らかな場合にまで「実質的関連性」で行こうとすると、無意味な当てはめをする必要に迫られることになります。これでは、「効果的で過度でない」と同等の効果は期待できません。
 さらに、「実質的関連性」の語は、本来はLRA不存在の意味を含みませんが、学説のほとんどは、芦部教授に毒された結果、これを含めて説明しています(その経緯については、市川正人「厳格な合理性の基準」についての一考察」立命館法学2010年5・6号(333・334号) を参照)。なので、「実質的関連性」の基準で審査するというのであれば、関連性を実質的に検討するだけでなく、常にLRA不存在も検討しなければならない。これは、もはや「過度」をテキトーに使い分けていたあの頃とは全然違う世界です。

5.以上のとおり、今後は、「効果的で過度でない」基準は使うべきではないし、「効果的で過度でない」を「実質的関連性」に置き換えても、何の解決にもなっていないどころか、かえってマイナスの結果となりかねない。これが、当サイトの考え方です。

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