数字でよくわかる関連性(適合性)、
必要性(LRA不存在)、狭義の比例性(相当性)の意味

1.関連性(適合性)、必要性(LRA不存在)、狭義の比例性(相当性)については、「なんとなくわかるけど、なんとなくしかわからん。」という人が多いかもしれません。とりわけ、必要性(LRA不存在)と狭義の比例性(相当性)がごっちゃになる、という人が結構いるようです。今回は、こういうのは数字で考えると理解しやすいよ、という話です。
 ある公益を実現するための規制手段として、ABCDの4つが考えられるとします。以下の表は、それぞれの手段において制限される人権と得られる公益を数値化したものです。

手段
制限される
人権
10 20 30 200
得られる
公益
50 50 100

 合憲的な手段といえるのは、上記のうちのどれなのか。上記の数値を前提に、関連性(適合性)、必要性(LRA不存在)、狭義の比例性(相当性)をクリアするかを考えてみましょう。
 まず、関連性(適合性)とは、規制手段に目的である公益を促進する効果があることをいいます。目的とする公益を促進できないような規制は、やっても無意味なので、そんなもんやっちゃダメなのは当たり前です。上記の表をみると、Aだけは、公益促進効果がないので、関連性がありません。それ以外の手段は、関連性をクリアします。

手段
制限される
人権
10 20 30 200
得られる
公益
50 50 100
関連性
(適合性)

 次に、必要性(LRA不存在)とは、より制限的でない他の選び得る手段がないことをいいます。ここで重要なことは、「他の選び得る手段」は、比較対象となっている規制手段と同等の公益促進効果を有していなければならない、ということです。我が国の最高裁が正面からLRAの検討をしないことから、学者もあまり意識がなく、日本の文献だけだとわかりにくいのですが、必要性(LRA不存在)を普通に検討するドイツの憲法裁では、当然のこととされています(近時の憲法裁決定の例として、岡田俊幸 「コロナ・パンデミックにおける学校教育を受ける権利 : 二〇二一年一一月一九日ドイツ連邦憲法裁判所第一法廷決定(連邦緊急ブレーキ第二決定)をめぐって」日本法学第88巻第2号(2022年9月) 10~11頁参照)。これを理解していれば、必要性(LRA不存在)とは、「同じ効果が得られるのであれば、よりコストの低い手段を選ぶべきだ。」という当たり前のコスパ(効率性)の話でしかないことがわかります。このことを踏まえると、Aの手段については、ゼロ以上の公益を促進し、かつ、制限される人権が10未満の手段が他にあるかという観点で考えることになる。そうすると、BCDはいずれもゼロ以上の公益を促進する手段ですが、制限される人権の程度が10未満ではないので、より制限的でない(制限される人権がより小さい)手段とはいえず、LRAは存在しない。したがって、Aは必要性をクリアします(関連性を欠くので通常は必要性は検討しませんが。)。同じように考えていくと、Cの手段だけは、Bが同等の公益促進効果を有し、かつ、より制限的でない(制限される人権がより小さい)手段なので、必要性を満たしません。これは、Cの手段によるくらいなら、Bの手段を採った方がコスパがよいことを意味します。Dについては、制限される人権がめっちゃ大きいものの、他に100の公益促進効果を持つ手段がないので、必要性をクリアしています。

手段
制限される
人権
10 20 30 200
得られる
公益
50 50 100
関連性
(適合性)
必要性
(LRA不存在)

 そして、狭義の比例性(相当性)は、法益の均衡を欠いていないこと、すなわち、得られる公益よりも制限される人権の方が大きいとはいえないことをいいます。AとDは、得られる公益よりも制限される人権の方が大きいので、狭義の比例性(相当性)を満たさないことがわかります。Dは、他の手段では実現できないほど得られる公益が大きいので、魅力的な手段ですが、犠牲になる人権がデカ過ぎるので、やっちゃいけません。

手段
制限される
人権
10 20 30 200
得られる
公益
50 50 100
関連性
(適合性)
必要性
(LRA不存在)
狭義の比例性
(相当性)

 以上から、合憲的な規制手段はBだけだ、ということになるわけです。

2.ちなみに、違憲審査基準論の立場からは、制限される人権(権利の性質、規制の態様等)を考慮して、違憲審査基準を選択します。ここでは、Aでは合理性ないし明白性の基準B及びCでは中間審査基準Dでは厳格な基準が妥当するとしましょう。
 Aについて得られる公益をみると、ゼロですから、これが裁判所にとって明らかなのであれば、合理性を欠き、又は著しく不合理であることが明らかであるとして、合理性及び明白性のいずれの基準からも違憲となるでしょう。
 B及びCについては、目的審査において50の公益が重要な公共の利益の水準をクリアすると考えれば手段審査で実質的関連性ないし必要最小限性があるかどうかを検討することになる。実質的関連性は、文字どおりに考えると、「関連性が実質的なものといえるかを厳密に審査する。」(関連性の審査密度を高める。)という程度の意味ですから、50の公益の存在が証拠から認定できる程度に確実だと裁判所が認めれば、クリアします。もっとも、以前の記事(「「効果的で過度でない」の今後」、「実質的関連性で狭義の比例性を書くのは間違いという話」)でも説明したとおり、違憲審査基準論者は、必要性(LRA不存在)を実質的関連性に含めるのが通例ですので、これも検討する必要があります。そうすると、前記1のとおり、Cは必要性(LRA不存在)を欠くので、実質的関連性ないし必要最小限性を欠き、違憲ということになるでしょう。
 Dについては、厳格な基準が採用されるわけですが、その趣旨は、人権制限がデカいので、これを正当化し得る公益の水準としては非常に高い水準、すなわち、やむにやまれぬ公共の利益を要求するということでした。そうすると、例えば、得られる公益は300以上でないと、「やむにやまれぬ公共の利益」とは評価できない(ちょっと大きめに見積もるのは、人権を重視する違憲審査基準論者の思想を反映させたものです。)。そうすると、Dの手段により得られる公益は300未満で、「やむにやまれぬ公共の利益」とは評価できない以上、目的審査をクリアできず、違憲ということになるでしょう。
 以上から、合憲的な規制手段は、やはりBだけだ、という結論になります。

3.もちろん、実際には、上記のように単純に数値化して比較できるわけではありませんし、表の中の数値の認定について、立法府と司法府のどちらの判断が優先するかという問題(立法裁量や論証責任)もあります。多くの文献では、これらの問題をごっちゃにして説明しているので、とってもわかりにくい。しかし、理念的には、前記1、2のような思考方法が前提になっているのだ、ということを、まずは理解しておくことが重要です。 

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