1.今年の刑訴設問2。「ド典型の伝聞じゃん。こんなの差が付かない。」と思った人もいるかもしれません。当サイトは、かなり差が付くところだと思っています。かつては、学説でも、伝聞証拠の説明の仕方は結構テキトーでした。なので、当時の旧司法試験では、「とりあえず伝聞法則の趣旨さえ書ければ勝つる。」ということで、「そもそも供述証拠は知覚、記憶、表現・叙述の各過程で瑕疵が……(略)……。」という長い論証を覚えて答案に貼り付けておけば、後はテキトーでもまあ不合格にはならない、という感じだったのです。そこには、「基本事項に高い評価を与えることで、応用的な部分を重視する長期受験者を落とし、若手を合格させる。」という当時の若手優遇策としての意味もあったのでした(「令和4年司法試験の結果について(12)」)。
しかし現在では、学説による伝聞証拠の説明の仕方はかなり洗練されてきています。それに伴って、司法試験における採点も、変わってきている。伝聞法則の趣旨を延々と書いても、かつてのようには評価されず、むしろ、伝聞・非伝聞の判断基準を示して、問題文の事実を摘示して具体的に説明をしているか否かによって、合否が分かれるようになってきています。このことは、長文の事例を用いた「規範と当てはめ」重視による、現在の若手優遇策としての意味もあります(「令和4年司法試験の結果について(12)」)。
2.伝聞法則(320条1項)の適用される証拠、すなわち、伝聞証拠かは、「供述」を内容にする(=供述証拠である)か、供述で再現されたとおりの事実の存在を要証事実とするか、という2つの要素から判断する。このことは、表現の仕方はともかく、ほとんどの学説で共通しています。「表現の仕方はともかく」という言い方をしたのは、「供述で再現されたとおりの事実の存在を要証事実とする」ことを、「供述内容の真実性が問題になる」という表現で表そうとするものが未だにあるからです。司法試験の出題趣旨でも、そのような表現が用いられています。
(平成25年司法試験論文式試験問題出題趣旨より引用。太字強調は筆者。) 【別紙1】は,司法警察員Pが作成した実況見分調書としての性質に加え,Wの供述を録取した書面としての性質をも有しているが,論述に当たっては,【別紙1】で立証しようとする事項が犯行状況そのものであることから,Wの供述内容の真実性が問題となっていることを踏まえ,前述のとおりの書面の性質を論じ,伝聞法則の例外規定が適用されるためには,いかなる要件が求められるのか,本件事案ではその要件が満たされているかを論じていく必要がある。 (引用終わり) (令和3年司法試験出題趣旨より引用。太字強調は筆者。) 一般に,伝聞法則の主要な根拠は,公判期日外の供述については,公判期日での供述に比べ,類型的に信用性の担保に欠けるという点に求められ,この根拠に照らすと,公判期日外の供述(原供述)を含む供述ないし書面に伝聞法則の適用があるか否かを判断するに当たっては,原供述を証拠とすることにより何を立証しようとするか,すなわち要証事実が何であるかが重要であり,原供述の内容に示される事実が存在すること(原供述の内容の真実性)を立証するために用いられる場合は,信用性の担保に欠ける証拠を立証に用いることで事実認定の正確性を損なうおそれが生じるため,伝聞証拠に当たり,一定の要件を満たさない限り証拠能力を認めるべきでないこととなる。 (引用終わり) |
平成25年の段階では、出題趣旨も、単に「供述内容の真実性が問題」という表現を用いていました。それが、令和3年には、「原供述の内容に示される事実が存在すること」という表現をまず用い、括弧書で、「原供述の内容の真実性」という表現を用いています。前者の表現は、「供述で再現されたとおりの事実の存在」と同義です。これが、最近の傾向で、「内容の真実性が問題になる」という表現は、なるべく使わないようになってきています。それはなぜかというと、「内容の真実性が問題になるか、ならないか。」というのは、判断基準として機能しない、あるいは、誤解を与えやすい表現だからです。そのことは、この後のところで具体的に説明したいと思います。
3.さて、「供述」とは、体験した事実を言語等によって再現することをいいます。例えば、「おはよう。」という発言は、体験した事実の再現ではないので、そもそも供述ではない。「今から、甲さんと一緒にファミレスで御飯を食べます。」という発言も、過去に体験した事実の再現ではないから、供述ではない。このことからわかることは、「過去に体験した事実が発言中に含まれないものは、そもそも『供述』とはいえないので、その時点で伝聞証拠になりようがない。」ということです。「供述」に当たらないということは、過去に体験した事実の再現ではないということだから、「再現されたとおりの事実」を観念できないわけで、それが要証事実になるなんてことはあるはずないのです。したがって、そもそも「供述」に当たらないものは、要証事実がどうのこうのと考える以前に、伝聞証拠ではないと判断できる。その観点で、本問の実況見分調書①及び実況見分調書②をみていきしょう。
4.まずは、実況見分調書①です。調書全体については、Qが実況見分を体験して、体験した実況見分はこんな感じでしたよ、ということを言語で再現をしているわけで、「供述」といえることは自明です。
では、写真部分はどうか。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 5 ……(略)……Qは、甲方から押収されたピッキング用具と同種のもの及び本件犯行時にV方に設置されていた錠と同種の特殊な錠を準備し、同日、同署において、甲に対し、「この道具を使って、この錠を開けられますか。」と尋ねた。甲は、随時説明しながらピッキング用具を使って解錠した。後日、Qは、その解錠の状況につき、【実況見分調書①】を作成した。同調書には、甲が解錠している前記状況を連続して撮影した写真が複数枚添付されており、これらの写真の下に、それぞれ「被疑者は、『このように、ピッキング用具を鍵穴に入れてこうして動かしていくと解錠できます。』と説明した。」との記載があった。また、甲が解錠された後の錠を指さしている場面の写真1枚が添付されており、その下に「被疑者は、『このように解錠できました。』と説明した。」との記載があった。 (引用終わり) |
まず、撮影者の供述を内容とするといえるのか。本問では、撮影者はQっぽいですが、必ずしも明示はされていません。明示する必要がないからでしょう。写真については、撮影者の供述ではない、というのが、判例・通説の立場だからです。
(最決昭59・12・21より引用。太字強調は筆者。) 犯行の状況等を撮影したいわゆる現場写真は、非供述証拠に属し、当該写真自体又はその他の証拠により事件との関連性を認めうる限り証拠能力を具備するものであつて、これを証拠として採用するためには、必ずしも撮影者らに現場写真の作成過程ないし事件との関連性を証言させることを要するものではない。 (引用終わり) |
「撮影者らに……(略)……証言させることを要するものではない。」という判示部分は、撮影者の供述ではないという点に着目していることを含意しています。一般に、「現場写真は非供述証拠である。」といわれますが、それは、「撮影者の供述を内容としない。」ということを意味しているのです。
このことを理解すると、「写真の内容は、撮影者の供述とみることはできないけれども、被撮影者の供述とみる余地はある。」ということがわかるでしょう。供述は、言語だけではなく、身振りによる場合も含まれるので、身振りによる供述を撮影した場合、被撮影者の供述とみる余地があるわけですね。一般に、「犯行再現写真は、身振りによる供述証拠である。」といわれるとき、それは、「被撮影者の身振りによる供述を内容とする。」ことを意味しています。現場写真の場合に、「被撮影者の供述か。」という点が問題にならないのは、犯行現場で誰かが過去の事実を身振りで再現している状況が撮影されるということが、普通ないからです。
さて、実況見分調書①に添付された写真に写っている甲の動作は、過去の事実を身振りで再現したものなのか。純粋に写真だけをみると、「犯行当時に甲がV方玄関ドアを開けたという事実を再現したものだ。」という理解も可能でしょう。しかし、そうでないことは他の事情から明らかです。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 5 ……(略)……Qは、甲方から押収されたピッキング用具と同種のもの及び本件犯行時にV方に設置されていた錠と同種の特殊な錠を準備し、同日、同署において、甲に対し、「この道具を使って、この錠を開けられますか。」と尋ねた。甲は、随時説明しながらピッキング用具を使って解錠した。後日、Qは、その解錠の状況につき、【実況見分調書①】を作成した。同調書には、甲が解錠している前記状況を連続して撮影した写真が複数枚添付されており、これらの写真の下に、それぞれ「被疑者は、『このように、ピッキング用具を鍵穴に入れてこうして動かしていくと解錠できます。』と説明した。」との記載があった。また、甲が解錠された後の錠を指さしている場面の写真1枚が添付されており、その下に「被疑者は、『このように解錠できました。』と説明した。」との記載があった。 (引用終わり) |
「この道具を使って、この錠を開けられますか。」と尋ねられて、「はい、犯行当時、こんな感じでV方玄関ドアを開けました。」と答えるのはおかしい。甲が解錠したのは、単に自分は解錠の技能がある、ということを示すために、実演してみせただけでしょう。犯行当時の状況を再現しているわけではない。実況見分に至る経緯からも、そのことがわかります。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 5 Qは、同月5日、I警察署において、甲の取調べを行った。甲は、Qに対し、窃盗目的で、施錠されていたV方玄関ドアの特殊な錠をピッキング用具で解錠して室内に侵入し、タンスを物色するなどしたが、Vに発見されたため、逮捕を免れる目的でVの頭部をゴルフクラブで殴打した旨供述し、その旨の警察官面前調書が作成された。そこで、Qは、甲方から押収されたピッキング用具と同種のもの及び本件犯行時にV方に設置されていた錠と同種の特殊な錠を準備し、同日、同署において、甲に対し、「この道具を使って、この錠を開けられますか。」と尋ねた。甲は、随時説明しながらピッキング用具を使って解錠した。後日、Qは、その解錠の状況につき、【実況見分調書①】を作成した。同調書には、甲が解錠している前記状況を連続して撮影した写真が複数枚添付されており、これらの写真の下に、それぞれ「被疑者は、『このように、ピッキング用具を鍵穴に入れてこうして動かしていくと解錠できます。』と説明した。」との記載があった。また、甲が解錠された後の錠を指さしている場面の写真1枚が添付されており、その下に「被疑者は、『このように解錠できました。』と説明した。」との記載があった。 (引用終わり) |
実況見分に至る前に、甲は自白をしています。その内容には、特殊な錠をピッキング用具で解錠したということが含まれていた。「特殊な錠」を解錠するには、「特殊な技能」が必要です。仮に、この自白だけで犯人性を立証しようとしても、自白の内容それ自体から、「甲ってマジで『特殊な錠』を解錠できる技能あるの?」という合理的な疑いが生じます(要件事実でいう「せり上がり」に似ています。)。捜査機関としては、当然、その疑いを排斥する証拠を揃えておく必要がある。Qが実況見分を行ったのは、その証拠固めのためと理解できます。問題文に、「そこで、」と書いてあるのは、その趣旨なのです。このような趣旨で実況見分が行われているわけですから、当然、甲に行わせる動作は犯行当時の再現ではない。撮影されたのは、甲に解錠の技能があることを裏付ける実演の様子です。なので、これはそもそも「供述」ではない。そうである以上、本来は、要証事実云々を問題にする必要はありません。もっとも、多くの人が、問題文の以下の部分を用いて、「要証事実は『甲がV方の施錠された玄関ドアの錠を開けることが可能であったこと』だから、内容の真実性が問題にならない。」のような書き方をしたでしょう。
(問題文より引用。太字強調は筆者。)
7 同月20日、甲は、住居侵入・強盗殺人未遂罪によりH地方裁判所に起訴された。同被告事件は、裁判所の決定により、公判前整理手続に付された。同手続の中で、公判立会検察官Tは、前記【実況見分調書①】につき、立証趣旨を「甲がV方の施錠された玄関ドアの錠を開けることが可能であったこと」として、証拠調べの請求をした。また、Tは、前記Vの検察官面前調書につき、立証趣旨を「被害状況」とし、前記【実況見分調書②】につき、立証趣旨を「被害再現状況」として、それぞれ証拠調べの請求をした。 (引用終わり) |
おそらく、それでも評価はされるでしょう。出題趣旨でも、そのような感じで説明がされるかもしれません(伝聞法則に関する出題趣旨の説明には表現が微妙なものが結構ある。)。ただ、「要証事実は『甲がV方の施錠された玄関ドアの錠を開けることが可能であったこと』だから、内容の真実性が問題にならない。」というのは、厳密には説明になっていません。これは、文字どおりに捉えると、「撮影された甲の動作が真実かどうか問題にならない。」という意味になるわけですが、写真に写っている甲の姿は、撮影された当時の甲の動作そのもので、真実といえるでしょうし、真実でなければ困ります。また、「甲が本当に解錠できたのか。」という意味で、「内容の真実性が問題になる。」ともいえそうです。このように、「真実性が問題にならない。」というのは、意味不明な表現なのです。正確には、写真部分はそもそも甲の身振りによる供述とみる余地がない、という、それだけのことです。弁護人が犯人性を争ってきたときに、Tが上記の立証趣旨で証拠請求した事実は、その写真が犯行当時の再現をしたものでないことを裏付けるものとして用いるべきでしょう。
5.以上のことを答案にすると、当サイトの参考答案(その2)のようになります。
(参考答案(その2)より引用) (2)写真部分 ア.写真は、撮影者の供述を証拠とするものではなく、機械的に撮影された画像の存在又は状態が証拠となる(現場写真につき新宿騒乱事件判例参照)。したがって、撮影者の供述を内容とするとはいえない。 イ.もっとも、言語によらない身振りであっても、体験した事実を再現するものである限り、供述といえるから、被撮者の供述とみる余地はある。甲の身振りによる供述か。 (引用終わり) |
ただ、甲の身振りによる供述といえるかという点は、説明したとおり、難しい部分を含んでいますし、多くの人が書いてくるというわけではないかもしれない。そう思ったなら、典型論点である「写真は非供述証拠」という部分だけ論証を貼っておくというのが実戦的です。そのような方針で書いているのが、当サイトの参考答案(その1)です。
(参考答案(その1)より引用) (2)写真部分
写真は、撮影者の供述を証拠とするものではなく、機械的に撮影された画像の存在又は状態が証拠となるから、非供述証拠(証拠物)である(現場写真につき新宿騒乱事件判例参照)。 (引用終わり) |
これだけでは若干心許ない感じもありますが、実戦的にはこの程度でもこの部分については合格レベルに達しているのではないかな、というのが、今のところの当サイトの感触です。