1.以前の記事(「令和5年司法試験の結果について(7)」、「令和5年司法試験の結果について(12)」)で説明した、「受かりにくい人は、何度受けても受かりにくい」法則。これは、人為的なものです。これまで、司法試験委員会は、若手有利になるように出題及び採点を必死に工夫してきました。司法試験は、法に関する知識・理解を問う試験です。たくさん勉強すれば、知識は増え、理解は深まる。ですから、普通に考えると、勉強量の多い年配者が有利で、勉強量の少ない若手は不利になるでしょう。しかし、何年も受験を繰り返してようやく法曹になるというような制度では、合格後に活躍できる期間は限られてしまいますし、そんなことでは、誰も司法試験を受けようとは思わなくなってしまうでしょう。だから、知識・理解がそのまま結果に反映されるような試験にするわけにはいかない。問題文や採点方法を工夫して、知識・理解が十分な年配者が不合格になり、知識・理解が不十分でも若ければ受かるようにしたい。平成以降の司法試験の歴史は、ほぼこの努力の繰り返しでした。このことを、知らない人が多いのです。「司法試験は法の知識・理解を試す試験なのだから、若ければ有利になるような試験であるはずがない。そんなものは陰謀論だ。」と思うかもしれません。しかし、これは国会でも明示的に議論されてきたことなのであって、決して荒唐無稽な陰謀論ではありません。今から33年前の平成3年において、既にこのことが議論されています。
(参院法務委員会平成03年04月16日より引用。太字強調は筆者。) 参考人(中坊公平君) この司法試験につきまして近時この試験に多数回受験の滞留現象という一種の病的な現象が発生し始めてまいりました。多数回受験の滞留現象と申しますのは、受験者の数が多いにかかわらず合格の数が余りにも少ないということから、合格水準に達しながらなお合格しない受験者が数多く滞留しておるということであります。この現象の結果は、合格平均年齢が現在では二十八歳を超え、また合格までの平均受験回数は七回に近い状態になってくることになりました。しかも、このような状態が長期間継続することによりまして大学卒業者が司法試験を敬遠することになり、出願者数も最近では減少傾向にあります。この結果、司法試験の本来の目的である幅広く多様な人材を得ること自体がまた困難になってきたという現象が発生してきたわけであります。 (中略) 先ほど言いましたような滞留現象というものがどうしても改善しなければ、……(略)……もっと考査委員が先ほどから言うように学識じゃなしに応用能力を本当に見られる、長期間要した者が有利にならないような問題の出題ができ、そしてまたその採点ができるというような体制に持っていかなければならない。 政府委員(濱崎恭生君) 司法試験は、御案内のとおり、裁判官、検察官、弁護士となるための唯一の登竜門としての国家試験でございますが、最近といいますか昭和五十年ごろから急速に、合格までに極めて長期間の受験を要する状況になっております。その状態は大勢的には次第に進行しておりまして、今後放置すればますます進行するということが予想されるわけでございます。 (中略) 御指摘の合格枠制、若年者にげたを履かせるという御指摘でございました。これが短絡的な発想ではないか、あるいは便宜的ではないかという受け取り方をされがちでございますけれども、こういう改革案を必要とする理由については、先ほど来るる申し上げさせていただきました。やはり合格者を七百人程度に増加させるということを踏まえました上で、もう少し短い期間で合格する可能性を高めるという方策といたしましてはこういう方策をとるほかはない、こういう制度をとらなくてもそういう問題点が解消できるということならばそれにこしたことはないというふうに思っておりますが、この制度はすべての受験者にとってひとしく最初の受験から三年以内は合格しやすいという利益を与えるわけでございまして、決して試験の平等性を害するというものではないと思っております。 (引用終わり) |
これは、当時、旧司法試験に合格枠制(合格者の一定数を受験回数3回以内の者から選抜する制度。いわゆる丙案。)を導入する際の法改正について議論していたときのものです。この合格枠制は、受験回数が3回以内なら、知識・理解というレベルでは4回以上の受験者より劣っていても合格させようというもので、上記の「法律の知識・理解がそのまま結果に反映されるような試験にするわけにはいかない。」という発想が如実に表れた制度でした。なお、この合格枠制の発想は、その後、新司法試験における受験回数制限へと形を変えて受け継がれていくことになります。
2.上記の政府委員の発言で、「もう少し短い期間で合格する可能性を高めるという方策といたしましてはこういう方策をとるほかはない」とありますが、当時、既に、若手でも受かる試験にするための様々な方策が採られていました。その1つが、若手でも点が取れるような基本的な問題にする、ということでした。
(参院法務委員会平成03年04月16日より引用。太字強調は筆者。) 政府委員(濱崎恭生君) 現在の試験問題の出題の方針につきましては、正しい解答を出すために必要な知識は大学の基本書などに共通して触れられている基礎的な知識に限る、そういう基礎的な知識をしっかり理解しておれば正解を得ることができる、そういう考え方で問題の作成に当たり、そのためのそういう問題づくりについて鋭意努力をしていただいておるところであるということをつけ加えさせていただきます。 (引用終わり) |
しかし、単純に考えればわかりますが、若手でも解けるように問題を簡単にすれば、勉強量の多い年配者は、さらに確実に正解してきます。したがって、そのような方策には限界がある。そのことは、当時の考査委員も認めていました。
(衆院法務委員会平成03年03月19日より引用。太字強調は筆者。) 鈴木重勝(早稲田大学)参考人 早稲田大学の鈴木と申します。……(略)……まず、司法試験が過酷だとか異常だとか言われるのは、本当に私ども身にしみて感じているのでありますけれども、何といっても五年も六年も受験勉強しなければ受からないということが、ひどいということよりも、私どもとしますと、本当にできる連中がかなり大勢いまして、それが横道にそれていかざるを得ないというところの方が一番深刻だったのです。 (引用終わり) |
その後、平成10年以降になってくると、単に簡単な問題を出す、というのではなく、より新たな試みがなされました。それは、「大学受験の国語のような、知識で差が付かないような問題」を出す、ということです。これが最も顕著だったのは、短答式試験の穴埋め、並替え問題です。ほとんど法律の知識がなくても、文章を読んで意味が通るように並び替えれば正解になる。この種の問題の特徴は、知識で解こうとすると、解けない、ということでした。よく勉強し、知識・理解の豊富な年配者は、知識で解こうとするので、解けない。それに対し、知識の乏しい若手は、その場で文章の辻褄が合うようにするにはどうすればよいか(例えば、「甲の○○という行為」という文言を含む文章と、「甲の当該行為」という文言を含む文章であれば、前者が先で後者が後に来るように並び替えるべきことがわかる。)、という目で問題文を読むため、スラスラ解ける。このようにして、法律の知識・理解の豊富な年配者を落とし、法律の知識・理解の乏しい若手を受からせることに、一時的に成功したのでした。しかし、そのような問題は、「知識で解かない」ということがわかってしまえば、年配者でも解けるようになってしまいます。そのため、この「大学受験の国語のような問題」は、すぐに若手優遇の効果を失ってしまったのでした。
(衆院法務委員会平成13年06月20日より引用。太字強調は筆者。) 佐藤幸治(司法制度改革審議会会長)参考人 私も、九年間司法試験委員をやりました。最初のころは、できるだけ暗記に頼らないようにということで、私がなったとき問題を工夫したことがあります、そのときの皆さんで相談して。そうしたら、国語の問題のようだといって御批判を受けたことがありました。しかし、それに対してまたすぐ、数年たちますと、それに対応する対応策が講じられて、トレーニングをするようになりました。その効果はだんだん薄れてまいりました。 (引用終わり) |
3.このように、司法試験の歴史は、「知識・理解の豊富な年配者を落とし、知識・理解の乏しい若手を受からせる」ための方策を一生懸命考えては、挫折してきた、という歴史だったのです。知識・理解を試す試験において、知識・理解にかかわらない結果を出力させようという試みですから、常識的に考えれば挫折するのは当然の帰結でした。
そして、法科大学院制度と受験回数制限が、最後の切り札として、採用された。法科大学院に通う人しか受験させなければ、母数が減ります。そして、受験回数制限をかければ、年配者は退出していく。これで、本来であれば、滞留による高齢化問題は解消するはずでした。ところが、様々な事情で予備試験が残ってしまい、法科大学院に通わない人も受験でき、しかも、受験回数制限によって一度受験資格を失っても、なお予備試験ルートで受験できるようになってしまいました。そのため、滞留問題は、解消されなかったのです。しかも、その後、受験回数制限が5年3回から5年5回に緩和されたため、この滞留問題は、深刻化してきていたのでした。
以上のような状況は、新しい若手優遇策を必要とします。そこで、新司法試験になって採用された、新しい若手優遇策が、長文の事例を用いた「規範と当てはめ」重視の論文試験の出題及び採点です。知識・理解の乏しい若手は、規範を明示するので精一杯です。ならば、そこに大きな配点をおけば、若手も点が取れる。他方、知識・理解の豊富な年配者は、なぜそのような規範を用いるのか、制度趣旨は何か、という抽象論に至るまでよく知っていますから、これを書きたがります。ならば、そこには大きな配点を与えないようにすればよい。また、知識・理解の乏しい若手は、頭の中にある知識・理解が乏しいので、現場で目の前にある問題文を使おうとする。そのため、若手はとにかく問題文を丁寧に引用する傾向がある。これに対し、知識・理解の豊富な年配者は、事実の持つ意味付け(評価)を重視し、問題文の事実自体の引用を省略して、評価から先に書こうとします。ならば、単純な事実の引用に重い配点を置き、事実の評価は加点事由程度にしてしまえばよい。この方法は、「実務と理論の架橋という新制度においては、規範を具体的事実に当てはめるという法的三段論法が特に重要である。したがって、規範の理由付けや事実の評価よりも、規範の明示と具体的事実の摘示に極端な配点を置くべきだ。」という建前論によって正当化できるという点においても、優れていたのでした。しかも、おそらくこれは考査委員自身も気が付いていないようですが、若手は字を書く速度が早いため、事実の摘示をこなせるのに対し、年配者は字を書く速度が遅いため、配点の高い事実の摘示ができないという強力な若年化効果もあります。
上記のことに、受験者が気が付きにくい仕組みとなっていることも、この若手優遇策の巧妙なところです。前記のとおり、かつての若手優遇策は、「基本重視」か「国語のような」問題だったわけですが、前者は見た目から基本しか問うていない感じですし、後者は接続詞と改行、キーワードリンクを多用しているだけで内容のないスカスカの再現答案が上位になったりしていたため、すぐにバレてしまったのでした。これに対し、現在の出題は、見た目はかなり応用的なことを聞いているとみえますし、出題趣旨や採点実感、上位の再現答案をみると、趣旨・本質に遡った理由付けや、詳細な事実の評価等が書いてあるので、単に規範を明示し、事実を摘示するだけでは不十分にみえる。しかし、普通の人が書こうとすると、趣旨・本質に遡った理由付けや詳細な事実の評価等を書いていては、全然時間が足りないようになっています。その結果、途中から肝心の規範の明示と事実の摘示が雑になっていき、不合格になる。通常の筆力の人が時間内に書くためには、異常に配点の高い規範と事実を最優先にして、最後まで書き切れるように割り切るほかはないわけです。早く合格できる若手は、この割切りが上手なのです。ちなみに、2桁以上の上位陣は、異常な筆力で、現場では物凄い文字数を書いています。再現では、本番の気力が出ないせいか、それが反映されていないことも多く、その場合、理由付けは覚えているので書いてあるが、事実の摘示は現場の勢いで書いていて覚えていないことが多いので、漏れてしまいやすい傾向にある。これも、上記若手優遇策に受験者が気付きにくくなる要因になっていたりします。
論文の学習をするに当たっては、この点を意識しておく必要があるのです。がむしゃらに勉強して、知識・理解を深めることは、かえって当局が落とそうとしている人物像に当てはまってしまうということです。最優先でやるべきは、規範の明示と事実の摘示というスタイルを確立し、最後まで書き切る筆力を身に付ける、ということです。