1.民事実務基礎で恒例の準備書面問題。文書の成立の真正が問われた場合に、署名でゴリ押しする答案が一定数現れます。令和5年でいえば、「本件契約書にはYの署名があるから、民訴法228条4項によってY作成部分は真正に成立したと推定される。」とするような答案です。
(参照条文)民訴法228条(文書の成立) 文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。 |
「本件契約書には手書きで『Y』って書いてあるんだから、Yの署名あるじゃん。なんでダメなの?」と思った人は、「本人……の署名又は押印」の意味を考えてみる必要があります。
2.そもそも、本人又はその代理人の署名又は押印があるときに、文書が真正に成立したと推定されるのはなぜか。前回の記事(「「作成者」、「成立の真正」の意味(令和5年予備試験民事実務基礎)」)で説明したとおり、成立の真正とは、作成者の意思に基づくという意味でした。なので、ここでいう「本人又はその代理人」とは、作成者、すなわち、「挙証者によって当該文書の意思の主体と主張された者」を指す(※1)。では、作成者の署名又は押印があるときに、文書が作成者の意思に基づくと推定されるのはなぜか。それは、「文書全体の内容を確認して、これでオッケーだという意思があったから署名とか押印をしたんでしょ。」という経験則があるからです。甲野太郎が、勝手に「法務花子」という署名又は押印をしたとしても、法務花子が「文書全体の内容を確認して、これでオッケーだという意思があったから署名とか押印をしたんでしょ。」とはいえない。なので、この「署名又は押印」は、作成者自身がすること、より正確には、「作成者の意思に基づくこと」が必要になるわけです。「意思に基づく」といい換えるのは、例えば、法務花子が、甲野太郎に、「あの契約書でオッケーだから私の印鑑押しといて欲しいザマス。」と依頼した場合には、「甲野太郎が押印した」といえてしまいそうなので、その場合でも、「法務花子の意思に基づいているよね。」と言えるようにするためです。
※1 代理人を作成者とするのは、「A代理人B」名義の文書を書証とする場合が一般で、署名代理の場合には、本人を作成者として書証申請するのが一般です。
(最判昭38・11・15より引用。太字強調及び※注は筆者) 私文書の押印部分がその名義人の印鑑によつて作出されたものであることが認められる場合であつても、同時に右押印が名義人の意思に基づいてなされたものでないことが認定される以上は、私文書の成立の推定規定たる民訴326条(※注:現行の228条4項に相当する。)は適用されない (引用終わり) |
署名又は押印が作成者の意思に基づくことをもって、署名又は押印の「成立の真正」ということがあります。
3.民訴法228条4項の「本人又はその代理人の署名又は押印」とは、作成者の意思に基づく署名又は押印でなければならない。では、作成者の意思に基づくことは、どのように証明すればよいか。「『法務花子』の署名は間違いなくワタクシが自分で書いたものザマス。」のような作成者自身の供述があれば、それを直接証拠として証明することが可能です。しかし、そんなものがあれば、署名・押印の成立の真正は争いにならない。なければどうするか。押印に関しては、多くの受験生が覚えているとおり、解釈で推定が認められていたのでした。
(最判昭39・5・12より引用。太字強調及び※注は筆者。) 民訴326条(※注:現行の228条4項に相当する。)に「本人又ハ其ノ代理人ノ署名又ハ捺印アルトキ」というのは、該署名または捺印が、本人またはその代理人の意思に基づいて、真正に成立したときの謂であるが、文書中の印影が本人または代理人の印章によつて顕出された事実が確定された場合には、反証がない限り、該印影は本人または代理人の意思に基づいて成立したものと推定するのが相当であり、右推定がなされる結果、当該文書は、民訴326条にいう「本人又ハ其ノ代理人ノ(中略)捺印アルトキ」の要件を充たし、その全体が真正に成立したものと推定されることとなるのである。 (引用終わり) |
これが、いわゆる二段の推定でいうところの、一段目の推定です。我が国では印章が重視され、印鑑登録証明制度が存在することが、その背景にあります。なお、印鑑登録した印章を「実印」、そうでない印章を「認印」といいますが、二段の推定の基礎にある「自分の印章は厳重に保管してみだりに他人に使わせない。」という経験則は認印にも妥当すると考えられているので、一段目の推定は実印だけでなく、認印でも生じます。
4.これに対し、署名については、そのような推定を認める解釈論がありません(※2)。海外では、署名(サイン)が重視され、サイン証明の制度があったりします(日本貿易振興機構(ジェトロ)「サイン証明:米国」)が、我が国では、署名は重視されていないからです。そんなわけで、署名があっても、それが作成者の意思に基づくものであるということを証明することは、結構難しい。筆跡鑑定という手段はありますが、決め手になることはあまりないとされます(※3)。間接事実からの推認がありそうですが、実際には、それは処分証書の真正な成立を経由する認定とはいえないことがほとんどです。例えば、車の売買で、作成者が目的物の車を乗り回していたという事実を間接事実として、買主署名欄の署名が作成者のものだ、という推認をしようとすることが考えられそうですが、そのような事実は、もはや署名の間接事実というよりは、売買契約締結の事実それ自体の間接事実とみるべきです。先に「目的物の車を乗り回してるんだから買ったんでしょ。」という推認過程(目的物の車を乗り回していた→売買契約締結の事実)が先にあるのであって、目的物の車を乗り回していた→署名→売買契約書の成立の真正=売買契約締結の事実というような推認過程を経ているわけではありません(※4)。少なくとも予備試験で、作成者が自らの署名であることを認めているような場合を除き、署名から文書の成立の真正を認めさせるなんてことはない、と考えておいてよいでしょう。
※2 署名については論証として覚えるものがなく知識の空白地帯になっていて、現場思考で思わずゴリ押ししてしまうのだろうと思います。
※3 民事証拠収集実務研究会『民事証拠収集 相談から執行まで』(勁草書房 2019年)76頁では、「筆跡鑑定を行っても同一人の筆跡かどうかにつき可能性の有無・程度という曖昧な判断に終わることも多い。そのため、裁判実務においても……(略)……筆跡鑑定が決定的な根拠となることはあまり多くない。」とされています。
※4 「目的物の車を乗り回してるんだから買ったんでしょ。」→「買ったってことは、買主欄に署名したんでしょ。」という推認はできますが、「目的物の車を乗り回してるんだから買ったんでしょ。」の段階で売買契約締結の事実が推認できてしまうので、その後の署名の推認は無駄でしかありません。
5.令和5年予備試験については、X自身が署名の成立について消極だったので、署名でゴリ押しした受験生はさすがに少なかったでしょう。
(問題文より引用。太字強調は筆者。) 【Ⅹの供述内容】 「……(略)……本件契約書のY名義の署名がYの自筆によるものかは不明ですが、Y名義の印影は、間違いなくYの実印によるものです。」 (引用終わり) |
上記の記載は、以前の記事(「ヒントをヒントとして認識する(令和5年予備試験民事実務基礎)」)でも説明したヒントのうちの1つです。例年、あまりにも出来が悪いので、「署名で書く答案とか採点したくないよ。頼むから二段の推定で書いてくれ。」という願いを込めて、「ここまで書いておけば、さすがに署名で書かないよね。」ということで、親切にもこのような問題文になっている。それだけのことです。なので、仮に、Xの供述で、「本件契約書のY名義の署名は、間違いなくYの自筆によるものです。」とされていても、署名から成立の真正を認めるような論述をしてはいけません(Yが自らの署名であることを認めた上で民訴法228条4項の推定に対する反証をしている場合は別です。)。今後は、そのような出題がされる可能性もあるので、注意が必要です。